働きたくない天才魔導師、最強の「全自動・引きこもり結界」を構築して二度寝を目指す
「……あー、無理。魔力がもったいない。帰って」
それが、伝説の英雄と呼ばれた男の第一声だった。
場所は王国の辺境。かつて人類を滅亡の淵から救ったとされる天才魔導師、エルンスト・ラズロの隠れ家である。
部屋の中は、エルンスト自らが開発した高度な魔法陣により、一年中「春の午後のまどろみ」のような絶妙な温度に保たれていた。
部屋の中央には、彼が前世の記憶か、あるいは究極の怠惰の果てに召喚した異界の兵器――『コタツ』が鎮座している。
エルンストは、そのコタツの中に下半身を沈め、完全に溶けていた。
彼の周囲では、複数の不可視の魔法の手が浮遊し、彼に代わってページをめくり、種を抜いた甘い果実を口元へ運び、絶妙な力加減で首筋を揉んでいる。
そこへ、ガチガチに緊張した王国の正使者が、扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んできた。
「エルンスト殿! 緊急事態です! 国境付近に魔物の大群が出現し――ッ!!」
「……うるさい。大声出さないで。空気が震えるだけで耳が疲れる」
エルンストは、魔法で浮かせた娯楽小説から視線を外さず、面倒くさそうに片目だけを開けた。プラチナブロンドの寝癖が、窓から差し込む陽光に無駄に美しく輝く。
「国王陛下からの直々のご依頼です! 『エルンストの力が必要だ。一刻も早く王都へ来い』と!」
「王都? ……却下。ここから馬車で三日かかるだろ。僕、座って移動するの、十五分が限界だから。重力に対抗するだけで脊髄が悲鳴を上げる」
「なっ……! 座っているだけでしょう! 報酬は金貨一〇〇〇枚、さらに爵位も約束されていますぞ!」
金貨一〇〇〇枚。平民が三代にわたって遊んで暮らせる、文字通りの「不労所得」チケットだ。
エルンストの瞳が、ほんの一瞬だけ黄金色に輝く。……が、すぐに深海のような虚無に戻った。
「一〇〇〇枚……。それを管理する手間、盗賊に狙われるリスク、換金の手続き、金目当てに寄ってくる親戚……。あー、面倒くさい。無理。働いたら負けだと思ってる」
「何を言っているのですか! あなたが動かなければ、世界が滅びるかもしれないのですよ!」
あまりの不敬な態度に、耐えかねた使者がエルンストの腕を掴んで引きずり出そうとした――その瞬間だった。
「……触らないで。静電気(魔力)が走るから」
エルンストが低く呟いた直後、部屋中の空気が「固体」になったかのような凄まじい重圧が使者を襲った。
「が、はっ……!?」
使者は悲鳴を上げる暇もなく、床に縫い付けられる。エルンストは指一本動かしていない。ただ「不快だ」と念じただけで、王宮騎士の防御魔法を紙屑のように貫通し、超高密度の重力魔法を無意識に発動させたのだ。
「あーあ。魔力使っちゃった。今の発動分を取り戻すのに、あと三分は二度寝しなきゃ……あー、僕の貴重な3分が……」
エルンストは心底迷惑そうに溜息をつくと、ズルズルとコタツの深淵へと潜り込んでいく。
「いいから、僕を起こさないで。あ、帰りにドア閉めといてね。魔法で閉めるのもだるいから」
伝説の魔導師は、世界を救うことよりも、コタツの温度を守ることを選んだ。
後に『コタツ敗北事件』として王宮に語り継がれる、怠惰な伝説の幕開けであった。




