魅惑の悪女
クラリッサはワインを片手にバルコニーから広間をのぞいている。厳しい表情だ。なんだか猫が毛を逆立てたときのような。
蒸し暑かった。あちこちに立てられた蝋燭やランプの熱が背中をじっとりと汗ばませる。
「仮装のテーマは?」
クラリッサが手首に触れて聞いてきた。手が湿っている。反射的に振り払いそうになったが、すんでのところで止める。
「ニンフです。ほら、白いドレスでしょう?」
本当は仮装のテーマなんて考えてなかった。一番手前にあったドレスをひっつかんだだけだ。コルセットやらふくらんだスカートやらで盛ったドレスの集団の中にいると、なんだか下着姿に見える。
「魔女ですね」
クラリッサの黒いマントを見て言った。
「そうよ。本物の鳥を鳥かごに入れて髪飾りにしている人もいたわ。ポールは今日来るのかしら」
よりによって部屋で酔っ払っているのだろうか。仮面をつけているので、舞踏会に来ていたところで見つけ出せそうにない。
噂をすればで、鳥かごの女が話しかけてきた。けばいピンクのフリルをドレスにつけて、真っ白に厚化粧をしている。青い鳥は自由を求めてバタバタ羽を動かしてはカゴにぶつかっていた。
「マダム、マドモアゼル、もうホットチョコレートは飲みまして?ここのは最上級のですのよ。それも無料で飲めるんです……!」
鳥かご夫人が切羽詰まったように言う。まるでその情報を伝えなければ窒息してしまうかのように。
「今日はあいにく暑くって。でもチョコレートは食べました。おいしかったわ」
戸惑いながら言った。
「そうですわよね。私のお城にもチョコレートがあるんですよ。もちろん王家のには劣りますが、私の領地にあるのもなかなか良いんですよ……」
「あなたのお城?領地?」
クラリッサが鳥かご夫人を虫けらかなんかのように見る。
「ええ私のお城です。侯爵夫人ですのよ」
夫人はオホホとオペラ歌手のような笑い声をつけ加えた。
「あら、その仮装が侯爵夫人なのね」
クラリッサがそう言って低い声で笑う。
「いいえ、真面目な話ですのよ……!」
私たちはそそくさと女と哀れな囚われの鳥から離れた……
デニスとポルカを踊る。軽快な音楽。踊り手たちの笑い声や幸福にかがやく話し声。
夢中になって踊った。ポールを待って一晩、壁の花になるつもりなんかない。若さも美貌も長くはもたないのだから、楽しまなきゃ。
けれど、ポールが現れたのでダンスを中断しなければならなかった。
「ニンフかい」
ポールが私をじっと見て言う。
「そうよ」
私は顎をあげて彼を見返した。
ポールは口を開きかけたが、結局何も言わない。
「兄さん、キャシーを借りても?」
タイミングよくデニスがたずねた。高すぎも低すぎもしない、感じの良い声で。
「こんなに綺麗な人を放っておいたらいけない」
「勝手にしろよ」
ポールがそっぽを向いて言う。
クラリッサは呆れたようにデニスを見ると、おおげさなため息をついた。
「ポールとは不仲なの?」
ワルツの後、シャンパングラスを揺らしながら聞く。
そういえば、さっきの会話をのぞいて兄弟が口を聞いているところを見たことがなかった。
しかし、デニスは入り口の方に気を取られていて答えない。
真紅のドレスに王冠をかぶった女がいた。細いくびれに豊満な胸。赤銅色のつややかな髪。仮面の下から妖艶な笑みがのぞく。ふっくらと赤い唇が誘うようにゆっくりと動いていた。
みなが女に視線を向けている。
「ダリアだ。仮面舞踏会とはいえ、王の死んだ後に宮廷に舞い戻ってくるとはな」
デニスがちらりとクラリッサのほうを見た。
「まさかダリアが母后にした仕打ちを忘れたとは思えない」
クラリッサならダリアに容赦しないだろう。夫の愛人となって自分に屈辱的な思いをさせた女を相手には。
ポールとダリアが元鞘に戻るのは、いとも簡単なことだった。ダリアがちらりと視線を投げかけるだけで彼は犬のようについてゆくのだから。
ダリアは美しかった。残酷なほど美しかった……




