死を悼む少年
いくつか転送ポイントを経由してやっと辿り着いた土地に、ローレルはキョロキョロと辺りを見回した。
「ここは……?」
訝しげな彼を促し、今にも崩れそうな廃屋から外に出る。
「ここからさらに歩くけど、大丈夫?」
「言っただろう。こんななりをしているが見た目よりもずっと頑丈なんだ。安心しろ」
「そう……なら、いいけど」
大人しく歩き出した彼に安心して外に出る。辺りはもうすっかり真っ暗で、月の光すらも森の奥は届かない。シンと静まった暗闇の奥からホウホウと鳴く声が遠くに聞こえてくる。頼りになるのは手に持っている魔導ランプ一つのみ。
土地勘がなければすぐに迷子になってしまうような心細い状況だが、意外にもローレルは文句一つ言わなかった。
「この先にはね、人間の都市、ユートピアがあるんだよ」
「……なに?」
「知ってる? 行ったこと、ある?」
「……いや、ないな。さすがにそこには近づいたこともない」
「そうだね。あそこほどわたしたちに冷酷な場所もないからね」
少し歩みの遅くなった彼に「帰る?」と尋ねてみる。ローレルは少し躊躇ったが、首を縦には振らなかった。
「そこまでは行かないけどね。一望できる所があるんだ」
わずかに残っている小道を辿り、好き勝手に生えている雑草を掻き分けてただ粛々と進む。そうやって歩き続けて大分時間も経ったころ、唐突に木々が途切れ、目の前にわずかに開けた草地と切り立った崖が現れた。
険しい崖の下はゴウゴウと轟く川が流れている。そしてその先にも、深々とした森は続いている。眼下に広がる、広大な森の先。その森が途切れた辺りから徐々にポツポツと疎らな光が段々と集まっていって、そしてその先。
まるで銀河のように光が無数に灯っている、人間が魔石の力を使って発展させてきた街、ユートピアが広がっていた。
「あそこ。あの紅い二つの光。あそこに巨大な双子の塔があるんだけど、わかる?」
わたしの問いかけに、ローレルはおずおずと頷いた。
「あれが人間がこの街を維持するために作った、巨大な魔導具、紅の塔。動力源はわたしの両親をはじめとした、有魔族一族の魔塊群」
ここからはその全貌はよく見えない。だけどそれぞれの塔の天辺、その先端には、どんな宝石よりも深く輝く紅色の魔石が取り付けられているはずだ。
「本来なら役目を終えたわたしたちの体は文字通り土に還るんだけど、人間の開発したある特殊な薬……その薬を打たれると、この体を巡っている魔力が固まって石になる。それがあの塔に取り付けられている魔塊」
冷静に話したつもりが、語尾が少し震えてしまった。この事実を思い出すたび、あのときの恐怖が蘇って穏やかじゃいられなくなる。……まるで昨日のことのように思い出せる、鮮明な恐怖。
「相当な痛みを伴うんだって。わたしの両親もそれはそれは苦しんだんだろうね。でもそんな残虐な行為を強いてまでも、人間たちはわたしたちの魔塊を追い求めてくる。なんてったって魔塊は魔石よりもずっと伝導効率がいいからね。それに含有魔力も魔石とは桁違いだから、現存する魔導具を動かすくらいならほぼ無尽蔵に魔力を供給してくれる。人間にとってはとっても便利な動力源なんだよ」
「復讐しようとは思わなかったのか」
骨の髄まで凍るような、それはそれは冷たい声でローレルは囁いてきた。
「おまえのなにもかもを奪った奴らを滅ぼしてやりたいとは思わないのか。あんな見るだけで反吐が出るような代物をこんなにも見せつけられて……」
「思わないわけないじゃないか!」
思わずせせら笑いが出る。
「何度も何度も思ったさ! 実際、すべてを投げ打つ覚悟であの塔の下まで行ったんだ!」
夜闇の中、その光景は残酷なまでに幻想的に輝いている。わたしたち一族の命の犠牲の上に成り立つその光景は皮肉なことに、人間の作り出したなによりも美しい。
「有魔族を苦しめるすべてからみんなを解放しようと、すべてを道連れにしてあの塔を壊してやるとそう誓って……でも」
あの日。あの塔の元まで行って、すべてを終わらせようと決めた日。
やっとのことで辿り着いた塔の下、わたしも両親の元にいけるとせせら笑って、あらんかぎりの魔力を爆発させようと集中した。そして最大限に魔力が高まった瞬間。
――その瞬間、なんとも不思議なことが起きた。まるでわたしの魔力に呼応するように、塔の尖塔を中心に空が瞬く間に暗雲に覆われ、あっという間に未曾有の大嵐が到来したのだ。
あっと思う間もなく、息もつけぬ間になにもかもが風に吹き飛ばされていく。激しい雨に打ち付けられて目も開けていられず、無情にも地面に叩きつけられて這いつくばる。吹き飛ばされそうなほどの暴風に這いつくばりながら、ただただここまで来ておきながら本懐を遂げられなかったことに呻くしかなかった。
そうやってかろうじてその場にしがみつこうとみっともなくもがいていた。だからあるいは自分の都合のいい幻聴だったのかもしれない。耳を塞ぎたくなるような激しい豪雨に混じって、不思議なことに声が聞こえてきた。
――生きて……――
誰の声かわからない。わたしに宛てた声かもわからない。
――幸せになって……――
だけどたしかにそう聞こえた声。その声にわたしは嵐が立ち去るまで、暴風がかき消してくれるままに、気づいたら大声で噎び泣いていた。
その未曾有の嵐は三日三晩続き、ユートピアに未だかつてない甚大な被害を及ぼした。街は混乱し、多数の死傷者も出たという。そんな例を見ない嵐がようやく過ぎ去って太陽が顔を出したころ、わたしは街の混乱に乗じるように紅の塔の元から立ち去ることができた。
以来、あの街には一度も足を踏み入れていない。こうして年に一度、遠くからあの塔を眺めるばかり。遠くかき消されてゆくあの日の出来事を思い出すために、わたしはもう数え切れないほどの年数をこうしてここで過ごしている。
そこまで話すあいだ、ローレルは一言も発しなかった。ポツリ、ポツリと思い出を辿るように言葉をこぼすわたしの声に耳を傾け、ただ暗く光る瞳を双子の紅い塔に向けている。
月光に照らされるその美貌は、いつになく作りものめいて見えた。まるで彼まで生命を抜き取られてしまったかのようだ。
話し終えたわたしとローレルを夜の闇の重い静寂が包み込む。時折ざわざわと不穏な風が通り過ぎ、ローレルの髪を乱していく。
「……だったら私もここで彼らの冥福を祈ろう」
いつになく淋しげな、心細い声だった。
「そんなことしか私にはできない。一族の悲しき結末を覚えていることしか……おまえがこうやって生きていくしかない限り、それは私にしかできないことだ」
ローレルはそう言うと、祈るように静かに目を閉じた。その信じられないような美しい横顔を、わたしはしばらく黙って見つめていた。