惑星ノアースへの移住
ヨハン翁の孫でもある、アンナ司祭が温かい紅茶を入れてくれた。
季節は夏が近づいてきたのだが、惑星ノアースの北側にあるパンゲア大陸の、最北部にある都市カルガリーはまだ少し寒い。
書庫の中はさらに寒く、暖房の魔道具を付けていないと、初老のわたしにはちょっと辛い。
「どうじゃ。母君よ。少しは頭痛が癒えたかのぉ」
ヨハン・エリクソン大司教。
白髪白髭の老人だが、年齢は六十歳とかだったと思う。
わたしと殆ど変わらない年齢だ。
でも、長く伸ばした白髪と、これまた長く伸ばした白髭が、さらに歳を取っているように見える。
ひまわりが、わたしの二人目の子供だが、ヨハン翁のことを『ダンブルドア大司教』と呼んでいた。
まあ、失礼だと思うけど、否定は出来ない。
その通りの見た目だと思う。
教会の豪華な司祭服も、少しだけダンブルドア校長の召し物に似ている。
この世界に、三つ存在する国家。
そのうちの一つが、パンゲア大陸の北西部にあるノアース神教国だ。
神教国と名乗るだけあって、教会が政府中枢を担当している宗教国だと思う。
大司教は教会のトップ。
つまりは、ヨハン翁が国のトップなのだ。
「はい。ありがとうございます。頭痛はヨハン翁の魔法のおかげで大分良くなりました」
「ワシのヒールエンジーなど、ちょっとした癒しにしかならんけどの。それは良かったのぉ」
ヨハン翁が言った『ヒールエンジー』という言葉は、英語の『ヒール・エネルギー』が変化した言葉だ。
千年も経てば、言葉も変化する。
わたしも錆びついた英語を取り戻すのに苦労したが、未だに単語や言い回しの変化には戸惑うことも多い。
「記録画像はどうじゃった?」
「はい。まだ数枚みただけですが、大変理解に役立ちました」
「やはり、母君が住んでいた世界じゃったかの?」
「間違いありません。
そうだろうと持っていましたが、確信を持ちました。
この惑星の人たちは、わたしが住んでいた世界から移住してきたのでしょう。
おそらく、わたし達家族と同じように」
「やはり、そうか。
そうじゃろうな。
言葉が同じじゃからのぉ。
まあ、ゆっくりで良いので、向こうの世界のことをワシに教えてくれ。
息子たちに依頼しても良いがの」
「いや…、あの子たちには暫く内緒にしておこうと思います。
ネタバレ、いや、どう言えば良いのだろう。
自分たちで知っていくことが、人生の楽しみだと思うのです」
この世界で使われている言語は、三国とも英語らしい。
千年前は色々な国の人たちが色々な国の言葉を使っていたらしいが、千年でほぼ全ての言語は廃れ、英語に統一された。
ただ、教会に残る膨大な記録や文献の多くは色々な国の言葉で残されていたために、今では解読不能となってしまっている。
こちらの世界にも、黒髪黒目のアジア人がいる。
ここ、ノアース神教国首都カルガリーから、最も遠い、パンゲア大陸の南東部にあるレイトゥ共和国というところに住んでいるそうだ。
そこに住むアジア人でも、昔の言語、今では『古語』と呼ばれているが、それを解読できる人は、ほぼいないそうだ。
わたし達は教会に庇護してもらう代わりに、こうして古い記録や文献の翻訳作業を請け負っている。
まあ、主にその作業をしてくれているのは、侍女のフネさんであり、わたしは図書館通いを楽しんでいるだけなのだが。
「ただ、やはり不思議なのは魔法ですね」
「ほう。不思議というのはどうしてじゃ?
空を飛ぶ馬車があった世界じゃろうて。
こちらよりも、発展していたと言われておるぞ」
「はい。文明的には、この世界よりも数百年は進んでいたと思います。
ただ、魔法は無かったのです。
同じ人類のはずなのに…」
「確かに母君の胸には『エンオルガ』が無いからの。
あれは母君だけの病じゃなく、人類共通のものなのかの。
息子達は立派なエンオルガ持ちじゃがの」
「はい。息子達は、こちらに来てから体内に生成されたみたいです。
わたしも少し胸の中に違和感があるので、そういうものなのかも知れません」
『エンオルガ』はおそらく「エネルギー・オーガン」。
エネルギーを保持する臓器という意味だろう。
こちらの人類には皆、心臓の横、身体の中心に卵のような大きさの臓器がある。
それが魔法を使う時の魔力を溜める臓器になっているようだ。
『息子達はこちらに来てから体内に生成された』と言ったが、実は、少し嘘が混じっている。
正確に言うと、こちらの世界に、ハジメさん一族の宇宙船に乗って連れてきてもらった時に、彼らは身体を再構成したのだ。
母船と呼ばれていた宇宙船にあった『ポッド』と呼ばれるものの中に入って、一年かけて、身体全体の細胞を作り変えてもらっていた。
その時に、この世界に順応するかのように、その臓器が生成されたということだ。
わたしにはない。
年齢や病気のこともあって、わたしを再構成するのは難しかったそうだ。
それでも、もう死ぬだけだった状態を、ここまで戻してもらっただけでも、ありがたいと思ってはいる。
「環境に順応した。そういうことかの」
「はい、そうだと思います。
向こうの世界では科学技術が発達していました。
こちらでは使われていない技術ですね。
でも、その分、魔法を使った技術が活用されていますので、それで良いのだと思っています」
「まあ、大したことは出来ないのじゃがの。
ちょっと癒しが使える者。
ちょっと火を起こせる者。
水を出せる者がいてもバケツ一杯程度じゃ。
魔法など大して役に立たん」
「ははは。向こうの世界で育った、わたしからすると凄いのですけどね」
「息子達は上手に使っているの。
魔法が無い世界から来たとは思えないほどじゃ。
既に世界一の魔法使いと言っても良いくらいじゃと思うぞ」
「そうですね。
あの子たちは、今まで使えなかったものが使えるからこそ、違いが分かる、活用の仕方が分かるのでしょう。
こちらの世界の人からすると、当たり前なので、キチンと向き合ってきていないだけなのだと思います」
長男、長女、次男。
三人の子供達も、わたしを心配して同行してきてくれた。
そして、彼らは数か月に及ぶ訓練を経て、魔法が使えるようになっている。
長女なんて、良い歳した大人なのに、ハリーポッターの真似をして杖から、火や水を出して、はしゃいでいた。
※
向こうの世界では、日本の神奈川県の端っこに住んでいた。
既に三人の子供達は、家を出て独立していたので、わたしと旦那様の日色君で、一軒家に二人で暮らしていた。
長く生きてくれた愛犬も数年前に死んでしまったので、本当に二人で静かに暮らしていた。
五十七歳の秋に、わたしは出先で倒れたらしい。
脳出血。脳幹に近かったため、医者も匙を投げたそうだ。
ハジメさん一族が、日色君、そして子供達に近づき、ある提案をしてきたそうだ。
自分たちは人類という知的生命体を保護する役割の異星人である。
もし日色君が、保護される知的生命体のマスター種となるのであれば、わたしを環境が良いと言われている惑星に連れて行って、一時延命させることも出来る。
受け入れる条件は、マスター種として、長く生存して多くの種を残してもらうことに協力してもらうことだと。
なんて怪しげな誘いなのだろうと思う。
わたしなら、そんな怪しい誘いには絶対に乗らない。
実際にハジメさんたちは、人類の多くの候補者に断られてきたそうだ。
それでも、日色君は、
いや息子達が無理やり、そう仕向けたのかしれないけど、彼は受けた。
受けてしまった。
何百人か何千人か分からないけど、人類の候補者の中で、最初に受けてくれた日色君がマスター種となったと言う訳だ。
そうして、わたし達家族は、人類が生存するのに良いと言われている惑星ノアースにやってきた。
わたしの病気は治ったが、一時的なものだ。
保って数年。長くて十年だと言われている。
その代償として、日色君が受け入れたものと、到底つり合いが取れているとは思えない。
※
アンナさんが、他のシスターが預かって面倒を見てくれていた赤ちゃんを連れて戻ってきた。
「ほら、母君がいますよ~」
アンナさんは二十代前半の可愛い女の子だ。
まるで、アンナさんの子供みたいにも見える。
「我ら教会の宝物として、育てないとのぉ。アンナ、ワシにも抱かせるのじゃ」
「いやですよね~、お爺ちゃんよりも、母君が良いですよね~」
「これ、アンナ。ワシに抱かせるのじゃ」
ヨハン翁が慣れた感じで抱く。
生まれて八か月たち、大分、しっかりしてきた。
今も、ヨハン翁の白髭を熊手つかみしている。
「これこれ髭を引っ張る出ない」とか言われているが、そんなことは生後半年強の赤子には通じない。
この子が、瀧村日色。
わたしの旦那様である。
異星人であるハジメ一族と、マスター種として契約した日色君は、十か月間母船のポッドに入り、五十七歳のオジサンから、ゼロ歳児に生まれ変わった。
より強化されて最適な身体を手に入れるためという名目で、身体を再構築させるだけでなく、赤子の状態まで戻した。
エネルギー豊富な、この世界で育つ方が、身体にとっては最適な状態となるそうである。
テロメアだか何だかいう遺伝子をいじったらしいが、
遺伝子的には日色君本人なのは間違いないし、脳が発達したら、記憶も戻るらしい。
髪の毛に銀髪が混じり、少しハーフ顔になったが、ベースは日色君なのは、赤子の姿でも分かる。
少なくとも、この子の記憶が戻るまで、自分は生き続けないと。
旦那様に、わたしを救ってくれた御礼とお別れをちゃんと言わないと、死んでも死にきれない。
それが、今のところ、わたしが生きぬくための強いモチベーションである。




