003 引退/ウラサン
2005年春。
桜の季節だ。
懐かしい。
前世知識で言えば、東の国ジャーンで花見をした。
ジャーンではとにかく酒を飲んで喧嘩した記憶しかない。
国家元首である“ショウグン”主催の大花見大会。
そこでは各地から来た“ダイミョウ”が美酒・美肴を持ち合って新年を寿ぐ、という大義名分があったはずだった。
“あったはずだった”
会場に入る際には一切の武器の持ち込みは不可となる。
“カタナ”を預けた入場者は、粛々と花見会を楽しむ……
「んだとコラー!」
「すっぞコラー!」
……わけが無い。
昼前から開催される大花見大会は、二刻(こちらで言う四時間)もすれば、参加者全体に酒が回るわけで。
好き勝手な放言をした他領の人間が居れば、プライドの高い連中が挙って絡みに行く。
そうして、殴り合い、蹴り合い、投げ合いがそこかしこで勃発するのだ。
(まあ、勝手にやっておれ)
所詮は国内の小競り合い。ショウグンも何も咎めない以上、こういう文化なのだろう。
と、その時は思っていた。
「時に、オクレアンの方。これを見てどう思いますかい」
馬鹿げた喧騒を肴にして酒と花を楽しんでいると、妙にガタイの良い“サムライ”が絡んできた。
何故ガタイが良いか分かったのか。
すでにそいつは褌一丁だったからだ。
「若者が楽しそうじゃな、と」
この時にはワシの年は80を超えていた。それから二倍近く生にしがみつくのだから分からない。
ここで暴れている連中は、まあ、20~30歳くらいのモノだろう。
そういう意味で言った。
「ほう、みな“若造”じゃと」
酔っぱらいの脳内変換を見誤っていた。
若者、と、若造は意味が違う。
「然らば、ちょいと“大人”を見せてくださいませんかね?」
そうして、褌一丁は花見会場に“土魔法のようなもの”を使って土俵を作り出した。
ジャーンでは“法術”と呼ばれるものじゃな。
そうして土俵ができると、そこここで喧嘩していた集は手を止めてこちらを見る。
何やら手伝いだして、円形に縄を設営して、本格的な土俵の完成である。
「やあ、東西東西……」
悪乗りした酔っぱらいの神職が土俵を清め始めれば、同じく悪乗りした酔っぱらいの“カロウ”が“ギョウジ”の衣装で準備している。
見ているショウグンは良い笑顔だ。
気が付けば、褌とワシの一戦である。
「ひが~し~ 春の影~」
「に~し~ 遠の山~」
褌は“春の影”で、ワシが“遠の山”である。
後から聞いたところでは、褌の“春の影”は家名との兼ね合いで、ワシの“遠の山”は、遠くの国から来た兵、と言った意味合いらしい。
その説明をしたやつの眼が泳いでいたから、おそらく適当に名付けたのだろう。
「ハッケヨイ! ノコッタ!」
勝負は一瞬で付いた。
一撃で土俵外に吹っ飛んだ春の影のリングアウト負けである。
それからは言うまでもない。
永久取り組みである。
全戦全勝で勝ち、賞品なのか迷惑料なのか分からない大量のジャーン酒の樽を渡されて一年目は帰路に就いた。
二年目の会場を見たとき、もう何が起こるか理解した。
中央に立派な土俵が設けられているのだ。
以下略、としか言いようがない。
五年目からは行司である。
何でも、名誉力士になったらしい。
優勝者がワシを指名して試合を申し込んできた。
十年目には、優勝者すらワシに試合を持ちかけなかったが、じゃあ趣向を変えようという事で会場全員との組み手が始まった。
帰る頃には、皆諸手で見送りに来ていた。
ショウグンは最後まで良い笑顔じゃったな。
で、今世の話である。
ヘヴァンとの別れである。
すでに今年3月での現役引退を決めていたヘヴァンは、チームをJ2からJ1への昇格という最高の置き土産でもってチームを離れることになる。
当然、チームからの慰留はあったし、なんならサポーターからの現役続行を求める署名さえもあった。署名の合計数が30,000を超えるのだから、大したものだ。
彼の“サヨナラ記者会見”には、多くの報道陣も、関係者も来ることになる。
『ミスター・ヘヴァン。今までお疲れさまでした』
『アリガトウ。ここまでサッカーを現役でできたのは、皆さんのおかげです』
『これからの展望はどうでしょうか』
『サッカーを教えるポジションになりたい。サッカーをみんなに知ってもらいたい』
『サポーターからの署名は三万を超えるようですが』
『僕への期待だと素直に受け取るよ』
『では、サポーターの声を無視して引退するのですか?』
『それは違う。僕自身が、“来期のプレーに期待できない”と判断しての引退だ。サポーターの皆さんからの声は、僕の力になっている。惜しまれるくらいが潮時さ。ちなみに、今回署名してくれたミナサンには、僕が何年かかってでも直筆のサインを届けるつもりだ』
『ですが』
『君がどういう立場であれ、君がチームサポーターだと信じている。確かに僕が抜けることを危惧する声は、正しい。でも、それがサッカーなんだ。いや、表現が正しくないな。ありきたりな事なんだ。誰かが居なくなって、誰かが入って、そうして地球は回り続けているんだ。チームでも、会社でも、スクールでも、誰かが入って、誰かが抜ける。それが正しいサイクルなんだ』
『……』
『僕は、サッカーを“する”ポジションから、サッカーを“伝える”ポジションになろうと思ってる。ジュニア、ジュニアクラブ、クラブ……色んな指導者に引っ張られてプロになって、プロになってからも学んで、戦い続けた。僕は“木”を卒業する。上呂を持ち、種をまき、肥料を与える農夫になるんだ。君は、農夫の僕はキライかい?』
『いえ……』
『アリガトウ。さて、他に質問はあるかな』
『サッカーの転機となったことはありますか?』
『転機か……そうだね、いくつか挙げるとしよう……』
『で、最後の転機だ。これは……言わないでおこう。きっと君たちの前に現れるはずだからね』
『えっと?』
『きっと、僕の前に現れるさ。おそらく敵として。そして、日本のミナサンにとっては最高の救世主として、ね。これ以上はノーコメントだ』
「いい会見じゃったな」
「“農夫”発言はトレンドだぜ?」
「ちょっと痺れたヨ」
近所のガキンチョが集まる浦賀第三運動公園――通称ウラサン。
そこで、ワシらは時折集まっては球を蹴っている。
ジョシュア=バーンズ。
ボンゴ=カンバーロ
まあ、はみ出し者三人が集まった状態である。
ジョシュアもボンゴも所謂外人であって、日本においては中々馴染みづらいという境遇の連中で、ワシも地元の名士、伊右衛門家の嫡男と言う事で、名乗れば親の方から引かれるという境遇である。
「さーて、ワシらは来年から小学生か」
「俺らは揃って、悪名名高き江南小学校だな」
「ま、二人が入るならどうにかなるネ」
気楽なもんじゃ。
ココ(ウラサン)の支配権だって、江南小学校の連中から文字通り“力づく”で得たものだろうに。
だが、それをワシも二人も悪い事とは一切思っていない。
ガラの悪い江南生から支配権を奪い取った後、問題さえ起こさなければ誰でも使ってよい、という方針で、見ればワシらよりも小さい子供も遠慮なく走り回っているからだ。
ワシら三人が他にどう呼ばれているかはさて置き、ワシも含めて皆温厚な連中である。
ちなみにこの話をしたとき、二人からは「「いや、モモだけは温厚じゃない」」との否定の言葉を頂いた。
ワシほどのヘイワシュギシャはおらんと言うのに、失礼なものである。
「おう、やってるな」
「私たちも混ぜてもらっていい?」
「勿論じゃ」
手を振りながらこちらに向かってくる一組の男女は、江南小学校の在学生であると同時に、江南小学校サッカークラブ、通称江南SCのメンバーである。
石川信義
カトリーヌ・カトリーナ・オハラ
イシカワが新学期から4年生、カトリーヌが3年生であるから、ワシらが入学した時には年上の先輩である。
「しかし、来年にモモたちが入学、というのは何かしっくりこないな」
「そうね。私たちよりも年上かと思うくらいみんな大人だもんね」
イシカワとカトリーヌが言うと、ジョシュア――まあ、いつもジョッシュと言ってるからジョッシュじゃ――と、ボンゴは照れ臭いようだ。
「いや、俺はモモに毒されただけだ」
「右に同じネ」
「何を言う。貴様らの元々の性格じゃろ」
そのやり取りをイシカワとカトリーヌの二人は笑い、なるほど、確かに毒されているな、と納得したように頷いた。
ところで、バカと言うのは、分からないから馬鹿と言うものである。
「おい、お前ら。ここから退けよ」
いかにもガラの悪い連中がぞろぞろとワシらに近づき、メンチを切ってくる。
見たところ、小学高学年~中学といったところである。
「お前ら、江南か?」
ワシは少し楽しくなって、間髪入れずに先頭で睨みつけてくる相手に問いかける。
その背後で、ジョッシュはやれやれとジャージのポケットに手を突っ込み、相手からその光景が見えないようにボンゴがブラインドになる。良い連携じゃ。
「だったらどうする?」
「小学生でも質問に質問を返さないぞ? 何だかんだ言っても、江南小学校は馬鹿はおらんから、それ以外か」
江南に馬鹿はいない。馬鹿をする人間のたまり場なだけだ。
「何だと? てめえ、なんつったァ!!?」
「いい加減、質問に答えんか。江南か、と聞いたんじゃ」
「うっせえな! 生意気言ってんじゃねえ!」
「サッサと答えよ。江南の生徒か?」
いよいよ青筋を立てた男は、言ってはならんことを言った。
「ああ? そうだよ江南だよ!」
しばしの無言。その後に。
「江南らしいぞ、こ奴ら」
「知らんな」
「私も生徒会として全生徒の記録を覚えているが、こんな奴は知らん。後ろにいるやつに覚えがある顔もない」
「そうか」
「らしいぞ、ジョッシュ」
「もう連絡した。音声データも記録済みだ」
「本当に馬鹿な連中ネ」
「何を言ってるんだ、お前ら」
ようやく不味い気配を察したのか、今まで威勢の良かった男は困惑し始めた。
だから、懇切丁寧丁寧に説明することにするか。
「一つ、この“シマ”はワシらが江南のルールで勝ち取った」
「二つ、その際の取り決めで、このシマの係争をする場合、事前の布告をする取り決めがあった」
「三つ、互いに二つ目の取り決めを破った場合、ペナルティを課す事が約定として決められていた」
「四つ、第三者がこの約定を知らずに係争をした場合、係争発生時点での支配権所有者が係争の解決を図るものとする」
「最後、江南同士の係争を誘発する事案が発生した場合、“関係する全ての者が”係争の解決を図るものとする」
「さて、ワシは優しいから、非常に優しいから正確に貴様らの状況を説明しよう。“江南”を名乗って事前予告なくワシらに係争を持ち込んだ貴様らは、最後の“関係する全ての者が”対応するという条項に抵触する」
「でもワシはさらに優しいから、赤ちゃんでも分かる言葉で言い換えてやろう」
「現時点で、貴様ら全員が、江南を敵に回した。震えて眠れ」
江南小学校SCの“三軍”から最初にこのグランドを奪取した時から、累計して10回以上はバトルしまくって守り続けている。
二回目は江南SCの二軍で、五回目は江南SCの一軍である。
六回目以降は江南ラグビー部だのアメフト部だの、果ては柔道部や少林寺部、変化球でカポエラ部などがバトルに来ていた。近隣住民にはウラサンは“地下格闘技場”などと呼ばれるに至った。
全然、地下要素は無いんじゃが。
「お、モモ。情報が来たぜ」
「うわ、えぐいネ」
「ほーん、良い情報じゃのう」
「俺たちは何を見ているんだ?」
「イシカワ、江南とはそういうところなんだ」
ところで、江南運動部がボッコボコになって最も喜ぶ連中とは?
江南インドア部である。
PC部等、単純な腕力で戦えない彼ら彼女らは、それでも一矢報いるべく常に牙を磨いている。
“バレなきゃ犯罪じゃない”
それが唯一のルールである。
そして、そんな彼らがモモに関わらない理由は無かった。
インドア部のほぼすべてが、モモに“事前布告”し、一度としてウラサンに来ることは無かった。
ただ単に関係者になるために名目上の喧嘩を売ったのである。
「自宅謹慎5に、停学4、退学3か。さらに言えば、懲戒免職が3と、家庭崩壊が2じゃ」
「何、言ってんだよ!」
「貴様らの罪状だ。その証拠をワシらは握っておる」
「ってめえ! すぐに消せ!」
「無理じゃ」
「はあ!?」
「証拠はすでに適切なところに送っているからな」
「あああああ!」
男は拳を振り上げ、モモを殴ると、ジョッシュはすぐに110に連絡した。
「すみません、ご迷惑おかけします」
「ああ、これはジョッシュ君か。いつもの?」
「いや、完全に別件です。モモが殴られました。傷害です」
「ええ!? モモ君が! ウラサンだろ? すぐに行くよ!」
「お願いします」
――その後、浦賀の街は少し綺麗になった。
傷害犯とその関係者としてショッ引かれた少年たちは、結局のところ少年法に守られて“彼ら”は無事だった。
だが、彼らの親兄弟はそれどころではない。
労働法違反、資金使い込み、不倫、その他の脱法行為が露見した家庭は、やはり崩壊する。
また、それらに関係しない家庭であっても、兄弟が関係者であった、というシコリは不和を呼び、また閉鎖的な環境である学校という空間内では瞬く間に後ろ指を指される対象となるのだ。
今までは暴力を背景とした威圧によって、肩で風を切るように闊歩していた人間が、今では人目を避けるように歩く。
愚かな生徒はそれを滑稽だと笑った。
だが、多くの生徒とその親は、正しく理解するのだ。
“決して。決して江南に触れてはならない”と。
かくして、ウラサンの平和は守られた。
“聖地”ウラサンに足を踏み入れるのは、たったの二種類しかいない。
一つ。何も知らない少年少女である。
同伴者がいる場合、必ず公園の主である少年に一声かけるという暗黙のルールが出来上がっていた。(モモは、何故一声かけられるのか知らない)
二つ。馬鹿共(江南運動部)である。
特に格闘系の部活所属の連中は、モモの事を“師匠”と呼び、技に悩んだり人生に悩んだりした時にはここに足を運んだ。
格闘系だけでなく、スポーツ系のエースも時折足を運んでは、自慢のピッチングやバッティングやタックルを試してみては跳ね返され、一言二言モモと話しては満足げに去っていくのである。
これを憂慮したのは江南小学校運営部である。
ウラサンは行政施設である。
それを私物化している現状と言うのは、私立学校を運営している以上、非常に味が悪い。
“土地買うから、そこでやってくれや”
という、身も蓋もない話が出れば是非もない。
2005年初秋
私立江南小学校・特別グラウンドが設置された。
“トック”という綽名は、早々に廃れた。
運動部を中心に、ウラサンと言い始めたからだ。
これに待ったをかけたのが、浦賀第三運動公園近隣住民である。
『僕たちの地下競技場だ。ここが聖地だ』という訳の分からない主張である。
これは実利も絡んでいる。
浦賀第三運動公園をウラサンと言い続ける限り、不逞の輩が出た場合に脅し文句になるのである。
「君たちねえ、ここウラサンだよ?」
呆れた顔で話せば、事情を知っているヤツはすぐに顔を真っ青にして逃げ帰るのだ。
かくして浦賀の街に、ウラサンは二か所、誕生することになる。
私立江南小学校・特別グラウンド
浦賀第三運動公園
どちらも、(不良の)禁足地となるのであった。
『という訳なんじゃ』
『人間って愚かというか』
『馬鹿馬鹿しい話だけど、理解もできるわね』
目の前に、二冠馬が二頭いるわけで。
ワシ、伊右衛門百々は、いつもの所(栗東)に来ているわけだ。
ディープ。残るは菊花賞。
レディー。残るは秋華賞。
この二頭の関係と言うのは、中々面白い。
ディープは目標を打倒エリン・コクトーとしている。
今までの敵も、これからの敵もあくまで二頭の通過点と考えている。
レディーの目標は打倒ディープである。
日々、前進する背中を目標とし続ける。同じレースを戦う馬を敵とも思っていない、と言う点ではディープの同類である。
『まあ、のう。人間とはなんと面倒くさいものか、と何度考えたか』
『モモも、馬になればいいのに』
『ワシが馬になればコクトーじゃな』
『じゃあ、いい。いつかモモが騎乗したコクトーに勝ちたい』
『言うたな貴様』
ワシャワシャと撫でると、鬱陶しそうにしながらも嬉しそうである。
『そう言えば、エリンもモモが騎乗していた馬なのか?』
『部分的にはな。メインで乗っていたのは別のやつじゃ』
『へえ? 気になるな』
『騎馬民族の巫女騎というのが、エリンの地上での立ち位置でな。ただ、その巫女がエリンを最初、召喚できなかったから、ワシが代わりに召喚・召臨させたというわけじゃ』
『それって前に言っていた、大酒を飲んだ話の?』
『そう、それじゃ。ディープはスターウェイを覚えているか?』
『嫌でも覚えているよ』
『ざっくり言えば、ヤツの同類じゃな。馬獣人族が生まれつき人間族のような姿で生まれる、それが巫女エファーというやつでの。天性の騎乗センスは、というか“走る”ということ全般の天才だったが、召喚術だけはできなかったのでパスを繋ぐまでは代行していた、といったところだ』
『なるほど。理解はした。だけど、エファーとやらはスターウェイのように天上態にはならなかったの?』
『天上態になったかは分からん。その前にワシは死んだからの』
『そうか。興味が出たから、そのエファーと走ってみたいと思ったんだ』
『そりゃ、ワシも気になるな。ディープVSエファーか。エリンが嫉妬しそうじゃの』
『死ぬのは御免だよ!?』
『ちょっと、ワタシを無視しないでよ』
『おっと悪い悪い。罪滅ぼしでもないが、何でも聞いてみてくれ』
『ディープの弱点』
『こいつの弱点か……うむむ』
『自分の弱点を教えるわけないじゃん』
『ケチンボ』
『いや、どれを言うか迷っとったんじゃ』
『ええ!? そんなに僕、弱点だらけ!?』
『コクトー』
『ウッ』
『ねえ、そのコクトーって何?』
『ワシの愛馬じゃな。この世界には居ないが、ディープはそいつに何度も負けとる』
『? どういうこと?』
『細かいところは置いといて、ディープは“レースコントロール”が苦手だ。まあ、揺さぶりに弱いとも言う』
『へえ? ん? ワタシに有利なのその弱点』
『いや、まったく。レディーも同類じゃからな』
『意味ないじゃん! ディープに勝てるような弱点は無いの?』
『うーん……』
『何か無いの?』
『いや、ない。レディーがディープに勝っているのは愛嬌くらいじゃ』
『何よそれ! こいつに一生勝てないってこと!?』
『こりゃしょうがないか。先生を召臨させるしかないか』
『どういう事? モモ』
『多分、すごくワシが怒られることになるかも知れないけど、エリンの召臨契約を取りに行こうと思ってな』
『頑張って! ディープに勝つために必要だわ!』
『……僕も“生”エリンに会えるかもしれないのはすごく嬉しいけどね。モモがここまで嫌な顔してるってことは、多分ろくでもない事でしょ?』
『その通りじゃ。ワシ、エリンの住処に永久出禁食らってるからの』
『ダメじゃん』
『だからな、ディープ。貴様を道連れにしても良いか?』
『は?』
『天生獣って数がめちゃんこ少ないんじゃ。 “ディープって馬がすごいんですよ”って死後のリクルートを斡旋できれば、どうにかなるかもしれん』
『まあ、そのくらいなら……』
『ちなみに、“伝説級の馬”にディープがならなかった場合、契約不履行として引退式で天雷を喰らって地獄の苦しみの中で死に絶えるオプション付きなのだが』
『ひどいね! そのオプション!』
『問題ないわ。私の先生が付いて、ディープが死ぬオマケ付きでしょ?』
『マジでお前。絶対に勝たせんからな』
『ディープ、口調が乱れとるぞ』
……モモ、移動中。
天界。
世にいう天国と言われる場所である。
“審判”によって、天国行きを言い渡された者の魂の安息地。
閻魔の“裁判”によって、行き先を決められるシステムと似ているのか似ていないのか。
天国行きの人間には審判終了時にパスポートのようなものが渡される。
これを地上で売ろうとした人間がいるのだから、なかなかに人間と言うのは業深い。
「……よし、確認した。行ってよし」
「はい、天使様」
こうして、行列に並んでいるが、なかなか進まん。
偽造パスポートができてからチェックが厳しくなったのは、良い事なのだろう。
欠伸が出るわ。
「……おお、これは。こちらにどうぞ」
パスポートにも等級がある。
高徳の人間ならば、等級が上がる。
何だったら将来の神候補もいる。
天使としては、将来の上司になる存在に無礼は働けないのだ。
いい加減、飽きてきたのう……。
そういうタイミングで、ようやくワシの番じゃ。
「はい、次」
「伊右衛門、百々じゃ」
うっかり名乗った。
途端に天使の警戒レベルは最大になる。
“審判”の後には、天国行きの場合、忘却の河の水を飲むことになる。
つまり、“自分の名前を憶えている訳がない”のだ。
まあ、ワザとだから気にするまい。
「おお、間違った。馬神ヴーヴァに会いに来たのじゃ。ちょっと相談があってな」
いかにも大仰に言うと、天使も乗る。
「間違った、と言ったな。名を明かせ」
「天命使を呼ぶことを勧める。この発言をした以上、貴様が騒ぎ立てるほどに立場が悪くなるぞ」
天命使は、管轄ごとに神から任命されている天使の事じゃ。
この場合、“天界への入界審査の真実性”が求められるので、天命使は真実を司る大天使になるじゃろう。
任せろ、顔見知りじゃ。
ほら飛んできた。
「我はミシオン。モモと“放言を放つ”輩を尋問する」
「はい、ミシオン様。おら、こっちに来い」
「モブーウォ、手荒な真似をするな。そいつはこっちで預かる」
「……? ハハッ!」
連れてかれた尋問室。
「グスタフ殿ですよね、あなた」
「いかにも」
ミシオンは深い、深ぁーーーい、ため息を吐いた。
「我々の誠意は不十分でしたか?」
「そういう事ではない。馬神ヴーヴァに、天生馬エリンの召臨契約と、見返りとして地上馬の天生獣売り込みの為に来た」
こいつに駆け引きと嘘は全く通じない。
真実天命使、ミシオンとは、真実を見通す者だ。
「ヴーヴァ様に? コクトーだって推挙しなかったじゃないですか?」
「コクトーはいずれ地上に転生させようと思っていたからのう」
「嘘はない。エリン殿の召臨目的は?」
こいつがエリン“殿”と言うのは、神の直接配下と言う点で同位だからだ。
「弟子の調教」
「は?」
「地上で走っている、ワシの弟子の先生にしたいからじゃ」
「噓が……ない……? 本気で言っているんですか?」
「本気も本気じゃ」
「噓じゃ……ない。 では、聞きますけど、正気で?」
ミシオンがワシの正気を疑うのは、本当に正しい反応だ。
エリンは天界において、最も気性難だと言われている馬である。
寧ろ、地上で巫女エファーを背に乗せて走るエリンを、統一神でさえも信じられないものを見る目で見ていたほどだ。
ワシも、エリンの背に乗ったのは片手の指で足りるほどしかない。
エファーに紹介した時。即死トリガー1回。
エファーに騎乗を教えたとき。即死トリガー3回。
エファーの窮地に向かった時。即死トリガー9回。
もう自分が死にすぎて、慣れ切ってしまったわい。
「おう、久しぶりじゃな。馬神ヴーヴァ。用向きはミシオンから聞いたか?」
「全く以て、無礼。頭を垂れよ」
結局、ワシとの問答がすべて真実だと知ったミシオンは、ヴーヴァへと案内した。
まあ、カチコミじゃなきゃ何でもいいか、と呟いていたミシオンは苦労人である。
「さて、これを見てくれ」
頭を垂れるわけもなく、召喚魔法を行使する。
実は、召喚されたそれぞれの召喚獣にはログ(記録)が貯まる。
召喚神殿で召喚すると、召喚獣が強化されるカラクリとは、そのログを管轄の神か神の権限を持つものが認めた場合に加護が与えられるから、という裏事情である。
なので、目の前で神を相手にログを開示すれば、目に留まらないわけはない。
「ほうほう。ディープインパクトーか。エリンとコクトー相手に特に戦っているのは何故じゃ?」
ほら、この通り。
ワシの無礼なんぞよりも、走る馬に興味が向く。
馬神じゃからな。
「どうも、その二頭がお気に入りのようで。今回の話とも繋がってきますな」
「焦らすな。はよ申せ」
「ディープは、エリン本馬との戦いを望んでいる。また、そのディープのライバルを自認している馬も、エリンから学びたいと。対価は、ディープの死後の天生獣じゃ」
「空手形を振り出すつもりか?」
「天生獣の資格なくば、天雷で貫けばよい、と言っておりましたぞ」
「ふむ」
「で、コクトーに関しては、今回の天生獣うんぬんとは関係なし。ただ、召喚獣コクトーから学ぶところ大として、多く闘っているというわけじゃ」
嘘を付いた。ミシオンが居なくて助かった。
天雷で貫けばよい、などとディープは言っていない。
それに、ディープがコクトーと多く闘っている最大の理由は、ペナルティーが無いからだ。
他の召喚獣が命だの選手生命だの、足だの背骨だのをペナルティーの対価として要求するのに対して、コクトーは一切の罰則ナシである。
惨敗の数だけが淡々と積み重なっている点を除けば、ノーデメリットと言えるだろう。
「で、知っての取りコクトーは天界に居ないから召臨契約はできない。だから、このログを見せた反応如何で、エリンと召臨契約を結びたい、というわけじゃ」
「あい分かった。条件を“後で”一つ申し付けるが、まずはエリンと交渉するがいい」
「何しに来た」
久しぶりに会いに来たエリンは、そりゃもう不機嫌千万である。
限界まで耳を絞り切っている。
ワシって、そんなに何かしたっけ?
まあ、良い。死亡のストックはできておる。
「これを見よ」
秘儀:ログ公開!
神であろうと、馬はこの魅力には逆らえまい。
死亡一回目。
「テンションがウザかった」
貴様の匙加減じゃろうが。
「で、どうじゃ? ディープは」
「悪くない。加護を召喚経由でも貰えたことは納得」
「そうじゃろう、そうじゃろう。ディープはな―――」
死亡二回目。
「話が長すぎる」
最後まで聞いていたから、興味はあったんじゃろがい。
「で、どうじゃ」
「私が教えるという、馬のログは無いのか」
「ログは無いが、記録魔法で共有できるぞ。レディーは貴様と同じくやんちゃで―――」
死亡三回目。
「聞いてないことを話すな」
そう言いながらも、記録魔法をジッと確認しとったじゃろうが。
「で、どうなんじゃ」
「小娘も、青臭いのも悪くない。戦いたい、となれば対戦してやろう」
「意外だ。エファーは?」
「すでに審判待ちだ。まあ、悪くない最後だった」
「天上態には?」
「なった。だから余計に揉めそうではある。戦神と獣神がすでに喧嘩している」
「だろうなあ」
「お前はどう思う?」
「ワシか? そりゃあ、本人が決める事じゃろう、それは」
「バカか?」
死亡四回目。
「気軽にワシを殺しすぎじゃろ貴様」
「気軽に生き返る方が悪い。他にはこんな事しない」
「嘘を付いていないと……っとミシオンが乗り移った。で、乗ってもらいたいと競いたいを天秤にかけてグラついている訳か」
「うるさい」
「お前、元祖獣のこと何も分かっとらんな。任意で人態と獣態と半人獣態を変化できるから、好きな時に乗ってもらい、好きな時に競えるんだが」
「知ってる」
「じゃあ、問題は何じゃ」
「エファーの上に貴様が乗ることを想像すると、脳が破壊される」
「度々破壊されてるのは、ワシの命なんじゃが」
死亡五回目。
「で、エファーの件はともかく、召臨契約でいいんじゃな?」
「問題ない。できればエファーとも地上に召臨したい」
「そりゃ、願ってもない事だ。よろしく頼むぞ」
「触るな」
死亡六回目。
モモはエリンの召臨契約に成功した。
だが、どうせなら三冠記念に取って置こうと思った。
『お前たちにビッグニュースじゃ』
『え?』
『しばらく居なかったけど、なに?』
『聞いて驚けよ。ディープとレディーが三冠を達成すれば、エリンを連れてくるぞ』
『ハイハイ、いつも見てるよ』
『何を驚けって言うの?』
『反応が薄いな。ディープ、召喚魔法の説明はしたよな?』
『聞いたね。モモの中の召喚獣を行使する、ってやつだよね』
『ま、ええか。“生”エリンを連れてくるぞ』
『ッ!! まさか!』
『六回くらいエリンにぶっ殺されたがな』
『そんなことどうでも良い! エリンが来るんだな! ついに!』
『先生が来るのね! これでディープに勝てるわ!』
『お前ら……ま、ええか。死に損でもないしな』
2005年 10月
―――THE LEGENDS
秋華賞
芝2000メートル
牝馬二冠。
最後の一冠。
名家の淑女は、さらなる進化を遂げる。
塞がれた、道はない。
最終コーナーで悲鳴が上がる。
“シンデレラ”はここまでなのか。
魔法使いが居なければ、舞台にすら、上がれないのか。
淑女は、ガラスの靴を脱ぎ捨てた。
煩わしい枷を外したのだ。
“イエモレディー”
剛腕でぶっちぎる、ラスト2ハロン。
もう、淑女とは言わせない。
次の伝説は――――。
―――THE LEGENDS
2005年 10月
菊花賞
芝3000メートル
言葉はいらなかった。
“絶対のあるレースはつまらない”
なら、教えてくれ。
絶対のあるレースで、
僕たちは、涙を流した。
まだ、足りないのか。
“ディープインパクトー”
最速で駆け抜けた。
その馬が、流す涙の理由を、教えてくれ。
次の伝説は――――。