第10話 復学した朝、婚約者と名乗る男に絡まれた
馬車の中は沈黙に包まれていた。
私はようやく学校に復学できる。
これまでの私は学校でも地味で大人しく友人もいなかったらしいが本当にバカじゃなかろうか。
アーチデール家は商売の家、学校なんて絶好の人脈の発掘の場だ。取引相手の家の子供がわさわさいる。しかもちょろっと話せば家の内情なんかにも触れられるというのに。
何しろ高位貴族から下位貴族、同学年にはこの国の第二王子も在籍している。
社交デビュー前の絶好の社交場だというのにな。しかも勉強もできる。
「あたしが突き落としたからって……ほんとになんでそんなに変わるのよ」
以前なら一緒の馬車は嫌と義妹がごねて、わざわざ登校に二往復という御者泣かせをしていたが、今日からは違う。
この義妹と一緒の馬車で登校することになった。
何しろ記憶がないから、長々と休んでいた旨を学校には知らせてあったが、職員室の場所までも忘れているから、今日はグリフィスが付き添っている。
グリフィスはこの貴族学院に在籍していたから、校舎の造りは把握しているだろう。
「さあな、本当に記憶がないから変わった自覚もない」
「……あの……あの……ごめんなさい」
「何が?」
「その、あたしが……マリアンデールを突き落としたから……」
「こっちは覚えていないから、謝る必要もないだろうに、根が優しいな」
そう言葉にすると、義妹は手指をもじもじと組みなおす。
本当に優しいな。
私なら、相手を階段から突き落とすなんてことはせずに、確実にトドメを刺すところだ。
痕跡を残さない後始末まで完璧に。
「もうすぐ、着きます。お嬢様」
校舎内をくぐり、馬車専用のロータリーに差し掛かり窓の外を見れば、ぽつぽつと列をなす馬車。
この学院には寮がある。遠方に領地のある貴族家の子女がそこを利用するが、王都のタウンハウスを社交シーズン問わず利用している貴族はだいたい馬車通学になるらしい。
馬車が止まり、御者がドアをあけると、グリフィスが先に外にでて、シンシアに手を差し伸べる。
グリフィスのエスコートで馬車のステップを踏んで外に出ると、私も同様に、グリフィスのエスコートを受けて外にでた。
「あの、マリアンデールお、お義姉さま、もし、その具合が悪くなったら、すぐに医務室へ」
シンシアの言葉に、私は口角を上げる。
「シンシアはそんな心配をしないで、ちゃんと先生の言うことを聞くんだよ?」
この義妹は――中身5歳ぐらいの子供だと思った方がいい。
きっと昨日、母親である男爵夫人にいろいろ諭されたのか。
キャンキャン喚くのも子犬のようだと思えばそれはそれで可愛い。
何よりも見た目が。
「慣れ慣れしく声をかける男子生徒には気をつけて、ベインズ男爵家のフレッドなんか特にな」
義妹のタイの結び目を整えてやりながらそう伝えると、子供のように「はい」といって頷く。
「ほら、お友達が待っている。行っておいで」
優しく背を押して促すと、シンシアは二、三歩歩みだして、ちょっと私の方に振り返るので手を振ると、義妹は笑顔を浮かべて、背を向けて友人達の方へ歩き出した。
その様子を見てグリフィスが呟く。
「お優しすぎでは?」
「なんだ、やきもちか」
「マリアンデール様に怪我をさせておいて、あんなごめんなさいで済むと思っているのかと腹立ちがありますね」
「だがその怪我のおかげで、この私になった。人生何が起きるかわからないから楽しいな。グリフィス、あの娘にそうツンケンしてやるなよ」
そう言いながら校舎へ向かって歩き出す。
「致しません。それにしてもあの掌返し、男爵夫人がよくよく言い聞かせたのでしょうね」
「先に男爵夫人から短鞭で威嚇して調教――いや、教育したのは正解だな」
わたしがそう言うと、グリフィスが口に手を当てて笑いをかみ殺している。
うっかり声に出した「調教」の言葉が受けたらしい。
その様子を校舎へと向かう生徒が注目する。
男爵夫人が粉をかけただけあって、グリフィスも見た目がいいからな。
特に女子生徒の視線が熱いようだ。おまけに学院の制服ではなく執事服だから目立つ。
まあ私の頭の包帯も目立つ。赤茶けた髪に白い包帯は賑やかしい。
家ではすでに包帯をしたりしなかったりだったが、学院は外だし、何があるかわからないからな。アンとグリフィスの進言で巻いているだけだ。
その方が長期の休みの理由も教師生徒も、この視覚効果で納得する。
「マリアンデール!」
勝手に人の名前を呼び捨てにするとはどこの誰だ。この声は聞き覚えがある。
グリフィスが私の前に出る。
「一体どういうことだ! いきなり婚約解消とか!」
ベインズ男爵家のフレッドか……。
最近治まってきている頭痛がぶり返すじゃないか。
せっかくキャンキャン喚く義妹を躾けたところなのに。
「おい、従僕、お前はお呼びじゃない! どけよ!」
ふん、お前はどう逆立ちしても、グリフィスに敵うはずがあるまい。
家の経済状態が悪くて婿入りが嫌でこのアーチデール家の家事使用人となり筆頭執事になった男だぞ?
お前みたいにふわふわの世間知らずでやりたい放題で我慢の利かない男が、逆立ちしてもこうはなるまい。
グリフィスはフリードウッド伯爵家の三男だけはある。
それを従僕ごときと侮るとは。
「どきません。マリアンデールお嬢様は、ようやく怪我の状態が癒えて復学したよし、怪我の為、ベインズ男爵のご子息とのご婚約はなかったものになったとアーチデール男爵からベインズ男爵に通達しております。ご理解を」
「この従僕ごときが!」
私は深呼吸して腹に力を溜め、そう言い返すべインス男爵子息フレッドに向かって言い返す。
「黙れ! さっきから従僕従僕と……そこのボンクラ! 名を名乗れ! グリフィスは従僕にあらず! アーチデール家筆頭執事だ!」
その声の声量に周囲にいる学生達は一気に注目する。
まさか怒鳴り返されるとは思わなかったのだろう。
ここは学校だからな、グリフィスも短鞭を持ってこなかったか……非常に残念だ。
「……え……」
私に怒鳴り返されて、ベインズ男爵令息はたじろぐ。
多分、地味で目立たず、大人しくしていた私の印象しか、この男にはないのだろう。
私の中ではこの男は初対面に他ならないのに。
「名乗りもしない見知らぬ男がこの私に近づくな! ……グリフィス尋ねるが、この男に見覚えがあるか?」
まあ名乗らなくても尋ねなくてもわかっているが、念の為にグリフィスに尋ねた。
「この方は、ベインズ男爵家子息フレッド様です」
「記憶にないな」
私の言葉にグリフィスは頷く。
「なんだと⁉ おい! マリアンデール! ふざけるなよ⁉」
こいつ、誰に対して物を言っているんだか。
爵位は同等でも、お前のベインズ家は、アーチデール家より格下なんだ。
そんな横柄な言葉は無視するに限るな。
「何を騒いでいるのかな?」
次第に野次馬で人の輪ができ始めたところ、その輪の中から声がした。
その声を耳にした数名が輪を崩して声をかけた人物を通す。
グリフィスがその人物を見て一礼する。
金髪に青い瞳の見目好い制服を着ているから男子生徒だろうが……。
「発言のお赦しを。お騒がせして申し訳ございません。ロードリック殿下」
グリフィスの言葉を聴いて私はカーテシーをする。
記憶がないから、まったくわからなかった。
私の通う学年に第二王子殿下が在籍しているとはホイッスラー夫人から聞いてはいたが、この方なのか。




