第8話 フリードウッド伯爵夫妻を招く
「この度は、無理なお願いを聞き入れて下さった上に、わざわざ足をお運び頂き恐縮です」
「いやいや、うちの弟を筆頭執事に取り立てて下さったのがマリアンデール嬢だと聞いて、ぜひ会ってみたいと思ったのだ。ところで怪我の具合はいかがかな?」
こちらから礼を言わなければならないのだが、私の怪我の状態を慮って、フリードウッド伯爵ご夫妻が当家に訪れていた。
「だいぶ良くなりました……どうでしょう、伯爵様。当家のメイドは。なにぶん男爵夫人のお気に入りということで、少し増長しているようで行き届かないと思います。厳しくやっていただいて結構です」
「ははは、グリフィスから委細伺っていますよ」
「よろしくお願いします」
「しかし、グリフィス。しっかりしたご令嬢だな。グリフィスから聞いております。フリードウッドの家具を求めたいとのお話もあるとかで?」
先日、男爵夫人の私室で短鞭を振るい、ソファをダメにしたので、アーチデール男爵に頼みお金をもらった。名目は男爵夫人の部屋の模様替えを行うと伝えると、すぐさま用意してくれたのだ。
近々フリードウッド製品のカタログをもらい受ける予定なので、男爵夫人と共に新たな家具を選ぶのもいいのではと伝えると、相好をくずした。
チョロイな男爵。
もちろん、フリードウッド家で用意してもらいたいのは、成金趣味から離れ、男爵家令夫人に相応しいものだ。だからそれなりに高価な品である。
趣味が違うとだだをこねるかもしれないが、そこはグレンダとグリフィスから、質は上等であるし、あまり以前のようなインテリアだと、これだから成金はと言われかねないと釘を刺せばいいと伝えた。「見た目がお若いから、可愛らしいものがお好きですね」とか馬鹿にされたくはないだろうと私もトドメを刺さしたので夫人も前向きだ。
アーチデール男爵は品を見る目はあるし、一緒に見てはどうかとも勧めた。
「こちらのカタログなどは、ジョンストン侯爵家でも大変好評なので」
「まあ、男爵夫人もお喜びになるかと思います」
にっこりと微笑む。
「何しろ、父は男爵夫人を溺愛しておりますから、このカタログを男爵と夫人で仲良く拝見するかと思われますわ。お荷物になったでしょうに、ありがとうございます」
ポイントは男爵と夫人でこのカタログを見るということだ。
フリードウッドの製品をアーチデール家の商会の一つで取り扱うよという符牒でもある。
「そうそう、こちら、今、王都で人気のパティスリーのケーキですの。どうぞお召し上がりになってくださいませ。お土産にもお持ちください」
アンがサーブしたフルーツを使ったケーキに、フリードウッド伯爵夫人は目を輝かせる。
「……ステキ」
「マリアンデール嬢、お若いのにしっかりなさっていて……。どうだろう、社交シーズン中は王都にいるので、良かったら本当にフリードウッド家のタウンハウスに遊びに来てほしい。妻も私も領地にいる時間が長いのでね、特に妻には同性の友人が少ないように思うし」
「そうなの、みんな結婚してしまって、気軽に家に遊びに――なんて、なくなってしまったのよ。マリアンデール様がきてくださるなら大歓迎だわ」
わかっている。わかっているとも、フリードウッド伯爵。
このアーチデール家は領地がなくて王都住まい。
そして流行の最先端は王都からなのだ。
宝飾服飾美食、家具、最新工業機械、演劇や本などの文化は王都から。
そしてそれらの商品を漏れなく全部カバーするこの大商会の大元アーチデール家と今後、懇意になれればということだな?
社交において流行の最先端の情報は貴重だ。伯爵自身もそういう経済情報は欲しいだろう。
もちろん喜んで。
私は笑みを深めて言う。
「まあ……私でよろしければ是非お誘いくださいませ」
若い令嬢らしいしおらしさを前面に押し出してそう言った。
馬車に乗り込むフリードウッド伯爵夫妻を笑顔で見送り、下男が門を閉じたところで、一台の馬車が門前に停車した。
フリードウッド伯爵夫妻以外の訪問は本日なかったはずだが……。
「マリアンデール! マリアンデールだよな⁉」
馬車が停止するかしないかの状態で扉を開けて、ステップを踏まず飛び降りるように外にでてきた男がいた。
当然記憶がないから身に覚えがない。
「誰だあれは」
勝手に人の名前を呼び捨てにしてからに。
「ベインズ男爵家子息、フレッド様です」
グリフィスが答える。
あ――……元婚約者か……。
それにしても元婚約者は婚約していた私の名前と顔が一致していないのか?
いくら身なりがそれなりの貴族の令息だろうと、疑問形で名前を呼ばれては、怪しさしかない。
遠目で一瞬チラ見をしただけでもわかる。
大したことない男だな。将来性も薄い感じがする。
私は門前の騒ぎを気にも留めずに、グリフィスが恭しく開けたドアを通りエントランスに足を踏み入れる。
大方、アーチデール男爵の意向が親元に届いて、慌ててやってきたのだろう。
グリフィスが従僕に昇格したエリックに目線を向けると、エリックは頷いて、門の方へ歩き出す。
よし、頼んだぞ、エリック。
追い払え。
多分こういった取次を元々グリフィスが行っていたのだろう。
仕事の引継ぎは上手くいっているようで何よりだ。
グリフィスが恭しく屋敷の扉を開けて私は邸内に入り、私室へ向かいながらアンに尋ねる。
「アン、あの小娘。いや、義妹のシンシアは?」
「はい! マリアンデール様の指示通り、毎日ホイッスラー夫人が教育を行っています!」
「よし、今、外に害虫がいるからな。絶対部屋から出すな」
「畏まりました!」
「グリフィス」
「はっ」
「エリックの手に余るようだったらお前が行って押し返せ。エリックの見本にもなるだろう」
「Yes, My Lady」
階段を上ったところで、ホイッスラー夫人の「なりません!」という声が聞こえる。
部屋のドアを令嬢らしさの欠片もない粗雑さで自ら開けて、部屋から飛び出してきたのは義妹だった。
「シンシア様!」
ホイッスラー夫人の制止の声も聞かずに……。
「もういやよ! フレッド様が来たんでしょ⁉ マリアンデール……どきなさいよ!」
また体当たりを食らわせて私を階段から突き落とすつもりか、この小娘。
いや、突き落とされた記憶はないけれど。
それにしても、未来の高位貴族夫人には程遠いな。
家庭教師のホイッスラー夫人に申し訳ない。
「グリフィス」
私の呼びかけにグリフィスが短鞭を差し出す。
アンとグリフィスが私と横並びになり、義妹の行く手を阻む。
義妹の前でヒュンヒュンと短鞭を振るい前に進むと、義妹は後ずさる。
「なんであんたが、そんなの持ってるのよ! グリフィスも何渡してんの? バカじゃないの⁉」
バカはお前だ。本当に頭悪いな。
見てくれはいいのに。
お前は自分の母親を超えないとならないのを理解していないようだな。
「どこへ行く気だ?」
「フレッド様が来てるんでしょ⁉ どきなさいよ!」
「今頃、従僕になったエリックが押し返しているところだ」
「はあ⁉」
「……『はあ⁉』じゃない……口の利き方ぁ! お前、誰にものを言っている!? お前はまだ、自分の立場をわかっていないようだな!」
ヒュンと短鞭で空を切り、義妹よりも声を張り上げて怒鳴り返す。
「何よ! フレッドはあんたより、あたしの方が可愛いって言ってるのよ!」
おいおいおい。
威勢がいいが、そんな言葉で誰が怯むと思う?
婚約してた事実とか、あのベインズ男爵令息をどう思っていたとか、そんな過去のことは私の記憶にはないのだから、傷もつかない。
そんな事実の追認にすぎない言葉を喚かれても、はいはいと言った感じだな。
男爵夫人譲りのその顔は、誰が見ても可愛いだろう。
自分で言うところに品というか奥ゆかしさがないな。
一生懸命なマウントだろうが、語彙が幼い。
おまけにキャンキャンと煩いだけだ。
「お前はバカか? 私が言いたいのは、自分を安売りするなということだ」




