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5/5  作者: 人牛
4/5
6/15

自分

「3/5」はここまでです。

 翌日、私は近くの街で旅準備を済ませ出で立った。宛があったわけではない。

行先も順路も道程日時すら決めていなかった。ただ、歩きたかった。この場所を離れたかった。

 ただ一つ、この街を去るならば館の側を走る道を通ろうと決めていた。今まで幾度と歩いた道から全く知らぬ道へと変わるのが楽しみで、同時にこの街から離れていけると実感できると思ったから。

 そうして館の側を通りがかった際に、私は膝から崩れ落ちた。昨日まで優雅であり、御主人様の仕事場兼住まいであった館は黒く焼け落ち見るも無残な姿になっていたのだから。

 ふらりふらりと館に近づく、これだけの火事があったというのに周りに人はいなかった。近くの森に延焼した様子もなく、館のみが火事にあったようだった。数十分の捜索の後、私は死体がない事に気がついた。人がいれば騒ぎになっていよう。昨日の内に皆この館から去っていったのだろう。それで、火の不始末か何かで火事になったのだ。

 ただ私は明確な目に見える形で、私の、私達の場所が失せたことに失意した。言うならばその時私は「私」でなくなった。その後、何処をどうしたかは知らないが、見知らぬ土地にいて、見知らぬ誰かに仕え、虐げられ全てを失った時にやっと「私」が帰ってきた。

 そこからは全力だった。私が私であるためにその場所を逃げ出した。粗末な服と銀貨を握りしめて街へ繰り出した。しかしその街も見も知らぬ場所で、そして何も持たぬ私は恐ろしい程までに無力だった。見つからぬ様に隠れ、時には追手から逃げ、数日経った頃には身も心もぼろぼろだった。


 逃げ出して七日後、私は歩けなくなり橋桁の下で雨を凌いでいた。だが、直接雨が当たらぬとはいえ小さな橋桁だった為時折風に乗って雨粒が押し寄せていた。八月だと言うのに湿った空気は嫌に冷たく、ともすれば生命の危機すら感じる程であった。だが、橋脚にもたれかかり半分寝転がった状態で私は動くことができなかった。眼は天に向けられてはいるが其処に広がるは灰色ばかり。体は既に立つという行動すら過酷な重労働と化していた。

 死ぬのだろうかと考えた。そうして直ぐに死ぬのだろうと結論づけた。

 生きたいかと考えた。脳裏に焼けた館が浮かんで、否と思えた。

 死にたいかと考えた。それこそ是と思えた。

 何故今なのかと考えた。そうして私は息を吐いて小さく笑った。死ぬにしては遅すぎだろうと自分に嗤った。私が私でなくなった時に死ねば良かったのだ。私が私でいられるように街を出たというのにこれでは全くのお笑い種。街を出て、館を見たせいで私を見失い、そうしてやっと私でいられるようになった今ここで死ぬのか。見ようによっては幸運だろう。私が私で死ねるのだから。

 ふと、地面を這って水が流れてきていた事に気付く。顔を横に向けると雨によって水かさを増した川が私の下まで流域を拡大させていた。橋脚に身を預けているのだからそうなるのは道理と言えた。

 またもや私は笑った。雨に濡れぬ事を優先し、そんな簡単な事にすら意識が回らぬ程に私は消耗している事に気がついたのだから。

 果てさて、増水した川に流されるのが先か、低体温で意識を失うのが先か、栄養失調で意識を失うのが先か。私は嘗ての館を思い描いた。そうしてその玄関に自分がいると想像する。間取りは全て覚えていた。自身の仕事も。想像の中でならいつだってあの場所を正確に思い描ける。

 ふと、水面が跳ねる音を聞いた。目線を向けると其処には駆け寄ってくる一人の人間。眼が霞んで見づらいが男に見えた。

「増水するぞ、逃げるんだ」

 私はその言葉が鬱陶しかった。逃げろと言われて逃げる意思と体力があればそうしているというのだ。出来ないから今此処で空を眺めているというのに。

「おい、死んでいるのか」

 私はその言葉に酷く納得して、何とか口を動かして「そうです」とだけ答えた。答えを聞いた男は何やら迷っているようだった。

「死体は喋らん。生きているのなら逃げるんだ。此処はもう直ぐ流れに飲まれる」

 男が言う内にも少しずつ水嵩は増していく。男性の踝までもない流れだが、私を既に流す程の力があった。男は寝転がったままの私に焦っているようだった。

「いい加減にしろ、立て」

「静かにしてください」

 私は体力を振り絞って言葉を紡いだ。全く、最期の時だと言うのに酷くおせっかいな人もいたものだ。

「もう直ぐ死ぬって時なんですから一人にさせてください」

 今や嘗ての同僚も御主人様も居なかった。ただ見知らぬ場所で独りなのだ。今際の際、一人で思い出に浸ることくらいさせてくれないだろうか。

 私は瞳を閉じて先の想像へと戻った。館の庭には季節の花が咲き、庭仕事に精を出す使用人がいた。玄関を潜れば中にも使用人、私の仲間が居た。ある者は料理、ある者は掃除、またある者は御主人様の直接的な補佐、秘書のような事もしていて……体が地面から離れる感覚。体に沿って流れていた水の流れに今は身を任せていた。後は中央の濁流まで運ばれて死ぬだろう。窒息は大層苦しいとは聞くが、今やそれ以外に選択肢は有りそうにない。

 手を、握られた。

「勝負をしないか。勝てば自由と金が手に入る」

 青年の一言で、私に一つ、新しい選択肢が増えた。



 ――現在、密室にて。

 轟音が部屋を満たす。二番と呼ばれていた女性が息絶えた。原因は明白。脳髄が破壊されたのだ。発砲してから急いで耳を塞いだが意味はなく、脳内に長く発砲の残響が残った。余りに非日常的な状態だからだろうか、次からは耳を塞ごう何て酷く場違いな事を思った。

 息絶えた二番は直ぐに倒れず、直立不動で銃を口に咥えたままだった。故に実は死んでいないのでは、と少しばかり考えた。ただ、首の後ろから紅い液体が飛び散ったのでそれは確かに肉体の欠損が生じたという証だった。

 都合三秒も経たない内に二番は倒れた。直立の体勢のまま、後ろへ。それは終始不気味で、受け身だとかの動作を取らぬまま、そのままの格好で倒れた。床に強かと体を打ち付けた際、頭蓋が割れた様な音がしてそれが一番不気味だった。

 隣で三番が悲鳴を上げる。私はその声を聞きながら、酷く、酷く気持ちが悪かった。人が死んだというその事よりも、死んだ挙句に頭部を損壊したという事実が気持ち悪かった。

 私は口元を抑え、小さく呼吸を整える。額をじんわりを汗が湿らせていくのがわかる。気持ちが悪い。吐き気がする。そしてそう感じる私自身の異常性も気分を害した。人が死んだにも関わらず、気持ち悪いという感情が一番に来るこの異常性に。

 青年が倒れた二番に近づき、口に咥えたままだった拳銃を奪った。固く握りしめていたからか、取るのに酷く難儀していた。奪った拳銃にべっとりとついた唾液と血液を青年はハンカチで拭っていく。それに、私はとうとう耐えられなかった。

 吐瀉する。この数日青年によって多少の食事を提供されていたのでそれが出てきた。吐いてもまだ気分の悪さが残り、私は近くの壁までふらつきながらもたどり着き、壁にもたれ掛かるように座った。見れば、私の吐瀉物を避けるように一番は立ち位置を変えていて、三番と五番はそれどころではないのか位置を変えていなかった。三番は何かを喚いていて、一番と五番が何も言わずただ佇んでいた。

 天井を眺め、息を整える。冷や汗は少しずつ引いてきていた。

 そのまま何十秒か、それとも何分か経った頃、足音が聞こえた。視線を向けると青年が近づいてくるのが見えた。右手には回転式拳銃。それを見た時、また気分が悪くなった。

「二番、お前は次にやりたいか?」

 尋ねられて、私は小さく息を吐いた。そして天井をまた眺める。灰色の天井に一つ設けられた天窓からは青空が見えた。

「やります。やらなければ私ではない」

 そうだとも、ここで降りると喚くのは私ではない。嘗て橋桁の下で思ったように、私でないのなら疾く死ね。私であるなら覚悟を決めろ。

 青年は回転式拳銃の撃鉄を上げて私に手渡す。

「私が良いというまで引き金に――」

 青年が喋る中、私は一ついたずら心が芽生えた。

「静かにしてください」

 青年が微かに驚いた顔をする。それに対して、私は小さく笑みを浮かべた。

「もう直ぐ死ぬって時なんですから一人でやらせてください」

 これは何時だかの繰り返し。そして今、私は青年が与える一つの選択肢を手に取り、引き金に指をかけようとしている。

 青年は意図を察せなかったのか、困ったような顔を浮かべた。冷静な振りをして、この人は大概なお人好しだと思う。私は彼にだけ聞こえるように「ありがとうございました」と呟いた。

 銃口を咥え引き金に指をかける。弾が出なければ私はまた旅に出る。嘗てのように私として旅へ。いつだったか、嘗て館のある街に残らないと決めた時のように。私は、今此処から出て旅に出なければない。

 その時本当に、突然に、ふと思った。それは私だろうかと。この場で他の皆を踏み台にして一人だけ生き残りお金と自由を得るのが私だろうかと。考えるまでもない。否、断じて否。それは、私ではない。

 そんな事を考えたからだろうか、私は引き金を引くその瞬間、弾が出ると分かった。そう、弾は出る。出るべきだ。出なければならない。

 だが引き金を引く指は止まらない。理由は分かりきっていた。私じゃないまま生きるより、私として死ぬ事を選ぶことに何ら躊躇いは要らないのだから!

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