012 レディー2009/アメリカ
2010年 10月
サッカーU-12を終えたワシは、伊右衛門牧場にいる。
心のオアシスと言うか、なんというか。
ディープは自分の牧場に居るので、ここにいるのはレディーとその産駒であるレディー2009と2010だけである。
統一神に喧嘩を売って命を繋いだ2008の双子は、それぞれ可児塚厩舎と池川厩舎にいる。
ここに誰もいないのは、栗東に全員行っているから、という事情もある。
『よう、レディー。久しぶりだな』
『久しぶりね、モモ。いつになったら、私の仔に乗ってくれるのかしら』
『レースは諦めい。だが、お遊びならいくらでも“ケイバ”を教えてやるわい』
『はいはい、つれないわね』
レディーも乗って行けとは言わん。
自分が身重の身であると分かっているからじゃな。
『む、知らない人』
レディーの2009が話しかけてくる。
『おう、ワシはモモじゃ』
『モモ。エファーのボス。偉い』
『偉いかはともかく、エファーとエリンの上司ではあるな』
『エリンは何時か殺すって言ってた』
『安心しろ。三桁は殺されとる』
『殺されているのに、死んでない。なるほど、情報通り』
何処からの情報なのかは多少気になるが。
『少し、乗ってもいいか?』
『良いのか? エファーに乗った時、酷い事になったと聞く』
『それはエファーに乗ったからじゃ』
『なら、良いか』
伊右衛門牧場を管理している人間に許可をもらう。
何故サングラスをしているのか。
何故、胸元が一部だけ膨らんでいるのか。
爺様の手下の者だとすぐに分かる。
だから、ワシは助言する。
「消音機は付けておけ。馬は、音に敏感じゃ」
管理人は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに感情を消して頷いた。
「分かりました。流石、あの人の血を引いてますな」
キミクニは、真っ当な実業家である。
“こいつは!”
レディー2009に乗ってすぐに気が付いた。
トンデモないポテンシャルの馬だと。
技術もない。
走法も何も知らないだろう。
だが、推進力が桁違いである。
これは、間違いなく何も知らずに走らせれば、怪我をする。
“動物裁判じゃ”と脳内が囁く。
呼んでもいない人間が多数いるのは何故だろう。
ワシは、爺様に、
『レディー2009について相談がある』と言った。
『分かった』と爺様は答えた。
可児塚先生。
池川先生。
爺様。
そして四神といつもの(エファーとエリン)。
ここまでは良い。
猛騎手。
恵比寿騎手。
クリフ騎手。
ギリギリ許そう。矢田道場の常連である。
伊家添騎手は、何故ここにいる。
そして、いかにもお金持ち、というおじ様おば様は、何故ここにいるのだろう。
事情を聴かねばなるまい。
「モンジロウ爺様、説明を求む」
「モモ、いつもは爺様ではないか」
「そこにキミクニ爺様がいるではないか。紛らわしいんじゃ」
「フ、キミクニ爺様かあ、悪くない」
「で、どういう事じゃ?」
モンジロウが説明することには、『レディー2009の事で相談がある』と連絡した時に、非常に不運なことに、馬主の会合に居たらしい。
で、アホな爺様は、『今、孫から連絡が来て、云云かんぬん』と懇切丁寧に説明してしまった。
更にアホなことに、『孫が2009に乗って……』と言ってしまったのだから、さあ、大変である。
2008の双子には、ワシは乗っていない。
サッカーに注力するという意思表示もあり、一切ノータッチである。
イエモレディー。
ディープインパクトー。
ワシが乗ったのは稀代の名馬二頭である。
つまり、
『伊右衛門モモが乗った馬で相談とは、つまり……(ゴクリ)』
となるわけじゃ。
アホはワシである。
「さてさて、モモ。ゲロっちゃおうか」
“僕を乗せなければ、お前を殺す”
猛騎手の圧が強い。
「猛君、もっと穏便にしなよ。おっと、2009は牝馬か。レディーの鞍上は僕だったね」
恵比寿騎手の圧も大変なものだ。
「一度は、レディーの馬に乗りたいと思っていたよ。二人とも、大人げないじゃないか」
クリフはクリフで、一切譲らない構えである。
こういう時は、素直にゲロっちまう方が、問題が少ない。
「こいつは、引退式の“謎の馬”に匹敵するポテンシャルがある」
おお! とガンギマリな視線を向ける聴衆。
「だが、“あまりに強すぎて、一戦も走れん”かもしれん」
ワシがそう言うと、モダが訊く。
「負担か」
「その通り。ワシがさっき、軽く流して、怪我率が一割じゃ。危なすぎる」
それを聞いてモダが顔をしかめる。
「一走もしないで、オーバースペックなこいつの仔に期待する。それが医者としての最適解だな」
そこに異議を差しはさむのがエファーだ。
「走り方も知らない仔でしょ? 私が預かるわ」
「それは助かる。で、じゃ」
周りをぐるりと見渡した。
「イエモレディー2009を、ワシらが走らせる、という話をモンジロウ爺様にしようとした。こいつは、“売れない馬”じゃ。さっさと帰れ」
と言って、帰らないのが、おじ様おば様である。
『モモ君の騎乗が見たい!』
『レディーを見せてくれ!』
『あの馬を一目だけ!』となるわけである。
これは帰らないな。
レディーも、その仔も走らせるわけにはいかん。
エファーは完全に論外である。
なので、選択肢は一つである。
「エリン。頼めるか」
『指示は一切聞かない』
「聞け。貴様は馬なり(エリンの好きなように走っていい)でいい。だが、最後にはここに戻ってこい」
『それなら聞いてやるわ』
こやつは、ワシが上司になってもこの態度である。
伊右衛門牧場には、馬鹿デカいコースがある。
伊右衛門×綾鷲の、爺様コンビの太ッとい資金力の賜物である。
エリンがスタート地点に向かう道中、聞いてみた。
「戦いたい相手はいるか?」
『……』
エリンは無言で考えている。
そして。
『コクトー』
『ヤツに、勝ってやるわ』
エリンの眼に、灼熱の炎が灯った。
ワシは年甲斐もなく、武者震いをした。
召喚獣であっても、コクトーはコクトーだ。
文字通り、世界最強、いや、二つの世界を通して最強である。
それを、天臨エリンで打ち破るのか。
これは、いけない。
本気で挑まなくては。
「ジョッキースタイルは?」
『できないと思ってるの? 何回教えたと思ってるの? バカなの?』
よし。
こちらも、本気だ。
「モモがあ、燃えてるなあ」
キミクニが呟いたそれを、紋次郎は首肯した。
「普段は天神で乗るアイツが、あれですから」
完全無欠のジョッキースタイル。
背が伸びたか。
レディーやディープに乗っていたころとは、手足の長さがまるで違う。
「雰囲気、あるなあ」
「11歳でしょ、彼」
「僕らが11歳の時、あの乗り方できますかね」
「いやあ、きついでしょ」
観戦する騎手勢は、楽しそうに、もしくは爛々とした闘志でもってその光景を見ている。
「何と、戦う想定でしょうか?」
可児塚先生が視線をそのままに、誰に問うでもなく言った。
応えたのは、エファー先生だ。
「世界、最強だ」
確信めいたそれは、私たちに、一切の疑念を齎さなかった。
2010年 10月15日
非公式戦
伊右衛門牧場
芝2400メートル
この場にいた、クリフは、手記を残している。
『僕らは、いくつもの“オカルト”を信じている。
エファー先生が、エリンが“世界最強”を想定して戦う“と言った時、
不思議と、疑問を抱かなかった。
僕には見えた。
漆黒の、巨馬が。
何者をも寄せ付けない、
“世界最強”を。
だが、エリンは。
果敢にも、GOZIRAに挑みかかる勇者の様に、
呼吸を、走行を、駆け引きを。
あらゆる技術で以て、対抗するのを。
右を見ると、タケが
左を見ると、エビスが
自然と、涙を流している。
きっと僕もそうだったのかもしれない。
ゴールの結果は、分からない。
だけど。
天才は、居る。
悔しいが』
『悔しい。モモ、手を抜いた。殺す』
『バカを言うな。同着で勘弁してくれ』
コクトーに対してエリンで同着まで行った時点で、ワシは非常に素晴らしい騎乗をしたという自己評価である。
むしろ、途中からワシの指示にエリンは従っているわけで、そのおかげで同着になっているわけで。
それを分かっているので、エリンはワシに一度もトリガーを引いていないのである。
ツン(死)デレ(無)。
虚無である。
「えーと、モモ君」
若い兄ちゃんが、レース後のワシらに声を掛けてくる。
伊家添騎手である。
「何じゃ」
『無礼ると、殺すわ』
本当に殺すのはNGじゃろ。
そんな剣呑なエリンを、イケゾエは躊躇なく撫でに行った。
「いやー、強い馬な割に、気性が穏やかで。ドリームとオルフェとは違うなあ」
なでなで、
なでなで。
『この人間は、見どころあるわね』
「そうか」
エリン以上の気性難を手懐けている、という業の深さに震える。
「で、今回ここに来たのは、モモ君が居るからなんだよね」
「そうか。それで?」
「気性難調教師だって聞いてるよ。頼めないかな」
そんなものを自称した覚えは、こちらには無い。
「エファーに言え」
「もちろん、頼んださ。“これは上司案件だ” って、太鼓判付きだよ」
くそう、エファーめ。何だかんだ、馬全体に甘めの奴だからな。
「しょうがない、行ってやるか」
ワイワイしている伊右衛門牧場をほっぽり出したい、
その意味が大いにある。
だが、もちろん捕まる。
問題の馬が栗東の池川先生の馬だからである。
「こいつだ」
「ふーん」
オルフェーヴルウは、“なんやねん、こいつ”とばかりにこちらを睨みつけている。
『モモじゃ。よろしくの』
『頭を垂れよ』
は?
思わず、ヴーヴァを見た。
こんな尊大かつ珍妙な言葉遣いをするヤツを、ワシはヴーヴァと王族しか知らん。
「お前のせいだろ、ヴーヴァ」
「知らんな」
「正直に話せ」
「だから、全く知らん」
「では、貴様が話してみよ」
仕方が無いな、とばかりに、ヴーヴァはオルフェの前に立った。
『控えろ。神前である』
『知らぬ者、頭を垂れるがいい』
同キャラ対決は、初対面であるらしい。
馬鹿な。
天然でこんな奴が出てくるのか。
「こいつは難物じゃ」
と、ワシはイケゾエに言った。
「なんて言ってます?」
イケゾエは興味津々に聞いてきた。
「『頭を垂れよ』だと」
ほう、とイケゾエは納得した様子である。
「モモ君、俺の通訳してくれないか?」
よろしい。
『オルフェ、僕が相棒のイケゾエだ』
『ほう。つまり私の臣下と言うわけか』
『臣下じゃないよ。相棒、つまり、一緒に戦う戦友だ』
『ふむ。対等と言うのか』
『だから、試合の後に、振り落としたりしないでくれないかな?』
『……分からんな。対等であればなおの事、同じ地平で喜びを分かち合うべきだ』
『それが君と僕との関係だ。分かるかい?』
『分からんが、兄者が君をずいぶん評価していることは理解している。対等、と言う点では理解を示すことにしよう』
話はまとまった、とイケゾエは喜んだ。
ワシは、オルフェの本心を見抜いている。
『で、貴様はイケゾエを振り落とさんのか?』
『振り落とすに決まっておろう。対等であれば、共に喜びを分かち合わねばならんからな』
矢田道場に突っ込まねば、下手をするとイケゾエが死ぬかもしれん。
せっかくなので、兄者のドリームジャアニーの所にも行く。
『イケゾエ、よく来たな。前に来た時から、一年と256日、12時間と15分ぶりか』
やべえ馬だ。
ワシは直感した。
まだ、オルフェの方が穏便な馬ではなかろうか。
『何故来なかった。ああ、他の馬の調教か。大変だな。そうだな』
「今日のドリームは穏やかですね。モモ効果かな?」
テメーの眼は節穴か!?
ガンギマった目でお前の方を見とるだろうが。
聞いとるぞ。
その馬に“壁ドン”されたという事を。
『それで、モモ君だろ君が。ずいぶんと、“聞き覚えが”ある』
『ワシがモモだ。それで?』
『イケゾエをどうするつもりだ』
『イケゾエはイケゾエじゃ。ワシが何かするわけないじゃろ』
『本当に?』
ヤバ目で睨みつけられるが、こちとらヤバい馬には慣れておる。
『本当じゃ』
にらみ合う事、数秒。
『信じよう。イケゾエを頼む』
『弟の方は良いのか?』
『言わなくても、君は手を貸すだろう』
『何じゃ、お見通しか』
『フ』
ドリームはそういって、
イケゾエにタックルした。
吹っ飛ばされたイケゾエは苦悶の表情であった。
「何で我が」
『何で我が』
ワシは、オルフェとヴーヴァを組ませることにした。
面白コンビだから……ゲフン……エファーでもオルフェは御せないのであれば、もう、毒を以て毒を制す、というべきか、とにかく。
「まず、イカ焼きを下賜してやろう」
『我にこんなものを食わせるか、ペッ』
「ふざけるな、貴様! 万死に値する!」
『やってみろ、下郎』
「我は神ぞ!」
池川厩舎は、当分、賑やかである。
イケゾエは、矢田ブートキャンプと、相成った。
2011年 4月
ついにこの時が来てしまった。
江南小学校の最高学年である。
ちなみに、前年の南アフリカWCでサッカー熱が再燃し、
『江南小学校にもサッカー部を作って欲しい』
という嘆願書がいくつか投書された。
『IEMOクラブに行け』
と、にべもなく追い返す事、数回。
江南小学校サッカー部再建を謳う、過激派集団が生まれることとなった。
『じゃあ、どうぞ』とワシは、言った。
予算折衝諸々、サッカー部を設立するには多くの手続きと、多くのハナシアイが必要となるのだ。
『モモさんがやればいいんじゃないっすか』
と、その過激派集団のトップは言った。
よろしい。
次の日には、過激派そのものが消滅している。
そんな江南小学校で、三年連続“書記”という監査役を担う事となった。
昨年秋の生徒会選挙では、運動部連、文化部連が揃ってワシを生徒会長に祭り上げようともした。
だが、その一切をワシは無視し、“厳正な”事前審査の元、“公正な”選挙活動の末に、現生徒会長である、芦名幸三郎政権が発足するわけである。
芦名の斬撃は飛ぶ。
その技術が現代日本で、どの程度の評価を受けるかは甚だ疑問ではある。
「最後の一年と思うと、不思議なものだ」
アシナがワシに、書類仕事を片付けながら世間話を振った。
「そうだな。来年から、ワシが江南中に行くかも不透明じゃな」
「噂は聞いている」
アシナは興味薄そうに変わらず書類仕事をしているが、やや、その手さばきが鈍っている。
要するに聞きたいのだ。
「まずは、仕事を片付けるか」
ワシもワシとて、仕事をしている。
生徒会室の一角にある応接スペースを親指でくいっと示した。
「そうだな。片手間でする話でもない」
しばし、無言で書類に集中し、片付け終わった。
「で、どうなんだ」
粉末のコーヒーを湯で溶かしたものを、応接セットで向かい合うように座って一服すると、アシナは訊いてきた。
「欧州か、アメリカか。日本で言えば、大阪か東京じゃな」
「江南中には行かないのか?」
「同じような環境を続けるだけじゃろ。そりゃ、つまらん」
「そうか」
アシナはしばし、考えるように間を置いた。
「お前とまた、三年。高校も含めれば、六年。正直期待していた」
心中を素直に吐露するアシナは、年齢よりも少し大人に見えた。
「すまんとは思うが、ワシは後悔をしたくない。世界一のサッカー選手になる、という夢があるからな」
ワシの言葉を聞いたアシナは、フッと笑った。
「馬に浮気しながら、か?」
「なんじゃ、知っていたのか」
「矢田道場」
「そりゃ、バレん方がおかしいな」
ワシは苦笑する。
「西の連中が、妙に強くなったんでな。調べてみると、門下生じゃないか」
「ヤダに揉まれれば、そりゃ強くもなろう」
「で、新聞部(諜報部ともいう)に“オネガイ”して、情報を求めれば、お前にたどり着く」
「アシナがオネガイしなくとも、ヤツラなら嬉々として情報を集めていただろうな」
ワシもアシナも、互いに少し笑った。
「馬云々は、冗談だ。U-12も見たよ。すごい選手だな、お前は」
「まだまだ。これ以上だ」
「そのために、外に出るんだな?」
「そうだ」
アシナは、しばし瞑目した。
やがて、口を開いた。
「そうか。実は俺にも、その手の話は来ている。京都と、鹿児島、それに東京だ」
それは初耳だ。黙って続きを促す。
「迷っていたが、決めた。今日、親父にもお袋にも話す。俺も、外に行く」
「そうか」
小中高一貫の江南は、基本的に初等部でできた力関係が中等部に、中等部でできた力関係も高等部に引き継がれていく。
つまり、この時点で江南小学校のワシらの年代のトップ二人が、不在となるわけである。
以降の、中等部、高等部の力関係にも影響を与える事だろう。
だが。
「江南は、ワシらは知ったことではないな」
「そういってくれると思った。ともに共犯者だな」
「良い響きじゃ」
ワシがカカカと笑うと、アシナも大笑した。
次世代には、是非とも頑張って欲しいものである。
芦名の実家は、道場を営んでいる。
実戦武術の道場であり、
芦名が矢田道場を調べたのも、実のところ強力な同業他社をリサーチするという面も大いにあったのだ。
「師範、帰りました」
「おう」
親父である長次郎を、門下生の前で気安く呼ぶことは無い。
それが礼であり、その序列を重んじる姿勢も飯の種でもあるからだ。
門下生が帰るまで、コウザブロウは、基本をゆっくり丹念に繰り返した。
それを、門下生は、珍しいものを見るように、もしくは、その美しさに見惚れていたかもしれない。
彼らの中でのコウザブロウは、師範の弟子であり、荒武者である。
それが、たったの一度も立ち合いを求めることもなく、型を丹念になぞっている。
空気を察した彼らは、早々に礼を言って、退出した。
何かが変わる空気を、敏感に察知したのだ。
「決めたか」
たった二人となった道場で、長次郎は父親に戻った。
「はい」
目を真っすぐに見返す息子に、問う。
「何故決めた」
「友が、世界一になるために、外に出ると言いました。私も同じ馬鹿者なので」
フッ、と長次郎は笑いをこらえた。
馬鹿者でなければ、武術などやらんのだ。
「アレだろ」
モモの話は、長次郎も知っている。
耳にタコができるくらい、息子から聞いているからだ。
「世界一になる、私も、同じくらいにならねば、無作法と言うもの」
何が無作法だよ、
と長次郎は思ったが、息子はやる気なのだ。
才には劣るが、目の前の馬鹿のように天下無双を目指しているわけではない。
三男坊を武者修行に出して、道場は長男にでも、次男にでも継がせればよかろう。
そういう打算をして、送り出すことにした。
「で、どこに行く」
「京都に」
(こいつ、矢田道場とやらに潜り込むつもりだな)
察したが、長次郎は言わなかった。
2011年 5月
「ええと、次はどこに行く?」
「どうするかな」
「この状況に、ツッコミを入れるべきネ」
「君たちはいつもこんなことをしているのか」
「俺は問題ない」
前年、U-12を席巻したワシたちは。
アメリカ大陸で放浪している。
U-12の試合に、見事にワシら五人は出禁になった。
今更、テストをするまでもなくU-15で好きにやってくれ、というわけである。
ワシら三人と、ナカヒラ、そして鬼龍院の五人である。
ナカヒラまでの四人は戦力的に。
最後の鬼龍院は、ワシら不在の状態で加入されても、安全装置が一人も残らないのは甚だ不安だという理由でU-12を卒業することになったのだ。
だが、ワシらとしては、座視していられる状況ではない。
U-12の出禁はまだよかったが、チーム戦すらも“勘弁してくれ”と言われてしまったのだ。
だからこうして、試合勘を求めるべくサッカー浪人のようなことをしている。
スタンド・バイ・ミーの様に徒歩ではないだけは救いである。
ダブルお爺様の好意で、移動の足は万全である。
幸か不幸か、小学校とは義務教育の一環である。
公立学校であるナカヒラと鬼龍院はどれだけ出席が不足していようが卒業できる。
ワシたちは、地獄のレポート提出によって難を逃れている。
学業成績は、
ジョッシュ>ボンゴ>ワシの順である。
単純にやる気の問題だ。
と言うか、過密スケジュールの中で江南のトップテンを外さないジョッシュは中々におかしな脳みそをしていると思う。
ボンゴにしても、外語系は一位か二位を常に取り続けている。
別にサッカーしなくても食っていける二人である。
さて。
と、携帯端末の着信である。
『おう、モモ。愉快なことしてるって聞いたぜ』
ヤダルだ。
『ジーさんからな、モモのお守をしてくれだってさ。今どこだ』
モダだ。
現在の場所を伝える。
『で、そっちの仕事は良いのか?』
『ひと段落は付いてるぜ。イケゾエの若造も、問題なく受け身を取ったしな』
皐月賞で、やはりと言うべきか、オルフェは振り落とした。
地べたに這いつくばらず、華麗に着地したイケゾエを、オルフェが満足そうに見ていたのが記憶に新しい。
『っと、この場所なら……スティーブン覚えてるか、ディープの凱旋門の時の』
『牧場で一杯飲む約束をしたところじゃな』
『そうだ。“いっぱい”飲む約束をしたところだ』
何か齟齬がある気がするが、まあ、いい。
『そこで合流するか。場所は今送った』
目的地が定まらなくて困っていたところだ。
一休みするのもいいかもしれない。
『よく来たな! 歓迎するぜ!』
『おう、歓迎してくれ』
スティーブンの伝手で、馬産牧場に来ている。
だだっ広い、牧場である。
そもそも、日本とアメリカでは土地面積が段違いなのだ。
アラン=スティーブンと名乗った恰幅の良いおじさん――バイセールといい勝負なのだから、あのウエストは何センチあるのだろうか――は、上機嫌にヤダルを気安くバシバシと叩くと、モダに向き直った。
『そして、ありがとう。恩に着る』
『気にするな。飲ませてくれるんだろ?』
その一言に、アランはますます相好を崩す。
『はは! 勿論だとも! 12ガロンのウィスキー! ワインもビールもタラフク準備してるぜ!』
『そりゃ期待できるな』
おっさん共の語らいである。
『で、この坊ちゃんたちは?』
アランはワシらを指さした。
『ま、俺らはこいつらのお守で来た。得意なもんはサッカーと、モモは馬もだな』
『サッカーってえと、あれか。スポーツができるガキどもってことか』
『スポーツもできるガキだな』
ワシらはそれぞれ挨拶すると、アランはワシの顔を見止めた。
『そいつは覚えているぞ。凱旋門でお前さんらと一緒に居ただろ』
『ディープにこいつがホースレースを教えた。それくらいのガキだ』
『マジかよ!』
アランは、まじまじとワシを見る。
『そうは見えねえ』
『別に良いだろそれは。こいつらの次の目的地を探す、その羽休めでここに来たんだ』
『次ってえと』
『西海岸からスタートして、サッカーの行脚だ。イカれてるだろ?』
それを聞いて、アランはますます上機嫌である。
『ああ、ああ。イカれてるね! アメリカンスピリットそのものだ! 俺も応援してやる』
『そりゃ助かる』
『ちょうどいい。少し東に行く用事があったんだ。馬運車とキャンピングカーのキャラバンだ。それで一緒に行こうや』
アメリカの“少し東”は、大阪から東京の移動距離が最低単位である。
故に、巨大キャンピングカーは必須ともいえる。
宿を取れる保証が無いからだ。
夕方にBBQをする。
が、まだ時間は数時間あるわけで。
『馬でも見に行くかあ』
どこでも馬と関わっているなあ、とワシは思った。
『時間もあるしな。俺も行くか』
ヤダルがワシに同調すると、モダもそれに乗る。
『仕事でもないが、こっちの馬を見るのもアリだな』
で、ワシらがアランの許可を取りに行けば、
『俺も行くぜ。凱旋門の面子が揃ってんだ。外せねえよ』
となれば、サッカー少年団も付いてくるのである。
「とりあえず、ビビったり警戒はするなよ。馬は耳も良いし鼻も良い。空気感にも敏感じゃ」
「自然体が一番ってことだな」
「モモは馬が怖くは無いのか?」
ナカヒラは、馬の巨体に腰が引けている。
鬼龍院に対して心配は一切していない。
馬の方でも、『この人間に似たモノは何だろう?』と近寄らない。
「馬に対して、“怖い”を失うと、それはそれでダメじゃ。馬は、人間以上に感情の生き物なんじゃ。生き物は、どのような関係であれ、感情を交換し合って生きることとなる。ナカヒラ、アイツに触ってみるか?」
「え?」
種牡馬がここには居る。
現役を引退しているので、人間で言えば、成長期を通り越した馬体である。
新馬も含めて飼育している牧場内では、平均よりもデカい。
「アレに?」
「アイツじゃ。良く分からんモノを、モノ扱いしてはならんぞ」
『へい、ジェントル。このボーイを触れさせてもいいか?』
『おおっ! お前、俺と話せるのか! 背中が痒いんだ。掻いてくれれば、いくらでも触ってくれていいぜ』
交渉成立じゃな。
「ナカヒラ、アランに言って、ブラシを貰ってこい。それで、こいつの背中を撫でてくれればいいそうだ」
「行ってくるよ」
「全体的にブラッシングしてやれ。強めで良いぞ」
「お、おう。よし」
ワシが肩車をして、その上に乗ったナカヒラは、馬の背中を一生懸命にブラシで掻いた。
『悪くないねえ、悪くない。逆側も頼めるか?』
『もちろん』「ナカヒラ、逆サイドに回るぞ」「OK」
『もういいぜ。話せるってのは、楽だな。チップも付けてやる』
『では、ナカヒラを乗せてくれるか?』
『おうとも。俺の背中を掻いてくれた小さいのだろ。お前さんがレクチャーしてくれるなら、俺に否は無いぜ』
『では頼む』
中平力、初騎乗。
その様子を、遠目に見ていたアランは瞠目している。
『アイツが、初対面の人間を乗せた?』
『従順ではないだろうなあ。あの馬は』
ゆっくりから、合わせて、馬に任せて……。
“モモ”が話す内容に、人馬共に息を合わせているように思う。
「――――、――――!」
日本の少年が、何かをモモに言ったようだ。
『“モモ、見本を見せてくれ”だとさ』
『あの馬の状態で、どこまで走らせて良いんだ?』
ヤダとモダが、アランに聞く。
逆にアランは訊いた。
『モモ少年は、どこまで走らせることができるんだ?』
その問いに、肩を竦ませたのは、モダだ。
『あの馬の、現時点のフルスペックどころか、エレクトロの全力でも乗りこなせるよ』
『付け加えれば、凱旋門馬のディープに勝てる馬でも、“まだまだ”余裕で乗れるな』
ディープに勝てる馬。
知っている。名前さえ明かされなかった、純白の馬。
『あれの、鞍上か』
『アノ馬については、聞くなよ』
『聞くわけないだろ。……そうか』
レヴィンゲスト。
早期に種牡馬にしたが、彼の全力は、どれくらいだったのか。
アランは、見てみたくもある。
『アラン、トレーニングしてねーんだ。アイツの全力を見ようなんて思わない事だな』
そのアランに、モダは釘を刺す。
――当然だな。
だが、
『馬なりに、アイツの好きなように走らせて良い』
『結構。それなら、俺の仕事にはならないな』
ヤダがアランに向けて笑顔を見せ、
『モモ! そいつの全力で走らせて良いってよ!』
馬鹿馬鹿しい事にそう言った。
『フレームが強い。頭も良い。競争するやつもいない。壊れるわけねーだろうが』
『だがな、お前さんがそれ以上を求めるなら、話は別だ』
『見てやれ。ヤツの。おそらく最後の全速力だ』
アランは、レヴィンゲストの全力を見た。
彼の、最速である事に間違いない。
生き生きとしていた。
ソラを使う癖のある彼が、最後まで全力で走り切った。
『おめっとさん、自己レコードかい?』
ヤダが勝手にタイムを取っていたのか。
そのストップウォッチには、
紛れもないレコードタイムが煌めいていた。
『なあ』
『うん?』
『何でモモは、サッカーしてんだ?』
アランの、心から出た言葉である。




