怪我をした少年
「朝からそこにこもって、ずっとなにをしている」
お、ローレルのやつ、今日は珍しく逃げないな。
いつもは話しかけにいってもウザいって顔をされてそそくさと避けられるんだけど。そっとしておいたほうがいいのはわかるんだけど、いるとつい話しかけちゃう。
「資材の整理をしてるんだよ」
ローレルはおずおずといった様子で入ってきた。わたしを警戒しつつも、キョロキョロと中を興味深そうに見回している。そうやってきょとんとしている顔はなんだか普通の少年のようだ。いつも顰められている眉間の皺が伸びているのを初めて見たかもしれない。……悲しいことに。
「こんなにたくさんのガラクタ、どこから集めてきた」
「どこからでも。人間は贅沢になってしまったからね。今は次々と新しいものが溢れてくるから、少し壊れただけですぐに捨ててくれちゃうんだよ」
今は魔導具が広く普及しており、それは平民でさえも気軽に手に入るようになった。それに伴い、生活もどんどん簡便に、潤沢になっている。昔のように苦労しながらものを作り上げ、修理しながら長く使う時代は終わった。
ローレルは自分から質問してきたくせに、わたしの言ったことを聞いていないのか、返事もせずに中を好きに物色し始めた。その様子をチラリと目の端で追う。
ようやく貧相な手足にも肉が付きはじめ、痩けた頬も戻り始めてきた。あいにく贅沢な食事はさせてやれないから、ふくふくとってわけにはいかないけど。
それでもあの悲壮な感じは大分薄れてきたと思う。波打つミルクブロンドは柔らかく揺れ、リーフグリーンの瞳は木漏れ日を反射するように煌めいている。のびやかな手足は長く、滑らかな肌は陶器のよう。商人が端金で叩き売りしたのが信じられないほどの美少年。うーん、目の保養にはバッチリなんだけどな!
でも最初は心底嫌そうだった皿洗いも今は諦めがついたのか、言われなくてもやってくれるようになったし、洗濯する手つきにも慣れが出てきた。ようやくわたしとここで生きていかなければならないことに諦めがついた、というところか。
ローレルはなにかが目に留まったのか足を止め、それに手を伸ばした。顔を上げてそちらを見遣る。ローレルが手をとったのは壊れた弓だった。
「どうしたの?」
返事は返ってこなかった。ローレルは壊れた弓を手にしたまま、無表情で思考の奥底に沈み込んでいるようだった。
一瞬、それでわたしを殺すつもりじゃないよな? と勘繰ってしまった。薄暗く沈む瞳には憎悪とか怒りとか、そんな感情ばかりが浮かんでいたから。でもしばらく佇んでいた彼はやがて弓を元の所に戻すと、再び納屋の中を物色し始めた。おそらくその感情はわたしに向けられたものではないのだろう。
その後もローレルは珍しくそばにいて、資材の整理をするわたしの様子を見ていた。
その数日後だ。
ローレルは朝からどことなく不機嫌だった。それはいつものことだけど、今日はそれ以上にむっつりと黙りこんで、気怠げに細められた目には明らかに苛立ちが浮かんでいる。
あれ、どうしたんだろう。どこかいつもと違うような、なんとなくな違和感を感じるが、それがなにかがわからない。
ローレルはチラチラと伺っているわたしの視線をうっとおしそうに跳ね退けると、早く食べ終わるようにせっついてきて、それからさっさと自分の食器だけ持って皿洗いに行ってしまった。
うーん、なにか心当たりがあるとすれば……毎日毎日豆ばかり食べさせるからかな? ローレル、豆はあまり好きじゃないもんな。でも新鮮な肉や魚なんか、街に下りたときぐらいしか食べさせてやれないし。
それとも昨日蜘蛛退治を頼んだから? でもローレルは意外や意外、結構そういうのは平気だし。いっそ冷徹に、完膚なきまでに追い払ってくれるし。ありがたいことに、虫を退治するのは今や完全にローレルの仕事になっている。
もしかしてこのあいだ洗濯物を全部任せたのに腹が立った? でもそれも今さらだし、それならなぜ今日に限って怒りだすのかわからない。
いくら考えてもローレルのことを詳しく知らない以上、彼がなにを思っているのか、わたしに知る由もない。
「まぁいいや、あとで本人に聞いてみよう。今はとりあえず洗濯だな……」
どんなことがあろうと、日々の雑務は待ってくれない。さっさとやるべきことを済ますかと洗濯物を抱えて、ローレルのあとを追った。
外に出たわたしの視線に飛び込んできたのは、川辺に力なく蹲っていたローレルの姿だった。
「ローレル?」
皿を洗っているにしてはやはり様子がおかしい。先ほどから感じている違和感が大きくなって、思わず洗濯物を置いて彼の元へと近づき顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「煩い」
いつものツンツンも、今日はまったく棘がない。
「ちょっと……疲れただけだ」
わたしを払おうとしたその手を掴む。
「あっつ!? ……なにこれ、熱があるじゃないか!」
いつもよりも高い体温に驚い、彼を問いただそうとするも、「煩いと言っている!」と怒鳴られて、もっと強く手を払われる。
「疲れただけだと言っている。私に構うな」
ローレルはなんとか立ち上がると、フラフラと家のほうに歩いていった。その後ろ姿をなんとも言えずに見送る。バタリと、玄関が力なく閉められた。
お昼を過ぎても、ローレルは寝室から出てこなかった。そりゃそうだよな。寝ているだけであんな高熱、すぐに下がるわけもない。
腹を決めて、立ち上がる。わたしはなにを変に遠慮していたんだ。
「ローレル、入るからね」
寝室の前で意を決めてそう声をかける。中から返事は返ってこない。寝ていたらいけないと、できるだけ音を立てないようにそっと扉を開ける。
相変わらずカーテンは閉められっぱなしの薄暗い部屋。そして既視感ありありの、こんもりと盛り上がったシーツの山。いつもと違うのは、そこから聞こえるのがわずかに荒い息遣いだってことだ。遠慮もへったくれもなく、慌ててシーツを剥ぎ取る。
捲った先の赤い顔に、息を呑む。
「やっぱり君、具合が悪いんじゃ……」
ローレルはギロリと睨み付けてきたが、なにも言わなかった。おそらくもう憎まれ口を叩く気力もないのだと思う。
「どうして……」
なぜだ。なぜこんなにも高い熱が出た。あいにくわたしは医者じゃない。わたしじゃわからない。
でも、とにかく。
わたしは急いでキッチンに向かうと、戸棚を漁りまくって、仕舞い込んでいた氷のう袋を取り出した。急いで魔力で氷を作るとコップに水を汲む。そしてすぐにローレルの元へと駆け込んだ。
ローレルは変わらず荒い息で横たわっていた。その彼に声をかけると、薄く開いた目がこっちに向けられる。
「いっぱい汗かいてる。お願いだから水分をとって」
ローレルはなにか悪態をつこうとした。おそらく首を横に振ったのだと思う。まるでその様が――このまま死なせてくれと言っているみたいでゾッとした。
「ねぇ、お願いだよ。水を、飲んでよ……」
以前の彼は言っていた。このまま朽ち果てるままに放っておいてくれたらよかったのに、って。もしかしたらローレルはこのまま死にたいのかもしれない。
なにもせずにゆっくりと死地への旅立ちを見守ってあげたほうが、もしかしたら彼の安寧にはなるのかもしれない。
こんなにプライドの高いエルフが人間の奴隷として扱われ、近年はその役目も不要だと薄暗い倉庫の奥底に閉じ込められ……これ以上この世界に留まる意味など彼にはないのかもしれない。
でもわたしは彼に生きていてほしかった。これは単なるわたしのエゴだ。せっかくここで新たな生き方を見つけたんだ。わたしには彼が必要だ。二人での生活を知った今、もう以前のように独りぼっちで生きていくことなどわたしには考えられない。彼がいなければわたしは……。
「ローレルってば! お願いだから!」
そう呼びかける声が揺れる。不意に混じった感情の揺らぎに、ローレルがわずかに目を開いた。