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[短編]魔女と大鎌

作者: 神無月六亜

 背を向け惨めに逃げ惑う人間に追いすがって、手にした大鎌を振るうと、柔らかい肉が引き裂かれる感触が手に伝わってきた。

 しゃっ、と勢いよく鮮血が噴き出す。わたしの顔にも掛かって、生温い液体が目の端を滴るのがわかった。

 不快だ。返り血も、生きた肉の感触も。

 けれど仕方ない。

 こうしなくちゃいけないんだから。

 どさり、と命を奪われた人間が血に伏す。

 手にした大鎌が甲高い不協和音を発する。まるで慟哭か断末魔のよう。わたしはこの音が嫌いだ。

 緩やかに湾曲した刃の先が、それに応じるように白く、白く、光り輝く。

 いつものようにわたしは、地面の上に力無く横たわる亡骸の上に、大鎌をかざす。

 すると死骸の方に変化が訪れた。

 ぐにゃ、ぐにゃり。溶解しているのか、歪んでいるのか。

 次第にそれは人の形をなさなくなっていく。

 と、不意に『人』だったそれが中空へ浮かび上がる。そして、傾けた皿からスープがこぼれるように、空間から大鎌の刃へと注がれていく。

 先ほどとは打って変わって、地の底から響き渡る唸るような低音が、刃から発せられる。

 わたしは黙ってその様を見ていた。

 これで何人目だろう。

 罪もない人を殺めたのは。

 いや、わかっている。

 わかっているのだ。

 これで442人目。これは記念すべき数字なのだから。

 薄暗い道。辺りを倉庫が建ち並んでいる。切れかけた電灯が、時折思い出したように通りを照らす。

 この道を抜ければ住宅街へ出る。無論、足を向けるのは初めてのことだ。

 そこでいくつかの所帯を狙って、そこに住む人々の息の根を止める。そして先ほどおこなったように、この大鎌で魂を身体ごと吸収する。

 それがわたしには必要なこと。わたしがやらなければいけないこと。

 わたしが、わたしだけが、できること。

 わたしが一歩住宅街へ向かって踏み出そうとすると、唐突に人影が現れる。

 チカチカと明滅する電灯の、光の隙間から出でたような、不気味な存在。

 わかっている。またあいつだ。

 わたしは声を掛ける。なんの用かと。

「つれないですね。なんの用か、なんて貴方が一番よくわかっているはずだ。・・・・・・さあ、これを受け取ってください」

 あいつはそう言って、わたしの方へと近づくと手を差し出した。

 手の平の上には、小さな玉が乗っていた。淡い青色の光を帯びている。宝石かなにかのようにも見える。

 わたしは黙ってそれを受け取る。

「いくつ、集まりましたか?」

 わたしは正面に立った『奴』を見据える。顔は見えない。あるようにも思えない。

「・・・・・・442」

 ぽつりとわたしは呟く。嫌になるぐらい、か細い少女の声だった。

「ほう、もうそんなに」

 奴は小さく驚嘆の声を上げる。

「では、あと2000ですね?」

 続けてそう言い、底意地の悪い笑みを浮かべた。ような気がする。

 わたしは黙っていた。

 奴は言う。

「あなたは優秀ですよ。ほとんど魔術にも頼らず、淡々と義務を全うする。効率的で、無駄もない。ええ、わかっていますよ。すべては弟さんのため。そうですね?」

 確認するように、嘲るように、奴は言う。

 わたしは黙って奴から視線を逸らすと、依然とこちらを見続けている奴を無視して住宅街の方へと足を向ける。

 奴の脇を通り過ぎ、前だけを見て進んでいく。

 そんなわたしの背中に、奴は声を掛ける。

「ちゃんとそれ、摂取してくださいよ? いくらほとんど魔術を使わないとはいえ、貴方もまたれっきとした“魔女”なのですから、それ無しには生きられないのですよ。“マナ”は必要な分だけ、あなたにはいくらでも差し上げますから、魔術も遠慮無く使ってください。――ああ、そうだ、それと」

 奴は一度言葉を切ってから、こう言った。

「弟さんの具合、良いようですね。あと、2000。がんばってください」

 わたしは思わず顔が歪むのがわかった。

 恨みを込めて後ろを振り返るが、奴は既にそこにはいなかった。

 影も形もない。

 わたしは苦々しくため息を吐いて、奴から受け取った“マナ”と呼ばれる玉を見つめた。

 これは、“魔女”であるわたしにとって、酸素であり、食物であり、命でもある。

 口を開けて、それを放り込むと、ふっ、と存在感が消失し、その代わりに全身に魔力が行き渡るのがわかった。

 わたしは“魔女”と呼ばれる者だ。

 “マナ”を得、魔の法を授けられたもの。

 魔女は決してありふれた存在ではないが、同時に極めて稀少な存在というわけでもない。

 現に、わたしに“マナ”と魔の法を授けたマスターの元には、わたし以外にも十数人魔女や魔術士がいる。

 先ほど現れた奴は、そのマスターからの使い。使者だ。

 定期的にわたしに“マナ”を持ってきて、そしてわたしの弟についての皮肉を必ず残していく。

 忌々しい奴だ。

 けれど・・・・・・。

「かづき・・・」

 ぽつりと、弟の名を呟く。

 弟は、マスターと奴の庇護の元、どうにか生きながらえている状態だった。

 わたしの弟、かづきは魂を半分奪われてしまったのだ。

 その魂を埋めるため、こうしてわたしは魔女となり人々の魂を刈り取っているのだ。

 『弟さんの具合、良いようですね。あと、2000。がんばってください』

 奴の皮肉が胸をえぐる。

 具合が良い?

 そんなはずがあるか。

 まだたったの442。あと2000集めるまで、どうか、どうか無事でいて欲しい。

 わたしはずしりと重い大鎌。クレセントサイズと呼ばれる三日月状の刃を持った大鎌を抱え直し、静かに住宅街へと向かう。



 時刻は夜7時。

 住宅街にはちらほらと歩いている者が見える。

 皆一様に、わたしの姿を捉えるとぎょっと肩をすくめる。

 遠慮会釈無く、わたしはその者たちを出会い頭に狩っていく。

 血が吹き出る。

 先ほど浴びた返り血も乾かないうちに、新しい血液がわたしの肌を濡らしていく。

 もう、相手を“ヒト”とも思わない。ただのモノだ。

 中に内臓が詰め込まれ、血管と神経が縦横に張り巡らされ、それらが一つのシステムを構築している。

 ただそれだけの、モノ。

 だから、わたしはなにも思うことなく、刈り取っていく。

 たまに、無謀にも立ち向かってこようとする者がいる。

 危機に対して心得のある者だ。

 怯え震えるだけの者たちに比べれば幾分厄介とも言える。

 そういう者には、この大振りの鎌は余りに隙が多すぎる。

 だから、そう言うときにだけ、わたしは魔術を行使する。

 なにも火や雷撃を放つ訳ではない。

 一つ、指を立てて念じるだけ。それだけで脆弱な人間の身体はくたりと力を失う。

 ただわたしの身体の中に流れている“マナ”が減る。行使しすぎれば、当然わたしは命を落とすことになる。“マナ”はわたしの、命そのものなのだから。

 往来をぶらぶらとあてどもなくさまよって、不幸な邂逅に見舞われた者たちを刈り取り、目当ての場所を探す。

 ちょうど、わたしが448人目の魂を刈り取ったとき。不意に場違いなほど幸福そうな笑い声が耳に入った。

 その方向を見れば、三階建て、庭付きの裕福そうな家がある。玄関にはぼんやりと優しげな灯りが点り、庭に面した窓は生活を象徴するように輝いている。

 わたしはここに決めた。

 先ほどの笑い声からして、6人はいる。

 往来で蜘蛛のように巣をはるのは、不効率だ。

 だからといって、都会のような場所へ赴いて、一気に何十人も相手にしようとすれば、返り討ちに遭うか、あるいは“マナ”の枯渇によってわたしが命を落とすことになる。

 だから、こうして地方都市の住宅街に赴き、所帯を物色しつつ、邂逅者を刈り取っていく。

 これなら魔力を必要とせず、かつ安全確実に魂を集めていける。

 わたしは家の門を開いた。

 きいぃ。と鋭い音が響く。

 ちょうどいい。わたしのような存在の到来に相応しい、耳障りな音だ。

 『誰かしら?』

 怪訝そうな女の声が聞こえる。

 これもまた、ちょうどいい。

 来訪者を訝しむということは、家族は揃っているか、少なくとも当分の間来訪者の予定が無い、ということ。つまり邪魔者が現れない、ということだ。

 わたしはつかつかと玄関までの道を進んでいく。

 インターホンの類が玄関前についていればよかったのだが、あいにくそれは門のところにしか無かった。

 扉にたどり着くと、そこでゴン、ゴン、と音を立てて扉を叩く。

 一気に家中の警戒心が強まるのがわかった。

 先ほどまであった愉快そうな声の数々がぴたりと止んで、こちらに耳をそばだてているのがわかる。

 まるで小動物かなにかのようだ。

 扉の向こうに気配。

 『どちらさまですか?』

 男の声だ。恐らく家長のものだろう。

 わたしは声を上げる。

「あの・・・すいません・・・・・・。扉を・・・・・・」

 普通の女の声だったら、恐らく扉の向こうの男は鍵を開けなかっただろう。

 だが、わたしの喉から発せられたのは、年端もいかない、いかにも弱々しい少女の声。

 男が慌てたように覗き窓を覗くのがわかった。

 男の目に映っているのは、その声に相応しい、齢10を過ぎた程の幼い少女。それが血に染まっている。

 男には、わたしが加害者ではなく、被害者に見えることだろう。

 はっ、と息を飲むような気配。

 おそらく背に隠した大鎌も見えているだろうが、そのような見慣れないモノ、男に果たして凶器に映るかどうか。

 案の定、男は慌てたように扉の施錠を外す。わたしを心配してくれたのだろう、そうなのだろう・・・。

 ため息を吐きたくなるくらいに、簡単なこと。

 かちゃり。

 音を立てて扉が開いたその瞬間。

 わたしは背中から大鎌を持ち上げ、開いた扉の隙間から一気に滑り込ませる。

 何かを断裂する、小さな抵抗。

 ぼとりと、重いモノが落ちる音。

 わたしは扉を引き、呆然と立ち尽くしている男を無視して、扉を閉める。

 男はいかにも善良そうな人間だった。

 目元は穏やかで、肌は白く、身長は170㎝ほど。玄関の床におちた右手を見ると、それが先ほどまで幼い子供の頭の上に置かれていたことが想像されるような、優しい手だった。

 男は恐る恐ると言ったように、自分の右腕を見る。刹那、口が大きく開かれる。

 面倒だ。叫ばれると人が集まる。

 ぶんっ、と重い音を立てて、大鎌がひらめく。

 悲鳴が男の喉から溢れ出すその瞬間、大鎌の刃がその首を断裂していた。

 ふわりと男の首元が浮いて、地面へと落下していく。

 ごん、と不気味な音を立てて、玄関の床に首が転がり、頭部をうしなった男の身体が脱力してその場にくずおれる。

 さあ始まった。

 ここからは時間との勝負。

 出来るだけ俊敏に家中のものを全員口をきけなくさせて、それから魂を吸い取る。

 あまり時間を掛けては魂が抜けきる。それに助けを呼ばれるのも厄介だ。

 わたしの目的は殺すことではなく、飽くまで魂を吸収すること。

 わたしは土足のまま玄関にあがる。

 靴が男の血に浸っていたためか、ぐちゃぐちゃという湿った音が響く。

 見ると、廊下の先に開いたドアがあり、そこから女がこちらをのぞき込んでいるのがわかる。

 呆然として、悲鳴も出せないのか、近づいてくるわたしをただ立ち尽くして見るばかりだ。

 ちょうどよく首がでていたので、わたしは遠慮無くその首を切り落とさせてもらうこととする。

 女の頭が転がり、肉体がくしゃりと床に崩れ落ち、奥の方から赤子の鳴く声がする。

 まあ赤子は泣いていて良い。不審ではないから。

 わたしはリビングへと入り込む。

 室内の光景を見て、わたしは思わず笑い出しそうになってしまった。

 人数は5人。祖父母に兄妹。赤子は祖母が抱えて、ご親切なことに、食卓を立ち、ひとかたまりに集まってくれている。

 わたしは素早く肉薄する。思い切り大鎌を振りかざし、勢いをつけて振るう。

 だが、力が足りなかった。

 3人ほど切ったところで、兄妹の兄の方の背骨でつかえてしまった。取り残したのは妹の方と、赤子。

 妹の方は半身を真っ二つに切られた祖父母と、身体の中程まで鎌が食い込んだ憐れな兄の様子を見て、わなわなと唇を振るわせて今にも叫び出しそうだった。

 大鎌は骨に引っかかって抜けない。

 妹がひゅっ、と息を吸うのがわかった。

 わたしは鎌から手を離し、少女の口を塞ぐ。

「さけぶな」

 精一杯威圧した声を出そうとしたのに、出たのはやはり、少女の声。嫌になる。

 妹の方は、血まみれのわたしに口を押さえられて、益々恐怖が募ったためか、ただただ首を縦に振っている。

 わたしはよし、と言って手を離す。だが当然この少女も後で殺す。

 その前に。

 先ほどから耳元でぎゃんぎゃんとうるさく喚く赤子を先に黙らせよう。

 わたしはしゃがみ込んで、赤子の首に掛かっていたナプキンをはぎ取ると、それを無理矢理口に押し込めた。

 わたしは最後の生き残りの少女を見る。

「そんなことしたら・・・・・・赤ちゃんが・・・・・・」

 少女は懇願するようにわたしを見つめてくる。

 わたしは立ち上がって、少女を見下ろす。

 背格好はわたしと同じくらい。ならば年齢は10歳くらいということだろう。

 利発そうな顔立ちをしている。およそこのような惨事には縁遠い、綺麗に整った容姿。

 わたしは黙って兄の方に突きたったままの鎌を手にする。

 ぐりぐりと刃を動かすが、思った以上にがっちりと引っかかってしまったようだ。

 少年の身体の方を足で押さえて見ても、どうにも抜けない。

 構わず刃を引き抜こうとしていると、不意に、大鎌自身が、泣き叫ぶように低いうなり声を発し始めた。

 これは経験したことのないことだった。

 この大鎌自身が、まるで意志を持ってここから動くまいとしているようだった。

 わたしは舌打ちをして、大鎌を一瞥する。

 ならば・・・。

 わたしは大鎌の力を発動させる。

 これで少年の魂を身体ごと吸収してしまえばいい。

 が・・・、鎌は発動しない。

 そんな馬鹿な・・・・・・。

 この大鎌に意志があるとでも・・・・・・。

 いや・・・・・・。

 不審に思って、少年の胸に耳を押し当てる。

「・・・・・・なるほど。しぶといな」

 わたしの耳には、とくとくと、微かながら少年の鼓動が感じられる。あいにく即死では無かったようだ。

 恐らく少年は今、気絶している状態なのだろう。

 この大鎌、クレセントサイズは、生きている者から魂を吸収することは出来ない。

 とんだ失策だ。

 ならこの、隣で目を閉じ耳を押さえてうずくまっている少女を、どうにか生身で殺さないといけない。魔術は出来るだけ使いたくない。リスクがある。

 あるいはどうにかして、大鎌を少年の背骨から抜き取るか・・・。

 と、その時、思いがけなく、背後で物音がする。

「なん、だよ・・・・・・これ・・・・・・」

 見ると、ここにいる兄妹よりも、もう少し年上の少年――というよりも青年と言った方がいいか――が、リビングのドア先に落ちている母親の死体を見下ろして絶句していた。

「たかしおにい・・・ちゃん・・・・・・」

 少女の方がか細い声を上げる。

 わたしはちっ、と舌打ちをした。

 食卓に家族が揃っている中、この青年だけが自室にいたということか。

 いや、そんなことはどうでもいい。問題はこの状況をどう切り抜けるか。

 被害者のフリをして誤魔化すか・・・、いや、ありえない。誤魔化しきれるはずがない。

 ならば逃げる? ・・・いや、クレセントサイズを残していくわけにはいかない。

 肉弾戦・・・・・・。いや、青年か少女一人ならともかく、無謀だ。一方を相手にしている間に助けを呼ばれるのも困る。

 ならば・・・・・・残る選択肢は・・・・・・。仕方ない。

 人差し指を一つ、立てる。“マナ”を外に出すための孔を指先に空ける感覚。

 “マナ”が拡散しないよう意識を集中して力を込めると、やがて指先が淡い青色の光を放ち始めた。

「ゆかり・・・っ!!」

 青年がリビングに侵入してくる。

 死体の山と、わたしと少女を見つけて、驚愕に目を見開いている。

 焦るな。

 焦れば魔術は失敗し、“マナ”は体外へと漏出して最悪の場合わたしが死に至る。

 必要な量だけの“マナ”を抽出し、外界へと現出させる。

 間に合う。

 焦るな。

「おにいちゃん、この、子が・・・・・・っ!」

 少女が血まみれのわたしを指さす。

 青年は衝撃から立ち直り、怒り狂った眼差しをわたしに向ける。

 指先に“マナ”が集中する。

 よし、大丈夫。あとは孔を塞いで放つだけ。

 と、その瞬間、わたしは背後から急襲を受けた。

 目の前には青年。ならばこれは・・・。

 見ると、先ほどまでうずくまって震えるばかりだった少女が、果敢に立ち上がり、わたしにしがみついていた。

 わたしは集中を乱され、指先に集中していた“マナ”が一気に拡散していくのを感じた。

 まずい。

 と思ったときには遅かった。

 指先に開いた穴から、“マナ”が漏出していく。

 “マナ”には血液のように、空いた孔を自然に塞ぐような機能はない。意識を集中して自ら閉ざすほかないのだ。

 このままでは・・・・・・。

 と思った瞬間、頬に鈍い衝撃を受ける。

 どうやら、青年が拳でわたしの頬を殴りつけたようだった。

 わたしは歯がみする思いだった。

 ・・・わたしは馬鹿だ。

 油断していた?

 慣れからくる慢心・・・・・・。

 ぐったりと身体から力が抜けていく。

 そんなわたしの様子に構わず、先ほどと反対の頬に青年の追撃が加えられる。

 視界がちかちかと明滅する。

 この、ままでは・・・・・・。

 このまま・・・・・・わたしがここで死んだら・・・・・・。

 かづき・・・・・・。

 あと1994・・・。ここにいる人間を全部吸えば・・・あと、1986・・・・・・。

 まだまだ・・・殺さなくちゃ・・・。

 側頭部に、青年の拳を受ける。

 わたしは膝から力が抜けるのがわかった。

 どさり。鈍い音。

 ああ、この音は。人間が地面に倒れ込んだときの音だ。

 わたしが・・・倒れても・・・、人間と同じ音がするんだ・・・。

 指先に小さく開いた孔から、わたしの生命そのものが漏れ出していく。

 酸欠に陥ったように、意識が朦朧としていく。

 頭上で、青年が激しく息を切らしているのがわかる。

 少女が泣きわめいている。わたしが倒れて、恐怖の呪縛が解けたのだろうか。

 青年の注意も、わたしから部屋の惨状、生き残った妹の方へと向かったらしい。

 ああ。

 ああ・・・・・・。

 馬鹿者め・・・・・・。

 邪魔さえ入らなければ・・・、わたしは孔を閉じて、再び攻勢に打って出ることができるというのに。

 お前たちは、わたしに、とどめを刺さなければならなかったのに。

 わたしは、朦朧とした意識の中、指先に全身全霊を込める。

 でも・・・・・・。

 本当はこのまま・・・・・・。

 かづき・・・・・・。

 そうだ・・・・・・。

 わたしがその事に気がついたのは、いくつ魂を刈り取った後だったろう。

 たぶん、百は超えていたろう。

 それまでは疑問に感じることなんてなかった。

 だって、のうのうと生命を貪って、与えられた幸福に甘んじている人間などよりかは、よっぽど弟が生きているべきだと、そう確信していたから・・・。

 『かづきが死ぬくらいなら、お前が死ね』

 そう言って魂を刈り取った。

 弟の魂を半分、補完するだけで、2442も必要になる、人間の魂。

 なんて薄っぺらい魂なのだろうと思った。

 きっと塵芥ほどの価値しかないのだと、思っていた。

 でも・・・・・・。

 ふとある時、考えたんだ。

 かづきは・・・、あの優しいかづきは・・・・・・、自分が助かるために、千を超える人々の魂を奪ったのだと知ったら、どう思うだろうかと・・・。

 わかっている・・・。

 かづきは、間違いなく、苦しむ・・・。

 でも、それでも・・・・・・。

 かづきが生きるためになにか出来るなら、しないでいられるはずがない・・・。

 わたしは自分に言い訳をして、それからもずっと、罪もない人々の血を流し、その存在を抹消してきた。

 正義とはおもわない・・・。でも、正しいとは思っていた・・・・・・。

 指先に空いた孔は塞がった。

 二人の命を奪うだけの“マナ”も取りだした。

 どうする・・・。

 わたしは一瞬迷った。

 青年が泣きむせぶ少女を抱き留めて、悲壮な表情を浮かべている。

 けれど、それを見た瞬間、だった。理由はわからない。

 迷いは消えた。

 と同時に、わたしの中に、なにかどす黒いモノが、芽生えた。

 口元が歪む。

 喉がひくついて、くっくっ、と笑いがこぼれるのを抑えられない。

 ああ。

 ああ・・・・・・・・・・・・。

 青年が強い意志を帯びた眼光でわたしを見据えた。

 刹那。


 『殺してやろう』


 判然とした言葉がわたしの脳裏に浮かぶ。

 頭の中に埋まっていた箍がぱきっ、と音を立てて壊れるのがわかった。

 指先に溜まっていた“マナ”の性質を変える。

 ひゅんっ、と鋭い音を立てたかと思うと、青年の目玉が潰れた。

 後には不気味な暗がりが、顔に二つ残ることになる。次いで、青年が両手で顔を覆って、けたたましい悲鳴を上げる。

 その瞬間、激しい愉悦がわたしの胸中に広がるのがわかった。

 見ると、絶望の表情でそんな兄を見つめている少女の姿が。


 『この子は、とっておこう』


 頭の中で声がする。

 不思議と意識は鮮明だ。

 “マナ”が、まるで身体の奥から沸き立ってくるような感覚さえある。

 わたしは未だ死体の上に突きたったままの大鎌をみやる。

 最初からこうすればよかった。

 瞬間。

 大鎌が食い込んでいた少年の身体が消し飛ぶ。

 大鎌が共鳴するかのように、『ォォオオオ』、と慟哭し、そのままの位置で浮遊する。

 わたしは大鎌を手にする。

「苦しいでしょう? ね、だから殺してあげる」

 唸りを上げて大鎌が青年に襲いかかる。

 真っ二つに身体が切断された。

 大鎌はなおも泣き叫ぶように低いうなり声を上げている。まったく、なんて耳障りな音なんだろう。

 まるで人間の悲鳴のようじゃないか。人殺しの道具のクセに、そんなに斬るのがイヤなのか。

 耳をつんざくような、少女の悲鳴。

 わたしは無視して、大鎌を屍の上にかざす。

 すると、例によって大鎌は慟哭とも断末魔ともしれないうなり声を上げて、部屋中に散乱した血と肉と骨を吸収していく。

 部屋のそれを片付けると、少女が放心したようにぼうっとする。

 それも致し方ないことだ。

 このクレセントサイズに魂を吸われた者は、その存在そのものを吸収されることになる。

 それはすなわち、少女の記憶の中からも、存在を奪うことに他ならない。

 少女は滑稽なほど、呆然として、その後に、また悲鳴を上げた。視線の先には、血塗れのわたしと、リビングのドアのところに横たわった女の死体がある。

 わたしはつかつかとそちらを向かうと、吸収し、玄関先に倒れた男も吸収した。

 これで少女からは、この事件と家族の記憶が消え去った。

 少女はわたしの姿を認めると、きゃっ、と小さく悲鳴を上げた。わたしが、少女と同年代に見えるせいか、驚きはそれほど大きくはなかった。

「だ、だれ・・・・・・?! すごい血・・・・・・どうしたの・・・」

 どうしてか、わたしの身体についた血までは、このクレセントサイズは吸収してくれない。

 わたしは、少女に言った。

「これはね、血じゃないよ」

「え・・・・・・、じゃあ、絵の具?」

「うん」

「びっくりしたぁ・・・。でも、それは・・・?」

 少女はわたしの手にした大鎌を見て訊ねる。

「これ? これはね・・・・・・」

 言いつつ、わたしは少女に魔術を行使する。

「人間の魂を刈り取る大鎌、クレセントサイズって言うの」

「・・・・・・・・・・・・。ふぅん、そうなんだ。それで、きみは誰?」

 魔術によって無理矢理納得させられた少女は、なおも猜疑の眼差しをわたしに向ける。

「わたしはね、あなたの父と母の知人なの。覚えていない?」

「・・・・・・。お父さんとお母さん・・・?」

「そうよ」

「・・・・・・。ううん、覚えてない・・・・・・。ここ、・・・ここってわたしの家・・・だよね・・・・・・」

 少女は不安そうな顔で、辺りを見まわす。

 それから、

「わたし、ここに一人で住んでいたの・・・・・・?」

 縋るような目つき。

 わたしの顔が、笑顔に歪む。

「そう、今までは。でもね、今日からわたしと一緒に来るの」

「きみと・・・?」

「そう」

「・・・・・・そっか。わかった・・・・・・」

 少女は寂しそうに、こくりと小さく肯いた。

 ああ。

 愉しみだ。

 今から愉しみでならない。

 この少女にいつか、真実を教えてあげよう。

 わたしと一緒にたくさん、人を殺してから、それから教えてあげるのだ。

 悲しみと怒りに打ち震えたこの子を、殺すとき、いったいどれだけ気持ちがよいだろうか。

 家の外は不思議と静かだ。

 わたしは笑顔のまま、少女の手を引いて外に出る。

 すると、玄関の外には一つ、人影が。

「やあ、どうやらもうこれは必要ないようですね」

 立っていたのは、マスターの使者。忌々しい『奴』だ。

 手にした青い光を放つ宝石のような物体。

 魔女が“マナ”を補充するために必要だとされていたもの。

「・・・・・・。」

 確かに、あれだけ魔術を行使したというのに、“マナ”が減少した感覚はない。むしろ増加したような気さえする。

「あなたは本当に優秀ですよ。ふつう、こんな短期間でマスタークラスになれることなんてないんですからね」

 わたしは奴の言葉には答えず、こう言った。

「この子を魔女にしたい。どうすればわたしの身体から“マナ”を引き出し、この子に移せる?」

 奴は意地悪く、にやりと笑い、

「ええ。助手がいれば、魂を集めるのにもなお効率的ですからね。いいでしょう」

 奴は、『では“マナ”を引き出す法をあなたに授けましょう』と言って、わたしに向かって手の平をかざした。

 奴の手の平に“マナ”が集中し、次の瞬間、わたしの頭の中に“マナ”を自分の体内から引き出す方法が流れ込んできた。

 わたしはそれを確認すると、奴にはなにも言わず、隣の少女へと視線を向けた。

 少女は些か怯えたように、いくぶん上目遣いにわたしを見ていた。

 わたしは出来るだけ残酷に、優しく微笑みかけた。

 少女は安心したように、へらっ、と破顔する。

「それはそうと」

 奴が口を挟む。

「弟さんの具合、良いようですね。なによりです。なによりです」

 例の皮肉か。

 わたしは歯牙にもかけず、その場を立ち去る。

 まだまだ、この夜は始まったばかり。

 わたしは、かづきを助けるため、人を殺すため、夜の街へと踏み出す。

 この少女が一緒なら、きっと愉しい。そうに違いないのだ。

 まずはこの少女を、魔女にしてあげよう。

 すべてはそれからだ。

 わたしは奴に背を向けて、少女に“マナ”を授ける。

 最後にわたしの目に映った奴は、気味悪いほどわたしの大鎌を見つめていて、しきりにこう呟いていた。


『弟さんの具合、良いようです。なにより。なにより』


 大鎌が慟哭を上げる。

 夜の闇へと、それは悲鳴のように、響き渡っていく。

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