105.肖像画
翌朝、美咲はエリーを伴って商業組合を訪ねた。
誰が付き添うのかについては、マリアは相手がミストの町の代官と聞いて委縮してしまい、茜は上質紙の開発で外せない打合せがあり、と、消去法で美咲に決まった。
エリーは、と言えば、美咲の手を握ってお散歩気分である。
興味をひくものがあれば、耳をピンと立て、尻尾をユラユラさせながら近付いて行こうとする。
それを引き留めながら、美咲は商業組合への道を辿った。
まだ時間としては朝の8時くらいだろうか。日本の感覚では少し早いと感じられるが、この世界の人々は太陽と共に生活する。商業組合は既に通常営業を開始していた。
「おはようございます。ビリーさんに呼ばれてきました」
商業組合に着くと、受付のマギーに声を掛ける。
「おはようございます、ミサキさん。そちらがエリーちゃんですね?」
「エリーです!」
「自己紹介出来て偉いですね。会長から話は聞いています。ルーシーさんならもう来ていますよ。こちらへどうぞ」
見慣れないものが沢山あって好奇心を刺激されるのだろう。
エリーは商業組合のあちらこちらに引っ掛かりながらも、奥の会議室に通された。
そこには、金色の髪の、まだ幼さを残した少女が待っていた。
「おはようございます。ルーシーさん、エリーさんが到着しましたよ」
「マギーさん、もしかして、その狐人の娘が?」
「そうです。巷で噂のエリーちゃんです。エリーちゃん、こちらがルーシーさん。可愛く描いてあげてね」
「はーい。うんと、それじゃイスにすわってください」
「もう描きますの?」
「ん」
エリーはトートバッグからスケッチブックと色鉛筆を取り出し、ルーシーの正面の椅子に座った。
それを見て、マギーは会議室から退室した。
エリーは何の気負いもなく、スケッチブックに色鉛筆を走らせはじめた。
「お話しながらでも大丈夫かしら?」
「ん」
「エリーさんはどんな絵を描かれるの?」
「んー、いろいろ? ひととか、たてものとか。みる?」
「ええ。見てみたいですわ。動いても?」
「んー、ちょっとまってて」
ざっと全体像を描きながらエリーはそう答えた。
しばらくの間、部屋には絵を描く音だけが響いていた。
「ん。うごいてもだいじょうぶ。こんなのかくの」
エリーはスケッチブックのページをめくって見せた。
「んとねー。これがよーへーくみあいで、こっちがきたもん。これがミサキおねーちゃん」
「不思議な色使いですのね。それで、わたくしの絵はどこまで出来てますの?」
「ん」
「描きかけだとこうなるのですのね。完成が楽しみですわ。それじゃ、椅子に戻りますわね」
「ん」
椅子に座って、姿勢を整えるルーシー。
それを確認し、エリーは続きを描き始めた。
◇◆◇◆◇
絵を描くのにかかったのは3時間程度だった。
エリーがスケッチブックから絵を切り離して渡すと、ルーシーは嬉しそうに微笑んだ。
「こんなにすぐに出来ると思ってなかったですわ。エリーちゃん、ありがとう。これ、お礼ですわ」
木の箱に入ったクッキーの詰め合わせに、エリーは目を輝かせる。
貰っていいの? とばかりに美咲を見上げて来るので、美咲はひとつ頷いた。
「ルーシーおねーちゃん、ありがとー!」
丁寧に蓋を閉めて、トートバッグに箱をしまうエリー。
「エリーさん、それではまた機会がありましたら」
「はーい!」
美咲はエリーの手を引いて商業組合を後にした。
「エリーちゃん、どうだった? 楽しかった?」
「うん! ルーシーおねーちゃん、きれいだから、かくのたのしかったよ」
「そっか。よかったね」
◇◆◇◆◇
「お帰りなさい、エリーちゃん、美咲先輩」
ミサキ食堂に戻ると、茜が出迎えてくれた。
まだ、本日の営業時間ではないため、店内には茜とマリアしかいなかった。
「あれ? もう打合せは終わったの?」
「はい! 紙はいい感じに仕上がって来てます。もう少しで実用レベルですねー」
「そっか、よかったね。あ、マリアさん、エリーちゃんをお返ししますね」
「エリー、いい子にしてましたか?」
「大人しく絵を描いてましたよ。あ、クッキーを貰ってましたから、食べ過ぎないように注意してくださいね」
「はい、エリー、良かったわね」
「うん!」
「で、これから開店準備な訳ね。茜ちゃん、お湯とかよろしくね」
「はーい」
茜が大鍋にお湯を沸かし、マリアはカウンターを掃除する。
営業時間帯は使っていないテーブル席は、椅子を片付けておく。
エリーは、隅っこに座って、みんなの動く様子をスケッチしていた。
そんなエリーを見て、茜は不思議そうな表情でエリーに尋ねた。
「エリーちゃん、今日はお外で遊んで来ないの?」
「きょうはおえかきのきぶんなの」
「アカネさん、多分、午後から雨ですよ。尻尾がいつもより重いですし、水の匂いが濃いですから」
「なにその便利機能」
やがて、開店の時間がやって来た。
エリーは邪魔にならないテーブル席の隅の方で絵を描いている。
入って来る客は一瞬驚いたようにエリーを見るが、最近のエリーはミストの町ではそこそこ有名人なので、噂を聞いたことがなかった客も、周囲の客から事情を聞いて、温かい視線をエリーに送っている。
現在のミサキ食堂のメニューはパスタと塩ラーメン、カップスープがメインである。
塩ラーメンは野菜炒めを乗せる必要があるが、野菜炒めには味付けは不要である。
美咲が作り置きしたものが、茜のアイテムボックスに大量にしまわれているため、美咲不在でもミサキ食堂は回るようになっていた。
パスタソースをすべてレトルトにしたのが大きかった。
誰が作っても味に違いなど出はしない。
その異常性から、日本人以外を厨房に入れることは出来ないが、正直、誰が作っても安定の美味しさが保証されている。
回転も早く、小一時間で30食を売り終える。
マリアが看板を引っ込めると、美咲はエリーのスケッチブックを覗き込んだ。
「何描いてたの?」
「みんなー」
一枚の絵の中に、色々なポーズの人々が描かれていた。
並んでいる人。座ってパスタを食べている人。座ろうとしている人。店から出ていく人の背中。
胴体が透けて、向こうが見えている人もいるが、そうしたあり得ない構図で描かれた絵は、まるで今にも動き出しそうだった。
「これ……エリーちゃんが考えて描いたの?」
「ん!」
満足げな表情でエリーはスケッチブックを掲げた。
「美咲先輩、どうしたんですか?」
「エリーちゃんが、この世界の絵画の歴史に新たな1ページを記した、のかな」
「え? どれどれ、おー……一枚の絵で動画っぽいというか、なんていうんですかね、こーゆーの」
「将来の美術史家がきっといい名前を付けてくれるよ……本当に天才だね。エリーちゃん」
そんな話をしていると、ふいにノックの音が響いた。
「はーい」
美咲が出ると、見慣れない傭兵が立っていた。
首元のペンダントは青だ。
「ここ、ミサキ食堂かな?」
閉店時に看板をしまっているので、知らない人にはわかりにくいシステムである。
「ええ、今日はもう閉店しちゃいましたけど……」
「いや、手紙を預かってきたんだ。店主を呼んで貰えないか?」
「えと、私が店主の美咲ですが」
「え? あ、そうなんだ。ええと、王都の賢者、オガワから手紙を預かっている。問題なければ、こちらにサインをしてほしい」
手渡された手紙には、日本語で「佐藤美咲様」と記されていた。
「間違いないようですね。サインしちゃいますね」
傭兵組合の依頼票にサインをして返す。
「ありがとう。君も傭兵なんだね。しかも黄色なんだ」
「まあ、色々やってますからね。手紙ありがとうございます」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
書籍化作業は順調に進んでいます。
出来上がっている文章をコピペするだけの簡単なお仕事と思っていましたが、予想外にやることがあって大変です。珍しい経験と思い、頑張ってます。
ちなみに、まだイラストについてはどなたが引き受けてくださるのか未定です。