薬を飲みたくない少年
それは久しぶりに感じた、感情の決壊だった。
「わたしは君に、そんな形で去ってほしくなんかないよっ……!」
至極自分勝手な理由で追い縋るわたしに、ローレルは目を瞑るとフッと吐息をもらした。ややあって、わずかにシーツから手を出してくる。
それにホッとして、背中に手を差し込み少し体を起こしてあげる。背中はわかるほどに汗をびっしょりかいている。自分よりも若干大きな体を支えるのは骨がいったが、なんとか体を起こすと、その手にコップを渡した。
ローレルは嫌々ながらもコップへと口をつけた。ゆっくりと水が揺れ、こくりこくりと喉が鳴る。
その様子をへたりそうになりながら眺めていた。一瞬、あのままコップを投げ捨てられたらどうしようかと思ったが、幸か不幸かローレルにはそんな悪知恵を働かす元気ももうないようだった。
ふとローレルのコップを持つ手が腫れていることに気がついた。
「ローレル、これ」
隠されそうになった手をとっさに掴む。ローレルは痛みに呻いた。慌てて力を緩める。
全体的に赤く腫れているが手の甲に大きな裂傷があり、そこがジュクジュクして膿んでいる。明らかに放っておいていいものではないとわかるような傷の状態。
「な、に……これ、いつ、こんな……!」
ローレルからは返事は返ってこない。ただ今は力を失った茫洋とした瞳がじっと見返してくるだけだ。
――落ち着け、自分。動揺している場合じゃない。
これは多分、数日前にローレルが資材庫を見ていたときに作った怪我だ。あのときなにかに引っ掛けたのか、ボタボタと手の甲から血が滴り落ちているのに気づいて消毒しようかと声をかけた。それなのに煩い、構うな、ほっとけのいつもの三拍子で、わたしに見せてさえくれなかった。……それがまさか、こんなにひどくなっているなんて。
熱があり、傷が異様に膿んでいるところからして、なにか悪いばい菌でも入り込んでいるに違いない。
再び居間に駆け戻り、必要なものをかき集める。桶に清潔なタオルに、古びた布、傷用の軟膏。それから抗菌作用のある薬草を自己流で加工した、いびつな形の自家製丸薬。
寝室に戻って再びローレルの手を取る。その下に桶を置いて、とにかく魔力で水で作って傷口を洗浄しては窓から水を捨て、という作業を繰り返した。どれだけ水にさらしてもローレルの手の熱は引かない。
充分に傷口を洗浄したあとはこれでもかと軟膏を掬い取って布に取る。呻くローレルに心を締め付けられながらも手早く包帯を巻いた。
「ねぇローレル。薬、飲もうか」
ローレルからは返事はない。目は固く閉じられ、顔を背けられる。
「ねぇ……!」
ローレルはなにも言わない。なにも反応しない。拒絶さえされないことが本当に拒絶されているように感じられて、ふと泣きそうになる。
「お願い、飲んで……!」
無我夢中だった。
軽く鼻を摘むと抗議するように口が開いたから、ポイと丸薬を放り込む。吐き出される前にコップを口に当てると、ローレルは恨めしげに横目で睨みつけながらも仕方なくといったように嚥下してくれた。
「……ーーっ!!」
よほど苦かったのか顔がくしゃりと歪み、当て付けのように背を向けられる。その姿を束の間見つめてからわたしは寝室をあとにした。
家の外。
どこまでも続く深く暗い森の中を両側から迫ってくる草木をかき分けながら、私は獣道を辿っていた。
傷の軟膏を使うことは多々あれどこんなふうに熱をだすことなんて滅多にないから、薬草はあまりストックしていなかった。エルフにどのくらい薬が効くのかわからないが、今手元にある分だけでは到底足りないのは明白だ。
普段からちゃんと備えておかなかった自分を恨みながら、とにかくがむしゃらに前へと進む。
どれくらい歩いただろうか。いつもよりもうんと長い時間、歩いた気がする。獣道が途切れて、ふと開けた草地に出る。その先にはわたしの家に繋がるあの小川の上流。その川べりに探していた薬草が群生していた。
慌てる内心をどうにか深呼吸で整えながら、注意深くその薬草を摘んでいく。むやみやたらと乱獲するともう生えてこなくなるから若い芽は避けて、それでも摘めるだけ籠に摘んだ。
すぐに来た獣道を駆け戻る。跳ね返ってきた草木がピシピシと顔や腕に傷を作ったが、今はそんなことなんて構っていられなかった。
ローレルは相変わらず高熱に魘されているようだった。
枕元に置いていた水差しの水が減っていないことにため息をつく。
額に置いた氷のうの中身を変え、汗を拭いて、それからまた傷の洗浄と軟膏の塗布を行い、当て布と包帯を変える。一連の作業をもうなにも考えないように、感情的にならないようにできるだけ事務的に済まして、それからわたしは寝室をあとにした。
薬草から丸薬を作るのには相応の手間と時間がかかる。今回は簡便に作った煎じ薬にすることにした。効果は落ちるかもしれないがないよりはマシと思うしかない。逸る心のままに鍋に水を入れて沸かすと薬草を放り込む。そこからしばらく水がある程度減るまで煮詰めていく。煮詰め作業が終われば布で濾して終わりだ。
その間もローレルの様子を見に行っては氷を変えたり無理やり水を流し込んだり、落ち着かない気持ちを世話をすることで紛らわしていた。
「ローレル……」
出来上がった煎じ薬もどきを持って枕元に立ったわたしを、ローレルは薄く目を開けて見上げてきた。
「これ、君の薬だよ」
その途端眉がひそめられ、拒否するように顔を背けられた。体を起こそうとするとなにをされるか悟った彼は手を振り上げ、抵抗して頑なにこっちを向こうとしない。
もしものときはとしていた覚悟を、息を吐くことで固める。
「先に謝っておく。ごめんね」
わたしだってできればこんな強引な手は使いたくなかった。きっとこんなことをすれば、ローレルは二度と口をきいてくれなくなるだろう。今よりももっとずっと軽蔑されるか、嫌悪されるか、あるいはその両方かも。でもそれでもやっぱり、できるだけのことをやらずにはいられない。
「あとでいくらでも罵ってくれて構わないから、今だけは我慢して」
ローレルのために作った煎じ薬を少量口に含む。突き抜けるような苦味が舌の上で暴れる。わたしは涙目になりながらもローレルに覆い被さり、彼に顔を近づけた。
「っ……な、にをっ……!」
掠れた声が聞こえてきたが、それを遮るように口を塞ぐ。驚きのあまり唇を開いたローレルに青臭い煎じ薬を流しこんだ。
「……っ! ーーっ!!」
抵抗するように暴れる彼の頬を抑える。相変わらず彼の体温は熱くて、火傷しそうだった。
えずきそうになる彼の口を嚥下して飲み下すまでしっかりと塞ぎ続ける。ようやくコクリと喉が鳴って安心して体を離した途端、ローレルは盛大に噎せた。
しばらくその背中をさすっていたが、やがて落ち着いたのか咳が収まると、ローレルはキッと睨み上げてきた。
「イヤなら大人しく残りを飲んでよ」
コップに注がれた煎じ薬を差し出すとローレルは盛大に眉を顰め、なにを言い返してくることもなく再び背を向けられてしまった。
「ローレル!」
思わず咎めるように上げた声にも、彼は知らんふり。
「もう! ……知らないからね!」
その態度にこっちも涙目になりながら、再びなんともいえない苦さの煎じ薬を口に含む。
これを口付けの類いに入れてしまうのもどうかと思うが、まさかの今生初めてのファーストキスが青臭い薬草味とは。
まったく協力してくれないローレルの態度に若干苛立ちながらも、二人とも涙目になってえずきながら、なんとか残りの煎じ薬を飲み干してもらうべく、なにも考えないようにして残りの作業を続けた。