閑話 継子の豹変がおそろしい(義母ジャネット視点)
マリアンデール。
結婚したアーチデール男爵の先妻の娘。
伯爵家のご令嬢が先妻だった。
伯爵家の血を引くと男爵から聞いていたから、どんな娘かと身構えたけれど、どうにも地味でぱっとしない容姿で、家政婦長や側付きのメイドは「マリアンデールの紅茶色の髪が綺麗です」なんておべっかを使うけど、わたしや娘の金の髪に比べれば赤茶けた髪にしか見えないし、その青みがかった鋼色の瞳も地味に見えた。
最初の挨拶も小さい声だったし……。
わたしに対して卑屈になることはなかったけれど、強く出ることもなくて、ただその静かさが。お前は平民で自分は貴族……、声に出してもいなければ、態度にも出していなかったけれど、腹の中でそう思っているんじゃないかと、癪に障ったわ。
アーチデール男爵は、大人しいだけで、人見知りをする娘とは言っていた。
でも、赤茶けた髪も青みがかった鋼色の瞳も、わたしにとっては、やけに存在感を主張して目障りでしょうがなかったから、今のうちに婚約者を決めて、卒業とともに、結婚させてと進言したら、男爵はマリアンデールの婚約を決めてきた。
男爵にそう言われても、マリアンデールは勝手に決められた婚約に異を唱えることもなく、大人しく地味で目立たない娘だったはず――……。
それがどうして、そんなに変わるの⁉
三日三晩寝込んで起きたら記憶喪失とか、ふざけるのも大概にしてよ! グリフィスに用事を頼もうと思ったらマリアンデールが私室に呼びつけているというじゃない?
わたしの使用人を勝手に連れ出すなんて、何様のつもりよ!
そう勢い込んでマリアンデールの私室に入ると、なんて言ったと思う?
「やりなおし。ノックしてから入室を」
青みがかった鋼色の瞳をわたしに向けてそういった。
成人前の小娘の癖に!
「記憶を無くしてるからって、大目に見ていれば――!」
態度が大きすぎるのよ!
思いっ切り掌でマリアンデールの頬を叩いてやった。そのすまし顔をゆがめて泣くかと思ったら、ソファに倒れ込むことなく、身体を揺らすことなく、わたしを見据えた瞬間、わたしの頬に衝撃が走る。
それだけじゃない。
あろうことかわたしの髪を引き掴んで怒鳴ったのよ。
「喧しい! だから家政婦長に平民上がりがと舐められるのだ。マナーを叩き込まないといけないのは、あのキャンキャン吠える娘からではなく、お前からだな!!」
マリアンデールの地味な青みがかった鋼色の瞳が、光を帯びる。
その視線の鋭さと温度には身に覚えがある。
シンシアが生まれた時に、相手の家に認知をしろと迫った時――わたしを見下した貴族家の当主と同じだ。
あの時のことは忘れない。
人を虫けら同然のように扱われたのもそうだけど、貴族は違うということを。
一瞬自分が過去に戻ったようで硬直した。
いままでわたしの顔色を窺うようにすごしていた小娘と――とても同一人物とは思えない。
わたしを庇おうとマリアンデールに言い募るシンシアの顎をマリアンデールは片手で押さえる。
「お前達親子はこの家のものになった。間違えるなよ、この家はお前達親子のものじゃない。お前達親子がこの家の付属物になったんだ。せいぜいこの家に尽くしてもらう。その覚悟をしろ」
もしも――……旦那様の……アーチデール男爵の両親が健在だったら、間違いなくわたしはこの言葉を浴びせられたに違いない。
記憶を失ったマリアンデールは、あっという間にこのアーチデールの屋敷、使用人を掌握、執事を解雇してグリフィスを筆頭執事にしたのち、短鞭を持ってわたしを脅す。
小娘ごときに舐められてたまるものかと思った。
だけど……あの小娘は……マリアンデールは、あの青みがかった鋼色の瞳でわたしの顔を見つめて囁くように言い募る。
「普通の女にはできないことを、貴女はすでにやってのけた。面倒くさいと思いながら、その先の未来が輝かしいものであると信じていただろう? 人生往々にしてそうだ。面倒くさいことをやったその先に、自分にとって価値あるものを手にできる」
そうよ、そのとおり。
ずっと思っていたわ。
わたしをたらい回しにしたあげく、クラブの女給なんかにさせた親戚を、いつか見返してやると。
わたしを弄んで、私と一緒に、娘のシンシアを捨てたあの貴族を見返してやると。
だから、頑張ったわ。
大して好みじゃない男だったけど、すごく嫌なわけでもなく、なにより、それを凌駕する財産を持つアーチデール男爵の後妻に納まったわ。
マリアンデールは悪魔のように、わたしを懐柔しようとする。
その声で。
「さて、男爵夫人。平民出で紳士クラブの女給に勤めるまで苦労もしてきた。そしてとうとう、男爵夫人に納まった。その手腕は見事だ。脱帽する。貴女の娘には無理だろう苦労をやってのけた。今一度、その手腕を振るわずしてどうする?」
そうよ、アーチデール男爵夫人になって初めての夜会で、伯爵家以上の高位貴族達からは、侮蔑の視線を投げられた。
悔しくてたまらなかった。
それをまるで見ていたかのように、幾分かの同情を含めた優しい声音で、マリアンデールはわたしに告げる。
「普通の女にはできないことを、貴女はすでにやってのけた。面倒くさいと思いながら、その先の未来が輝かしいものであると信じていただろう?」
短鞭をグリフィスに預け、わたしを落ち着かせるようにソファに座らせ、肩を優しくたたく。
「これからの男爵夫人の社交によって、アーチデール男爵家が更に発展し、お前の自慢の娘を子爵夫人、いいや……場合によっては伯爵夫人にしたくはないのか? 父を支えるのは、私の母がいない今、ジャネット・ヴィ・アーチデール。貴女しかいない」
……これは、いままでのマリアンデールじゃない……。
マリアンデールは全ての記憶を失った。
ここにいるのは、まったく別の娘。
これまでわたしがこの娘に対してやったことも、全部気にしていない、覚えてないから。
だけど、わたし以上に、この家に執着を見せ始めた。
このマリアンデールの行動は一貫している。
アーチデール男爵家の為に動いているということ。
「……男爵夫人、あなたはぬるま湯の方がお好みなのか? そうじゃないだろう? 私も同様だ……」
少女らしいのにどこか低い声で囁く。
わたしの野心に触れてくるこの娘は――。
「大丈夫。私が貴女を、この国で一番の資産家の令夫人らしく仕立てて見せるとも。過去に貴女が高位貴族に受けた侮辱は、自分に優しいだけの人間で固めた生活などでは、決して晴らせないのだから」
悪魔のように、口角を上げて、微笑むマリアンデールを、わたしは息を呑んで見つめるしかなかった……。
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