待っていた少年
港街には物資に加えて、各地から様々な情報が入ってくる。買い物中に耳をすませているだけで色々と小耳に挟めるくらいには、この街は活気のある所だ。
「聞いたか? ハイレイン傭兵団の奴ら」
隣の店主と客の会話に、ピクリと肩をすくませた。
あれからもステイたちハイレイン傭兵団の噂はときどき耳にしていた。
ステイのお父さんである前船長は、何十年か前に戦死したこと。その跡をステイが引き継ぎ、今は彼が船長として率いていること。ステイのそばにはいつも兄弟が控えていて、中でも妹はその見た目からは想像もつかないほどに強いこと、などなど……。
「奴ら、とうとうあのご立派な魔力探査機を奪って持ち去って行っちまったんだってよ!」
「そりゃあまたたいそうなことで。あれって噂じゃすっごいお高い魔導具だってんだろ?」
「なにせ、世界に数台しかないらしいからねぇ」
「おいそれと作れるもんじゃねぇってな」
「まぁあの魔導具もあちこちで恨みを買ってたからな。これでまぁた魔石の価値が沸騰するぞ」
「困るなぁ。ただでさえ年々産出量が減ってるってのによ」
「今となっちゃあユートピアだけだねぇ。タダで魔石のエネルギーを使わせてくれるのは」
「あそこはとんでもないエネルギー量の魔石を保有してるっていうからなぁ。だけど街にはおいそれと入れないんだろう」
「おうよ。あそこは今や上級国民様だけの楽園になっちまったのよ」
その噂話に、なにも手につかなくなった。
動揺に震える手を落ち着かせようと一旦店を離れ、港へと続く大通りをあてもなく彷徨い歩く。
ハイレイン傭兵団が魔力探査機を奪った。
たとえそれが誰かの依頼によるものだったとしても、それでもあの日、父さんたちを見つけ出してしまったあの代物を、ステイたちが求めたという事実。
衝動のままに大通りの坂道を駆け上がり、そこから遠目に見える海へと視線を遣る。たくさんの船が浮かんでいるそこに、あの日のハイレイン海賊船の幻影が見えるようだった。
『リナリア!』
そう呼ばれた気がして振り返るけど、もちろん誰かがいるはずもない。
しばらくそうやって感傷に浸っていたが、その行為がなんの役に立つはずもない。やがて海にも背を向け、買い物の続きをするためにその場を去った。
とめどなく繰り返される与太話にそれとなく耳を傾けながらも、あちこちの店を巡って必要な物を買い足していく。そうやって買い集めていくとけっこうな量になる。不自然な荷物の量にならないうちに退散するのがいつもの流れだ。
それを何日か繰り返して、相当量の物資を揃えればあとはもうこの街には用はない。
荷物は予め次の転送ポイントに送っているから、あとはこの朽ち果てた廃屋に人がいたことを示す痕跡をかき消しておくだけだ。念入りにその場を片付けて、それからようやく次の転送ポイントへと退散する。それを繰り返すと最後の転送ポイントには手押し車を備え付けているので、あとは手作業で運ぶだけ、だ。
「……遅い」
最終ポイントの森の中の朽ち果てた小屋へと着くと、そこにはなぜか不機嫌そうなローレルが待っていた。
「いつもの買い出しに何日かけている」
「ええ? いつもと変わらないよ」
「遅いと言ったら遅い!」
フンと鼻を鳴らすとローレルは周りに散らばっていた荷物を一瞥して、おもむろに手押し車へと積みだした。
そうかなぁ? 今回はローレルがいつになく心配していたから、早めに帰ってきたつもりだったけどなぁ。
ローレルはさっさと荷物を積み終わると「行くぞ」と歩き出した。
「待っているあいだに資材庫を整理した」
驚いて隣を見上げると、ちょっと得意げに輝いている新緑の目と合った。
「えっ大丈夫なの? また怪我とかしてないよね?」
「大丈夫だ。それに一度晒された菌にはもう抵抗がついている。もう二度とあんな高熱を出すことはない」
わたしたち長寿族の体のなんと都合のいいこと。つくづく感心する。
「それよりも、使えそうなものをいくつか見つけたぞ」
「あのローレルが自ら資材庫の整理整頓なんかするなんて……」
どうだとでも言いたげに目を輝かせるローレルをまじまじと見つめる。
「また寝室に籠もりきって出てきてないかと思ってた。これは明日は魚でも降ってくるかな」
「またとはなんだ」
その途端、ローレルが不機嫌そうに口を曲げた。
「おまえは私をそんなふうに思っていたのか」
「いやいや、感謝してるよ。ありがとう。ローレルにはずっとそういうことをやってもらいたかったんだよ! それでその、もちろん洗濯や掃除もやってくれてるんだよね?」
「あんなものは一人でするものじゃない」
堂々と言われて、ため息をつく。こりゃ帰ったらまた大掃除から始めなきゃ、だな。
「ま、まだまだ子どもだから仕方ないか」
「子どもじゃない」
ローレルは苦々しげに吐き捨てた。
「奴隷に貶められたときの極度の栄養失調で、成長が遅れているだけだ。おそらくおまえよりも年上だ。わかったのならもう少し私を敬え、労れ、大事にしろ!」
そういえば聞いたことがある。少年愛好家や少女愛好家たちの需要に応えるための特殊な奴隷もいると。
まだ年若いエルフたちの食事の量を極限まで絞ると、彼らの体は生命維持のために成長を後回しにしてしまう。そんなエルフたちの身体的特徴を利用して、人間はその欲望に特化した、美少年や美少女の奴隷を生み出していると。
とても歪で、悍ましくて、身悶えするような欲望が生み出した、残酷な所業。
まだ年若いはずの少年の瞳がいやに老成して見えるときがあると思っていたけど、どうりでだ。
「じゃあローレルって見た目ほど少年ってわけでもないんだ?」
「そ・う・だ! 何度も何度も言っているが、私はおまえよりもずっと大人だからな! わかったのなら明日からその態度をもっと改めろ!」
「はいはい、改めてほしいのなら買った分しっかり働いて返してよね」
そのとき、ローレルがふと歩む足を止めた。
「……そうだったな」
沈みゆく陽がローレルの暗く燃え盛る目を赤々と照らしている。
「わたしは、奴隷だった」
ローレルはまるで今までその事実を忘れていたかのように、そうポツリと呟いた。
「……。ねぇ、もしもさ。自分の奴隷印が手に入ったら……君はどうする?」
ポイッと投げて手渡した魔導具に、ローレルの暗く淀んだ目が次の瞬間、丸く見開かれた。
「……これは」
「そのボタンを押せば、解除できるよ」
「……」
ローレルは手の中の奴隷印を、目を見開いたまま見つめている。
「それ、返すよ」
「おまえは……」
「わたしはさ、君がここにいてくれさえすれば、どうでもよかったんだけど」
歩みを止めたローレルと、暗く染まりゆく森の中で対峙する。柄にもなく緊張している。心臓の鼓動がドクドク鳴っている。
これは賭けだ。一か八か、手に入れるか失うか。人間の欲望は際限がないというのはつくづく真実だと思い知る。
わたしは彼がここにいてくれればそれでいいと、そう思っていたはずなのに――彼の気持ちに、賭けてみたくなってしまった。
「君は今、その奴隷印を解除することができる。そうしたら君はいったいどうする?」
乾いた唇を無意識に舐めていた。
「それを押しさえすれば、君がわたしの奴隷であるという証拠はなくなって君は晴れて自由の身だ。そしたら君は今すぐ荷物を奪ってここを出ていく? それとも屈辱的な行為を強いたわたしに復讐する?」
ローレルは目を見開いたまま、なにも言わずにわたしを見つめている。
「……でも私は、できればこの先もきみと一緒にいたいと思ってるよ。だって君もわたしも、ほかにどこにも行くところなんてないだろう? わたしたちは、それだけは同じだもの」
帰る場所もない、どこにも居場所がない者、同士。
ローレルは目を見開いたまま手元の奴隷印に視線を遣った。震える指を伸ばして、そして――奴隷印を解除する。カチリと小さな音が響いて、魔導具は動作を停止した。
ローレルの手の中から奴隷印がボトリと落ちた。そのまま彼は積年の恨みを乗せるように、振り上げた足を降ろして魔導具をめちゃくちゃに踏みつけた。
いやに静かな森の中に人工物がぐちゃぐちゃに壊れていく音が響いていく。跡形も残らないほどに奴隷印を踏みつけた彼は、その爛々と光る目を今度はわたしに向けた。
一歩二歩、ローレルはわたしに近づいてくる。かつてないほど近くの距離にローレルは近寄ってくると、上から見下ろしてきた。影になった表情の奥から、そのリーフグリーンの目だけが輝いている。
そのまま長い時間、ローレルはわたしを見下ろしていた。
「……帰ろう」
ローレルはやがて視線を落とし、ポツリと呟いた。
「早く荷物を整理しなければ日が沈む」
「……それがローレルの、答えなの」
背を向けて歩き出した彼はなにも答えなかった。
無意識に止めていた息をやっと吐き出す。その後ろ姿は結局答えをくれなかったけど、辿る道の先は、わたしたちのあの森の家だった。
案の定、家の中は悲惨な状況に陥っていた。食器だけはかろうじて片付けていたみたいだけど、脱ぎっぱなしの衣服は散らばっていて、床には埃が溜まっている。
「ローレル?」
「わかっている。あとできちんと片付けるつもりだった」
「いちいち指摘するな」とグチりながらも、ローレルは渋々服を拾い始める。
「こんなに散らかして……明日は大掃除かなぁ」
「散らばっているのは元々だろう! 自分だって掃除は適当なくせに!」
なんだかんだ、ワーワー言い合いながら過ごす時間は……たとえローレルにとっては苦痛なのだとしても、わたしにとってはなくてはならない時間になっていた。
ふと、明日起きたらローレルはすでにいなくなっているかもしれないなんて思った。自分がもう奴隷ではないと、長年の苦痛からやっと解放されたローレルはどんな行動に出るだろう。
……だけど彼をお金で買ったわたしには、それをどうこう言うような資格はない。
それでも、できればローレルには自らの意思でここに残ってほしいと、そう願わずにはいられなかった。




