009 選挙/浦賀IEMO
2008年 11月
カカオが秋季レディースリーグで最後の戦いに挑んでいる。
それも最終戦が来週なのだから、気合も入るというものである。
イシカワもイエモリも、OBもOGもその最終戦は見に行くと聞く。
江南SCの歴史に終止符を打つ試合なのだ。
ワシら三人はもちろん見に行く。
何故かレンジャーズレディースのレイナも見に行く。
で、
全く関係ない重大事が迫っている。
江南小学校、生徒会総選挙である。
「モモ君、僕の応援演説をしてくれないか?」
「否。某に助力をば」
「モモ師匠にもいい話です。是非とも聞いてください」
目の前に、三人の上級生が揃い、同じような事をワシに頼みに来た。
現、生徒会副会長。
カレラ=大河原。
現、部活連総代代行。まあ、副総代じゃな。
新城権之助。
現、生徒会書記、近衛の名代としてやってきた。
板井川涼子。カカオ夏の陣三回戦で、ワシの代わりにピッチを去ったやつじゃ。
揃って、自陣営への引き込みに来た連中である。
ワシの立ち位置と言うのは、
カカオ(先代の絶対会長)に近く、
表(運動部)と裏(インドア部)に顔が利き、
江南小学校で最も(腕)力がある。
逆の立場なら、是非とも引き込みたい、と前世の祖国オクレアンで将軍職をやっていたころなら思うところである。
じゃがな?
「それでどっかに着いたら、来年以降も同じことになるじゃろうが」
そう。
現在、江南小三年生であるワシは、この権力闘争の“後ろ盾”を、卒業するまで続けなければならなくなる。
つまり、生徒会の後ろ盾と言う、非常に面倒くさい立ち位置に立ち続けなければならなくなるのだ。
真っ平ごめんである。
「だったら、君が生徒会に立候補すればいい」
そういうのは、カレラ嬢である。
実際、カカオは低学年ですでに生徒会メンバーとして活動していた。
前例はある。
「結局同じことじゃろ」
ただ単に、役職があるか無いかの違いしかない。
生徒会のケツモチをする、という立場に変わりはない。
「とにかく、ワシはどこにも肩入れしないからな」
と、ワシが言うと、三者三様に安堵の様子だ。
つまるところ、この“干渉しない”という言質を取るために来たようである。
そして話を聞くところによると、
カルラ嬢は、ポスト生徒会派を取りまとめる立場らしい。
カカオは確かに優秀な生徒会長であったが、それはそれとして、江南小学校を取りまとめて秩序を守る、というのが彼女の目指す生徒会である。
新城は武断派、という現代日本では滅多に聞くことのない党派を率いている。
江南小学校運動部と言えば、まあ近隣運動部には恐怖の対象であるが、実力主義を旨とする江南小学校のカラーを凝縮したような派閥が、生徒会と言う権力を求めているらしいのだ。
軍閥政治か?
板井川、というより近衛の一派はポストカカオである。
先代のカカオ体制を引き継ぐことを旨とし、カカオを永代まで引き継いでいく、という狂気の派閥である。
これを非常に恥ずかしい様子で説明する板井川は、哀れである。
だが、本人がこの場に居たとしたら、この十倍以上の文量と熱量で語っていたことを考えれば、非常にありがたい存在である。
「シンジョウ先輩、連中は何を言っているんじゃ?」
気になったことがあったので話を聞く。
「某が聞くところによれば、カカオ殿にやり込められたのが、腹立たしい様子」
「つまり、腹いせか?」
「否。総代殿はこの件に関与せず。しかし、実力主義を是とする以上、生徒会の意義を正さんとのこと」
「生徒会の意義?」
「然り。カカオ殿が在籍していた時代の生徒会は、カカオ殿に依存していた。属人的であったが、規律と正義こそが生徒会の本分。某も同意見でござる」
分かる部分もある。
連中からすれば、カカオのスバ抜けた“政治力”は、今までの江南ではないという主張である。
そして、そのカカオが抜けたならば、元の江南に戻すべきという事だ。
筋は通っている。
「総代は何と?」
「我関せず、と」
「相変わらずじゃのう」
運動部総代とは、要するに江南で最も武に長ける男、と言えば大体間違いはない。
ワシと総代はウラサンで何度もやり合っている、いわば喧嘩友達のような関係だが、間違っても組織を率いる男ではない。
『そんなもんは下にやらせりゃいいじゃねーか』とは、ヤツの言葉である。
なので事実上、運動部の組織として長は、目の前のシンジョウである。
「ちょっと、新城だけじゃなくて、私の話も聞いてくれない?」
ワシがシンジョウとばかり話しているから、カルラ嬢が臍を曲げた。
「カルラのポスト生徒会とは、どういう事じゃ?」
水を向けると、待ってましたとばかりに、胸を張って説明を始めた。
「カカオ先輩はカリスマだった。その硬軟合わせた生徒会運営を、私たちは引き継ぎたいの」
そうして始まった説明は、立て板に水、とにかく滞ることない弁舌である。
趣旨としては、シンジョウの主張する“武断派”の主張を真っ向から否定する、“実力主義の専横”を許さない生徒会である。
カルラ嬢の主張を聴きながら、シンジョウの眉間の皺がどんどんと深くなるのを見ないことにした。
「――という事で、カカオ先輩は江南小学校に新たな風を齎した。私たちは、その風を継続させ、さらに大きな旋風をこの学校に引き起こすつもりよ」
とのこと。
「一ついいか?」
ワシは質問した。
「どうぞ?」
「実力主義の専横だのは、まず置いておこう。誰が支持者だそれ」
「よく聞いたわ! 運動部以外の支持は、ほとんど集まったわよ!」
イカン。
「……ちなみに、カルラ嬢はPC部の部長と話したことはあるか?」
「当然! 今回の話でも、笑顔で頷いて協力を表明してくれたわ」
「……予算折衝とかしたことあるか?」
「それは無いわね。カカオ先輩の仕事だったもの」
ますますイカン。
カルラ政権が発足して数日のうちに傀儡政権になる未来が見える。
小声でシンジョウに言った。
「前言撤回。ワシはカルラには味方せん」
じゃないと、カルラ嬢を含めた、ご家族に“万が一”が起こる可能性がある。
彼女を守るために、生徒会長を任せることができなくなった。
「承知」
シンジョウの眉間の皺は、きれいさっぱり無くなった。
「最後に、近衛先輩の伝言を伝えますね」
すっかり空気と化していた板井川が口を開いた。
あの変態は何を言うのか。
「『私たちは、AIカカオ先輩を作り出すことに成功した』。以上です」
ワシは戦慄した。
私ではなく、私“たち”という表現に戦慄したのだ。
あの変態に匹敵する人種が、複数人存在する、という客観的恐怖である。
ワシは仕方ないので、生徒会書記に立候補した。
奴らを野放しにするよりも、コントロール可能な場所で監視したほうが都合が良い、という合理的判断である。
「ワシの仕事は、生徒会の監視だ。監査役と言ってもいい。書記として立候補したが、奴らの首輪がワシの役目じゃ」
翌週、カカオの最後の試合の数日後、ワシは生徒会選挙の最終演説でそう述べた。
新生徒会長は新城権之助。
それを、書記が監査するという、非常に歪な生徒会が発足するわけである。
生徒会としての重要な決定事項は、生徒会室で決まることは無い。
江南小学校特別グラウンド。
通称、ウラサンで決まる。
拳で。
2009年 3月末
カカオは卒業する。
同時に、江南SCは消滅する。
そんなに長くもない歴史に終止符を打つこととなった。
“だがそんなことは関係ねえ”
とばかりに、カカオのブレザーのボタンをむしり取ろうとする男女問わずの暴徒どもを、生徒会長となった新城以下、武闘派集団とワシは千切っては投げ、千切っては投げ、その様子を保護者達は楽しそうに撮影している。
江南の子は、江南か。
そんなことを思った。
2009年 4月
ついに、浦賀IEMOの正式稼働となるのである。
ちなみに、浦賀IEMOのレディース部門も同時稼働となるので、どこぞの伊集院が暗躍していた様子である。
ワシ、ボンゴ、ジョッシュは今年10歳となる。
つまり、U-10からU-12レギュレーションで試合に出ることができる年代でもあるのだ。
ついにワシのサッカーが始まるぞい。
ついでに、弟の俊が今年、小学校に入る。
江南小学校では無く、良いところのお坊ちゃま、お嬢ちゃんが入学する雅な学校である。父と爺様の母校でもある。
ワシがここに入らなかったのは、入学前の見学会で散々ごねたからだ。
こんな無菌室では、息苦しくて六年通う前に家出をする、と。
無菌室の代わりに、窓さえないふきっ晒しの廃墟のような治安の学校に入れるのだから、極端である。
ちなみに、来年にはその無菌室に、双子の妹が入学する予定だ。
弟には、言い含めてある。
『もし、虐められたら、ワシに言いなさい。“解決”するからな』
シュンは、神妙に頷いた。
「こんにちは。レンジャーズの小田川だ。君たちがプロを目指すにせよ、人生の一部として楽しむにせよ、損はさせないつもりだ」
浦賀IEMOの練習日。
タイミングさえ合えば、浦賀レンジャーズのプロが指導に来る。
だが、あくまで指導である。
浦賀としては、ユース世代から原石を見つけたい。
IEMOの最上級生でもイエモリ世代、現在中学三年生が最高学年であるから、スカウト・育成としてはそこがメインとなる。当然、プロが練習を見る機会も、その質も集中する。
指導と言うより、次のステージを見据えたトレーニングといった環境となるのだ。
だから、U-12以下の、小学生部門については指導、という意味合いが強くなる。
もし、サッカーをどこかで辞めたとしても、レンジャーズのサポーターとして囲い込みたい、という実利的な意味合いも含んでいる。
「いいね。しっかりと、どこに蹴るかを意識するんだ」
IEMOはすでに特別料金でのサービス期間は終了している。
にも拘わらず入会する人数が年ごとに増えているのは、環境が優れていて、その割には年間での費用が安い事が理由として挙げられる。
他チーム傘下に所属している場合でも、入会は可能だ。
入るものは拒まず、去るものを追わず。
この方針に、浦賀陣営は難色を示したが、断固として譲らなかったのが爺様である。
“どこでプレーするにせよ、正しくボディーケアをする知識とトレーニングは共有するべきだ”
IEMOの初期からのスローガンである、“怪我をしない、故障をさせない”は、絶対に譲れない。そう言ってのけた。
結局、浦賀レンジャーズのスポンサーも、爺様の理念に味方した。
イエモリの親父が勤める会社も、そのうちの一つである。
スポンサーにはノーとは言えない。浦賀は爺様の要求を呑む形で、今でもIEMOは外部からの入会者を受け入れている。
「ボンゴ、ドリブルするときの情報量が足りないよ。相手の重心や視線だけでなく、苦手なところや、逆に得意とするところをもっと見た方が良い」
「ジョシュア、頭の中でマップを作れ。パスを受ける前に周囲を確認するのは良いけど、その間、足元が疎かになる癖がある」
「モモ、周囲をもっと見ろ。自分一人で結局解決できる、という傲慢は立派だけど、それだけでは君のプレーが狭くなる」
小田川はさりげなく、ワシら三人には更に踏み込んだ指導をする。
ワシらばかり見るのでは、他の参加者に味が悪いという事を理解しているのだ。
――レベルアップしている。
ワシのプレーが、確かに向上している。
ボンゴもジョッシュも、そのアドバイスに四苦八苦しながらも手ごたえを徐々に掴んでいる。
――プロか。
ワシが見てきたプロは、ヘヴァンしかいない。
だが、小田川はまた、新鮮な刺激を与えてくれる。
ヘヴァンが先生なら、小田川は“兄貴”といった感じである。
なるほど、ヘヴァンが言っていたことは正しい。
色々な人を通じて、そうしてプロになってからも学んで……。
サッカーは、永遠、かもしれん。
ちなみに、ワシが小田川の事をアニキと呼ぶと、
IEMOの皆にそれが伝播し、浦賀レンジャーズのサポーターの知るところとなった。
公式戦で、10番、小田川の名前が呼ばれると、
『オーオ! アニキ! アニキ! オーオ……』
という応援が出来上がるまでにそう時間はかからなかった。
元凶であるワシを、小田川は軽く小突いてきた。
2009年 6月
IEMO、本格始動。
浦賀レンジャーズとの“連合”で浦賀IEMOのロゴと、江南SCのデザインに、深緑のユニフォーム。
イエモFCとして登録されたチームの、最初の試合である。
浦賀IEMOじゃないのかよ? と誰かが突っ込んだが、浦賀Rユースが別レギュレーションとはいえ存在しているのだ。
浦賀とは提携している関係とはいえ、資本関係では伊右衛門100%である。
それに、浦賀市に拠点を持つ以上、“浦賀”とユニフォームにプリントするのは勝手であるが、チーム登録で“浦賀”を匂わせるのは、どうにも味が悪い。
そんなわけで、イエモFCである。
U-10。
八人制のサッカーで、おおよそフルコートの半分、ハーフコートでの試合である。
人数が11人→8人なのに、コート面積が半分という事は?
密集しやすく、ゴール間の距離も近い。
当然、選手間の距離も近い。
テクニック必須の、スピード感あふれる試合となるのである。
「小田川の弟です」
レンジャーズのキャプテン、小田川の弟、兼重が監督である。
兄の小田川が長重という、実に戦国感漂う名前の兄弟だ。
江南の生徒会長である権之助よりはマシ、という印象である。
ワシらが挑むのは、夏のリーグ戦、ではない。
そちらはU-12世代のイエモFCが挑戦する。
あくまで、本選である夏リーグの前哨戦である、U-10チャレンジリーグの第一回戦が今回の試合である。
だが、相手チームの父兄は不審な表情だ。
何せ、その本線たる夏のリーグに二年連続で出場しているワシ、ボンゴ、ジョッシュが出場するからである。
『お前ら、黙って夏のリーグに行けよ』
と、内心……ではなく、はっきり声に出している者をチラホラ、という状況。
とにかくイエモFCの初戦に出してくれと、ワシらが我儘を言った。
『新星イエモFC、初試合で黒星』などと、言われたくなかっただけの話である。
「ヤろう」
「ヤろう」
「ヤろう」
ワシらイエモFCは、前後半40分の試合で、10-0というスコアを記録した。
試合終了後、相手の選手は泣き、相手の父兄は心底恨めしそうだった。
ワシらが悪い。
だが、謝らない。
後日。
U-10チャレンジリーグの運営から連絡が来た。
「あなたのチームのそれ、レギュレーション違反ですよね」
要するに、ワシら三人が、U-10の試合から出禁を食らった形である。
しょうがない。
U-12で試合じゃ。
夏のリーグに参加して、地区大会は危なげなく優勝。
こちらはU-10とは異なり、普通のフルコート11人制なので、広々と試合を展開できた、という印象じゃな。
地区大会を突破して、難関の地方大会である。
そこで、奴らが居るのである。
イシカワの夢を粉砕した、地方大会二回戦の相手。
川崎フロンゲルスFC。
いざ行かん。
あっけなく勝った。
2-0。
どういうことか。
イシカワと戦った時にいた、高穂も三森も、すでにいないのだ。
一年前にカカオを戦った時には、地区大会で負けている。
だから、拍子抜けした。
「お前がモモか」
負けたフロンゲルスのキャプテンは、心底悔しそうにワシに訊いた。
「ああ、ワシがモモじゃ」
「三森先輩が、悔しがってたぞ。何で昨年は来なかったんだお前、って」
「人数がな。地区大会決勝を戦えるのが4人しか居なかったから、不戦敗じゃ」
「そんなことあるのかよ。……俺たちの分も戦ってくれ」
「勿論じゃ」
イエモFC夏の陣。
フロンゲルスの念を受け取ったワシらは快進撃を続け、
全国大会一回戦で姿を消した。
初年度で全国まで行っているのだから大したものだ。
全国大会の後、IEMOの保護者でそう言う声は多数派である。
だが、そうは思わん大人もいる。
「ちょっと、来てくれ」
イエモのU-10監督をしているアニキこと小田川の弟は、ワシら三人を呼び出した。
要件は、アニキからの伝言である。
あのプレイは、その局面では……メモに書かれたアレコレをアニキ弟は淡々と告げた。
あまりに的確で辛辣な言葉に、ボンゴとジョッシュは立ったまま涙を流した。
確かに、まだ改善できる部分もある。
だからこそ、不甲斐ない部分を口に出されると、これ以上ないほどの情けない気分になるのである。
「それで、モモ。お前が涙一つも流さなかったら、という条件でアニキからの伝言だ」
ワシは、まったく、泣いてない。
「『いつまで保護者面してるつもりだ。今度手を抜きやがったら、一生口を利かねえ』。とのことだ」
自覚はある。
ワシの本気を出せば、それこそ、相手が何人病院送りになるか分かったものではないからだ。
究極的に、手加減せざるを得ない。
いや、
自分の力を、技術的にコントロールすることができない。
だから、力そのものを加減して、手を抜いている。
そのことを、アニキは見抜いているのである。
要するに、ワシは。
致命的に、サッカーの技術が、全力を出せるほどに巧くない。
圧倒的な力量不足を、突き付けられた形である。
「カネシゲ監督、いつなら、アニキは空いている?」
ワシ自身には、この問題を解決する術がない。
全てを曝け出して、それを受け入れるしかないのだ。
数日後、ワシはIEMOクラブのグラウンドには居なかった。
浦賀レンジャーズの練習グラウンド。
そこで、アニキと、彼のチームメンバーの前で、“全力”を見せることとなった。
これは、アニキからの条件でもある。
対決はワンオーワン。
一対一で、アニキが持っているボールを、ワシが奪取するという内容だ。
「アニキ、本当にいいのか?」
「ああ。どうせ大した事でも無いだろ」
深呼吸を一つ。
覚悟を決めた。
――アニキ、
「死ぬなよ」
無調子で、踏み込む。
五メートル先のアニキの足元にあるボールをかすめ取り、
更に五メートル先でボールをキープする。
十メートルの距離を瞬きの内に、移動する。
ワシの後に、突風が吹く。
人間が反応できる速度では到底ない。
そして、ワシの正面に立っていたアニキは、文字通り吹っ飛んだ。
かろうじて受け身を取り、擦り傷だけに済ませるのだから、アニキは大したものである。
「これでも、本気ではない。こんな怪物に」
サッカーを教えるつもりか、と続けようとした。
ワシを見るアニキの眼は、
怪物を見る目ではなく、爛々と輝く、好奇の眼である。
「――ッ……パネーよ! やっぱよお! みんなもそう思うよな!」
何を馬鹿なことを。
そう思って、周囲を見れば、似たような視線で以て、ワシを見る面子ばかり。
「マンガでしか見たこと無いな!」
「影分身! 実在したのか!?」
「いや、瞬間移動じゃないか?」
「NINJA! やっぱりNINJAは実在したんだ!」
外人勢にやけに受けがいい。
ぽかんとするワシに、アニキは言う。
「そりゃお前、下の世代じゃ、保護者目線になるわ」
だがな、と続ける。
「俺らは、プロやってんだ。多少の理不尽には慣れっこだぜ」
そういって、くしゃりと笑う。
ワシは傲慢である。
本当に、傲慢である。
「あれやってよ! 二段ジャンプ!」
「壁抜けとかできるだろ!」
「影分身! 口寄せ!」
そんな空気を読まずに、ガイジンたちは好き勝手にリクエストである。
仕方ない。
「本気で、地面を殴ってみるか。忍術、“スタジアム崩壊の術”……」
「お前、やめろって! 忍術でも何でもねーだろ!」
アニキに羽交い絞めにされて、その術はキャンセルされた。
代わりに、二段ジャンプと三段ジャンプを披露した。
その様子を、レンジャーズの監督は止めなかった。
目を開けたまま、失神していたのだ。
結論としては、ワシはそのままIEMOクラブ所属という事になった。
なったのだが、基本的に入り浸るのは浦賀レンジャーズの練習グラウンドである。
主に小田川の口利きで、イエモFCでの出場を控える方向で話が進んだ、という事である。
では、レンジャーズのユースに入ったのかと言えば、それも違う。
『ウチの有望株を(物理的に)潰させるわけにはいかねえ』
という、レンジャーズのトップチームの意向で、トップチームの練習に参加するが試合には一切出ることが無い、非常に宙ぶらりんな立場になった。
そのことについてジョッシュは、
「将来的にモモと別のチームでやることもあるんだ。良い予行練習だよ」と言い、
ボンゴは、
「やっぱ、モモ(ジョーカー)を握っている、というぬるま湯は、僕を鈍らせていたってことネ」と、チーム離脱を受け入れている。
そうして、たったのワンシーズン出場したワシは、
対外的な意味で、IEMOから姿を消した。
その際に着けていた背番号88は、IEMOクラブでは永久欠番である。
2009年 12月
12月かあ、とワシは思う。
大体、有馬に行っていた。
そして今年は行かない。
良い事なのか、どうなのか。
いや、ワシはサッカープレーヤーである。
これは大切なことだ。
初心、忘れるべからず、である。
でも、馬には会いに行く。
可児塚厩舎は、滋賀にある。
近くはない。
また、伊右衛門牧場は近畿にある。
これは、爺様の奥方による策略、というか、
関東に牧場を持てば、本業をほったらかして入り浸るだろう、という的確な分析によるものである。
恐らく、奥方の実家が近畿にある事と、無関係であるはずだ。
と、目の前の光景を見るまでは思っていた。
「あらーレディーちゃん! いい子ねぇ!」
美貌の老人。
矛盾しとると、ワシでも思う。
とにかく、紋次郎の奥方とは、そういうお方である。
伊右衛門 江。
旧姓、綾鷲江夫人である。
ざっくり言って、東の伊右衛門家と、西の綾鷲家、というくらいには名家である。
で、その名家のご婦人はここでレディーを猫かわいがりしている。
そのレディーも妊娠期間であり、普通は気が立つものだ。
だが、ご婦人の勢いに負けて、タジタジしているばかり。
仕方がない。
「大母様、そこまでにしてくれ」
間違っても、紋次郎と同じように、ばあ様と言ってはいけない。
爺様が折檻される。
「あら、モモ坊じゃない。シュンちゃんと違って、可愛げが無いわね」
「余計なお世話じゃ」
まあ、やり辛い。
マイペースの権化である。
「この仔、ちょうだい?」
ばあ様は、レディーが昨年生んだ一頭を指さして宣った。
“イエモレディー2008-1”。
名前が付く前の馬は、出産した牝馬+年代で呼ばれる。
例えば、今年レディーが生んだ牡馬は、2009年に生まれたので、“イエモレディー2009”という事になる。
なので、基本的に双子は生まれない中での“イエモレディー2008-1”という表記は、非公式な呼び方である。
「それは無理じゃな」
「どうして?」
「爺様と違って、大母様は走らせる気がないじゃろ」
「そうね。それが?」
当然の権利とばかりに肯定するばあ様に、
「こいつが走りたがっているからに決まっておるじゃろ」
ワシは断固として、そのエゴを受け付けん。
「それにじゃ」
理由はまだある。
「エファーから聞いたぞ。ずいぶん好き勝手に食べさせおったそうじゃな」
「かわいい子には食べさせたくなるじゃない?」
「量がどんだけだと思っとるんじゃ」
昨年末に見に来たエファーが明らかな栄養過剰状態に悲鳴を上げていたからな。
ついでに、モダが、「何だこれは!? 肥育じゃねえか!」と激怒しとる。
エファーもモダも、基本的には伊右衛門牧場にいる。
だが、繁忙期(レースが集中する春から秋シーズン)には、栗東が主戦場となる。
目を離した隙に、やりたい放題をしていた。
伊右衛門牧場の従業員は、強く言えない。なぜなら、牧場オーナーの奥方だからだ。
「やっぱり、モモ坊は可愛くないわね」
「戯け、貴様が改めんか」
名家のお嬢様らしい傲慢が基本装備である。
一度会ったアルス曰く、発言に一切の嘘はないらしい。
だから、余計に困るのだ。
とにかく。
「こいつは、ワシらの馬じゃ」
そう。
レディーも含めて。
ワシらが育てるからな!
次の日。
「すまん、モモ。伊右衛門牧場は今日から、綾鷲牧場となった」
爺様が悄然として、ワシらの前に姿を現した。
やりやがったな、ばあ様。