奇蹟
『さくら…… あんまり母さんを心配させないでよ。母さん心臓が弱いんだから…… 』
『ゴメンだよ、お母さん、ホントにゴメンだよ 』
さくらは申し訳無さそうに母に両手を合わせ詫びを入れた。困った表情の母はさくらのそんな姿がおかしく見えたのだろうか、ゆっくりと表情はまたいつもの優しい母に移り変わり、その表情がさくらを和ますのである。その母の優しい笑顔を見れば、またさくらはいつもと同じ、おてんばなさくらへと表情は戻り、いつもの仲の良い親子へと何事も無かったかのように元通りに戻るのであった。
『どうだった? コウ君のご両親? 元気そうだった? 』
『うん、とっても元気だったよ。わたしが励ますどころか逆にコウくんのご両親にわたしが励まされちゃったよ。コウくんが居なくなったけど今まで通りの関係でこれからもお互い頑張っていこうねって声をかけられて泣き出しそうになっちゃったよ。あっ、それとお母さん、コウくんのお母さんが今度の新歌舞伎座の松平健の公演のチケットが手に入ったから一緒に是非って言ってたよ』
『松平健のチケットかい? そりゃあ、母さんとっても楽しみだよ。後で早速コウくんの母さんにお電話してお礼のお返事しておくわね』
母は嬉しそうにさくらにそう言葉を言い残すとさくらの部屋を後にした。さくらの母とコウの母は同じ昭和十六年生まれで趣味も同じくお芝居観賞である。そういった間柄同士のため、母は母同士で非常に仲の良い関係であった。またさくらもそんなコウの母が自分の母親とダブって見えるのだろうか、非常にお互いの関係は良く、嫁姑の関係と言うより他所から見れば本当の親子と勘違いしてしまうほど仲の良い二人に見えたのである。
さくらはコウの遺影にそっと手を合わせた。するとさくらの目がコウの異変に気付いたのである。コウの遺影の前に置かれたミサンガである。前日まで切れていなかった青と水色のミサンガが完全に断裂しており丸く円を象っているミサンガが一本の棒の様にピンと縦紐のように真っ直ぐに伸びているのである。
『コウ、 コウなのね? 』
さくらがコウの遺影に向かってそう言葉をかけたその時である。コウのミサンガから七色の虹色の様な光りが解き放たれ眩いばかりの光りがさくらの身体全身を包むのである。
ファンタジックな眩い光りの中にだんだんと一人の人影が浮かんでくる、その人影はだんだんと外郭からはっきりとコウの容を象っていくのであった。その光りの中の人物、それは紛れも泣くコウの姿である。コウなのであった。
『さくら、僕だよ、さくら、コウだよ! 』
『コウなの? そこにいるのはコウなの? 』
『そうだよ、僕はまぎれもなくさくらのコウだよ、夢の国、光りの国からさくらに逢うため僕はやってきたんだよ…… さくらに逢いたくて…… また逢いたくて…… 』
光りの人影はハッキリとコウの姿を映し出した。コウの笑顔、さくらはそのコウの姿を前に全身の力が抜け落ち安堵感と安心感のせいだろうか、目から一粒、大きな涙が零れたのだった。
『さくら、また泣いちゃったじゃん…… あれほど泣かないって約束したのに』
コウはそっと笑みを浮かべさくらに手を差し伸べた。
『コウ、違うのよ…… これは涙なんかじゃない…… 心の汗だよ…… 』
『何、強がり言ってるんだよ、でも、そんなさくらが僕はとっても好きだよ。さぁ、さくら、また二人で飛び立とうよ! 遠くまで一緒にとこまでも飛び立って行こうよ。何もかも忘れて二人だけの時間を一緒に楽しもうよ……』
さくらとコウは二人手を取り合って大きく光りを放つ光円の中へと飛び立った。その光円の中、光りを放つ広大なまばゆい光円の中、タイムマシーンに乗ったかのように、さくらの脳裏はだんだんとあの日、あの時以来の懐かしい感覚がさくらの身体全身をやさしく包み込んだのである。
どれだけ時間が過ぎ去っていったのだろうか…… さくらには分らない。しかし、今、さくらの身体は温を感じている、コウの温かさである。さくらはコウの膝の上に腰掛け、コウに抱かれるように座っているのである。まるで産まれたばかりの赤ん坊のようにコウに身を任せ全身の力を抜いてコウに寄りかかっている。ひと時の安らぎ、ひと時の安堵感がさくらの心を惑わすのであった。
『コウ、逢いたかったよ。ずっとずっと逢いたかったよ…… 』
『僕もだよ。僕もこうしてずっとさくらと一緒に居たい。今も昔もその気持ちに嘘偽りは無く昔のまま、出会った時の気持ちのままだよ…… 』
さくらはずっと不思議に思う事があった。こうして夢でコウと再び一緒になれる事、夢であるが夢でないこの現実…… その謎となる解明の糸口かも知れない疑問であった。
『ねぇ…… コウ、あのね…… いつもわたしの前に現れるやさしいおじいさん、あのおじいさん、あの人は私達にとってどんな方なの? 』
さくらはコウにそう尋ねた、さくらは露天商の正体は誰だってもかまわない。只、もし、コウがその露天商の正体を知っているのならばさくらは露天商にお願いしたい事が一つだけあった。もう、コウを遠い世界へ連れて行かないでほしいと…… 露天商のおじさんならきっとさくらの気持ちを理解してくれるだろうと…… だから最後にこのひとつだけお願いを聞いてほしいとこう思ったのである。
『さくら、あのおじいさんは僕等の味方だよ。あのおじいさんはね、魔法使いなんだよ。遥か数万年前の昔から僕たちの運命をじっと見つめていてくれている魔法使いのおじいさんだよ。夢と現実、現実と夢の狭間を行き来し、僕とさくらの生きる世界の橋渡しをしてくれる大切なおじいさんだよ。だから、今、こうやってさくらと僕が一緒に寄り添っている事が出来るんだよ。何も心配しなくて大丈夫だよ…… 僕とさくらは夢の世界でいつだって逢えることが出来るんだ。 いつだって今まで通り愛し合う事だって可能なんだ』
『魔法使いのおじいさん……?』
『あぁ…… そうさ、魔法使いのおじいさんだよ。人はいつか死ぬ、そして天に召されると魔法使いになるためのもう一つの生が始まるんだ。僕はまだまだこれからひとつの生が始まる…… 魔法を自由に使えると素敵なんだろうな…… さくらに出会ったあの頃へ、あの時へ元気な身体、元気な姿でもう一度戻りたいな…… これが僕の願いだよ』
コウは切ない表情を見せ、さくらにそう語った。 夢の世界、現実の世界、どちらのコウもコウである。たった一人のコウという事に間違いは無かった。
『奇蹟、それは必ず訪れる。僕とさくらの前に必ず奇蹟はやってくる。そう僕はいつも信じて今この世界を生きているんだ。 必ず奇蹟はやってくる。だから奇蹟は奇蹟って言うんだよ』
『奇蹟…… 』
『あぁ、奇蹟さ、その言葉を信じる。僕は信じる』
遠くを見つめるコウの横顔はさくらにとって寂しさを吹き飛ばす、逞しい生前と何の変わりも無いコウの横顔だった。
『わたしも信じる。奇蹟とは起きるものではなく起こすものだよね、コウ、必ずミラクルは起きる、いや、起こしててみせるよ……』
力強く抱かれたコウの腕の中、さくらはゆっくり目を閉じた。コウの唇は温かく柔らかい感覚をさくらの胸に残し、幻は消えてゆくのであった。
……
……
『さくら、そんな所でお昼寝なんかしていると風邪引いちゃうよ。まだ酔いも醒めていないのかしらねぇ…… 』
さくらがふと目を醒ますとそこはコウの遺影の前であった。ほんの一瞬の時間だったが、その数分という短い時間は、さくらにとって何時間もの長さに感じたのである、また沢山の思い出を胸に振り返らせる貴重なひと時でもあった。
『コウ、奇蹟は自分で起こすものだよね…… 必ず起こして魅せるよ』
魅せる人生、見られるだけの人生はこれで終わりにしよう…… そうさくらは熱き誓いを胸に、奇蹟を探す旅へ旅出とうと心に誓った。