第12話 協力的で強力な抑止力
地味で目立たずひっそりと大人しい――というのが、休学する前の私に対する周囲の印象だ。
しかし、記憶をすべて失った私は、復学してから周囲とのコミュニケーションを円滑に図り、学院内の派閥を把握することに努めた。
派閥といっても多様な条件下でその人物の立ち位置は入れ替わる。
高位貴族派、下位貴族派、実家の爵位が同等でも領地割譲において昔から揉めている家があればそこでまた対立関係が生じたり、そういった実家のパワーバランスや、個人の学習面での対立等々が絡んでいたり。
たとえば、高位貴族派の中にも実は下位貴族の者がいる。実家が縁戚であったり、寄子寄親の関係で深く結びついていたりと、単純なようで意外と複雑だ。そしてだいたいこういった派閥はしっかりした組織立てはされていない。ふんわりとしたなんとなくグループという形でまとまっている。
それが親の保護下にある貴族の子弟、いや、貴族社会に限らず、平民の間でもこういった派閥は形成されるものだ。
さて、現在、私は非常によろしくない立場にある。
一つは、執拗な元婚約者であるベインズ男爵子息からの復縁要請。
もう一つは、それを阻止するという大義名分で私の傍にくる王族である第二王子ロードリック殿下からの干渉だ。
「どうしたの? マリアンデール様、顔色が悪いわ」
「ええ、さすがにちょっと堪えているの。ここのところ、頭痛が特にひどくて。ストレスだと思うの。元婚約者と第二王子殿下が休み時間や放課後にやってくるものだから、皆様と楽しいお話をする時間が減らされていて、普段の生活だって取り戻すのがやっとだったのに、学校でこんなに騒がれては、勉学にも支障が……。それを思うと夜も眠れなくて」
女子のみのマナー授業の時にそう声高に告げる。
「ベインズ男爵家の子息は常軌を逸してるけど、でも、やろうと思えば同じ男爵家相手なら、私でも対処できるわ。だから放っておいてほしいのに、騎士道精神がある殿下にどう上手く言っても不敬と取られたらと思うと、本当に頭痛が治まらなくて……殿下の行動を私に向かわせない抑止力のある方は国王陛下しかいないと思うと、一介の男爵家の娘である私には手がでないでしょう?」
「確かにそうよね」
「いるわよ、一人」
私はその言葉を発したご令嬢を見つめる。期待を込めて。
そうだ、わかってる。
あの正義感と騎士道精神を発揮し、ついでにオモシレー女と会話を楽しみたい好奇心旺盛な殿下を諫めることができる強力な抑止力となる人物が、この学院にいる。
「本当? でも、殿下をお諫めできる方なんて、やっぱり王族に連なる高位貴族の方じゃない? 実家の男爵家は手広く各貴族家の方とも面識はあるけれど、高位貴族の方にはおいそれとは伺えないわ」
「別にご実家のお父様に頼まずとも平気よ」
「そうよ」
彼女達は顔を見合わせて頷きあう。
「大丈夫、わたくしがマリアンデール様のことを紹介するわ。シーグローヴ公爵令嬢アデライド様に!」
◇◇◇
公爵令嬢アデライド様はシーグローヴ公爵家の一人娘。
第二王子ロードリック殿下の婚約者である。
この学院で、こんな三文芝居ならず、貴族令嬢の間で流行っている絵小説のような出来事が起きても、興味本位で騒ぎたてている学生達を尻目に沈黙を保っていた。
絵小説で定番の、悪役令嬢よろしくいきりたって私やロードリック殿下に接触せずに、高見の見物を決め込んでいた人物である。
実家は建国以来からの由緒正しいシーグローヴ公爵家。
何代か前ならば他国の王族を嫁に迎えたこともあり、王族に連なるこの国の貴族社会の上澄みも上澄みだ。
「楽になさって、アーチデール男爵令嬢。お話は実家の寄子であるバーリー子爵令嬢ドリスから伺っているわ」
早速その日の放課後、私はクラスメイトの女子と共に、シーグローヴ公爵令嬢のサロンに招かれた。
マナー授業の際に零した話を先触れの手紙にしたためて、つなぎをとってくれたバーリー子爵家のドリス嬢も一緒だ。
サロン内に入り、カーテシーをすると、サロンの主は朗らかな声でそう私に語り掛ける。
金髪に、透けるような肌と、印象的な蒼い瞳が王族に近い血筋の方だとはっきりとわかる。
「学院内の噂も、わたくしの耳に届いているわ。誰がどう動くか見てみたかったのよ。やっぱり一番先にわたくしに声をかけてきたのは貴女だったわね。アーチデール男爵令嬢。マリアンデールとお呼びしてもよろしくて?」
「光栄です」
勧められて着席すると、取り巻きの女子生徒がお茶を給仕する。
使用されている茶器は滑らかな白い色合いをベースに、風景画を施されている骨灰磁器。職人の逸品もののそれだとわかる。
学生でもさすが公爵令嬢、身の回りの持ち物が段違いだな。
「学院というのは、毎日毎日、大きな変化がない場所だけど。その変化のなさでわたくし達は将来について研鑽を積むことができると思っているの」
激しく同意だ。
「マリアンデールはとんでもない事故に遭遇したのに、更に今、二次災害に見舞われているということね?」
「仰せのとおりでございます」
「そう、それで、怪我の具合はどうなの?」
「傷自体は抜糸も済み、ふさがっております。意識を取り戻した時は激しい頭痛と嘔吐が止まらず。今は時折、頭痛だけとなりました」
「記憶がないって本当に? ごめんなさい。好奇心旺盛で。ロードリック殿下のことを言えないわね、でも記憶喪失の方とお話しする機会なんてないでしょう?」
「私が意識を取り戻し、自分の名前も思い出せず、医師が家族を部屋に呼んだのですが対面しても全員誰だろうと、家族だというからには、年齢的に一番年上の男性が私の父親と察しましたが心の中では「誰だこのオッサン」と思ったものでした」
あけすけに令嬢らしからぬ単語を口に出したことで、アデライド様はおかしそうに扇子で口元を隠して、ほほほと笑う。
公爵令嬢アデライド様にとっては大笑いの状態だ。
「義母や義妹を見ても家族全員と言われれば、本当の母と妹かと思いました。見た目は似てないけれど……義妹が私の名前を呼び捨てにしたので相当親しいのかと。兄などは、変わりすぎて言葉もでないと」
アデライン様はひとしきりおかしそうに笑ったあと、私を見つめる。
「ごめんなさい。当人は大変なのに」
「いえ、頭を打って普通に言語が明瞭で生活の動作に支障がないのは僥倖でした」
「そうね……頭を打つと、最悪、眠ったままの状態で何年も……というお話をわたくしも耳にしたことがあります。できうる限りのことを前向きにとりくむマリアンデールの姿勢は素晴らしいことだわ」
「恐縮です。学校への復学も、かつての家庭教師に頼み、大急ぎで再教育を願いました。なので、私もこれから先、記憶が戻らないのを覚悟で、生まれ変わった気持ちで楽しみたいと思っていたのですが……」
そこまで言って言葉尻を濁すとアデライド様は頷く。
「いいわ。マリアンデール。貴女、一時的にわたくしの派閥に入りなさい。わたくしが庇護します」
「よろしいのですか?」
「ええ」
「そうしていただけると大変助かります。しかし何をもってこの御恩をお返しすればいいか……」
第二王子殿下の婚約者にして、この国でも上から数えれば五指に入る公爵令嬢とのパイプはありがたい。
「いいのよ、今日みたいに、わたくしと一緒にお茶を楽しんでくれれば。そうね、アーチデール家なら珍しい茶葉も手に入れられるでしょ? それで手を打ちましょうか。ロードリック殿下からのお誘いがあれば、わたくしの名前を出して。呼ばれているとでも約束しているとでも言ってお断りすれば大丈夫。ベインズ男爵家子息については、女子だけでなく男子にも声をかけて近寄らせないようにしましょう……ああ、たしか義妹もいるのよね? 安心して。まとめて面倒をみるわ」
私は感謝の言葉を述べるとともに、内心で、この人の王位継承権が第二王子殿下より上に繰り上がるといいのにと思った。




