3.抽象と具象
○英語の基本は「論」と「証」。
現代日本語の基礎は明治期に作られました。いや、自然発生的なもので政府が音頭をとって計画に基づいてというわけではなかった、という事ですが。これが後々の混乱を引き起こす原因になったのです。時代は欧米に追いつけ追い越せの駆け足情勢ですから、やる事がかなり杜撰でした。そもそも日本語の文語というものは、それまで漢文を使っていたわけで、これが明治になっていきなり文明開化で棄ててしまえということで、英語と口語と漢文和歌など色んなモノがミックスされたような状態で始まったのです。
そんな訳で現代日本語には英語の論理が混ぜられています。それが、英語の基礎である「論」と「証」です。英文は必ず「主旨」と「説明」のパーツがセットになっているそうで、現代日本語もこれに通じるように造ろうとしていました。
いました、などと過去形にしたのは、不発に終わったからですね。英語圏の人々が日本語文を翻訳しようと思うと四苦八苦する程度には失敗に終わっています。英語のルールをすべて正確に取り入れると、なぜか日本語は味気なくて面白味も無くなってしまうのだそうです。だから、一部だけが取り込まれる結果となりました。
けれど、新しい日本語のルールとして組み込まれたものの一つですので、解かりやすい日本語を目指すなら、無視してはいけない歴史的事象です。
英文は正確さが重要です。一方、漢文や和歌は凝縮された表現法。切り捨ての背景を推理する文です。
……考えるな、感じろ。そんな名言を言った人が居ましたっけね。
○解かりやすい日本語。
「論」と「証」ですが、これは「主旨」と「説明」だとか、「抽象文」と「具象文」という具合にも言い換えられます。常にこれらがセットで並べられていないと、内容の解かりやすさは生まれないのです。
「意見」と「解説」というものが一般的でしょう。例えば「命は大事だ。」という意見は主旨であり抽象的表現でもあります。なので、具体的に解かりやすく解説しなくてはならないわけで、それがセットになるという意味ですね。「なぜ命が大事か」という反論が出てきますのでこれに答える形で、具体例を挙げたり逸話を披露したりして、説得力を持たせるのです。どんな目的で文章を書こうとも、これは基本になります。
ですから、文章を読んだ時にそれが抽象文であるか具象文であるかが解かる必要があります。英語は文法でカッチリとこの辺を区切っているので混乱がありませんが、日本語はそのヘンがユルユルなのです。だから現在でも日本語を習う外国人たちは「どこが主旨ですか!?」と悲鳴を上げているそうです。
思いつくままに書き綴ると、意味が解かるような解からないような、ぬるぬるした感触の文章が出来上がるそうです。これは「うなぎ文」と呼ばれていたと昭和の古い本には書いてありました。日本人気質でしょうか、確定的な言葉を避けるあまりにそうなるのかも知れません。それが狙いでないならば、具体性を心掛けましょう。
けれど具体性というものは、矛盾を生み出す母体ともなりかねません。だから、あらかじめの緻密な計算が必要であり、その延長にプロットという設計図が必須となるのです。常に具体的に、「証」の部分に曖昧さが残らぬように気を遣って文章を書く訓練が必要です。