04話 洞穴での生活
予想外のことが起きた。
イヤ、元から全てが予想外な事だらけなのだが、その中でもヤバイ予想外な事が今俺の生死を決めようとしていた。
あのローブの魔術師が猪の魔物にやられた後、数時間経っても俺は洞穴から逃げられずにいた。
そう、あの猪の魔物は洞穴の前に寝そべり移動する気配が全く無いのだ。
俺は焦った。既に喉はカラカラで洞穴の中は蒸し暑いのか汗もダラダラ流れる。洞穴自体が狭いからだ。洞穴の高さは1m程で横幅は人一人分。奥行は2m程で俺は一番奥の壁に座って背中をもたれかけている状態だ。
正直かなりキツイ。体制的にも体力的にも精神的にも全てにおいてキツイ。
見たくもないのに目の前では猪の魔物が微動だにせずにいるのだ。たまに目が合ったりするとそれだけで発狂しそうだ。
猪の魔物は日が暮れてもその場を動こうとはしなかった。俺はその夜、目を瞑り必死に寝ようと努力した。しかし猪の魔物の荒い息が俺を恐怖に駆り立て眠ることを許さなかった。
そんなに俺が食べたいのか?
俺は涙を流し、歯を食いしばって猪の魔物を睨み続けた。
その夜は本当に長かった……。暗闇の中魔物が見えない。一度目を閉じるともう開けなかった。目を開けば猪の魔物が俺に食いかかる気がして恐怖で体がガタガタ震えた。
日が昇る頃には俺の心はほとんど折れていた。鏡がないから分からないが きっと今の俺の顔は酷いことになっているんだろうな。
― 2日目 ―
日が昇り、外が明るくなるのがわかった。
少しだが心が安心した。
いい加減猪の魔物がどこかに行ってくれるだろうと俺の中にはまだ希望があった。
しかしその希望も簡単に打ち砕かれる。
二頭目が来たのだ。
最初の半分以下の大きさだが頭には日本の金色に輝く角が伸びている。恐らく雄だ。自然界では雄よりも牝の方が体を大きく成長するパターンが多く存在するからな。
それよりも厄介なのは今俺の前に横たわる二頭魔物はそこそこの知性があるのだろう。俺を逃がさないため、俺の見張りを交代している。
これはもう絶望的だ。
数時間が経った。それでも状況は何も変化しない。
喉が渇いた。
死にたくない。
一人は寂しい。
そう思った。
特に強く思ったのは、「一人は寂しい」だった。誰でもいいか側にいて欲しい。
こんな見知らぬ異世界で死んでいくなんて嫌だ。誰でもいい誰でもいいから最後に会話がしたい、触れ合いたい、一緒にいて欲しい。
孤独が俺を支配する。
― 数時間後 ―
俺の口は勝手に何か言葉を発していた。聞くに堪えない哀れな独り言。
家族の名や知人の名、親戚、有名人、偉人、とにかく自分が知っている名前を片っ端から呟いていた。寂しさを紛らわせようとしていたのだろう。
しかしある言葉が俺に思考を齎した。
「……フルン……」
フルン? 誰だ? 知り合いの名前にあったか?
それにフルン……日本人の名前じゃない。テレビや漫画で見たキャラの名前か?
いや、それにしては最近聞いた名前の気がする。
まだ身近にいる気がした。
……そうだ。剣の名だった。
俺は側に置いていた剣を手に取る。
「フルンティング。……フルン、ふふっ」
口の端が僅かに持ち上がる。
「やあフルン。君が俺の最後の話し相手だ」
「……」
勿論剣が返事するはずもない。俺はもう頭がおかしくなっているのだろう。
ただの剣を話し相手にしているのだから。
「……でね、…………でさ」
「……」
「……それで、…………だよ」
「……」
俺はひたすら無言のフルンティングに話しかけていた。フルンティングを抱きしめて何時間も何時間も話しかけた。
フルンティングのおかげか俺は少しだけ眠ることができた。浅い睡眠だったが俺の精神を僅かに回復させた。
そしてまた夜が来る。
正直この夜はもう耐えられない。俺は暗闇をどうにかできないかと頭の中で模索する。
「……そうだ」
俺はこの世界で覚えた有一の魔法を思い出した。
「AAAAARA フィア!」
洞穴の手前1m程のところで横たわっている猪の魔物雄目掛けて魔法を唱える。
小さな火の玉が飛んでいく。猪の魔物に届く前に消えてしまったが一瞬だけ自分の目の前が明るくなった。
後はただ魔法を唱え続けるだけだ。2回、3回、4回…100回、1000回……。喉が渇いて口を動かすのが辛い。喉が痛い。唇は裂けた。それでも 俺は呪文を唱え続けた。
数えられないほど魔法を唱える頃には、魔法の威力も少しは上昇していた。多分猪の魔物にぶつけられ程にはなっている。だが俺はそうせずに小さな火の玉を維持した。
大きな火の玉にすれば体力が削られると考えたからだ。少しでも多く唱えたいのだから大きさや威力は必要ない。俺はもう暗闇の中明かりなしでは精神を保つ自信がない。
俺は魔法を唱え続け、最後は気を失った。
― 3日目 ―
目を覚ますと外は明るくなっていた。相変わらず猪の魔物も横たわっている。今は牝が俺を見張っていた。
もう体力の限界だ。喉が渇いて死にそうだ。水…。
俺は抱きしめているフルンを見る。
「…………っ」
おはようフルン。そう言おうとしたのだけれど声が出なかった。口の動きも鈍い。もう喋るのは無理だろう。
それでも俺はフルンに話しかけ続けた。声が出ないのなら心で話しかければいい。ただひたすらに話しかけ続けた。
― 数時間後 ―
(俺はなんでこんな所にいるのかな?)
(それはあなたが勇者だからです)
(俺はここで死ぬのかな?)
(諦めないで私の主様)
(死にたくないよ、フルン)
(ええ、私も主様に死んで欲しくありません)
(寂しいよ、フルン)
(私が御側におります私の主様)
(フルン)
(はい)
(フルン)
(はい)
(フルン?)
(はい)
いつしか俺は自分がフルンと会話していることに気がついた。
ようやく俺の精神もブッ壊れ幻聴が聞こえだしたか。
しかし俺にとってはありがたいことだ。フルンは俺の理想の女性のような声で甘く優しい返事をしてくれる。幻聴最高!
(フルンは俺の嫁)
(……はい)
フルンが優しく返事をした。
(フルンは一生俺と一緒だからな)
(はい、喜んで。私の主様)
(フルン……愛してる)
(はい。私もです。私の主様)
俺はフルンに愛の言葉を心の中で囁き続ける。フルンの甘く優しい声が聞きたくてずっと話しかけ続けた。