(幕間2)宇宙人か異世界人か、そもそも人なのか
駅に向かう道すがら僕が考えたのは、子供たちに連絡すべきかどうかということだった。余計な心配をかけるのも嫌だったし、いちいち大袈裟ではないのかという思いもあった。それでも「緊急搬送」「意識不明」というワードから、最悪のケースもあり得る、直ちに連絡すべし、と結論付けた。すでに成人して巣立った三人の子供たちを思い浮かべる。一番年長の長男は連絡しても捕まらないだろう。そもそもアイツが今どこにいるのかも分からない。日本にいない可能性もある。その下の娘ならば、今は自宅にいるかもしれない。横浜を経由して、娘の車で病院に向かう方が早いか。ただ、わぁわぁ車の中で大騒ぎされることを思い浮かべて躊躇する。その点、最も精神的に落ち着きがあり、安定的に常識的に振る舞えるのは末っ子の次男だ。彼は勤務先の県庁にいるだろうから、今は関内か。娘に連絡を入れて、横浜の彼女のマンションもしくは最寄りの保土ヶ谷まで向かう。娘の車で関内に向かい次男をピックアップして病院へ。ダメだな。やはり、時間がかかりすぎる。
メッセージアプリに連絡だけ入れて自宅へ戻り、自分の車で病院に行くのが結局は最速だろうと結論付けた。子供たちと僕だけのメッセージグループに、ほとんど留守番電話と同じ内容を投げておく。来れるようなら来いとも。案の定、既読が一つ付いたと同時に娘から電話がかかってきた。
「え、ちょっと、どういうこと?」
「無事なの?大丈夫なの?」
「何があってそうなったの?」
矢継ぎ早に質問されても、僕が持っている情報は全てメッセージで送ってある。分からん、だから来れるようなら車で来い、僕も今急いで向かっているんだ、そう言って電話を切った。
急行電車に飛び乗ったときに返信がある。やはり次男からだ。長女と調整して一緒に車で向かう、とのこと。了解、ありがとう、と返信する。既読は2、だ。
緊急搬送、意識不明・・・事故とは言っていなかった。僕も妻も今年でもう五十七歳になる。持病を持っている訳ではないが、何が起きてもおかしくはない年齢ではある。彼女は肝臓が悪かった。肝臓が悪くても、意識不明にはならないだろう。だとしたら、脳卒中か。彼女の母親が倒れたのは、五十六歳だったか。僕らが結婚した年のことだった。義理の母も肝臓が弱かったと記憶している。考えれば考えるほど嫌な感じしかしない。
結婚して三人の子供に恵まれて、皆、優しくて良い子に育った。あの子たちの基本ポリシーは「母親に心配をかけない」ことだ。若干、長男だけがそのポリシーにそぐわない感じだが、彼は誰よりも優しく深い愛情を中に秘めている。社会に適合しにくい性質を持っているだけだ。
もちろん、僕らも順風満帆な人生だった訳ではない。それは主に僕の所為である。今でこそ一部上場企業、いわゆる大手企業の部長職に付いている。でも本当に様々な失敗や黒歴史をさらに黒く塗りつぶすような年月を経て、タイミングと運に恵まれただけだ。いや、激しい濁流に飲み込まれないように何とかしがみついていたら、いつの間にか、ここに流れ着いていたに過ぎない。
収入が安定化するまでは、あたかもジェットコースターの様な日々が続いた。ジェットコースターは決して地面より下にはいかないが、僕は地に堕ちた時すらあった。社会の底辺で地に這いつくばっている時には、仲間も裏切り人は離れた。今でこそ会社では穏やかな人柄として通っているが、かつては傲慢で傍若無人でハラスメント男だった。自分こそが正しく、あとは愚か者として見下ろしていた。そして、そのことに気づいてもいなかった。まるで、どこかの国の大統領のようだな。当時の仲間たちは僕をひどく恨んでいるだろう。今、会社で何があっても僕が笑いとばして別に大して気にもしないのは、地に堕ちたことに比べれば、どうってことないからだ。
そんなときでも最後まで傍にいてくれたのは、隣で笑っていてくれる妻だった。子供たちの学費、遠征費用諸々で家計のやりくりは大変だっただろう。家計がどんな状況であれ、我が家はいつも穏やかで賑やかで、癒しと笑いに満ち溢れていた。それは、ひとえに、彼女の性格がなせるものだったのだろうと本当に思う。
僕は半ば奪うような形で彼女と結婚した。だが、彼女は僕と結婚して良かったと思える様な日々を過ごせただろうか。凪の様な日々で良い、ドラマのヒロインの様な人生は要らない。常々そう言っていた彼女に、余計な苦労と心労を重ねさせただけではないのだろうか。
あと三年で定年を迎えたら、ゆっくりとした老後を過ごそう。そう僕は彼女と話していた。子供たちも巣立ち、最低限の老後の貯蓄を貯めて、後は残りの人生でこれまでやれなかったことをやろうと。
その一環で、自宅の近くの畑を借りて、少しでも自給自足できるように野菜を育てることを企画したことがあった。三十坪あれば、二人分の野菜が十分育てられるそうだ。何冊かの本と経験者のウェブサイトを調べて、僕は彼女に提案した。お金に追われた競争社会から距離を置き、自分たちだけで過ごせる環境を作るのは、自分たちの幸福につながるのではないか。実際に始めてみると面白くはあるが、かなり大変で日々の水やりやメンテナンスが欠かせないということも分かった。二年目からは、ほぼ彼女に任せっきりになってしまったことに対して、娘から叱られたが。
「いつも勝手に思いついて、調べることや考えることに夢中になった上に、偉そうに自信持って始めるけど、結局途中で飽きてママにやらせることになるんじゃん、ママはあなたのマネージャーじゃないんだからね!」
それでも畑の野菜を育てて、小さなトマトが収穫できた時には「採れました!」と満面の笑顔をだった彼女を見ると、こういう老後が僕たちの幸せの要素なのではないか、と僕は思ってしまうのだ。
次男からの連絡が入り、無事に娘と合流したとのこと。病院への到着時間は僕より少し早いかも知れない。既読はやはり2のままだ。ローカル線に乗り継ぎ、駅から自宅まで三十分歩く、いやちょっとした山を登るに近い坂道だ。
「私たちも歳を取ると、この坂を上るのに苦労するのかな」
彼女は老犬を散歩させながら、僕にこう言った。我が家の老犬は隣でハァハァ言いながら、歩いては立ち止まり、また歩いては立ち止まり、少しずつ坂の上にある我が家へ進んでいた。
「その時は、僕らもハーハー言って立ち止まれば良いのさ、急ぐ理由も無いだろうしね」
十三年生きてくれた我が家の犬が亡くなったのは五年前だ。たかだか十三年だったと思えないほど、僕らの人生に大きな足跡を残してくれた。その分、亡くなった時の反動は大きく、五年経って漸く、あの子がいない不在感に慣れた。それまでは、散歩している大型犬を見るたびに胸が痛み、同じ犬種をみては涙した。それでも、ワンころと三人の子供たちと過ごした温かい思い出さえあれば、僕らはいつでも思い出し、懐かしみ笑いあえる。残りの人生を楽しむには充分すぎるほどの思い出を、既に自分たちは持っていると思っていた。
坂道を登り切ろうとするあたりで、うちの庭には大きすぎる桜の木が目に入る。
子供たちが小さいときは、ここ辺りにまで家の中で騒ぐ声が聞こえてきたものだ。坂を上ってくる僕を見つけた愛犬が大きな声で鳴く声がそろそろ聞こえるところだ。子供たちが巣立ち、愛犬は虹の橋を渡り、そして今度は君までもいなくなると言うのか。そう考えると目頭が熱くなり、涙が一粒、こぼれた。桜の木を越えて、自宅の敷地に入るあたりで止まらなくなった。家の中に入ったときには、怖さのあまり身体が震え出した。
ガレージから車を出して、二十分。病院に着いた時まだ子供たちはいなかった。どうやら僕の方が早かったらしい。受付で名乗る。
「瀧村と言います。妻が本日搬送されたと聞いて、駆け付けました」
緊急外来の看護婦がやってきて、担当の先生から声がかかるまで、待合室で待つように言われる。
十分後、先ほどの看護師から声がかかった。案内された部屋にいたのは、まだ三十代くらいの比較的若い医師だった。
「瀧村もも、さんのご家族ですね」
「はい、瀧村日色と言います。ももは、私の家内です」
「ありがとうございます。早速ですが、ご説明させて頂きます。奥様のご容態ですが、脳卒中と呼ばれるものでして、脳内のこの箇所ですね、ここで出血があったため、と考えられます」
CT画像をボールペンで指し、若い医師は僕に説明した。
脳出血の原因は不明だが、比較的広めに出血していること、そして場所が悪い、とのことだった。
「基底核と呼ばれるところに、広めに出血しています。しかも脳幹に近いので、正直手術は難しいのかな、と思っています。意識はありませんが、自発呼吸は出来ているようですので、脳幹までダメージがあるとは言えないのですが、非常に慎重な判断が必要です。院内の脳外科責任者の判断をまずは仰ぎ、治療方針を決めていきたいと思っています」
きていかく?のうかん?手術が出来ないとどうなるのか?
色々なクエスチョンが頭によぎったが、その責任者の判断を聞いてからでよいのかと僕の心が逃げに回っていた。集中治療室にいるので、まだ彼女には会えないそうだが、脳外科責任者の判断次第では、緊急手術も可能性としてはあるとのこと。しばらく、待合室で待っていてほしいというので、一旦、部屋を出た。
待合室を見渡しても、子供たちはまだいないようだった。一周して携帯電話を取り出して、メッセージを入れようと考えたあたりで、見知らぬ二人が僕の前に立った。
僕よりも一回り上の紳士と、僕の長男と同じくらい、まだ三十歳には少し届かないと思われる女性だった。親子だろうか、上品な黒のスーツに薄い銀の眼鏡の男性。髪は白髪混じりだが、ワックスで後ろに流している姿は、定年後も未だ現役だと思わせる。女性も立ち姿が美しく、少し茶色がかった長い髪をハーフアップに束ね、こちらも黒のスーツ姿だ。目鼻立ちはハッキリとしており、女優と言われても納得できるような美しい女性だった。
「瀧村様、少しお話させて頂いてもよろしいでしょうか」
そう男性が声をかけてきた。
「はい」
僕は訝し気に返答した。女性は男性の半歩斜め後ろに控えている。
「出来れば、あちらで、少し落ち着いてお話を聞いていただければ」
男性は広い待合室の中でも、人気の少ない柱の陰のソファーに手を向けて、指し示した。
何かの営業か、まさか葬儀社がこのタイミングで声をかけてくる非常識な行いはしないであろう。葬儀社だと考えると、非常にマッチする恰好ではある。彼らの自然なアテンドに従って、奥の方まで歩き、ソファーに腰をかけた。男性はソファーに座ることなく、僕から近すぎずも離れすぎてもいない場所、少し斜め前で膝を折り、僕の目を見つめて言った。
「私たちはこの世界の者ではありません」
は?と声に出したか、出さなかったか。
「それをご理解頂けないと、怪しい輩と勘違いされて、話が進まないので、こちらをご覧ください」
そう言って、彼は両手の指で、耳の上あたりの頭を挟んで、そのまま上に持ち上げた。眉毛のライン、もう少し下だろうか、そのラインで綺麗に頭が切り離された。パカって音でもしそうな、実際には何の音もしなかったが、要は頭が二つに上下に割かれた。切り離された頭の中、頭の断面には骨も脳も何もなく、網目の細かい金属のたわしの様な物質がビッチリと、ただ詰まっているだけだった。
「私たちはこの世界の者ではありません」
男性は同じ言葉を繰り返した。その切り離された頭のままで。
「手品でもございません。全身好きな場所で同じように分けることができます」
そう言って、頭を戻し、今度は右腕を肘から下で切り離した。
断面は同じように、目の細かい金属のたわし物質である。
「どこか指定していただけると、さらに信ぴょう性は増すかと」
僕は左の手首を指し示すと、彼は手首を切り離した。もちろん無音である。戻した右腕は不思議なことにスーツも含めて元に戻っている。
「女性もですか?」
「はい」
男性は女性に目を向けると、女性は一歩僕に近づき、跪いて頭を下げた。そして、そのまま首から頭を切り離した。首の断面は、やはり同じだ。流石に、ぎょっとした僕に対して、男性は言葉を重ねる。
「私たちはこの世界の者ではありません」
この世界の人ではないということは、宇宙人なのか、異世界人なのか、いや、首を切り離せるとかって、そもそも人ですらないのではないだろうか。怪しい輩と思われたくないとのことだったが、一層怪しく思う僕だった。
「御子息のお二人がお着きになったようです」
何かに気づいたかのように、急に男性が僕に告げた。視線は待合室に入る病院の入口の自動ドアを見ている。ソファー越しに振り返った僕は、入口の自動ドアを見た。すると、自動ドアが開き、二人の男女が駆け込んできた。娘と次男だ。僕は彼らに向かって、手を挙げた。
「ぴー!」
娘が駆け寄ってきた。その後ろには次男の姿が見える。ぴーと言うのは、僕の呼び名である。瀧村日色の、「ひいろ」から来ているのだが、こう呼ぶのは娘だけだ。妻は「ひいろ君」だし、長男と次男は「ひい君」だ。子供たちは大人になるにつれて、「パパ」呼びを卒業し、勝手な呼び名で呼ぶようになった。駆けつけた二人に、とりあえず、あの医師から言われた内容を共有する。基底なんちゃらの出血、脳幹に近いから手術は難しいこと、意識はないが自発呼吸はしていること、偉い人の判断によっては緊急手術の可能性も残っているので診断を待っていること、集中治療室にいるのでまだ会えないこと。想定よりも良くない状況なのは伝わったようで、彼らの顔色が曇る。このまま、目を覚さないことも多いにありえる、と僕と同じような結論に辿り着いたのだろう。
「私たちでしたら、奥様の状況を改善することが出来ます」
そう言って、いきなり親子の会話に割り込んできた見知らぬ男性に対して、娘たちは目を丸くして身構えた。
「どちら様?」
僕に訝しむ視線を送る二人に「あぁ先ほど知り合った異世界人?」と答えた。この世界の者ではない、ということだったので、宇宙人よりも異世界人の方が適切であろう、と考えたのだ。
その後、先ほどの僕とほぼ同じようなやり取りが彼らの間でなされた。娘は「えー」とか「嘘でしょ」とか言って相当引いていたが、さすが我が家の最年少にして、最もバランスの取れた大人である次男君。色々なところの断面を要求した上に、切り離したパーツを手に取り、触り、観察した。自分の手で元に戻して修復することを検証し、幻想でも手品でもないことを確認していた。
「それで母の状況を改善できる、と仰っていましたが」
そう次男は聞いた。どうやら、彼らが何者かを考えることは一旦棚にあげて、彼らの提案を聞くことを優先したようだった。
「はい。私たちは、この世界の者ではございません。そして、皆様が出来ないことが出来る、と言えるでしょう。皆様と私どもの契約と言いますか、合意次第では、奥様の状況を改善することが出来ると考えております」
「契約とは何らかの金銭や代償を私たちが払う、という意味でしょうか」
と次男は聞く。「た、魂とか?」と呟く姉は無視だ。
「いえ、我々が皆さまにお願いしたいのは、我々の庇護を受けて頂けないか、ということです。我々はこの世界の種を保存することを目的として、訪れております。知的生命体である人類が主な保護、保全の対象です。もちろん人類の種の保全のために、皆さまにやっていただきたいことはあるのですが、それは主に日色様にお願いすることですので、ご家族の方にネガティブな要素が訪れることは、基本的にない、と私どもは考えております」
混み入った話になるので、自分たちの母船に訪れて頂けないか、という流れになり、僕たちは(というより、僕と次男は)了承した。娘は、ママの側を離れられない、偉い先生から呼び出せれたら応じる必要がある、そもそも怪しいよ、そのまま何処かに連れていかれちゃうよ、と散々反対した。しかし、念の為に女性の美人スーツさんを、僕らの代わりに待合室に待機させておくことで、彼女も渋々了承した。
僕は、おそらく息子もだが、何となく彼らが嘘を言っているようには思えなかったのだ。嘘と言うにはあまりにも荒唐無稽すぎるというのと、彼らに僕らを騙す理由や様子も見受けられなかった、というのが主な理由である。さらに言うと僕と次男くんを騙すことが出来る詐欺師が、もしこの世にいるのであれば、それはそれで会ってみたいという、自分たちに対する自信もあった。
男性に導かれて、駐車場に止めてあった黒い国産のバンに僕らは乗り込んだ。「母船」と彼は言った。この車はその母船に車道を走っていくのだろうか、何となく宇宙船をイメージしていた僕は、少し拍子抜けしつつ、やはり詐欺なのか、と少し訝しんだ。僕らが乗り込むや否や、車はそのまま空へと浮かび上がった。行きますよも、シートベルトをしてください、もなく。重力は全く感じない、本当にふわり、と浮かび上がった。窓から見える限り、ほぼ垂直に移動している。時速はわからないが、まさにグングンと地上から離れて行った。そして瞬く間に雲の上に上昇した。加速を体感できないから、怖さも感じない。娘も息子も同じように窓から見える風景の変化を、ただボカンと眺めているだけだった。飛行機の高度よりもさらに高いかも、と思ったときに格納庫らしきところに収まった。ウィーンもガチャガチャもない。一切、何の音もせずに、あたかもずっとそこにいたのです、というかの如く母船の中に収容されていた。地上を離れてから二分、三分は要していないと思う。母船はまさに僕らの遥か真上に待機していており、そこに僕らは車で飛んできたのだ。
車を降りて、僕らが乗ってきたバンを振り返ると、それは既に車ではなかった。ただの四角い箱、だった。箱の側面がウニョーンと伸びて、出入口になっていた。つまり、この物体は音もなしに変形できる、ということだ。あの速度を出せる動力も不明、加速を内部に感じさせない仕組みも不明。確かに「皆様が出来ないことが出来る」のは間違いないのであろう。
僕らが降り立った場所は教室が4つくらい入りそうな、かなり広めの部屋だった。床、壁面ともに黒色なのだが、漆黒の黒色ではなくて、かなり濃いめのグレーだと思う。天井の素材から優しい灯りが注がれており、暗い印象はない。よく見ると壁も床も非常に細かい網目になっている。男性は地面から、我々が座るソファーを呼び出した。
どうやってかは分からないが、床と同色の同じような材質のソファーらしきものが、地面から浮かび上がったのだ。勧められるまま、僕らはソファーに座った。ソファーの座りごごちは素晴らしいもので、硬すぎず柔らかすぎもせず、最高級と言えるソファーだった。どれだけ高級な布で出来ているのかと、手で触ってみて僕は気づいた。これは、同じ素材だ。彼らの体内、あの時、頭の中の断面を見た時に、中にあったアルミのたわしがメッチャ細かく詰め込まれたかの様な素材、あれと同じものだ。つまり、あの車も、母船の床も、天井も、ソファーも、そして、おそらく彼ら自身も、全て同じ素材で出来ているのだろう。それらを彼らは思うように変化、変形させているのだ。
「えっと、改めて、自己紹介から始めても宜しいでしょうか?」
次男くんが、最初の一言を切り出した。
「いえ、私どもは、皆さまの情報は既に持っております。あなた様は、瀧村日色さまの三番目のご子息である、瀧村木欄さま、二十四歳。横浜の国立大学を卒業後、昨年、神奈川県庁へ入庁。現在デジタル施策を担当する局員として勤務中。高校時代までご兄姉と同様にサッカーをしておられましたが、大学ではサッカー部に入らず、勉学に専念。趣味は読書とサッカーゲーム、アニメ鑑賞。性格は用意周到、穏やかな口調で協調性のある会話をなされますが、論旨は明確であり、矢面に立たずしても、常に話題はご自身がリードなさって、思い描いた結論に辿り着かせるのを得意としている。その内面の計算高さは、お父上に良く似ていらっしゃいます。外見はスリムで中性的で、可愛らしい感じがします。そちらは奥様に似たのでしょう」
間違いない。木欄がいなければ、僕が会話の中心となるであろう。実際に会社においては、木欄の役回りは僕が務めている。コミュニケーション能力、対人スキルは僕と同じセンスだ。見た目がイカつい僕と違って、優しげで非常にスマートに見える木欄は、僕よりも周りに与える印象良く、自然で柔らかに感じられるが、戦略的というか策略的なのは僕以上である。
「娘さんはニ番目のお子さんで、ひまわりさま、二十六歳。高校までサッカーを専門になされていましたが、体育大学入学後はゴルフ部に転向。在学中にプロテストに合格なされ、プロツアーに参戦。現在は横浜のゴルフクラブと契約締結し、国内ツアーを中心に活動している。性格はお名前の通り、明るく朗らか。誰にでも優しく、分け隔てなく接しられ、かつユーモア溢れた人柄ということなので、どこにいても中心。まさに太陽に向かって真っ直ぐな方ですね。ご兄弟の中でも印象は、お父様に最も近いと見受けられます。シルエットはお母さまに良く似ていらっしゃいますが、面差しはお父様ですかね」
彼女は嫌がるだろう。日に焼けたラテン系、東南アジア系の見た目、陽の光の下が似合う明るい性格は、僕譲りだ。ただ、僕の内面は木欄が持つ策略的な腹黒さがあるため、同僚たちからは「黒い太陽」と呼ばれることもある。それに対して、彼女はもっと素直で暗い影とは縁遠い。反面、ずる賢さが足りずに自分の弱さにも素直なため、ゴルフの様なメンタルスポーツでは安定感にかける。どこかで自分の才能を疑っており、それが彼女がイマイチ、プロゴルファーとしてブレークスルーしない理由でもあるのだろう。
「ここにはいらっしゃらない、一番目のご子息のことも把握しております。瀧村碧さま、二十八歳。高校時代は静岡の名門サッカー部に所属。卒業後、ブラジルに渡り、著名なサッカー選手になるかと思いきや、格闘家に転向。ブラジルの格闘技の大会でいきなり優勝して注目を浴びる。体格と運動能力に恵まれた碧さまは、サーファーとしても活動しており、ハワイの大会でベスト8に入る。去年はサッカーゲームの大会で優勝したのでプロゲーマーでもありますね。性格は穏やかで物静かですが、明るく爽やかな印象を周りに与えるので、彼を嫌いになる人は非常に少ない、敵が少ない方ですね。見た目としては最もお父様に似ていらっしゃいます」
長男の碧は、僕の若いころに本当によく似ている。身長も僕とほぼ同じ百八十センチであり、木欄よりも五センチ高い。木欄の母親譲り細身のシルエットに比べ、ガッシリとした体格も僕と同様だ。もちろん肉付き良く横に広がった僕と違って、彼は格闘家らしく全身硬い筋肉にコーディネートされている。
見た目としては、碧>ひまわり>木欄、と父親似から母親似に推移していく。ひまわりは全体的なスタイルは母親譲りだが、顔のパーツや日焼けした肌、明るい印象は僕だろう。木欄は見た目が完全に母親で、内面が僕だ。
内面は、木欄>ひまわり>碧、と逆の推移だろう。
そう、碧の性格は母親譲りだ。天然というか、会話していても途中でどこかピントが外れてくる。常に聞き手であるが、鋭いツッコミ役にもなれず、ナチュラルにボケてしまうので逆に突っ込まれ、いじられてしまう。子供の時は、何かと周囲についていくことが出来ずに、母親にいつも心配されていた。学校に行くのに必ず何かを忘れていき、家に着いた時には必ず何かを失くしてしまっていた。
人間に生まれたのは今世が初めて、と妹からバカにされ、学校や部活でもいじられていた。いつも笑顔で過ごしていたから、そう見えなかったかもしれないが、おそらく非常に生きにくかったのではないだろうか。普通の社会人をやれるとは到底思えなかったので、何となく僕は、今の彼の生活を思うとホッとしてしまう。自由に何物にも縛られることなく、大海を泳いでほしい、心からそう願っていた。
「碧くん、返信ないね」
ひまわりが呟いた。
「碧さまでしたら、今は韓国にいらっしゃいます。宜しければ、私どもがお迎えにあがりましょうか?」
「え、そんなこと出来るの?」
「はい問題ございません。二十分、三十分程度で帰ってこれるでしょう」
男性は僕らの後ろに目線を上げ、何かを視線だけで伝えた。振り返ると、いつの間にか僕らの後ろには、男性と同年代の女性というか老婦人が立っていた。やはり黒のシックな装いだが、スーツではなく作務衣に近い。大きな旅館の庭園を掃除していそうな印象だ。白髪混じりの髪を後ろに束ね、優しく微笑んでいる。
「説明するの手間だろうから、僕が一緒についていくよ」
木欄が言う。道すがら、これまでの状況を共有しておく、とのこと。
老婦人とともに、先ほどの黒い箱に乗り込み、木欄は出発した。暗い箱は地面に沈み込んでいき、やがて床になった。出発した、で良いのだろう。やはり、何の音もしなかった。




