怒った少年
ある日のことだった。
「明日は一日、出かけてくるから」
夕食の席で話しかけると、俯いていた目がキョトリと見開かれた。
「……買い出しはこのあいだ行ったばかりだろう」
まさか返事が返ってくるとは思わず、こっちも目を見開く。今までローレルがわたしの行く先なんて気にしたこともなかったのに。
「……なんだ?」
呆けているとギロリと睨まれた。慌てて笑って誤魔化す。
「いや、なんでもないよ。今回は用事があってね」
首を振るとローレルがますます目つきを厳しくした。
「まさか新しい奴隷を買ってくるつもりか?」
ローレルは急に激昂したようにフォークを置いて、バンと机に手をついた。
「おまえの言うことには全部従っているだろう! 毎日皿洗いもしているし、たまに掃除だって手伝ってやっている! 畑の手入れはおまえよりも手慣れたぞ! 新しい奴隷を買う必要がどこにある!」
「違う違うよ、違うから!」
慌てて両手を上げる。なにに憤っているのか知らないけど怒ると案外怖いんだから、ひとまず落ち着いてほしい。
「奴隷はもういらないよ。ただでさえ言うこと聞かないローレルの世話で手一杯なんだから」
「誰が言うことを聞かないって?」
フォローのつもりでかけた言葉が逆に癇に障っているという。
「こんなにも従順に従ってやっているというのに!」
「ごめんってば! はいはい、そうだね!」
ガタリと立ち上がって襟元を掴みかからんばかりの剣幕のローレルに詰め寄られて、落ち着けと座るように促す。
「たしかに最近のローレルは言わなくても皿を洗ってくれるようになったし、言えば掃除もしてくれるし、そういえばローレルが世話をし出してから野菜の出来もいい!」
「……わかればいい」
フンと鼻を鳴らしてローレルはやっと席についてくれた。いつも丁寧に整えてあげている波打つ金髪はくしゃくしゃに乱れてしまっている。陶磁器のように白くなめらかな頬は、怒りからか赤く染まってしまっていた。
「だったらなにをしに行く」
わたしのことはいないものと思っている節のあるローレルにしては、珍しくこっちのことを気にするものだ。
「私に言えないことなのか?」
「そうじゃないけど」
新緑の明るい瞳が爛々とこっちを睨めつけている。まるで白状するまで許さないとでも言いたげだ。ローレルがこれだけわたしのことを認識しているのは初めてのことかもしれない。今までずっと無視されていた状態が当たり前だったので、なんだか戸惑いを隠せない。
「両親の、命日なんだよ」
そう打ち明けると、ローレルの瞳から燃えたぎるような熱が徐々に消えていった。
「毎年この日は顔を出しに行くんだ」
ローレルの顔から怒りという感情が消え、形容しがたい顔になる。そう、まるで、なんだか苦悩しているような。
「いつもだったらしばらく家を空けてゆっくりと過ごすんだけどね。でも今年は君がいるから。すぐに帰ってくるから心配しないで」
「……だったら、ついていく」
「……え?」
それは初めて彼から聞いた、自発的な言葉だった。
「そうすればなにを気にすることもなく過ごせるというのなら……だったらついていくしかないだろう」
「そう。でもついてきてもなにもないよ? 退屈だよ?」
ローレルは表情を隠すように俯いた。
「ついていくと言っているだろう」
そう言ったきり、彼はこの話は終わりだとでも言いわんばかりに黙って食事の続きをし始めた。しばらくそんなローレルの様子を見るともなしに眺めていた。
翌日、再度ついてくるつもりかローレルに確認すると「しつこい」と怒られた。それからむっつりと黙り込んでしまったローレルを仕方なくつれて、いつもの転送ポイントの朽ち果てた小屋まで行く。ローレルはその小屋の惨状に眉を潜めた。
「ここになにがあるというんだ」
「ここから行くんだよ。覚えてるでしょ? わたしたちの移動手段」
ローレルは眉を上げただけで答えなかった。ちょいちょいと手招いて、その手をとる。
「おいっ……!」
「こうしないと行けないんだもん。ついてくるって言ったの、君だろう?」
ローレルは態度悪く舌打ちして、顔を背けた。
伸びやかで白い手はすべすべでとても触り心地がいい。いつもは見るだけで触らしてもくれないその手に思わず感心してさすっていると、「早くしろ」と睨まれる。
「君さぁ……わたしに買われたって自覚があるならその態度、もう少しどうにかしてよね」
「そんなに私に跪いてほしいのなら、力づくで言うことを聞かせたらどうだ?」
ローレルが挑発するように嘲笑ってきたから、その頭を思いっきりくしゃくしゃと撫でてあげる。
「そういうあんまり可愛くないこと言わない!」
「なにをする! 手を繋ぐだけじゃ飽き足らず、頭を撫でるなど……!」
そう言いつつも、ローレルはいつもよりも抵抗するのを我慢しているようだった。どこか葛藤しているような顔でなされるがままになっているローレル。そんな彼の様子におや? と思ってさらにわしわしと髪をかき乱してみると、それはさすがに腹が立ったのか「やめろ!」と手を叩き落とされる。
「……とじゃれ合いはこのくらいにして、そろそろ行こう」
「ああ、はじめからさっさとそうしろ」
呆れているローレルの手をしっかりと引き寄せて、わたしは次の転送ポイントへと飛んだ。