第1話 覚醒した地味令嬢マリアンデール
私は意識を取り戻した時に、激しい頭痛と嘔吐に襲われた。
側仕えのメイドが慌てて私の世話をし、医師を呼び、診察をはらはらと見守る様子が目の端に映る。
「いやいや、よかった。よかった。もうこのまま意識が戻らないものとばかり」
医師がそう言う。
「そうですか……しかし先生、一つよくないことが」
「どうしました」
「私の名前が思い出せないのですが」
意識は戻ったが記憶が戻らない。
身体が覚えていることはできるが、記憶がさっぱりである。
医師は慌てて、メイドに「ご家族全員をお呼びして、お嬢様と対面させてみてください」と告げると、二人の男性と一人の女性と少女が、私の部屋に集められた。
「えーそんな絵小説みたいなことがあるなんてーマリアンデールも冗談ばっかり、普段かまってもらえないからって、嘘をつくのもたいがいにしたらー?」
そう年齢の変わらない妹と思しき少女にそう言われ、私は、彼女をじっと見つめた。
ベッドから立ち上がりその少女の前に立つと、思いっきり――吐いた。
少女は一瞬声が出なかったようだが、絞り出すように悲鳴をあげた。
嘔吐物などたいしてない。せいぜい胃液だ。大げさな。
医師の指示で集められた「家族」らしき面々を見るに、どうやら、私はいいところの家の子供らしい。
確かにそういう家ならば、目の前で胃液をぶっかけられるなんて事象は人生においてないだろう。
よかったな、妹よ、人生で絶対に起こることがない出来事、今、体験できて。
側付きのメイドが準備よく水差しと膿盆を差し出してくれたので、口を濯ぐ。
このメイドできる子だな。
「私よりも年下と見受けたからには妹でしょう。名前は思い出せないが。姉に対して呼び捨てにするような教育を施す家なのか、この家は」
令嬢らしい言葉遣いとかも思い出せないこの現状。歯がゆいことない。
しかし記憶がさっぱりないので、こちらとしては必死である。
「マリアンデール……」
「で、私の名前がマリアンデールというのは、そこの生意気な妹の発言から推察するし、私に呼びかける貴方は年齢からいって、私の父親であっているだろうか?」
「そうだ」
「名前を思い出せないし、家名も思い出せないのだが」
「口調から雰囲気から何から何までマリアンデールじゃない……」
父親と思しき人物の隣に立つのは若い青年だ。多分、兄? にあたるのか?
「言語が使える、身体が思うように動く、身体が覚えてる動作ができるというのは記憶がない時点では不幸中の幸いだと思っている。なので、以前の人格どうこうは問題ではない。私の立場の現状把握が第一だと思う。家名とフルネーム、家族構成、社会的にどういう立場に家は属しているか、家の財政状況、そしてここの国名は?」
浮かび上がる疑問を連ねていくと、家族は唖然としている。
「……使えないな……いや失礼。家の者が記憶を失った時点で、状況説明ができないとは、この家いささか問題があるんじゃないのか?」
私が家族全員を一瞥してそう零すと、少しの沈黙ののち、兄と思しき青年が呟く。
「お前が変わりすぎて言葉なんかでないんだよ……」
◇◇◇
とりあえず、意識を取り戻したが記憶のない私は状況把握に努めた。
先ず、私のフルネームはマリアンデール・ヴィ・アーチデール
この国は王政であること。
わたしは男爵家の娘であること。
母は後妻、妹が連れ子であること。
ギスギスした家庭環境から逃げるように、兄はアカデミーの研究室に入りびたりであること。
父親は商爵から男爵に叙爵しているので、領地はないが、手広く商売はしていること。
忙しさの為か家庭のことはあまり関知していないこと。
対外的な情報把握の為に、三年前、わたしの家庭教師をしていたであろう人物を招き、再度詰め込み式に王都貴族学院に相当する基礎知識を叩き込んでいるところだ。
私は一応その学院の三年に在籍しているらしい。
それによって、記憶前の人格が違うが、男爵令嬢。
下位とはいえ、貴族家の子女らしく仕上がっていた。
が、この国では貴族の令嬢ならば長く伸ばす髪が、短い。
これは頭を打ち付けた時、治療の際に切られた模様。
赤みの濃い茶色の髪は肩口で切りそろえられている。髪の色と白い包帯のコントラストで鏡を見ると、頭だけが賑やかというか……派手だ。
それも相まって、あの義妹と思われる小娘が人を指さして「ただでさえ赤茶けた髪が短くなってみっともなーい」など嘲笑したので、私は口に手を当てて奴に近づいたら逃げた。
もう一度嘔吐されたら敵わないと思ったのだろう。
それにしても、あの義妹、平民女の連れ子だけあるな。貴族令嬢としてどうか。これもなんとかしなければ……。
家庭教師から出された今日の分の課題を片づけると、私付きのメイドであるアンが声を上げた。
「マリアンデールお嬢様はやっぱり優秀です! この短期間で性格の変化以外は取り戻されるなんて……シンシアお嬢様の邪魔が入らなかったことも幸いです」
側付きのメイドであるアンが、そっと差し出したのは、絵小説。
「なんだこれは」
「貴族のご令嬢で人気の絵小説です。実は、マリアンデールお嬢様の環境は、このお話そっくりだったので、わたしはお嬢様を応援していたのです」
ふむ。
とりあえずアンが差し出した本――絵小説を読んでみた。
絵小説とは、最近王都の貴族令嬢の間で流行っている書籍で、装丁も凝っているし、読み進めるとところどころ挿絵が入っていて、絵本というには小説に近いものだとか。
中の挿絵目当てで購入するコレクターもいるらしい。
アンはパラパラとめくる私を見て、「本当に読まれているのか……」と心の中を表情に浮かべていた。
大丈夫、内容は把握した。
内容は後妻と義理の妹に虐められて、婚約者を奪われて、とんでもない年齢差の相手と縁談を組まれて、言われるがまま泣く泣く結婚するも婚家では実家よりも待遇が良くて、なおかつ最終的に年の離れた男の孫とハッピーエンドという物語……。
ツッコミを入れたい内容満載だが、この国でこの貴族社会の年頃の令嬢が夢を見られるお話って、こういうのなんだな……。
「それはもう、ひどい仕打ちをしていたのですよ!」
「例えば?」
「マリアンデール様の婚約者の方に必要以上に接触したり、奥様も――マリアンデール様のお母様の形見のネックレスを取り上げたり、マリアンデール様にはお金は使わずに、ご自身とシンシア様には湯水のようにお金を使うし! 奥様なんかは、マリアンデール様をわたし達メイドと同じ扱いにしようとしたし、もっとも、それは前の奥様付きだった家政婦長に止められましたけれども! マリアンデール様が記憶を失う怪我を負ったのは、シンシア様が階段からマリアンデール様を突き落としたからですよ!」
つまり、アンが差し出したこの絵小説の序盤の内容そのままといっていい状況だったようだ。
そうか私は常々、あの小娘にしてやられていたのか。
胃液をお見舞いしてやったのは正解だな。
「それで私は何もしてなかったのか?」
「え……」
「この絵小説の主人公のように、耐え忍ぶという感じであったと?」
「そうです!」
「気持ち悪いバカだな」
貴族の子女向けのやたら装丁の凝った本を持った片手で、紙一枚を振るように振ったらアンがそっとそれを受け取る。
まったくバカだ。
義母や義妹ではなく、記憶を失う前の私がである。
記憶を失ったのは不安だが、逆にそんな状態だったら記憶喪失の現状の方が万倍いいに決まってる。
だが、ちょっと気になる言葉があったな。
「アン、私には婚約者がいたのか?」
「はい、旦那様がお決めになりました。べインズ男爵家のフレッド様です」
「……婚約してる相手が怪我を負って記憶喪失状態なのに、見舞いにも来ない……まあ多忙であるなら仕方ないが、手紙の一通もないとは、一応確認しよう。ちょっと執事のセバスチャンを呼んで」
そして執事のセバスチャンに尋ねたところ、べインズ男爵家は父の商売で懇意にしているとのこと。そこの嫡男だとか。
「義妹が私の婚約者と懇意にしている話はアンから聞いたのだけど、セバスチャンから見て、どうなの?」
本来ならメイドごときが、余計なことを吹き込むなと一喝するところだろうが、私を前にした執事はしどろもどろとなっている。
「明確に、率直に答えろっ! この記憶のない状態で、心許ないと言うのに、それが仕える家の令嬢に対する態度かっ!」
私が一喝すると、執事は背筋を伸ばす。
「はい! 概ね間違いございません!」
「よし。わかった」
「お、お嬢様……口調が……その……」
「問題があるのか? 何しろ貴族家がどういうものかわからないのだ。とにかく家庭教師の詰め込み式での再教育後だからな。気にするな」
再び招いた家庭教師に、この口調について問題があるかと問えば「貴族のご令嬢としては高位貴族、もしくは王族ならばありえます……」とのこと。
うちは商爵から男爵家になった身分だから、ちょっと偉そうではあると、遠回しに教えてくれた。ついでに「子爵家以上の爵位持ちの方と会話をされるなら、もう少しご令嬢らしく」と言われたが、この家から外にでない限りこれで通すつもりだ。
「は、はあ……」
「べインズ男爵家はこの家――父の事業で懇意にしているというが、問題はないのか? 子は親に倣うというからには、婚約者のことは耳にしているだろうが、顔も見せない状態ということは、義妹と思われるアレが、吹聴したあることないことを鵜呑みにしているわけではあるまいな? もしそうならば、べインズ家そのものを調べなおした方がいいのではないか? この家の執事なのだから、父にそう伝えろ、家族のことは二の次三の次だろうが、己の仕事の話となれば別だろう」
「……」
「返事はっ⁉」
「はい!! ただ今すぐにお知らせ致します!」
青みがかかった鋼色の瞳で執事を睨み上げると、中年の執事はでっぷりした腹をせいいっぱい引き伸ばし、直立不動に姿勢を正し、声をあげると私の部屋から出て行った。
アレ本当に執事か? 執事といえば、使用人の顔役。家と外の取次。
あの執事の肥え太りよう……うちが裕福で使用人の食事がいいものなのか? 執事の前は従僕だったのだろうし、従僕から執事になるには見た目が重要視されるはずだが……。
メイド達は若い娘達だから、そこは気を遣っているように見える。
ふむ、これは問題だな。
アンが差し出した絵小説のままというからには、使用人達も私を侮っていた感がある。
それにしても……。
わたしは片手に、アンが差し出した絵小説を掴み、本の表紙を見据えた。
本当にバカではないだろうか。
この本のヒロインは棚ぼた式にハッピーエンド迎えて、そして実家はカタルシスを得る為に没落の設定となっている。
そうそうこんな空想乙女展開な生活があるわけがないのだ。
私は義妹に階段から突き落とされて、記憶喪失というありえない事象にはなっているが、記憶がない状態であろうと、状況把握をしたら、改善しなければならない家庭の問題がぽろぽろと零れ落ちているではないか。
「アン」
「はい! マリアンデール様!」
「あの執事からでは、この家の内情を把握できない。使用人の中で多角的視野で物事を見て、この家の現状について意見を述べられるような人材に心当たりはあるか?」
質問の返答に期待はしていなかったが、アンは素早く答えた。
「それでしたらば! 現在従僕の一人として当家に仕えているグリフィス様です!」
アン曰く、あの中年執事も頭が上がらない状態だという。
なぜなら、彼はフリードウッド伯爵家の三男坊なのだとか。
ほほう、なるほど、そんな人材が我が家にいたのか。
確保しよう。
新しく始めました。
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