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032 OYAKO/中編

某ゲームをする時、必ず自分で持つ馬です。

テンポイント

ライスシャワー

サイレンススズカ

知らない人は、検索してみてください。

「ようマコト、久しぶりだな」

「お久しぶりです、矢田先生」

「お久しぶりです。兄さんからは夜には着くと聞いてましたが?」

夜どころか夕方よりも前、午後四時過ぎに矢田がイエモ牧場に姿を現した。

その矢田を筆頭に、自動車が次々と駐車場に入っては中の門下生と思しき人間が吐き出されていく。


「近かったからな」


どういう事? とマコトは思った。


「あー、兄さんからは何と?」

矢田の生態を把握しているシュンがそう訊く。

「『弟の友達が来ているから、“好きな馬を使って良いから”乗せてやれ』と言っていたな」

「曲解も甚だしいじゃないですかね、矢田先生」

まあ、それで目くじら立てる兄でもないかと、シュンは大目に見ることにした。

仮に怒られるとしても、それは矢田先生とモモの問題である。


「俺もそう思ったんだが、いい機会だと思って乗っちまった」

と、シュンの師匠たる獅子座も弁解紛いの事を言いながら、ピシッとした姿勢で矢田の横に並ぶ。それに驚いたのはシュンであった。矢田はともかく、獅子座は真面目な性格だと思っていたからだ。

「いい機会、ですか先生」

「矢田の弟子の中には、ジョッキーの卵ってヤツも何人もいるし、新米ペーペーもいる。だが、実際に馬に乗る機会ってのは限られてくるもんだ。学校で持っていられる馬の数も限られるし、新米連中に馬を任せるって奇特なオーナーはもっと限られてくる。母数に対して馬の数が足らんのが事実だ。イエモ牧場オーナーがOKサインとくれば、悪用しない手はないよなあ?」

全く、いい性格をしているモノである。

だが、二人そろって何だかんだ面倒見が良いものだ。シュンは「僕は今の言葉は聞かなかった」とだけ言った。

シュンがモモに何も言わないという事は、事実上の黙認である。

「君のような良い弟子を持てることは、師匠冥利に尽きるな」

「それでこそモモの弟だ」

聞いた獅子座も、矢田も、ニッコリと笑う。


だが、その矢田道場には。

大人げない人々も混じっているのだ。

「新人に競馬を教えて、宿泊優先権とは太っ腹だね」

「次の機会では、僕の国のルーキーも参加させてほしいものだよ」

タケルとルメイである。

矢田道場にたまたまいた彼らは、何処かと電話していた矢田が「これから、イエモ牧場で一週間合宿するんだが、来るか?」と言い出したとき、二つ返事で了承した男たちである。

自分たちのお手馬のスケジュールはとっくに把握している。モーマンタイである。

バカンスを楽しみ、後輩をシゴくことだけが彼らの頭の中にあるのだ。


「おい、走ってこい」

「ハイ!」

「何、馬に跨ろうとしてんだ。自分の足で外周を一周して来い」

「ハイ!」


(ここは軍隊か?)

マコトは戦慄した。

シュンと乗る馬をあれじゃない、これじゃないと選んでいた時はバカンス気分であった。

だが、今目の前で。

イエモ牧場第一模擬レース場で繰り広げられているのは。

正しく、特殊部隊の特別調練じみた光景であった。

「列を乱すな! コントロールもマトモにできねーのか!」

「先走ってんじゃねーよ! この野郎!」

「ふらついてんじゃねえ! バランスが悪-んだよ! テメエは!」

超☆スパルタコースである。

ペナルティを与えられるのは、人間だけではない。馬もである。

矢田が鞭なら、獅子座が飴。

「あそこは鞭じゃなくて、手綱でコントロールする場面だ。前だって、あまり速度を出していないんだ。相対速度を意識して……」

「君は本当に堪え性が無い。それが悪いとは言わないが、勝てるレースを落としては元も子もないだろう」

「利き足を意識しすぎた。四本足でストライドしなきゃならない。それがカーブであってもだ。逆足は利き足の添え物じゃないんだ」

ペナルティを食らって外周をグルグル周っている人馬に、自ら乗馬しながら助言をして回っている。

ところで、そのシュンザンって……うん、気にしない事にしよう。


「あのー」

「なんだ?」

「僕が騎乗するのは、百歩譲っていいですよ?」

「お前が乗らなきゃ、モモにドつきまわされるからな」

「何ですか、この帝国のクローン兵が着ているスーツみたいなものは」

「“落馬しても大丈夫クンVer2.0”だ」

「一回、大幅なアップデートを挟んでませんか、それ」

「Ver1.Xシリーズは、被験者もといテストパイロットがIKZEだったからな。一般人用にカスタマイズされたのが2.0だ」

「……ちなみに、これ、テストはしたんですか?」

「これからする。受け身は取れよ?」

コートラムに乗ったマコトは、見事に宙をラクバった。

ダンゴムシのように身を屈めて、頚椎だけは守るようにターフをゴロゴロと転がる羽目になった。その様子を感心して眺めている友人シュンに殺気が沸いた。

「俺もやったんだからさ」と。

友人をコートラムに乗せれば、スーツなしで悠然とコースを巡ってきて今は目の前でニンジンを食わせている。

マコトは、世の理不尽を目の前にした。

これが乗馬か、よろしい、ならばもう一度。

マコトは、完全着用のスーツで、超巨大馬の背に跨るのだ。

ヒヒンと、コートラムが嘶いた。


「楽しんでんなあ」

「どっちがです? シシザ先生」

「決まってんだろ? コートラムの方だ。アイツはレースに出れねえから、鬱憤も溜まってたんだろ」

「今は注目の的ですもんね。実は結構な目立ちたがり?」

「知らなかった一面ってヤツだ。あんな色物が鞍上にいるんだ、目立たないわけないよな」

「だったら、もっと目立させますか?」

「なんだ弟子、腹案があるのか?」

「兄さんのアレを着せてみましょう」

「なるほど、悪くない」



夕方、日がもうすぐ落ちる頃合い。地平線が太陽を飲み込まんとする逢魔が時。

「やっと着いたなあ」

「お疲れさん。場内は禁煙だろ? ここで一服するか?」

「謎テクノロジーで場内禁煙も、喫煙室に限って解禁されてるんですよ」

「謎テクノロジー」

「まあ、こういう空気が良い場所で一服するのも乙なもんですけどね。僕とホウヅキさんは少し走った先で一服してきますよ」

そう言って、取り残されたのはアイダと三人であるが、宇田川は勝手知ったる我が家のようなものだ。「まずはチェックインしに行くか」と、自らの荷物を悠々と手にして、ズンズカと歩を進める。

一人が自信満々に先頭を歩けば、あとはついて行くのみである。

「あ、ウダさんじゃないですか」

「お久しぶりです!」

「今日は演奏するんですか?」

すれ違う人が、それぞれに好意的に宇田川に話しかけるのを見て、アイダもなんだか安心する。頼れるガイドに牽引してもらっているのだと思えるのだ。

そして、ほぼ顔パスのような状態でチェックインが済まされると、受付に荷物を預けて、「では、あまり時間はないが観光といこうではないか」という宇田川に連れられて馬を見に行く。

正直、馴染みのない世界である。

“世界一、高価な趣味”、それが競馬である。

世界で最も高価な高級車がだいたい二億円である。維持費も含めれば、年間一千万くらいなのだから天上の遊びとも言えるかもしれない。

だが、馬主の場合はそれ以上である。一頭で一億円などザラであり、それから預託料などを含めれば、まさに青天井。もっと言えば、“それで勝てる保証など全くない”のだ。

車は、一度投資すれば機械の許す限り走ることができる。だが、馬はそうではない。

限りなく不安定かつ、リターンを求めることが期待できない。

それでも、競馬がそうあり続けるのは、馬を愛する人間が居続けるからだ。


「おお……」

そんなことを頭で考えていたアイダにとって、目の前でとっとこと動く馬というのは新鮮であった。調教を終えた馬は、クールダウンをしてしまえば伸び伸びと遊ぶだけの生命体である。むしろ、それが理想でもある。

良く走り、良く遊び、良く食べ、良く眠る。

原始的な生活こそが、最強の戦士を育てる土壌となる。

「ずいぶん、のどかですね」

都城がそう言うと、宇田川は首肯した。

「長閑であるな。実に結構」

これを見せたかったのだと、彼女は言いたかったのかもしれない。

だが、それを許さん人間もいる。

「明日、この子たちが走っている時にそう思えますかな?」

演技がかった口調で、まるで玄人のようなことを言い出すのは九条である。

「どういうことだ?」

道中で、九条の人柄をイヤと言うほどに理解したアイダは、あまり期待しない口調で訊いた。

口を開いたのは別の人間だ。

「カナエの言う通りじゃな。馬は、別の顔を持っている」

宇田川がそう言うのを、アイダは黙って聞いた。

それはあまりに真に迫った言葉であったし、その顔があまりに美しかったからだ。

異性的な美しさではない。絵画のような、あるいは情景的な美しさがそこにはあったからだ。

そう、彼女は楽し気に遠くを見つめている。

その先に見えるのは、若駒の栄光か、それとも。

思わず、ウダガワの視線の先を追った。


暗黒卿の格好をした騎手が、馬鹿デカイ馬に跨っていた。


本当に面白い存在に、馬たちも群がっている。

こんなことはココでは日常茶飯事なのか?

宇田川さん、笑ってないで教えてくれよ。



問:黒歴史コスプレを親に見られた息子の心情を答えよ。

「死にてぇ……」

「親父さんはマコトだって気付いてないって」

「若い時の恥はかき捨て、ってな。気にすんなよ坊主」

なお、表面上は慰めている二人の胸の内は、プルプルと震える腹筋がすべてを物語っている。

それでも、二人はまだ穏当な方である。

矢田と獅子座は、全力でマコトをイジりにかかっていた。

赤と青の玩具ライトセーバーで、ガンガンと切り結んでは、

「アイム、ユア、ファーザー」

「ノー!」

と、銀河宇宙戦争のセリフを吐きながらチラチラとマコトを見ているのだ。

いい大人がする事か? これが。

動機オアソビはさて置き、技巧は本物である。

弟子パダワンたちは真剣にその立会オアソビを見つめている。

何だ、この場は。

武術には無関係のタケルとルメイは、そう思った。



「どう思ってます? 正直なところ」

「驚異。でも、楽しみでもあるんだよね」

人気騎手とは多忙な人種である。

鞍上としての仕事もあるし、メディア仕事も増える。

それに何より、“お金持ちの人々との付き合いが増える”。

社交営業と言い換えても良いが、まず、断ることができない。純粋で貪欲に競馬の事だけを考えていた時期とは、確実に別種の緊張を強いられる。

時間的な拘束も、人気になればなるほど増えるのだ。

だから、“イエモ牧場での合宿”という名目で一週間という考えられないほどの長期休暇をトップジョッキー二人が同じ時、同じ場所で取ることができたのは、正しく天の配剤である。

「楽しみ?」

「彼と戦ったのは、三回。ディープの引退式。シュンザンの天上杯と引退式。キタチャンはノーカンだ。全部、ボロ負け。でも……」

非常に言いにくそうにしたタケルに、ルメイは察した。

「……馬の性能が、まるで違うからね」

その言葉にギョッとして、タケルはかき消すように、「日本酒、一合二人前!」と大きな声で注文した。

ここはイエモ牧場の食堂だ。その辺に、誰がいるのか分かったものではないのだ。

「ルイ」

「すまない、でも、それが本心だろ?」

そうか、分かるか。

分からないはずも無いか。

「アーモンド、良い引退式だったな」

「非常に良かったよ。ある一点を除いてね」

怒っているのだ、彼は。

モモと、アーモンドが戦えなかった。

彼は怒りを、悲しみを持て余しているのだ。コントも、引退式でキョロキョロと周りを見渡していた。そして、引退式が終わる頃に暴れ出した。気持ちは分かる。

『どうして、モモが居ないんだ!』

『ここで、闘ってくれよ!』と。

届いた日本酒を、互いに注ぎ合い、オチョコの酒を一気に飲み干した。


「辛気臭い飲み方してるじゃないか、タケ」

「エビさん」

「俺も混ぜてくれよ」

「どうぞどうぞ」

“イエモといえば、この男”とは、猛騎手の事ではない。

恵比寿騎手である。

出走表にこの男の名前があって、イエモの牝馬の鞍上であれば、「あっ(察し)」と。

馬主もクラブ会員も、鞍上もファンもアンチも黙る存在である。

いや、で“あった”。

今では騎手を引退して調教師をしている。

現役騎手である二人と比べれば、ある意味気楽なもの……


「あーあ、引退するんじゃなかった」


……ではない。


「モモと戦えるなら、今からでもライセンス取れないかなあ」


彼は彼で、レディーとコウランでモモと戦った男である。

とても気持ちは分かる二人としては、真顔で同意するように頷くしかないのだ。

そうしてしばし、静かに杯を傾ける。が、それはすぐに破られる。


「でもまあ、モレディーがうちの第一号だしなあ」

「「は?」」


こいつ……!

ヌケヌケと、とんでもない事を言い出したな……!

タケルとルメイの心は一つであった。

互いにアイコンタクトを交わし、タケルが先手を握った。

「ええと、エビさんの所にモレディーが? どういう経緯ですかね?」

努めて冷静に話したつもりだったが、あとからルメイが「瞬き一つしないで口角だけ釣り上げたタケルの顔は、サイコだった」と証言した。


「うーん……これはちょっと長くなる話なんだが」

恵比寿曰く。

モレディーにモモが乗るという話が出る前までは、割と穏当であった。

いつもの可児塚厩舎にするか、エースが多い池川厩舎にするか。

「まあ、池川厩舎でしょうなあ」と言ったのは可児塚先生で、「レディーの最終産駒なんです、可児塚先生が見てくださいよ」と言ったのは池川先生であった。

それくらい牧歌的なやり取りで、まあまあ可児塚厩舎優勢か、くらいの緩いやり取りだったらしい。

だが。

鞍上モモとなった瞬間、事情が百八十度変わった。

両厩舎の電話が延々と鳴り続けることとなったのだ。

掻い摘んで言えば、「うちの厩舎に入れましょう」という爆弾攻勢にも似た売り込みである。

それだけなら、まだ良かった。

電話線をニッパーで切断すれば問題は解決するからだ。


物理的に、直接、厩舎に殴りこんでくる人間が後を絶たなかったのだ。


これは流石にたまったものではない。

通常業務はもちろん、預託されている馬にも影響が出かねない。

困った両者は、JRAに向かった。

コレコレ、こういう事でして。

困ったのはJRAもである。

前代未聞の事であるから、即座に臨時会議を設けた。しかし、その中で建設的な意見は出なかった。誰もが途方に暮れた。

こういう時、どうすればいいのか。

イエモに相談である。


「ちょうど、新規開設の厩舎がある」

イエモ・エンターテイメントと名を変えた会社の代表取締役アルスは、そう言った。

開業一年目、元恵比寿騎手が厩舎を持っていたのだ。

エビスがイエモの牝馬を見ることに文句を付けるならば、それこそ見識が疑われる。

肉団営業は、ぱったりと止み、トレセンは平和を取り戻した。

JRAの役員は、「この人には外部顧問役として、役職だけでも持っててほしい」と本気で思った。


「……とまあ、そういう具合で」

「お疲れ様です」

一連の話を聞いた猛は甲斐甲斐しく酌をした。

「エビスさん、次、何飲みますか? 僕のオゴリです」

ルメイはサービスをすることにした。両者とも、あわよくばエビスにこれから預託されるだろう馬の鞍上を狙っているわけではない、と思いたい。

純粋な労りである。


「で、モレディーってどうなんです?」

ルメイは単刀直入に訊いた。

結局、エビスの飲み代は全てルメイ持ちとなったが、これだけ聞ければ元は取れる。

「うーん……ルイって、レディーに乗ったことある?」

「無いですね」

「だよなあ、俺も記憶に無いしなあ」

何とも歯切れが悪い。たまらず、タケルが訊く。

「僕もレディーに乗ったことはありません。どういう馬だったんですか?」

「めちゃくちゃ、乗り辛い馬」

エビスが即答するのに、驚くのはタケルだけではない。

ハーツに乗って直接戦ったルメイも、あんぐりと口を開けている。

彼らにとって、レディーとは“非常に戦い辛い馬”である。

それだけに、非常に賢い馬だという認識でいたのだ。


「癖は強いし、負ければ滅茶苦茶に八つ当たりするし、とんでもなく手がかかる馬だったよ」

そう語るエビスの表情は、苦悶に満ちているようで、口調はどこか優しい。

「オルフェーヴルウよりも?」

「あれは、分かっててやる馬じゃないか」

タケルが冗談で訊けば、エビスは確信したように返した。

確かに、オルフェが蹴りを繰り出すのは世界で三人しか居ない。

それが名誉な事かはさて置いて。

「それで、モレディーは……」

エビスの杯が空になったのを、すかさず透明の液体で満たしながらルメイは話を元に戻した。

「レディーよりも気性難。現役時代の僕でも、乗れるか分からない」

「「うわあ」」

恵比寿をして、乗れるか分からない。

それは、そもそも競走馬として適当なのだろうか?

「まあ、モモが乗るからね」

それで解決するのだから、何とも言い難いものである。



アイダが鏡水たちと夕食会場に着けば、囲まれるわ囲まれるわ。

「カガさんとウダガワじゃないですか!」

「お、クジョウさんもいらっしゃる」

「と、いうことは」

「いやあ、実に運が良い」

「期待してますよ!」

どういうことだ?

聞けば、カガ以下三人はここのディナーショーに、何回か参加したことがあるらしい。

特に、初回では鏡水と九条、それに宇田川以下イエモ組と呼ばれるレアキャラ集団に、SSRのキタジマ先生も出演したらしい。

それでノーギャラのチケット無料とか正気か?

こいつらにプロの何たるかを問い詰めたくなった。

「好き勝手やっても、金取ってないからいいじゃろ」

宇田川さんは、そう言う。

客への忖度一切なし。リクエストが出ようが、無視するも個人の自由。

それでSNSで文句を垂れ流せば、「無料で聞いときながら、何を偉そうな批判を垂れ流すのか」と一刀両断らしい。


「さて、飯も食ったし、腹ごなしでもするか」

宇田川がそう言うと、「ですね」と鏡水が席を立った。

ツカツカとステージに向かい、それを見て手に食器を、グラスを持っていた客もにわかに騒めく。そして、いそいそと酒を注文しに行くのだ。


「お、いいタイミングだったか」

俺が食堂に入った時、赤髪が眩しい女性がステージに向かっていた。

これから何が起きるのか、俺は知らない。

「シュン坊、おめえさん、これを知ってたのか?」

キタジマ先生が問うも、シュンは頭を振った。

「いえ、そもそも彼らを御せるのは兄さんしかいませんよ。運が良かったんです」

「カッカッカ、そうだなあ」

上機嫌に笑うキタジマは、「坊主たちの勘定も、オレにつけてくれや」と次々と料理を頼んでいく。

そうして、最初にドカンと置かれたのは大ジョッキのビールである。

「ねえ、先生」

「レギュレーションが変わったんだよ、“未成年者がアルコールを飲めるわけがない”ってな」

どうやら、※世界のルールそのものが捻じ曲がったような気がした。

※世界のルール……未成年飲酒は犯罪です。また、過度の飲酒を進める意図で飲酒描写があるわけではありません。ですので、この世界での飲酒法レギュレーションそのものを変更します。類義語:この作品に登場する人物は、全て18歳以上です。


とにかく、マコトとしては初のビールである。

「おお……」

親父が呑んでいるのも見ていた。爺様たちも上手そうに流し込んでいた。

大人の代名詞である、ビールと言うのは。

「おっ? シュン坊は飲んだことあるみたいだな?」

「兄さんと祖父が、ね」

「あの人たちは、うん」

うん、って。

非常に気になる事を二人が話しているが、黄金の炭酸をマジマジと眺めながら、あと一歩の勇気と言うのは中々に出ないものだ。

「しっかし、チンピラみたいなナリして、飲んだこと無いのか?」

「優等生みたいなナリして、飲んでるお前にビックリだよ、俺は」

「ハッハハ! 違いねえ!」

当たり前の顔をして、ジョッキを傾けるシュンと、こちらを見ながらニヤニヤと笑いながらお猪口を傾けるキタジマ先生。

ええい、ままよ!

口を付ける。飲み込む。途端、流し込まれる苦みの奔流だ!

「…………ッ! 苦ッが!」

「ハーッハハア!」

「いいねえ!」

半分ほどを一気に飲んだが、あまりの苦さに咳き込みながら口を離せば、やんややんやと囃し立てる。キタジマ先生はお年を召しているから分からんでもないが、同い年のシュンにそれをされると限りなく腹が立つ。

「お前は………」

最後まで言う前に、シュンが俺のジョッキを取ると、ゴッゴッと喉を鳴らして最後の一滴まで飲み干し、ジョッキの口を床に向けた。完飲である。

「やめてよね、君とは年季が違うんだ」

それは誇れることではない、と俺は思うんだ。


「青く、青く、空に混じるように」

鏡水プロの歌声とギター、それと赤髪の人の弦が食堂に鳴り渡る。

どうも新曲みたいだ。この牧場でインスピレーションを得たという。

それを、「これなら飲めるだろ」とシュンに進められたウィスキーの水割りロックで口を湿らせながら聞いている。

歌のメッセージを一言で言えば、敬意リスペクトだ。

馬でもなく、ジョッキーでもなく。

“送り出す人々”が見る光景を、丁寧に描写しているのだ。

見れば、食堂の人々も聞き入っている。

自らに投影する人も、あるいは今まで応援してくれた人を再確認する人も。

黙って、その歌詞と演奏に聞き入っているのだ。

最後の一音まで、噛み締めるように聞き入るのだ。

「ご清聴ありがとうございました。ちょっと休憩してきます」

演奏後、静かに拍手が起こった。

盛り上がらなかったのではない。誰もが、この余韻を楽しみたいと思った。


「……すげえよなあ」

キタジマ先生が、口を開いた。大御所の口から出たのは、ため息に似ていた。

「映画を一本、見終わった気分です」

口から出た言葉は、紛れもない本心だ。

時間にすれば五分と少しだ。

だが、“音に込められた密度”が桁違いだった。

歌詞の一節に込められた切実さが、桁違いだった。

思わず、ぐったりするかのような満足感と疲労感。

なるほど、最初に演奏するわけだ。

聞く方に、体力と集中力を要求する曲だ。


「お、分かるクチかい? さすがはアイダさんの息子さんだねえ」

それを聞いて、むむむ、と反抗心が首をモタげる。

「父は関係ないでしょう」

そう言って、プイと顔を逸らせば、またもやニヤニヤとするのだ、先生は。

俺の髪をグシャグシャに撫ぜ回して、ご満悦である。

「最近の若いのは、おめえさんみたいに尖ってねえからな。シュン坊みたいなヤツばっかりだ」

どうやら、お行儀の悪さが受けたようだ。

「キタジマ先生、僕の事を何だと思ってるんです?」

「シュン坊はまだいい方だが、腹の内を見せねえ若いのが多くてねえ」

「兄さん」

「あれは見せすぎだろ。そもそも、腹の内どころか、底が見えねえじゃねえか」

カッカッカ!

この二人のノリには、到底ついて行けない。

でも、距離が離れているからこそ聞けることもある。

「シュンも、キタジマ先生も。どうしてこの道を選んだんですか?」

聞きたいこともある。


マコトの問いに、シュンは「僕からでいいですか」とキタジマに訊けば、どうぞどうぞと手を振る。

「じゃあ、僕から。答えは簡単、医学が好きだからだ」

そこで、一口ツマミを口にして、ビールで整える。

言うべきことを整える時間でもあった。


「きっかけは、まあ、兄さんだね。明らかに身体能力が違っていた。同年代どころか、上の年代よりも遥かに優れた身体能力だった。で、こう思った。『どうしてだ?』と」

シュンは、敢えて間を取った。

キタジマも、マコトも興味深そうに耳を傾けている。


「最初は原因の方を探ろうとした。遺伝子情報としては、僕と兄さんにはそれほどの差異は無いはずだ。ならば、トレーニングなどの後天的要素が原因なのか、と色々と調べてみたが、結論は“兄さんは生まれつき何故か強い”という事が分かった。だからアプローチを変えた」

「どうしたと思う?」とマコトに話を振るが、皆目見当もつかない。

しばし考えてから「降参だ」と首を振る。


「理由の方だ。“どうやって、兄さんはあれほどのパフォーマンスを発揮しているのか”に舵を切った。そうして観察すれば、本人の肉体強度以外の要素――身体の使い方などの技術的な部分を掬い上げることができたんだ」

ほう、と声を上げたのはキタジマだ。

話から察するに、シュンが随分と若いころの話である。

そのころから、研究者の卵みたいなことをやっていたのかと感心したのだ。


「そうして、実際に自分で試してみれば……確かに、再現性があった。貧弱な僕の身体でも、兄さんの一端を再現することができた、という事だ」

僕が乗馬できるのは、その一端だ。シュンは淡々と成果報告する口調で言った。

いやいや、とマコトもキタジマも突っ込んだ。

モモを多少でも再現できる時点で、シュンも非凡側の人間である、と。

「でも、オリジナルには及ばないよ」と、シュンは何故か頑なである。

二人は二の句を継ぐのを諦めた。どれだけ言葉を重ねようが、平行線となる事を察したのだ。

それよりも話の続きである。


「“科学とは再現性の結晶である”とは誰の言葉だったか……僕の医学とは、人の身体で可能な再現性の追求に他ならない。原体験は、おそらくここにあると思う」

(本当に再現性があるかは、甚だ疑問だが)

マコトはこの言葉を内心だけに留めた。


「それから、幸いなことに地元のサッカークラブで医者見習いみたいな立場に滑り込むことができた。とにかくいろんなデータを取って、可能な限りの解決策を模索して、そうするうちに誰かの役に立っていた。プラスの再現性もあれば、マイナスの再現性もある。簡単に言えば、『これ以上、過剰な負荷の練習を続けた場合、三か月以内に腰がぶっ壊れる』といった因果を突き付けることもできる。それが、僕にとっての人の役に立つという事だ」

この時期の事は、マコトも知っている。

学園の運動部の人間が、シュンに群がっていた時期だ。

言われてみれば納得の理由である。

入部してもらえるだけで、スポーツドクターが部に入るようなものなのだ。

逃すわけがない。


「僕は、命を救う事が医者としての仕事だとは思っている。だけど、その力には限度がある事を重々理解している。僕も死ぬし、マコト、君も死ぬ。ここで言う事でも無いけど、キタジマ先生は僕らが突発的な事故にでも遭わない限り、僕らよりも先に死ぬ。兄さんも、いつか多分きっと恐らく死ぬはずだ。人の死とは、それくらいの絶対不変の――もしくはこの世のルールと言い切ってしまっても良い――事柄だ」

ギョッとして、マコトはキタジマの方を見た。

ここまで堂々と、死の話を本人の前でしても良いモノだろうか。


「言ってくれるな、シュン坊」

だが、そのキタジマはニコニコしている。

「先生も、僕より後に死にたくはないでしょう?」

即座にシュンが切り返せば、「そんな親不孝するなら、棺桶から引っ張り出してやるよ」と返す。

と、ふと思いついたのかキタジマは真剣な表情で口を開いた。

「オイラの葬式は派手にしてくれよ?」

間髪入れずに、シュンは、「兄さんに頼んでおきますね」とニヤリとする。

ブフッと、キタジマが吹き出し、大笑いしながらバンバンとその肩を叩いた。

「いくら飛ぶか、分かったもんじゃないなあ!」

「その時は兄さんに自腹を切らせましょう」

「馬鹿言ってくれるな! 手前のケツくらい、手前で拭くわ!」

では、盛大に送らせていただきますので、よしなに。

まだ早えーんだよ、シュン坊!

これは収拾がつかんな。

「シュン、まとめてくれ。脱線している」

その口調は、奇しくも親父ショウザそっくりであった。


「僕らにできることは、受精卵となってから死ぬまで、産婦人科の領分を踏まえるなら受精卵となるまでの過程までが、ようやっと人が生命に干渉できる領域かも知れない。その非力の中で、微力を尽くし続けること。それが好きで、僕はこの道を選んだ」

シュンがそう言って締めくくると、キタジマが口笛を吹いて拍手する。

「見事な覚悟だなあ。ええ?」とマコトに振る。

むう、とマコトは唸った。同年代でこれほどまでにしっかりした考えで人生を選択しているのは、シュンと、もう一人くらいしか思いつかないかもしれない。

それを、『酔席の座興でございます』とばかりに話すシュンは、おそらくモモさんに色々な事をぶっ壊された人生だったに違いない。



「で、オイラの番か。うーん……運命、だな。うん」

運命。


「まあ、成り行き任せの先にってところだ。マコト、歌い手……歌手にとって、最も重要な要素が何か分かるかい?」

「実力、でしょうか」

「違えなあ。運だ。オイラは若いとき、自分が一番、歌が上手いって思ってた。じゃあ、歌が上手いってどういうことだ?」

音楽など知らない。なので、マコトは武術で考えた。基礎的な部分をおろそかにしない事が、これに当てはまった。

「音程、リズム、基礎部分が完成していることですか」

それを聞いて、キタジマは笑った。

その笑いは、青臭さに好感を覚える類の笑いである。


「大正解。じゃあ、“歌が上手いと、歌手になれる”か? もっと踏み込んで言えば、“歌で飯食えるほどのお金が稼げる”か?」

「稼げ無いんですか?」

あまりにマコトが純粋に問うので、逆にキタジマの方がキョトンとした。

そして、音楽にほとんど興味を持たないのだと理解して、その純粋さを尊く思った。

“だから”。

自分が知る限りの現実を、包み隠さず話そうと思った。


「稼げねえんだよ、これが」

「まさかそんな……」

キタジマは若いころを思い出す。

先輩の使いッ走りをしながら、あそこだ、ここだと演芸場をかけずりまわっていた。

ある日、馴染みの演芸場で「今回は諦めちゃくれねえか」と、出演を断られたことがあった。

もう、十回以上はそこでやっていたのだ。演芸場の馴染み客の中には、オイラの顔を覚えてくれて、寸志だとオヒネリを下さる方もいらっしゃるんだ。

「次は呼ぶからさ」と頭は下げてくれたが。

オイラは腹が立って、「どいつが俺の出番を分捕ブンドったのか、見てやろうじゃねえか」と、安くない席料を払って見てやったのよ。


「フォークソングってやつだな。ひでー歌に、ひでー演奏だった。……席は満席だったよ。オイラの時には、半分も埋まれば御の字ってやつだったさ」

「それは……」

酷く理不尽に思えただろう。

聞いている自分だって、そう思うのだ。当事者だったキタジマ先生が受けたショックたるや、推して図るべし、である。

深く同情するマコトに、(こいつは、情が深いなあ)と孫を見る視線を向けるのはキタジマである。

この話をした時、表面上は同情する者がほとんどだ。だが、内心ではどうだか。

「シュン坊、お前はどう思った?」

マコトの真心は分かった。同年代たるシュンはどう思うのか。

「もう復讐したんですよね?」

こいつはもう、医学をやってなきゃ、完全に堅気ではないなとキタジマは確信した。

この発言を祖父モンジロウが聞いていれば、「キミクニの野郎の血が騒いだのか」と苦虫を噛み潰した表情を浮かべたことだろう。



「マコトも、やるものだな」

アイダは少し離れたテーブルをさりげなく確認した。

なお、本人は“さりげなく”だと思っているが、同席している人間にはもろバレである。

「キタジマ先生と……あれは誰だ?」

「モモの弟じゃな。伊右衛門の次期当主になる」

「ほうほう、ここのトップの弟と大先生にご縁があるとは、流石トウカツのご子息です」

保月がヨイショすれば、悪い気はしない。

何より、縁を結べる事は悪い事ではない。

「それにしても、僕らのカバーバンドが現れるとはね」

鏡水はステージの方を向いた。

ウマのアレンジを演奏しているのは、鏡水よりも遥かに若い面子である。

九条と同年代……いや、それよりも若い。

「オリジナルの人間として、何か思うか?」アイダが訊く。

「演奏技術では、僕と九条の圧勝でしょう。ですが、アレンジセンスも良い。何より、“ここを踏み台にして自分たちの音楽をやる”という姿勢が、ね」

「気に障ったか?」

保月が挑発する。鏡水をからかうのが楽しいからだ。

「気に障りましたよ。あのステージで、本性を隠すのが気に食わない」

だから、鏡水も乗る。

喧嘩を売って来いよ、カガ。

保月のメッセージは、正しく鏡水に届く。

二人のやり取りに、何かを察したのは九条である。コミュ障の彼女は、こと音楽関係においては勘所を外さないのだ。

「しょうがないですねえ、“わからせ”、しに行きますか」

「お前は“わかる”側だろうが」

パコンと小突いて、さあ、見せてもらおうか、とステージに脚を向ければ、会場はやおら盛り上がるのだ。

オリジナルVSコピーバンド。

蹂躙となるか、本家を食うか。

お酒が良く売れることには間違いない。


配信者、タキ朗は演奏者である。

本名、滝川秀益。

ルビを振れば。

滝川タキガワ秀益ケイジロウ

酷いキラキラネームである。最初から慶次郎で良いじゃないか。

なぜ、この名前で役所は受理したのか。戦国ファンだった担当が、「おお、なるほど」と手続きを滞りなく進めてしまったからだ。人の人生がかかっとんやぞ? ちゃんと考えて?

小学校に進学すれば、あだ名がありえんくらい増えるのだ。

「ひで」

「ます」

「ケイジ」

「ケイ」

「ジロウ」

同一人物に五つも付いたのだ。聞いた保護者の方は混乱した。


中学に入れば、歴史の授業で出てこない『前田慶次郎』を知る人間も現れる。

主に、戦国ゲームによって。

そして、タキ朗を見れば落胆して踵を返してゆく。

小柄な少年であり、かつ武術など一切嗜んでなどいなかったからだ。

豪放磊落、古今無双の傾奇者。その対極にある少年であった。

選んだのは吹奏楽部だった。とにかく、運動部は避けたかった。

この頃から、“タキ”と呼ばれるようになった。

秀益も慶次郎も似合わないと、タキと呼んでくれと頼んだのだ。

転機は、高校時代だ。

「これ、見てくれよ」と。同じ軽音楽部の仲間である橋田が見せてきた一つの動画。


リアル・前田慶次郎がそこには居た。

競馬の引退式の様子らしいが、※こんなことをするのか。

※しません


最後まで見て、タキは腑に落ちた。

頑健な身体に、豪胆な精神。

両親は、自分にこうあれと望んだのではない。

“こうあって欲しい”と願ったのだ。

成年を迎えれば、好きに名前を変えて欲しいと言った。

変えるわけがない。僕は、滝川慶次郎秀益として生きる。

170センチに満たない身体で。

だが、豪胆な精神で生きてゆこうと思ったのだ。


目の力が強い。

鏡水が、目の前の男に抱いた第一印象はそれだった。


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