碧の強化トレーニング
瀧村碧は、どこまで行っても感覚派である。
考えることは正直得意ではない。自分の感覚に従って動く方が、結果的に良い方に向かうことを、二十八年の人生で学んだ。それが普通の人とは少し違うところなのだろう、ということも、もう知っている。
普通の人は経験し、情報を読み取り、言語化して解釈することで学びとする。
碧は言語化が徹底して苦手であった。言葉を話し始めたのも、他の子供よりかなり遅く、そのことで母親を大いに心配させた。幼心に大好きな母親が心配する姿を見ることで、自分が他人よりも劣っているのだと気づいた。
父親は、言葉を操るのが天才的にうまかった。情報処理の速度が速く、分析能力に長け、言語化の能力が高く、どんな事柄であれ物事の核心をいち早くつかむことで、他人よりも早く上手にこなすことが出来る。これは末弟の木欄に受け継がれた能力だ。父は他人の心の機微にも敏感だったので、誰かを怒らせることも、安心させることも、理解させることも上手かった。一方、碧は、父が優しく諭す言葉が分からなかった。彼が僕を何よりも愛しており、心から大事に思ってくれているということは十分伝わってきたが、彼の教えはどれも理解できなかった。
父はサッカーを観ることが好きだった。碧は父がサッカーを観ている姿を見ることが大好きだった。応援しているチームがゴールを決めた時に、碧を高く抱き上げて喜ぶのが何よりも好きだった。まるで自分が何か大きなことをやり遂げて、それを喜んでもらっているような気がした。同じようにサッカーゲームをやる父も好きだった。父の膝の上に乗せてもらい、ゲームをただ見ていた。自陣のチームがゴールを挙げて、よっしゃーと喜ぶ姿を見ると、自分もチームを勝たせるのに協力した気になれた。
普通の子供が普通にできる言葉遊びやお絵描き、積み木、そういう一切のことが碧は苦手だった。幼稚園でも友達に馬鹿にされているのは伝わったし、何かを言われてもうまく言い返すことが出来なかった。
ある日、幼稚園でボール遊びをする時間があった。
これは知っていると碧は感じた。ボールを置いて、足を使って運び、蹴ってボールを飛ばした。幼稚園の先生はポカン、とした顔で碧を見つめて、え?碧君、上手すぎない?と言った。
その後、先生から母に話があったらしく、母から、幼稚園生向けのサッカースクールに行ってみようか、と言われた。碧はよくわからないけど、うなずいた。父にも一緒に来て欲しいと願った。ゴールを決めた時に高く抱き上げて喜んでくれると嬉しいな、と思ったのだ。
サッカースクールに通うと、サッカーをしているのは自分だけだと、すぐに気づいた。
他の子供たちはボールを足で扱うことがそもそも覚束ない。しかし、碧はすでに自由に扱うことができた。要はドリブルすることがすでに出来るのだ。どこかで習ったの?とコーチに聞かれたが、碧はただ、普段観ていた動作を感覚的に再現しただけだったから、習うというのがよくわからなかった。
一年ほどサッカースクールに通ったが、すごい凄いと喜ぶ父に対して、母の顔色は優れなくなっていった。後から分かったことだが、自分ばかりがボールをもって、ドリブルして得点をする姿を見て、他の子供のお母さんたちが、嫌な態度をしてくるようになっていたらしいのだ。そのうち、他のチームで才能を伸ばした方が宜しいのではなくて?と露骨にスクールから出ていくことを、要求されるようになったとのことだ。
それを父が聞いた時は「黙れ凡人とその親」とか「パンピー(一般ピープル)に天才は理解できないのだ」とか相手を明らかに挑発するように、火に油を注ぐようなことを言うもんだから、母はそういう母親間の揉め事には、父を極力立ち入らせないようにしていた。
小学校に入ると同時に近くの強豪クラブに入れられた。
サッカーのスキルだけならば、碧には何の問題もなかった。身体は小さかったが、ニ学年上のチームでも中心的な役割を担うことが出来た。しかしながら、古き良き時代から存続する強豪クラブにありがちの集団行動というか、スポーツを通して教えられる学びとやらに、碧はついていくことが出来なかった。子供たちの自主性を育てる名目で、親から独立して子供だけで運営するスタイルなのだが、碧は日々必ず何かを忘れるし、サッカーノートやらに何を書いてコーチに見せればよいのか全く分からなかった。どのタイミングで集合し、いつお弁当を食べ、いつ準備を始めるといった、集団行動ルールも守ることが苦手だった。
必然的に、サッカーだけ上手い問題児扱いをされて、コーチにはよく怒られた。
中学からは個人技を売りにしたチームに在籍した。
どうにもチーム全体の戦術とか、そういうのが理解できなかった、というか親和性がなかったのだ。碧はピッチに立てば、感覚的にどうすれば点が取れるか、その道筋が見えた。チームの約束事よりも、より確実で近い方法を選択することを躊躇しなかった。イケると思ったらスペースに入りこみ、危ないと思ったらエリアまで戻った。ポジションを崩し、チームメイトのエリアを侵し、感性に従って自由に動く姿は、現代サッカーからは逸脱していた。
個人技を売りにしたチームでも、状況は変わらないことから、日本を諦めてブラジルに行こうと思いついた。
成績は良くもなく、悪くもなくのラインを保持できていた。
数学は感覚的に解けるので、学年でも上位だった。しかし、国語は壊滅的であり、国語の問題を読んでも「この問題は何を聞いているだろう?」と問われている内容すらわからなかった。そういう状況だったので、大学進学は早々に諦め、ブラジルのチームでプレーする道筋を探した。母はただただ心配するだけだったが、父は、そうか、後悔しないように思い切ってやろう、と背中を押してくれた。この頃になると、彼は息子の特性を完全に掴み、苦手とすることをさりげなくサポートすることで、息子に、より自由を与える方が、結果的に良い方向に向かうことを学んでいた。
父の協力もあって、プレーできるチームが見つかったが、状況は日本のチームと変わらなかった。周囲と合わない違和感を抱えながらも、レベルの高いチームからのオファーも貰い、三つほどチームを変えてステップアップしたところで、ようやく彼は気づいた。
自分は集団スポーツにそもそも向かないのだと。
格闘家へ転身し、その一年後にはチャンピオンとなった時、碧は二十二歳になっていた。
瀧村碧は他人と比べ、あまりに多くが欠けている劣等生でもあり、同時に傑出した感覚を保持した天才でもあるのだ。
ほんの少しだけ重力が重い。
碧はリハビリ二日目にして、そのことに気づいた。碧を担当していたハジメさんに尋ねると、七%ほど地球に比べ重力が強いとのことだった。つまり、同じような感覚で動いたら、常に少し足りない、ということだ。
十キロほど走り、筋力トレーニングを全身に施し、格闘の基本動作をハジメ相手に繰り返した。驚くことにハジメは格闘技のほとんどの動作を身に着けていた。そんな体力トレーニングを1か月ほど積み重ね、身体は一回り大きくなった気がした。その時には重力の違和感を感じなくなった。まずは地球と同じような状態に戻すことを、最初の目的としていたが、七%の重量は想定よりも時間をかけさせた。しばらくした後、蹴り上げたハイキックはイメージ通りの的を貫き、イメージ通りの破壊力をもたらせるようになった。
碧がその状態になったのを見たハジメは、一つの提案をした。
「地球にいる時とは少し条件が異なっています。エネルギーの濃さや比率とかです。そして、あなたの体内にもそのエネルギーを効率よく活用できる臓器が新たに生まれています。それを活用してみませんか。残念ながら、私には実践できないのですが」
碧は地球と違うエネルギーの源が、体内のどこにあるのか、目を瞑って感じてみることをしてみた。次に身体を動かし、いつもと違う動力源の所在を探った。全く、何も感じない。トレーニングを継続しながら、二週間ほどトライしてみたが、全く糸口は見つからなかった。
「うぎゃー!!」
二週間ほど経ったある時、碧がトレーニングをしていた最中、突然大きな悲鳴が聞こえた。ひまわりの悲鳴だというのはすぐに分かった。
家の裏手には森を切り拓いたトレーニングエリアが広がっている。サッカーグランドが六面ほど確保できる広さであり、その一番奥のスペースを碧は使っているのだが、一番家に近い場所で、ひまわりが叫んでいるのが遠めに見えた。
急いで駆け付けてみると、手から火を噴きだしたひまわりが、走り回っている。
「消えないーーー!」
そう叫びながら、地面に手をかざしたり、ブンブン振り回したりしている。
「みゃー!まずは走り回るな、止まれ、落ち着け」
碧が声をかけて、ひまわりが手を前にかざしたまま、動きを止めた。
ちなみに、「みゃー」と言うのは、ひまわりの呼び名である。彼女が幼いころ、「ひまわり」と自分のことを上手に呼べなくて、「ひみゃーり」と言っていたことから、碧と日色に「みゃー」とか「みゃん」とか呼ばれるようになったのだ。
「一体、何がどうして、そんな奇術師みたいな姿になったんだ?」
「なんか、イツキにエネルギーの使い方云々を聞いたのよ、そしたら、手に体内エネルギーを集めて、放出することが出来るって言うから、魔法みたいなもんかな、と思って、火よ出ろ!ってやったのさ、そしたら、火が出てきたけど、消えなくなっちゃのさ」
「え、みゃー、すごいな、左手からも出せるのか?」
「ちょっと、やってみようか、火、出なさい!」
前にかざした左手からも火が出てきた。右手に比べるとかなり小さい。それを見て、碧は何となくわかった気がした。
「みゃー、右手の方がエネルギーが多く流れているように俺には見えるぞ。それって均等に出来るのか?」
「ん?こうかな」
碧には、胸から左肩のあたりが白く光り、そこから左手に向けて何かが移動しているのがボンヤリ見えた。
右手と左手の火の大きさが均等になる。
「そこまで出来るのであれば、今度はエネルギーが流れるのを止めればいいんじゃないのか」
んーと難しい顔をしたかと思ったら、両手から火が消えた。消えた!と喜ぶ、ひまわり。
碧は何となくわかった気がした。
呼吸と同じだ。碧はそう感じた。人間は呼吸を通して、自然に大気にある要素、この場合は酸素、を体内に取り込み、効率よく循環させて活動エネルギーとしている。この場合は、口や鼻、器官、肺、血液、と言った器官が「活用するための臓器」にあたるのだろう。それと同じように、向こうの世界にもあるが、こちらの世界の方がより多いエネルギーの元となる要素が存在する。それを同じように体内の器官に取り込み、循環させ、活動エネルギーとしているのだ。血液に浸み込ませて活用する酸素と異なり、おそらく、もっと浸透させやすい何かなのだろう。皮膚や臓器、血液すらも包み込めるし、浸透できるし、膜を超えて、「出入り」できる何かだ。
先ほど、ひまわりの左肩から左手に流れているのが視えたボンヤリした何かをイメージする。でも、これは本来視えないものなはず、目を閉じて、ただ感じる。
空気中にあり、そこら中にあり、ただ漂っているだけの何かを、碧は捉えた。あぁ、そこら中に溢れているじゃないか、碧は濃淡を感じ、それらを自分の方に寄せることをイメージしてみた。それらは、体内の一か所に集積されていることも感じとれるようになった。心臓の右上のほぼ中央にあたる場所だ、そこが少し熱い。おそらく、これが「効率よく活用するための臓器」というものなのだろう。まるで魔石の様だ。もう魔石って言って良いのではないだろうか、碧は頬を緩め、これは魔石だろー!って言っていそうな、父のことを想像した。
それならば、エネルギーじゃなくて、「魔力」って言っても良いのではないだろうか。碧は自分の中で魔力と呼ぶことを決めた。決して、みんなには言わない。あらぬ、ツッコミを受けそうだし、馬鹿にされるのは嫌だ。
碧は魔力を体内に循環させた。身体全体を覆う膜をもう一つ用意して、皮膚のもう一枚外側に作る感じだ。その中に濃い濃度の魔力を満たした。覆うのではなく、その中の身体全体が浸かっている感じだ。
あぁ、身体が軽くなった。重力すらも凌駕している感じがする。こちらの世界に来た重さを乗り越えた。乗り越えたレベルではなく、月の上にいるくらいの軽さではないのか、行ったことないけど。少しずつ、身体を動かしてみる。腕を上げ下げし、屈伸をして、軽く跳躍してみる。間違いない。これだ。碧は、感覚を忘れないように何度も何度も味わった。
その後、数週間かけて、すべてのトレーニングメニューを魔力を纏った状態、魔力を全身に浸透させた状態でこなすことが出来るようになった。もちろん、速度、パワー共に激増だ。
スイッチのON、OFFを時間をかけずにスムーズに出来るようになるのに、もう数週間要した。
木蓮とひまわりに、
「碧くん、なんだか異常なレベルで身体能力が上がっていない?それって、あのエネルギーを体内の器官に取り込んで効率的に活用するってやつ?どうやったの?」
と聞かれた。
「うん、魔力をうぉーって魔石に集めて、その魔力を今度はわぁーって、身体に纏ってみたんだ」
「魔力・・・」
「魔石って・・・」
「しかも、説明になっていない。エネルギーを魔力って言い換えて、体内の器官を魔石って言っているだけ・・・」
「うん、相変わらず、何を言っているかが全く分からないよね」
碧はニコって笑うことで誤魔化した。たいてい、これで切り抜けられることを碧は学んでいた。
しょうがない。瀧村碧はどこまで行っても、感覚派の天才なのである。




