027 オリンピック狂走曲/前編
探偵モノが複数回に分かれていると、「アレ? そんなことあったっけ?」となりませんか?
2019年 5月
「ダメだぁ……一小節も浮かばないよぉ……」
九条佳苗は、シンガーソングライターである。
インターネット配信から大ブレークし、この度、オリンピック公式応援ソングのコンペに出場することに相成った。
もともと広かったリビングには音楽機材が所狭しと置かれ、作業机の前に置かれた大型ディスプレーは、彼女の心境を表すかのように、臨終前の心電図のようにピクリとも動かない。
その足元にはストロングな缶がバラバラと散らばっている。それを片付ける余裕など、彼女には無かった。
「ハッハハ……短かったなぁ……私の音楽生活も……」
“顔と音楽以外を親の腹に置き忘れた女”
家事もできない、勉強もできない、コミュニケーションも難あり。
メンタルも、マンボウの心臓よりも繊細である。
運動などは以ての外だ。運動会で唯一出場できたのは玉入れだけ。誰にも迷惑をかけないからである。
そんな彼女にアスリートの事など、一粒も理解できないのだ。
それを応援する側の熱意など、一寸も共感できないのだ。
では、何故受けてしまったのか。断れなかった、その一言に尽きる。
「せめて……せめて爪痕を残さなければ……」
そうして開始するのは、配信である。
【さよなら】雑談枠。
何とも不穏なタイトルであるが、二か月ぶり十二回目のサヨナラ配信である。
「えー、この度。私ことKANAEは、本日をもって引退します」
・何度目?
・こんばんは
・いつもの
・また引退するのか
・話きこか
視聴者も慣れたものである。
「えー詳細は伏せます。……スポーツの曲ってなんですかねぇ……? 書けませんよ、私にはねえ」
・察し
・ほぼ答えいっとるやん
・まあまあ、分からん体でいこう
・せやな
・君の真逆、かな?
「そーなんですよぉ……スポーツするのもダメ。応援する気持ちも分からんのよ……」
・分かる
・運動音痴は基本的にスポーツ嫌い
・スクールのトラウマが疼いて来やがった……
・私は貝になりたかった
・何でこの仕事受けたん?
「いやあ……社長にはお世話になってるし、ご飯作ってくれるし、部屋片づけてくれるし」
・君の家政婦じゃないんよ
・おかんやん
・ほぼ飼育員
・やれんことをできないというのもプロってもんでは?
・衣食住を握られとるんや、察してやれ
「そーなんですよねぇ……見てよこれ、真っ白。なーんも思いつかない」
・グロ
・線が入っている分、使ってない学習ノートの方がまだマシやん
・まるで想定してなかった質問食らった俺の頭の中みたいだあ……
・涙拭けよ
「と、言うわけでしてね。この度の失態で、私の首は飛ぶでしょう。そうなると、顔と音楽しかない私にはね、麻布十番に家持ってるイケメン金持ちの嫁になる末路しかないんですよ……」
・おや?
・こいつ、ネガティブなのかポジティブなのか分からないぞ
・それは、勝ち組では?
・こいつに女のアンチが沸きまくる理由がよう分かるわ
・これを無自覚に言っているあたり、社会性も皆無だと分かる
「ハハハ……こんな女はね……(プシュッ!) ……ひっそりと、世間からフェードアウトしていくのがお似合いってね……」
・プシュッ!
・おい、おい
・休日とはいえ、昼間からか?
・飲 酒 配 信
・今更それ言う?
・サヨナラ配信で毎回これだぞ?
「ああ^~効きますわぁ……ゲームとかアニメなら、熱くなれるんだけどなあ」
・あとでお説教です@公式
・あーあ
・見つかっちまったな
・南無
・リアルじゃなければスポーツものも見るん?
「社長のコメントは見ないことにして……見ますねえ、ほら、彼らって私に、運動しろとかナントカ言ってこないじゃないですかあ」
・せやな
・お辛い
・社長のコメントは見ろ
・じゃあ、アニメみたいなスポーツ選手が居たらどうする?
「ハハハハ、いるわけないじゃないですか。いたら絶対見ますよ」
・あ
・いるんだなあ、これが
・言ったな【動画URL】
・そんなん居るの?
・ちょうど、もうすぐそいつの試合が始まるぞ
「そんな釣り針に……釣られるッ! ぽちっと!」
・メディアリテラシー×
・ノーガード戦法
・悪質スパムなら一発アウト
・再教育ですね@公式
・是非ともお願いします
「………………コレ、マジ?」
・マジ
・嘘、CGとかじゃなく?
・初めて見たけど、これ釣り動画だろ?
・何人もの専門家が挑んだが、無修正だとよ
・若者の人間離れ
・ワンオフ機体だからギリセーフよ
「ちょっと待って……さっき、あともうちょいで試合始まるとか言ってなかった?」
・14:00キックオフだ。十分後だな。
・今すぐ目の前のディスプレイを有効活用しろ
・何だったら、同時視聴枠にするかい?
・少しくらいなら、解説もできるぞ
「ありがとう。……五分前に枠取り直すね」
・はいよ
・俺も酒取りに行くか
・TT
・今からコンビニにダッシュしまーす
・盛り上がって来たな
~試合終了後~
「…………」
・0-3! 日本快勝!
・快勝?
・そもそもサッカーだったのか?
・赤6枚、黄4枚は死屍累々なのよ
・KANAEの最初に見たスポーツがこれか
・スポーツ……では無いな、うん
・限りなくカンフー映画
・少林サッカーを再現しました、だな
・戦争映画とかに近い内容
・リアル運動部がかすんで見えるよ
・あれ? さっきから無言?
・おーい?
「……閃いた」
・閃 い た
・閃 く な
・KANAE復活! KANAE復活!!
・良かったねえ@公式
・良いのか公式
・寛容さがオカン級
・どんな曲になるのか
九条は、今までの不調が嘘のように、一晩で曲を作り上げた。
そして歌った。彼女は絶望した。
音程もリズムも、何もかもが完璧だ。
だが、自分のイメージにある新曲――ビーストソウル(仮)――のインパクトにまるで足りない。
原因は分かっている。自分自身だ。
自分の心には、獣が居ない。相手を血祭りに上げようとするような、野蛮な咆哮と共に敵に躍りかかるような闘志が無いのだ。
あの時のサムライブルーは、こんなモノでは無かった。
赤のユニフォームで向かいくる相手の返り血で、同じく赤く染まるような重厚な闘志が、そこにはあったのだ。
九条の数少ない美点の一つは、人に躊躇なく頼れることだ。
次の日には、社長に泣きついた。
鏡水は、九条から受け取った音源を手に、悶々とした。
彼女が渡して来た音源は素晴らしいものだった。
同時に、彼女が「私には歌えません」というのも理解できてしまった。それゆえの煩悶である。
「さて、どうしたものか」
本来は彼女自身が歌うべきだし、五輪のコンペティションにもおそらく勝てるのではないか、という完成度だ。だが、それでは九条自身が納得できないだろう。
では、他の男性ボーカルに頼むか? それこそ、九条が許しはしないだろう。生半可なヤツに自分の傑作を取られたと、本当に引退しかねない。
いくら考えても、結論は出ない。
こういう時は、一度何も考えない事だ。引き出しを開けて、愛飲しているタバコとライターを取り出して、席を立った。
鏡水のオフィスは、東京のオフィスビルの8階にある。隔階で喫煙所がもうけられているので、全く異なる業種の人間の顔を見るのも良い気晴らしになるかもしれない。
「ふう」
無糖の缶コーヒーと共に一服すれば、少しだけ楽天的になった。
何にせよ、曲はできた。締め切りまで十分期間がある。本人が百パーセント納得しなくても、そのまま彼女が歌ったこの音源でエントリーすることができる。曲自体が素晴らしいから。
それは脳が働きを弱めた結果だと、鏡水は知っている。
「獣、か」
彼女のイメージするものと、自分がイメージするものが、少し違う。
九条は獣だと言った。鏡水もその試合を見たが、スパルタのような猛烈な闘士のイメージを抱いたのだ。
理性があるか、無いか。
まあ、理性があってあの試合をするのだから、若いサムライブルーは相当に狂っているのは間違いない。
「~~ ~~」
思わず、新曲のメロディーを口ずさむ。
「よろしく、お願いします」
「ああ、また連絡するよ」
東京徳一ビルの一室から退出した保月は、受け取った名刺に素早くメモ書きをする。そうしなければ、一時間もすれば記憶がどんどん薄くなるからだ。
彼の記憶力が低いわけではない。
一日に百人以上の人間と会うと、重要ではない情報や印象の薄い人間は記憶に残らないからだ。
だから、あとから見返したときに思い出しやすいように、名刺に直接情報を残すのが癖になっているのだ。
「別に俺が偉いわけじゃねえって、分かってはいるんだけどね」
大手広告代理店の二十年選手、それもトップ層で幹部候補。
頭を下げられることが当たり前な環境に、保月は苦笑する。
だが、その分、肩ひじ張って歩かなきゃならない立場だ。田舎育ちで要領だけは良かったからトントン拍子で進学して出世街道。対する相手は笑顔の腹では何を考えているか、わかりゃしない。仕方があるまい、それが選んだ道だ。
「一服するだけが、心のオアシスだな」
今居る九階から、一つ下の八階には喫煙室がある。十階にもあるが、わざわざ上に行く理由が無い。
そうして、喫煙室に向かえば、鼻歌が聞こえてくる。歩みを進めれば音が大きくなるんだから、これは向かう先に鼻歌の主がいるに違いない。
保月のいたずら心に火が付いた。回れ右をして喫煙室から離れた方の自動販売機から二つ缶コーヒーを買い、再び喫煙室に足を向ける。
誰も聞いていないと、鼻歌を歌っていていると、ガチャリと入って来た赤の他人が「はい、どうぞ」と缶コーヒーを差し出すのだ。
これは恥ずかしいに違いない。
しかし――
「これは、聞いたことが無いな。何て曲だ?」
職業柄、流行でもレトロでも、ある程度の曲は知っていると自負している。
不思議に思いながら、ドアノブを捻った。
「お疲れさん。良い鼻歌だった」
保月がにこやかにそう言って突き出した缶コーヒーを、しまった、という表情を隠さずにしばしば凝視して、恐縮しきった顔でおずおずと鏡水は受け取った。
「いやあ、お恥ずかしい限りで……」
そうして、保月がタバコを取り出すと、「コーヒーのお礼です」と羞恥心を誤魔化すように自分のライターを取り出して鏡水が火をつけた。
しばしの沈黙。
「……何て、曲だい?」
「実は、まだ。曲名も決まってないんです」
「ほう……?」
なるほど、未発表の曲か。それなら知らなくてもおかしくない。
保月は内心納得して、「いい曲じゃねえか」と本心から言った。
だが、「良い曲なんですよねえ」と浮かない顔をする鏡水に、保月は興味をそそられた。
「何か、気に食わねえのか?」率直に聞いた。
「……実はこれ、未完成なんですよ」
「今のが、か?」
「そうなんです」鏡水が肩を竦めると、信じられないモノを見たように保月は瞠目した。
「どういうことだい? 言ってもいいなら聞かせてくれよ」
「そうですね……」
「獣、と言えば、どういうイメージを思い浮かべます?」
鏡水は、保月にかいつまんで説明した。
勘の良い保月はこの曲が何のために作られたのか察した。
「日本VS中国、見ました?」
「リアルタイムで見たよ」
「どう思いました?」
「……ああ、この曲はそういうインスピレーションでってことか」
「そうです。そこで、作曲者と僕のイメージに差があるな、と」
「なるほど。音源はあるかい?」
「いやあ、それはちょっと……」
「良いじゃねえか、最初の聴衆ってだけだぜ? 口外もしねえ」
「……ワンループだけですよ?」
保月は、聞き終わって。
(これは、来年のオリンピック応援曲はこいつに決まったな)と、確信した。
だが、確かに物足りなさがある。
自分のイメージは、コロッセオだ。まるで映画グラディエーターのような、怒号が響き、生死が分かたれるような鬩ぎあい、そして得られる栄光の歓声。
なるほど、鏡水と作曲者が納得しないのも理解できる。
自分が抱いたイメージと感想をそのまま伝えると、鏡水も「そうですよねえ」と同士を得たような表情だ。
「で、俺の伝手の中でも、これを歌えるヤツはいねえな」
「あ、そうなんですか。ところで、保月さんっていったい……」
「ここで言う話じゃねえ。今日の7時、池袋駅。空いてるか?」
「まあ、空いてますけど」
「奢りだ。付き合え」
「はあ……」
その夜、池袋の飲み屋で、鏡水の絶叫が響いた。
その後、鏡水と保月は度々その飲み屋で現状報告会を行ったが、収穫なし。
暗礁に乗り上げたかに見えた。
だが、そんなオジサンたちを、天は見放さなかった。
鏡水はともかく、保月の方は勤め人である。
彼の上司という人間が確かにいる。
保月が男性ボーカルをとにかく漁りまくっている、という情報は、彼に届くわけであり。
上司に捕まった保月も、これこれこう言う事で、と説明した。
次の日、池袋の飲み屋に一人メンバーが増えた。
上司の上司もいる。営業統括部長という、上から数えれば十本指くらいの立場である。
保月とその上司がこそこそしているのを、トウカツは見逃さなかった。
池袋の飲み屋の飲み屋に、また一人増えた。
まるで蟻地獄であった。
最後の天辺が池袋の飲み屋に来たあたりで、事態は進展する。
「一回しか見たこと無いけど、それを歌える人間がいるかもしれない」
シャチョウは、出資者の付き合いで、奇跡的にキタサトブラックの引退式に出席していた。そこで、“サイ”という男を見たことがあったのだ。
その時の映像を、自信ありげにシャチョウはメンバーに見せた。
「どうかな、カガちゃん」
「声を、かけてみましょう」
この会のリーダーは、鏡水だった。
本人は恐れ多いと言ったが、同じく発起人の保月が逃げた上で、唯一組織人ではない鏡水は、打って付けだったのだ。
事は、急激に回り出した。
鏡水は伊右衛門牧場に足を運んだ。
シャチョウに、「あそこは気に入った人間しか仕事を受けないと、もっぱら評判だ。足を運んだ方が良いんじゃないか?」とのアドバイスを貰ったからだ。
「社長~、こんなところにお目当ての人がいるんですかぁ?」
「こんなところ言うな」
九条を伴ってきたが、これは失敗だったか。
にしても。
「本当にデカいな」
「そうですねぇ」
東京ドームがいくつ入るんだ? それくらいの広さだ。
それに、この雰囲気。
人見知りコミュ障の九条が外にいても緊張していない、と言うのは、郊外である事を差っ引いても非常にまれな事だ。目深に被ったフードの奥の眼差しも、心なしか輝いているように見える。
少し早いが、九条の夏休みをここで過ごしてもいいかもしれない。
「九条」
「ん?」
「ここ、宿泊できるみたいだけど、泊っていくか?」
「泊まる!」
受付で宿泊を申し出ると、直ぐに部屋が取れた。
「すみません、シャチョウ。こういった次第で……」
伊右衛門牧場に来たは良いが、接触できず。
現在、牧場内で宿泊中。
鏡水はシャチョウに現況を報告した。
「ああ、いいよいいよ。話を聞く限り、最初から突撃しなかったのは正解かもね」
「と、言いますと?」
「今回の僕らみたいにサイに目を付けた人も他に居たらしいんだけど、全部門前払いだってさ。電話のアポもNGで、飛び込みもNG。だけど、サイと同じく牧場所属の獣医なんかは、実際に会って人となりを確認すれば仕事を受けることもあるみたいなんだ」
「拙速はむしろ悪手、ということですか」
「そう言う事。色々見てきて、色んな人に話を聞いてみてよ。一日二日と言わず、一週間でも滞在してさ」
「分かりました」
「必ず成功させてほしい……と、君に言うのは野暮か。土産話を待ってるよ」
「期待してください」
まあ、期待してくださいも何も、道筋が全く見えないのだが。
とは言え、ここまで来たのだ。時間だけは無駄にすまい。
鏡水が最初にしたことは、とにかく牧場内を歩き回る事だった。
馬、馬、人、馬。
時折、走りこんでいる人馬を見かけては、その迫力に驚く。
それはほんの少し、アノ曲のインスピレーションに近しいものを感じる。
(ここで走っている馬も、将来はレースに出て鎬を削り合うのだろう)
だからここは、若い戦士の養成所の役割もしているのだろう。
なんだか、身近にヒントがあるようで、鏡水の心は自然と弾むのだ。
(僕もなんだか……曲を作りたくなってくるな)
彼もかつては、音楽の最前線に立っていた。
グループ解散を以って現役を退いたが、彼の情熱は完全には消えていなかったようだ。未練がましいな、とその熾火の燻りを苦笑しながら、アコースティックギターを取りに車へ弾んだ足を向けた。
取れた部屋とは、部屋では無かった。
コテージの一棟である。一棟の中で、真っ二つに分けるように二部屋になっている、という間取りだ。そこに、鏡水と九条は泊まることになる。
その一階のフリースペースでギターをかき鳴らす鏡水に、九条は声をかけた。
「社長、ギターできたんだ」
「当たり前だ。音楽事務所の社長だぞ、俺は」
「そんなに上手い必要ある?」
「お前さんみたいな天才に比べれば、下手の横好きだよ」
「採譜ある?」
「採った分は、そこにな。勝手に持っていけ」
ふーん、と興味無さそうに部屋に向かった九条は。
一時間足らずで、戻ってきて楽譜を鏡水に渡した。
「はいこれ。社長、弾いてみてよ」
「どれどれ……って! 俺がこんなもん弾けるかあ!」
「アッハッハァ! ピアノ譜だもんねぇ!」
「全くよお、お前さんは……一応、最後までできた。譜整理出来たら、セッションでもしてみるか?」
「ハイ、ヨロコンデー」
「雑居酒屋か」
二日目。
仮題『馬(直球)』という新曲ができたが、目的は一切達されていない。
いないのだが……。
「お恥ずかしながら、新曲をお聴きください」
九条と僕は、ランチのステージで曲を披露している。
発端はアホ九条が、朝の一発目で新曲のサビを披露したことにある。
トランペットで。
天空のお城の少年が奏でるように。
朝、一番で!
何かが琴線に触れたのかもしれない。その旋律で牧場の馬がシャキッとし出したのだ。
……。
滅茶苦茶、怒られました。九条と、監督責任として僕が。
そして、非常に気まずい気持ちで朝食会場へ向かった。
「すみません、CCの、カガさんですか?」
そう声をかけてきたのは、僕よりもずっと若い、九条くらいの年齢の男だ。
身長は低く、だがビチッと引き締まった体つきだ。
「まあ、そうですけど……」
CCは、僕がかつて所属していたグループだ。すでに解散しているけどね。
それを聞いた目の前の青年は、ますます目を輝かせた。
「やっぱり! 朝の曲は新曲ですか!? カガ感が凄くしましたよ!」
カガ感って、何だよ。
現役時代から言われている、謎の単語だ。
「いや、あれをやったのは」
こいつです、と九条を指さす前に、
「そうです。鏡水が作った、最新作です」
と、超人見知りの低い声で、九条が肯定した。
「そうでしたか! そうですよね!」
そう言って、僕の許可も取らずに男は目の前の椅子に腰を下ろした。
私、別の席に行くね、と九条は席を立った。彼女はそういう人間である。
「それで、あなたは?」男の身上を聞くと。
「騎手の、財前と言います。あなたのファンです」と名乗った。
財前君は、聞けば21歳。九条よりも年下だった。
僕がこの牧場を見学しに来た、と言えば、少し離席したと思ったら、「僕が案内しますよ」と言った。お言葉に甘えてついていくことにした。
そこで僕は、目の前で。
サラブレッドを、若駒を目にすることになる。
つやつやした毛並みに、溢れんばかりの生命力。
これで、財前君曰く一歳だという。
彼の言葉のままにギターを背負っている怪しいおじさんが近づいていい存在ではないと、なんとなくわかる。
「レイクフォースター。彼の名前です」
四つの星で、フォースター。
これは、すごい馬だ。馬なんて全く分からないけど、すごい馬だ。
「触ってみます?」
「いや……」恐れ多い。
だが、フォースターは、好奇心が強いらしい。
お前の背中にあるのは何だと、フンフンと鼻を押し付けてくるのだ。
ならば、彼のリクエストに答えねばなるまい。
なおもギターケースを押してくる彼を押しとどめて、相棒を取り出すと、軽くチューニングする。
演奏する曲は、さっき決まった。
星を名にする彼には、これが似合うだろう。
僕がグループで初めて発表した曲。
“(星を観る者)スターゲイザー”だ。
登内は、レイクフォースターの馬主である。
念願の伊右衛門牧場で一泊して、フォースターを一目見て、それでこの地を離れる予定であった。
だが、そのフォースターの厩舎から、ギターの音がする。しかも、生音だ。
(けしからん)
音に敏感な馬の前で、しかもよりによってフォースターの前でそんな蛮行をするなど、万死に値する。
そうして駆けつけた先で見たのは。
「幾億の星の中でも、一等輝く星の名前を、僕は知らない」
「教えてくれ、その星の名を、僕はスターゲイザー」
静かな旋律と、通る切ない歌声。傾聴するフォースター。
だけではない。厩舎中の馬が、聞き入っている。
最後の一音が、飼い葉にしみこむくらいの間。
……。
よし、もう一泊だ。
「演奏れ」
「はい……」
登内に捕まった鏡水は、さながら猫に首根っこを掴まれたネズミである。
ヨロコンデ! ランチのステージに立つのである。
九条を巻き込めたので、精神的にはギリギリセーフである。
なお、九条は単純にステージを楽しんでいる模様。
それはそうかもしれない。トッププロである彼女にとって、ミスしても誰も気にしない環境で演奏するのは、数少ないアマ時代以来なのだ。
だが、鏡水にとっては災難でしかない。
ピアノ:九条、ギター:鏡水。
その要たる九条が、ギリギリ一杯のアドリブをかましてくるのだ。
さながら、獅子が戯れに獲物をいたぶるようなものである。
前門の登内に、後門の九条。
八卦四面楚歌の環境の中で、鏡水は何とか切り抜けた。
(この年で、自分の限界を超えるとはね)と。
中年オジサンは息を漏らした。
だが。
鏡水の苦境は、ここから始まるのだ。
「なにこれ」
伊右衛門牧場、食堂。
「何って、ステージだよ。気楽にやんな」
登内は、ドンと背を押す。さながら、敗北した海賊をサメの待ち受ける海面に叩きだすかの仕打ちである。
夜の部、つまり。ディナーショーである。なお、チケット代は一切取っていない。
そして、とても気になるのは。
こちらの面子がたったの二人しかいないのに、マイクスタンドが五つ用意されていて。
ベースもエレキギターも、シンセサイザーも、ドラムも用意されていることである。
「なに? え、なに!? 僕これから、何やらせられるの?」
「良いから行け」
焦れた登内が足蹴りで鏡水をステージに蹴り出すと、集まる注目。
もう、引き返せないのだ。
もう、肝を決めるしかないのだ。
「えー、」
途端、ぎょろッと睨む圧。さっさとやれと、お客様はそうおっしゃっているのだ。
九条に“ウマ”と言うと、彼女は黙ってうなずいた。スポットライトがこっちに当たっている分、彼女はコミュ障を発症することは無いだろう。それだけは安心である。
一つ頷く。
「新曲、聞いてください」
馬(直球)のテーマは、競走馬の生まれてから死ぬまで、である。
誕生
少年期
新馬戦
死闘
敗北
再起
栄光
全盛期
落日
引退
逝去、そして次代
何でクソ長いものを作ったのか。
それは、一日目で色々な人から聞いた話を元に、インスピレーションの赴くままに作ったからだ。
総時間、約32分。呆れるほどの長さだ。これでも僕の編集で短くしているのだから、真面目にオケとかでやったら二時間弱の曲である。
最後の“次代”は、僕なりのアレンジを加えた。今日会ったフォースターをモチーフにしている。
誰も席を立たなかった。ありがたい。
やり切って、気が付けば僕は汗だくだった。
この充実感は、グループでやった中期のライブ以来かもしれない。
「ありがとうございます。僕も、ちょっと休憩です。十分、十分後に、再開します」
そういって、僕はステージを降りた。
彼は、鏡水は最高の幸運だったのかもしれない。
何せ。
「で、どうじゃ、ヤダル」
「悪くはねえ」
「ヴーヴァ」
「及第点じゃな」
「なるほどのう」
最も営業をかけるべき人間が、そこに揃っていたのだから。
「譜、見せろや」
明らかに堅気ではない人間に、脅された。
僕の背後で、九条がビクビクしている。
「何も取って食ったりしねーよ」
「貴様の言い方が悪い。見本を見せてやる。早く、見せよ」
「いい勝負だよバカヤロ」
金剛力士像みたいな武の化身と、赤髪のジャージ女に集られる。
僕、何かやっちゃいましたかね?
「お前ら風に言えば、あれだな。第一ステージクリアってやつだ」
その言葉に、ピクリ、と。
好機の女神の前髪を掴んだ気配がした。
「サイ、だろ? 目的は」
「我らの演奏についてこれるならば、あるいは、な」
彼らの言葉に、燃えたのは僕だけではない。
背後で微振動していた彼女の震えが、止んだ。
「サイ、私の曲を託せる人に、会えると」
九条が、燃えている。それを眼前の二人は、好奇の目、ではない。
好戦的な目で以って、見つめ返した。
「手前さんの曲で勝負してやる」
「Aサイン、Gサイン、じゃったか」
それは甚く、九条の、否。
KANAEのプライドを刺激した。
「泣いても、謝らない」
全力のバトルだぜ、これは。観客席で見たいよなあ。
「どこ、行こうとしてるの?」
KANAEが完全に座った目でのぞき込んでくる。瞬きすらしないその瞳は、鏡水を逃さなかった。
結局、予定だった十分間の休憩は、二十分になった。
ファンの間ではAGと言われた曲は、大幅な再編成を求められたからである。
矢田VSカナエ
宇田川VSカナエ
直接対決を、三者ともに望んだからである。
誰か、僕を解放してくれ。
最初の音は、宇田川の二胡であった。
滑らかな始まりに、聴衆は「おや?」と思う。
何の曲だろう、またしても新曲か、と。
だが、序章が収束していくうちに、「あ!」である。
AGだ! と。
そして始まるのは、超絶技巧の弦とドラムのうねりだ。
そこに合わさるのは、ピアノの旋律に、ギターの音。
完璧なイントロが、そこにはあった。
(いやあ……忙しい曲だなあ)
キタジマはそう思った。
キーボードを叩いている彼女が歌っているのか。
だが、全く雑ではない。それどころか、叩きながら活きを上げているようじゃないか。
その視線の先には、あの二人か。引退式では世話になったなあ。
ギンギラに敵意を向けて、噛みつかんばかりじゃないの。
いいなあ……若くて、情熱も才能もたっぷりだ。
おっと、ソロパートかね。
ガッチガッチにやり合ってるねえ、いい炎じゃねえの。
支えるのは、あのギターだね。熟練ってやつかねえ。
おっと、終わっちまった。
なるほどねえ、なるほど。
こりゃ、俺っちも、一肌脱ぐかねえ。
「ッ! ハーッ! AGでしたッ! マジ疲れました! 十分休憩!」
控室にも戻らずに、ステージ上でどさっと腰を下ろした。
オジサンを、これ以上酷使するんじゃないよ、全く。
余裕しゃくしゃくの矢田と宇田川は、そのままビールを飲みに行った。
アイツらはマジモンのバケモンだろ。
「ほれ、ビールでも飲んでリラックスじゃ」
「ああ、ありがとう」
キンキンに冷えてんなぁ、ありがてえ。
グイっと飲み切って、差し出した人間を見る。
あ、モモだ。
伊右衛門、百々だ。
「この……」
度は、の後を、モモは封じてきた。
「スターゲイザー、やれるか?」
え?
マジ? 僕、まだやんなきゃいけないの?
「ワシの得意は笛じゃから、トン、トンの拍子じゃ」
遅い、バラードのテンポだ。
「譜は見たが、あれは“おまえ”の歌じゃ。気張ってやれよ」
と、目の前でモモはビールを飲んだ。
未成年飲酒だ! と騒ぎ立てる僕ではない。音楽界でそう言う事を言うのはナンセンスだ。
だから、別の事を聞いた。
「……スターゲイザー、どうっすか?」
「貴様が年上じゃろうが」
カカカとモモは笑って、
「良い曲じゃよ、すごく」
と、満面の笑みでまた一口飲んだ。
まだ飲むんかい。でも。
「フォースター、走りますかね」
僕は、彼が好きになった。あの子の歌を、いつか作りたくなった。
モモは僕の言葉に意外そうに眼を見開いて、やがて優しい瞳で僕に言った。
「走るよ、あいつは。燃え尽きることなく、星のように」
僕は急に照れ臭くなった。一回り以上年下に、慰められたのだ。
「燃え尽きることなく、星のように。このフレーズ、使っても良いですか?」
「この演奏次第じゃな」
見透かしたように笑うモモを、僕は真正面から見た。
“最強の戦士は、屈託なく笑うのだ”と、僕は思った。
ゆっくり、と。
スターゲイザーは始まった。
「お前さんは、オリジナルで良い」とモモは言った。
横笛パートが終わって、君何してんのと思ったら、ベースを弾いている。
最後まで、僕とスターゲイザーを支えるつもりだと気づいた。
「柱まで走って、僕の距離だと」
「校庭の隅までが、最長の長さだ」
「いつか僕は、僕の足は、機械に変わった」
「だけど、見上げるんだ」
「幾億の星の中でも、一等輝く星の名前を、僕は知らない」
「教えてくれ、その星の名を、僕はスターゲイザー」
ベースソロ、笛ソロ。
ああ、僕の何かに染み込んでくる。
近未来をモチーフにした曲だけど。ここには普遍的なテーマがある。
“自分の足で走る”という、根源欲求に根差した、テーマだ。
だから、僕はわがままを言う事にした。
「校庭の隅までが、最長の長さだ」
「いつか僕は君に託した。」
「だから、見上げるんだ」
「幾億の星の中でも、一等輝く星の名前を、僕は知ってる」
「聞いてくれ、その星の名を、君は四つの星」
「僕はスターゲイザー。いつでも」
「君を見てる」
なお。
本馬に鏡水の歌を聞かせて意味を教えたところ、最初の一言は「キショい」であった。
それはそれとして、会場は盛り上がるのだ。カッコいいからである。
「さてさて、しんみりは御免だぜ」
「我のステージを見よ!」
「テメエのじゃねえだろ!」
ゴッ!
「ッッッ痛たあああ!」
「ここで、大御所の、登場だァ!」
ボン!
何が始まってるの?
ねえ、モモ、教えてよ。
「キタジマダァァァァ!」
「煩いよ、ウダしゃん」
「すんません」
ねえ、振り向きたくないよ。
僕の後ろに誰がいるの? 怖いんだけど。
「若いのがね、こうして気張って出てきて、俺が出ないでどうすんのってね」
「その若いのの、誰を指名しますかね?」
「キーの姉ちゃんだな、まずは」
ワアアアッ!
よし、頑張れKANAE!
「そして……ギターのアンちゃんだな」
ワアアアッ!
よし、死んだな、僕!
「で、なんにします? オジキ」
「オジキはやめろよ、兄弟。お前からでい」
「オーケー! ……一分待ちませんかオジキ」
「なんでぃ」
「今すぐ、酒持ってきな! 次は祭りだ! 酒持ってねえヤツは、参加できるかよ!」
「そりゃそだな! 盃持てぃ!」
オオオオオオォォォォォォ!!
ドン! ドン! ドドン! (飲む)!
ドン! ドン! ドドン! (飲む)!
狂ってんのか、この会場。
ピッチャーで注文しまくってんじゃん。
ジョッキにウィスキーだのワインだの、ぎょうさん注ぐじゃん。
それと何? タムだけでその音量は何? その革は何で出来てるの?
「僕はねえ……」
「歌い手ってのは、歌ってなんぼでしょうって思っとるんです」
「歌手、なんてえ、気取っちゃいけねえよ」
「だからねえ……最終試験だ、若造!」
「ついてこい! 俺の! おれぁの! 祭りに!」
ッグ!
この圧には、ギターじゃあ持たねえ!
ああ、クソ! 僕は、俺は!
最後には、ここに行きつくのかよ!
鏡水が、咄嗟に手に取ったのは、無骨な津軽三味線だった。
三味線よりも、二回り大きい、ぶっといボディー。
それは、雪深い国で、より大きな音を響かせるためのフォルムである。
ゆえに、力強さでは。単純な腕力では他の追随を許さない迫力を持つ。
シャミ(※三味線)捨てて、五弦に乗り換えたヤツが、最後にはここに戻るのか!
必死であった。鏡水は、とにかく。
その三弦に噛り付いて、音を鳴らすしか算は無いのである。
(音は、鳴る! ※バチも鳴る!)
※ガンとぶつけるように叩いたときに共鳴反応が起こる事。ブランク有りでこれをやるこいつは、まごうこと無く非凡である。本人は頑なに否定しているが。
(なんだこいつ、今まで手え抜いてやがったのか?)
ヤダルは鏡水がすべてを出し尽くすような渾身を三味線にぶつけるのを見ながら、ちらと不快に思った。
先ほどの自分たちのステージでは、とにかくフォローに回っていたからだ。
俺らの時にやれよ、と。
が、必死の彼の形相を見て察した。
(ほう、ここで出し尽くすつもりか)
ならば。
全力を見せてもらおうじゃねえか!
間奏で、ヤダルは明らかに原曲とは逸脱した展開にした。
真っ向勝負だ! かかってきな! と。
ドラムスティックを一瞬、鏡水に向け、ドラムソロに入る。
その光景に、キタジマはニヤリと笑い、ステージ脇に寄った。
(彼から見て)若い二人の一騎打ちを、特等席で観る構えである。
「ここで、引いちゃ、ダメだ」
目の前で社長と矢田がバチバチにやり合うのを見て、九条は決心を固めた。
明らかに社長は限界ギリギリだ。このソロの応酬が終わったら、ぶっ倒れそうなほどに。
だから、その時にすぐバトンタッチできるように自らの集中力を極限にまで高めた上で、ソロの間中、アレンジした合いの手を入れ続けている。いつでもそこに飛び込めるように。
――その時が来た。
「社長の仇!」
自分の全てをぶち込んだ、渾身のソロアレンジだ。
新たな挑戦者に、そろそろか、と思っていたキタジマも予想外の展開にキョトンとした。
すぐに、「よっしゃあ、第二ラウンドだ!」と、声を上げる。
さっき自分の持ち歌で、引き分けた。これ以上の屈辱はあるか?
ここできっちり勝ち切って、ストロングなヤツで祝杯だ!
「はっ……死んでねーよ俺は」
虫の息ではあるが……と鏡水は胡坐の姿勢で、左手に持った三味線で何とか倒れずにいた。
右手はガッチリとバチを握ったままだ。極度の疲労によって、手が開かないのだ。
「お前さんも、すまんな。こんなへたっぴが相手で」
小声で楽器に語り掛けるさまは変人でしかないが、言わずにはいられなかった。
あれだけ荒い演奏をしたのだ。謝るのがモノであっても筋というものだ。
スッと目を閉じる。矢田の荒く繊細な、原始的ともいえるドラムの音と、九条の近代・現代のロジックが融合した旋律がバトっているのが聴こえる。
勝ってる。
勝てる。
勝て。
自然と笑みが零れる。普段あれだけダメダメで手がかかるヤツが、ここが勝負所、とばかりに必死こいて演奏しているのだ。演奏者としては失格かもしれないが、彼女の社長として、心からの声援を送る。
やれ。
やれる。
……頑張れ。
……頑張れ!
気が付くと、右手からバチが落ちた。
緊張と力みが抜け、硬直した右手が自然と開いたからだ。
カラン、と。落ちたとの音で、鏡水は目を開いた。
目の前に、男が立っている。
「よう、良い演奏だったぜ」
爆音の中に居ても、男の声は不思議と通った。
目を見開いた。
俺がここに来た理由が。
目の前にいる。
「貸しな、三味線」
ジョンソンは、突然始まった“祭り”なるものの中で冷静を失っていた。
アメリカから、イエモボクジョウなるアマゾンよりも謎多き地を調査すべく短期免許を取得して、ここにいる。
アランの牧場よりも狭い。が、設備そのものはこちらの方が上。
そのほか、色々と見聞して回り、良い報告ができるかもしれないとホクホクしながら食堂でディナーとワインを楽しんでいると、どうやらディナーショーがあるらしい。
なるほど、会員制か、と。今日はここまでだと思えば、何と無料で良いらしい。
何とも太っ腹なものだ。
そして演奏が始まる。
……なあ、これ。
無料って言うのは、嘘だよな?
写真、動画の撮影OKとか、正気か?
ああ、公式の方で動画を配信するから問題ない、と。
……いやいや。
最初の『ホース』だけでも、余裕でお金取れるショーだよ?
あとで請求されない? 大丈夫?
と、ここまでは通常(?)の戸惑いだった。
祭りのバトルセッションが終わった後。
静寂が支配した会場の中で、男が発した一音は。
ジョンソンの心の芯を大きく揺さぶった。
(これは、音楽の原点とは、これではないか?)と。
音の素人のジョンソンでさえ、そう思わされる。
蠱惑的で、無垢なる音であった。
そして始まるは、“祭りの歴史”とでも言うべきものであった。
原始的な打楽器、笛。そして、文明ができてからの弦楽器。
宗教音楽に、ブルース。そして、ジャズからの民謡、そして今日のJ‐POP。
祭りという曲の、そのルーツを辿るようなメドレーである。
“音楽に国境はない”と、誰かが言った。
違う。
“音楽は国境など考慮しない”のだ。
後日、イエモボクジョウ偵察記録としてこの言葉を大文字で書いて提出した。
『君、ホースレースのこと忘れてない?』と呆れられた。
なお、サイの生演奏を目の前で見聞きしたことを聞いた馬主の数人は、本気でジョンソンの首を絞めにかかった。
「さてさて、サイ坊の事ばかりで、皆さま、わっしの事は忘れちゃいませんかね?」
大御所がおどけて冗談を言うと、会場が笑いに包まれる。
「さて、サイ坊。歌詞ちゃんと覚えてんだろ?」
「もちろんよ。祭りだ、祭りだ、ふんふふーん」
「うろ覚えじゃねーか!」
会場がドッと沸いた。
「全く、無駄に良い声しやがってからに」
「無駄じゃねえよ、ジイ。ほれ、祭りだ、祭りだ、大漁祭り~」
「覚えてんじゃねーか! もう喋んな! 行くぜ、ラストだ!」
この日のディナーショーは、大喝采の中で幕を閉じた。
伊右衛門牧場はこの日のライブ動画をアップロードした。
その動画説明欄には、ああ、無情な文章が記載されていた。
“なお、次回の予定はありません。問い合わせにも一切応じません”
それでも色々言ってくる人間もいたが、全てブラックリスト。
否。
アルス案件に叩き込まれた。
「で、お前さんらの要件は何よ」
「実は……」
サイと無事接触できた鏡水は、さっそくと説明した。
音源も渡した。で、結論。
「俺、別に要らなくねえか?」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ」
まさかの拒否である。
「じゃあよ、ちょっと“れこーでぃんぐ”ってやつ、やってみるか?」
「ぜひ! ぜひお願いします!」
「お願いします」
そうして出来上がった音源は、正しく九条と鏡水が求めているモノであった。
「これですよ、これ! あなたが必要なんです!」
「あなたにしか、できない事なんです」
「だがなあ……」
「俺の曲じゃねえしなあ……」
ん?
んん?
もしかして、僕らの常識とは違うところにいらっしゃる?




