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悩む少女

 

 何度も話していて気づいたこと。フィアロはローレルよりも人懐っこくて、純粋で、ちょっとだけお喋りな青年だった。

 彼はある日、仕事の合間にあの中庭の奥に続く小道まで案内してくれた。小道のそばには小川が流れていて、わたしの髪色に似た鮮やかなフェアリーフィッシュが帯のような尾ひれを閃かせて悠々と泳いでいる。その奥には人工的に作った滝が流れていた。少し開けた先にあるその滝のそばに設えられていた四阿まで連れてくると、フィアロはそこで休ませてくれた。


「ちょっと疲れました? 僕のおやつで申しわけないですけど、これ、食べます?」

「いいの?」


 フィアロがとりだした包みからきれいに焼けたビスケットを分けてくれた。


「んー、甘い! 美味しい!」


 あっという間に食べ終わると、フィアロは苦笑しながらさらに分けてくれた。


「こういうの久しぶりだなぁ。あー……こればっかりはここを去るのがちょっと惜しいや」

「……ここを去る?」


 わたしの食べっぷりを苦笑しながら見守っていた彼は、わたしの言葉に眉を顰めた。


「それ、こないだも言ってましたけど……どういうことですか?」

「え? いや、いつまでもこんなおんぶにだっこでお世話になりっぱなしってわけにもいかないからね。傷が治るまでは一応診てもらうけど、治ったらまたどこか安住の地でも探しに行くよ」


 あの森の家はすでにここの人たちに居場所が知れてしまっている。名残惜しさは多分にあるけど、もうあの家に帰ることはできない。


「え……そうなんですか」


 フィアロはあからさまに困惑の表情を浮かべた。


「でも危なくないですか? 希少な生き残りなのに、一人きりでどこともしれない土地を探しに行くなんて……」

「大丈夫だよ、今までどうにかなっていたんだし。これからもどうにかなるでしょ。それよりおやつはもう終わりかな?」

「すいません、手持ちがこれだけしかなくて」


 さもしくも催促したわたしに、フィアロは両手を挙げて降参の意を示した。


「また持ってきてあげますから、今日はこれで勘弁してください」

「いいの? ありがとう!」


 フィアロは頷くと、ニッコリと笑ってみせる。


「そのかわり、ほかの人には秘密にしててくださいね。特にルィンランディア様には。絶対に怒られちゃいますから」

「じゃあこれは君とわたしだけの秘密ってわけだ」


 そうニヤリと笑ってみせると、フィアロもいたずらっぽく笑い返してくる。


「それじゃあ、もう戻りましょう。あまり風に当たりすぎてもお体に悪いですから」


 気づけばそろそろ風も冷たくなってきていた。フィアロに促されて、甘味を恋しく思いながらも名残惜しく立ち上がる。


「また明日、楽しみにしていてくださいね」


 そんなわたしを見かねてフィアロがそう声をかけてくれた。頷きを返して、小さな滝のそばの四阿をあとにする。だれもいなくなったそこをあとは静寂が包み込んだ。








 そうやって庭をブラブラして戻ってくると、時折待ちかねたようなローレルが部屋で待っていることがあった。


「庭に降りるなとは言わない」


 その日のローレルはなにか虫の居所でも悪かったのか、戻ってきたわたしを見るなり眉を釣り上げてガミガミと口うるさく説教してきた。


「だが節度というものがあるだろう! 体力も戻ってないのにそう長く庭を出歩く奴がどこにいる!」

「ここにいるよ? っていうかもう大丈夫だよ」


 備え付けられたソファにくたりと腰掛けると、ローレルは足音荒くやってきてドカリと隣に座りこんだ。


「ちゃんとクルグル先生の薬も飲んだし、左腕の感覚も戻ってきた。傷の膿もやっと引いてきてる。もう少しかな」

「なにがだ」


 隣にかけたローレルの顔を見上げる。


「もう少ししたら、ここを出ようかなって」


 ローレルは唇を噛み締めて、黙り込んだ。


「君は無事に元の居場所に戻れたし、ここには元来の君の役目があるんでしょう? わたしがいると君はそれに集中できないみたいだから」

「そんなことはおまえが気にすることじゃない」


 まただ。またローレルの顔になにか、思い悩むような色濃い苦悩が現れている。わたしは別にローレルを苦しめたいわけじゃない。


「毒を射ったことを気にしてるのなら、治療してくれたしもういい加減気にしないでいいよ。それでも負い目を感じてるってなら、食料を多めに持たせてくれれば……」

「リナリア」


 ローレルがふと、わたしの名を呼んできた。


「リナリア、ここで一緒に暮らさないか」


 今度はわたしが口を閉じる。


「希少な有魔族の生き残りを一人になんてしておけない。あの忌まわしい紅の塔のように、これ以上有魔族の犠牲を増やしてはいけない。おまえはここに……このエレン・ケレブに住まうべきだ」


 もしもここでローレルと一緒に暮らせたら……。ラズラルさんやそのほかのエルフの人たちとも、友だちになれたのなら。

 それができたら、どれほど楽しいだろう。


「……わたしがなぜ今まで一人で隠れ住んでいたのか、ローレルには話したでしょう? 人のいるところに留まれば嗅ぎつけられるかもしれない。そうなったらここエレン・ケレブも無事じゃなくなるかもしれない」

「そんなこと、おまえが心配することじゃない」


 ローレルはくしゃりと顔を歪め、吐き捨てるように言い返してくる。


「心配しなくてもここにいれば絶対に見つからない。それに唯一の懸念もじき取り払う予定だ。とにかく、慣れない遠慮をするくらいならそんなものは捨て去っていいから安心しろ」

「うーん……」

「私がここにいろと言っている!」


 ローレルが手を伸ばしてきて、くしゃりとわたしの頭をかき混ぜた。あの家でときどきわたしがローレルにしていたみたいに。まるで子ども扱いのように。見た目はそっちのほうが若いのに。

 この件はどうやらローレルは譲るつもりがなさそうだ。このまま言い合いしても不毛だろうと、それ以上この話を続けるのはやめにする。


「でも、いつかはこの部屋は出たいなぁ……」


 わたしのボヤきをローレルは敢えて無視してきた。








 本来このエレン・ケレブに戻ったばかりのローレルは、わたしの部屋に足繁く通う時間などない、らしい。

 毎日診察に来てくれるクルグル先生がそう教えてくれた。


「そうです、リナリア様。よければ有魔族の魔力というものをこのじいに見せてはもらえませぬか」

「ええ、いいですよ」


 クルグル先生を庭へと誘って、ちょうど庭仕事をしていたフィアロに合図を送る。フィアロは合点がいったように後ろへ下がった。


「わたしの水を浴びるとお花たちも喜ぶって、フィアロにも重宝されてるんですよ」


 なんだかいきいきするみたいだとフィアロに告げられてから、こうしてときどき水撒きの手伝いをするのが唯一の楽しみになっていた。

 手で宙に描いた軌道から細かな水飛沫が吹き上がり、そこからふわりとミスト状の霧が辺りに広がっていく。


「ほう、これは……」


 クルグル先生は興味津々といった様子で、その光景を眺めていた。


「こうして虹を作ることもできるんですよ」


 しばらく辺りを漂う霧の中にぼんやりと浮かび上がってきた虹。それを見てクルグル先生は陽気な笑い声を上げている。


「見事なものですな。いいものを見せてもらった」


 バイバイとフィアロに手を振って、一旦クルグル先生と部屋の中へと戻る。


「それで、クルグル先生」


 わたしは今日こそ言おうと思っていたことを切り出した。


「もうそろそろ傷も治ってきたころだと思うんですけど」

「そうですな」


 すべてを見通しているかのような、青い目を見つめる。


「いい加減この独房に閉じ込めたような扱いはどうにかなりませんか」


 その途端、クルグル先生はまた陽気な笑い声を上げた。


「この優雅な生活を独房のようだと申されるか!」

「いや、もちろん感謝はしてますけどね!」


 いい暮らしをさせてもらっているのはわかっている。住むところも豪華で、着る服も贅沢で、美味しい食事も出してもらっている。

 でもなにかが足りない。あのなにもかもが不足していた質素な生活の中にさえあったなにかが、この生活には足りなかった。

 それがなにかはわからないけど、生きる意欲とか希望とか、そういった類いのものがまったく見出せなかったあの生活の中にさえあったものなのに、すべてが容易く手に入る今の安寧に足りなさを感じる矛盾さに、自分でも困惑している。


「だがそれは、このじいの力じゃどうにもなりませんな」


 クルグル先生の尽力があればと思ったが、生憎と彼はわたしの味方をしてくれるつもりはなさそうだ。


「もちろん、ルィンランディア様にはあなたの病状をきちんと奏上しております。あなたの体調がもはや問題のないことくらい、殿下だって把握しておられる。そのうえで敢えてルィンランディア様はあなたをここに閉じ込めておられるのでしょう。どうやらあなたをどこにも行かせまい、とられまいと、この豪華な檻の中にずっと閉じ込めておくおつもりらしい」


 それは……困ったな。

 どうすればいいのかわからず途方に暮れたように頭をかくわたしを、クルグル先生はどこか面白そうに眺めていた。








 ローレルは相変わらず三日に一回くらいの頻度で、律儀にもわたしの顔を見に来ていた。

 来るたびに目の下に隈を作ってどんどん顔色も悪くなっていくローレル。明らかに休みもとれていないのにわたしの様子を見に来る姿に、なんとも言えない気持ちになる。

 そんな状態なのに、彼は部屋にきてもなにを言うこともなく、わたしの隣にもたれかかるように腰掛けてはただうつらうつらと仮眠をとって帰っていくだけ。

 一度きちんと自室で休んではと進めてはみたが、ギロリと睨み返されただけだった。


「リナリア様!」


 そんなある日、クルグル先生の毎日の診察が終わったあとバルコニーで物思いに耽っていると、フィアロに呼びかけられた。


「先生はなんて仰られていました?」

「もう体調は問題ないって!」

「それはよかった」


 フィアロは満面の笑みで笑いかけてくる。

 後ろで庭一面に咲き揃っているフェアグリーの花は圧巻の一言だ。さすが王のための花と言われるだけのことはある。


「今日はキャラメルを持ってきましたよ」


 フィアロの明るい声で現実に戻される。


「もしお腹が空いていらっしゃるのなら、先に四阿に行っといてくださいね」

「うん、ありがとう!」


 彼に軽く手を振り返して、わたしはいつもの庭の小道を辿って行った。







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