第6話 後妻とツーカーのメイドを出向させる
男爵との話し合いの翌日の朝に、家の一切を私に一任するとの書面を受け取る。
アーチデール男爵から家の差配に関する権限をもぎ取った私は、この瞬間、グリフィスをアーチデール男爵家筆頭執事に据えた。
今頃、アーチデール男爵はベインズ男爵家のことを調べ直しているだろうが、私の方もグリフィスからの報告が上がっている。
案の定、私の婚約者だった男は、義妹シンシアに夢中のようだ。
最初こそ、金目当てで私と婚約し、他家の娘といい仲だったらしいが、婚約してこのアーチデールの屋敷に訪れると、私から婚約者を奪おうとしていた義妹シンシアを見初めたようで(年齢が年齢だから明確な色恋ではないものの、どうにも義妹は私の持ち物などを欲しがる癖があるようだ)ベインズ男爵子息は、外面だけは無邪気に見える義妹に夢中になってしまい、いい仲だった他家の娘とも今現在、こじれているらしい。
アンが大好きな絵小説と同様の展開だ。
一冊読んで思ったが、絵小説で流行りの婚約者をないがしろにする真実の愛とやらは、わたしの記憶同様に脆いな。
これがまた現実でも起きている事実に失笑する。
そんなことより、ベインズ男爵家。
思ったより財政が苦しそうだ。これでこの男との婚約を続行させるようなら、このアーチデール男爵家の先行きも暗い。今頃はこの報告書と同じ内容を把握してるに違いないから、とっとと、私の婚約解消に動いてほしいところだな。
あと現在のアーチデール男爵夫人、外で不貞は働いていなかったようだ。
グリフィスは見た目がいいから、外でこれ以上の男はなかなか捕まえられなかったのかもしれない。
同じレベルの男爵家やちょっと裕福な平民、頑張って子爵家の付き合いでは、元伯爵家のグリフィスのようなレベルになると、男爵夫人の限定した狭い社交程度では、ちょっとやそっとではお目にかかれないだろう。
あと意外だったのは、男爵夫人の過去。苦労しているようだ。
両親死別。親戚の家をたらい回しの上、準貴族紳士ご用達のクラブの女給か。どうやら親戚に半ば売られた形でそのクラブに勤めたのがこれまでの経歴だ。
娼館に売り飛ばされなかっただけマシだろう。
元々、平民でも裕福な方だったのかもしれないな……で、勤め始めてすぐに子供ができたのか……付き合っていた当時の男はとある子爵家の長男で、子供ができたと言われると、すぐに逃げたのか――あの後妻のことだから養育費ぐらいぶん取りたかっただろうに。残念だったな。
そしてアーチデール男爵との仲はわりとつい最近なのか。
つきあってから一年後に結婚している。
ふむ……。
いやそれにしてもよく調べたな。
調査は本当に早くて正確……やはりグリフィスは使える。
新たなアーチデール男爵家の筆頭執事は上出来だ。
さて、家政について検討しようか。
使用人の統括は執事の仕事だ。
グリフィスを執事にすることで、使用人の掌握が私の目にも通りやすくなる。
グリフィスは二人いる小姓のうち一人を従僕に昇格させた。
この従僕になった少年も貴族家の出自だ。
なんでも5人兄弟の末っ子で、家督を継ぐ長男を除き、他の兄弟は士官学校や他家に婿入りしたのだが、この末っ子だけ、学校も通えないぐらい家の経済事情が切迫していたとき、兄弟に相談したところ、このアーチデール家で小姓を募集していたのでどうだろうと、勧めたのだとか。
従僕になった少年は末っ子だけあって、兄やグリフィスからも可愛がられて独学で勉学にも励んでいたらしく、働きぶりは悪くない。
一人が従僕に出世して、同じく小姓となっているもう一人が臍を曲げないかと危惧したのだが、もう一人いる小姓は男爵の商売関係からねじ込まれた商家の少年で、ゆくゆくはこの家の仕事ではなく、アーチデールが持つ商会のいずれかに配属する可能性が高いという。
常に主人に付き従うのは家政をとりしきる執事ではなく小姓なので、彼の将来をあの男爵は気にかけているのだろう。この家に入れる時、実家からも商人として鍛えてほしいと願われたか。
つまり昇格においてのギスギスはない。
グリフィス、やるな。
男の使用人はこれでグリフィスの管理下。
問題は――メイド達。
現在うちにいるハウスメイド五名。
後妻に追従している者が三名いる。あとの二人は家政婦長に従う形だ。一人はアンでもう一人は多分、元アーチデール夫人(実母)の伝手でこの家にきたから、家政婦長についている。
なので、今現在、あの義母に追従している三名を再教育する必要がある。
メイドとして主人に従うのは当然だ。
だが主人としてあの義母がまっとうかといえば違う。
別に私が継子だからとか、虐められていた過去があるとか、そんな事実は、記憶がないのだからどうでもいい。
現在アーチデール家の家政婦長であり、元伯爵令嬢に付き従っていたグレンダが、女主人としてよしと思わせる人物ではない後妻に阿諛追従。
そして、家政婦長の言葉に何かと異を唱えるのもいただけない。
グリフィスの報告では、特に義母について追従するメイドのうち一人が、実は平民の出で、なんとあの義母が紳士クラブで女給をしていた頃の同僚だったという。
その時から自分の手駒として重用していた――アーチデール男爵夫人に納まるから、付いてこいと……それに乗っかるからにはこのメイド、後妻に恩があるのか弱みを握られているのか、多分前者だな。
成金男爵とはいえ貴族の家。
そこにぽっと平民の自分が入っても、思い通りになるとは思わなかったから、自分のいうことをきいてくれる、自由に扱える、手足になってくれる者をこの家に引き入れたということか。
考えてはいるんだよな……この後妻。
グリフィスが調べ上げた報告書に目を通してそんなことを思う。
この後妻派のメイド筆頭、名前はジェマ。
このジェマにひっついてる二人の若いメイドは、普通に奉公先を探していて、この家に来た娘達。年齢も若いし、出自は平民出、どちらもアーチデール商会とは縁のある商家と職人の娘だ。
まず叩くならこのジェマだな。
あの後妻と分断する。
このメイド、ジェマを外して、小回りの利くメイドを安く雇い入れよう。
内だけではなく外にも用事をこなせるメイドを探さなければ。
私とグリフィスとグレンダは相談した。
このジェマをどうするか。
切ってもいいが、こいつをちゃんとしたメイドに仕立てる。
その為の研修先にフリードウッド伯爵家を指定した。
フリードウッド伯爵家はグリフィスの実家だ。
高位貴族の伯爵家のメイドにねじ込む。
ジェマの再教育先にグリフィスの実家はどうかと尋ねたら、グリフィスは暫く沈黙したのち肯首した。
私が考えていることを素早く理解してくれている。
フリードウッド伯爵家は現在、両親は隠居し、グリフィスの一番上の兄が家督を継いだ。
鉱山でもない山ばかりの領地を、上手く運営できなかったグリフィスの両親だったが、兄は違った。グリフィスの兄である現フリードウッド伯爵は職人を優遇し、領地にて木工細工、特に家具職人を優遇しはじめ、フリードウッドの家具は王都ではいま大人気。
財政難の為、他家への婿入りを希望した両親の意向を拒み、一介の男爵家の従僕という選択をしたグリフィスを応援したのはこの兄だ。
アーチデール家の流通網は彼にも魅力的に映ったらしく、グリフィスの婿入りを阻止してアーチデール男爵に声をかけた経緯がある。
グリフィスは、従僕からアーチデール男爵家の筆頭執事の座についたことも含め、アーチデール家のメイドを一人ちょっと教育してほしいと手紙をしたためると、すぐに了承の返信がきた。
フリードウッド伯爵家は、グリフィスの執事就任にことのほか喜んでおり、弟を執事に取り立てた私に感謝もあったようで、機会があれば私と会いたいという。
もちろん快くその旨は受け入れた。
さて、やるか。
「ジェマ、お前はこの度、このアーチデール家から、フリードウッド伯爵家へ出向してもらう」
「は⁉」
主家の娘、貴族令嬢に対しての返答ではないな。
記憶がないが、私に対してその返事は、どれだけ私を舐めていたのかわかろうというもの。
「なんであたしが!」
言葉遣いから平民のそれだ。
この女は後妻と一緒にアーチデール家に来たからだいたい二年ぐらいか。
慣れ合いで気安く一緒につるんでいれば、後妻もマナーや商売関連や家に関して学習をしないで、自分が楽しいことやりたいことしか目に入らないか。
「言葉!」
私がそうジェマに言い放つ。
「グリフィス」
グリフィスが恭しく短鞭を渡す。
それを見たジェマはぎょっとしたようだ。
まさか短鞭がでてくるとは思わなかったのだろう。
私は短鞭を弄びながらジェマに近づく。
「さて、記憶を失う前のあれこれはこの際、覚えていないので、過去の件は水に流してやる。しかし、これからは違う。父親は男爵だが、私は没落したとはいえ伯爵家の血を引く。そして、このアーチデール家の奥向き、家の差配は当主であるアーチデール男爵から任されている。それに対してお前の立場、わかっているか? 貴族に仕える使用人は主人に手をあげてはならない。それを破ればどうなるか、前の執事がどうなったか、知らないはずはあるまい?」
「……は、はい……」
「平民の女給あがりの女が男爵家のメイドになった今の状態に満足しているだろうが、そうはいかない。このアーチデール家の使用人になったからにはアーチデール家の為に働くように。間違ってもアーチデール男爵夫人ではなく、この家の為にだ。お前が今まで仕えていた主人は元同僚で気安い関係であっただろうが、改めてもらおう」
「そんな!」
口答えをしようとしたジェマの前で短鞭を一振り。
当ててはいない。
ジェマの目の前で空振りをして見せただけ。
だがその短鞭は空気を切るヒュンと音を出した。
「優しいだろう? すぐに鞭打つことなどしない。おまけに選ばせてやる。元の女給に戻るか、私の命に従うか――……今、選べ」




