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思い出を辿る少女

 

 ステイはわたしを抱えたまま、日の沈んだ街の裏通りを驚くような速さで駆け抜けていった。普段騒がしいステイからは想像もつかないほど、彼はびっくりするほどに音を立てなかった。

 叩いても蹴ってもステイがびくともしないことに疲れ果てて、そのときにはわたしは静かになっていた。

 そうこうしているうちにハイレイン傭兵団の船が停泊している港へと辿り着く。ステイはそこで一度足を止めた。


「……やっぱりあいつら、張ってやがったか」


 低く吐き出された言葉。ステイは鋭い眼光で辺りを油断なく見渡している。見れば先ほどの武装した人間のうちの幾人かが、逃げ出した有魔族の娘一人を捕まえるために港を張り込んでいた。

 運がいいのか悪いのか、生憎と彼らは魔力探査機を持っていないようだった。ここでもしも彼らが運良く魔力探査機を持っていたら、わたしは両親と一緒に仲良く魔塊になっていたことだろう。


「ステイ。もういいよ」


 力なく呟いたわたしに、返事は返ってこない。


「依頼は取り消す。受け取ったお金は好きにして。わたしにはもう必要のないものだから。だから父さんと母さんのところに行かせて」


 やっぱり返事は返ってこない。ステイはなにも言わない。耐えきれなくなって、待ち構えている人間たちのところへ行こうとステイから離れようとした。


「リナリア……!」


 強い力に引っ張られて乱暴に連れ戻された。抗議しようとした声は、硬い豆だらけの手に押さえられてかき消される。


「そんなこと……させられるわけがない!」

「なんで?」


 自分の声が震え、涙が混じるのがわかった。


「父さんも母さんも、このままだとあの人たちに殺されちゃう……! わたし、行かなきゃ……!」


 言葉は遮られた。ステイに強く抱き締められていた。


「ごめん……! でも、リナリアは行かせてあげられない。おじさんたちの最期の依頼もそうだけど、俺は……!」


 容赦ない力で抱き締めてくるくせに、ステイの声は震えていた。


「……もうすぐエマがやってくる。上手いこと奴らの気を逸らしてくれるはずだ。そしたら見つかる前にここを去る。いいな? リナリア」

「…………」


 ステイはそのまましばらくわたしを強く抱き締めていた。その強い腕の中でわたしはとりとめもなく考えていた。

 わたしはどうすればいい? どうすれば両親を助けられる? どうすればステイを説得できる? 

 もがいても、訴えても、この頑丈な腕はびくともしなかった。決して緩むことなく、わたしをこの世に縛りつけるように彼はただ抱き締めてくれていた。


「……来た。行くぞ!」


 長い時間が経ったような気がした。相変わらず頭の中はぐちゃぐちゃに色々なものがささくれ立っていて、整理できずじまいだった。

 そんな中、エマが向こうから一人でやってきた。彼女は無邪気な少女のように、武装している人間たちに無遠慮に話しかけに行ってしまう。

 人間たちの気が逸れたその瞬間を狙って、ステイは港にうず高く積まれていた荷物のあいだをジグザグに走り抜けながら音もなく海のほうへと走り出した。

 一瞬、このまま殺してくれるのかなと期待した。わたしにはもう生きていく意味も価値もないような気がしていた。この先うまく逃げおおせたとして、一人でどうやって長い時を過ごせばいいというのだろう。……そうやって、おそらく焦りや絶望なんかで自暴自棄になっていたんだと思う。

 だからわたしはステイに身を任せたまま、そのまま目を閉じて力を抜いた。ステイはわたしを抱きかかえたまま桟橋まで行くと、そこから海に身を投げた。ポチャリと沈む音とともに真っ暗で冷たい海の中へとステイと沈み込む。

 なにも見えなかった。真っ暗な海の中は上も下もわからない。刺すような冷たい水だけがわたしの意識を繋ぎ止めている。

 ステイはわたしを抱えて水中を泳ぎ始めたみたいだけど、すぐに限界はきた。あっという間に息が苦しくなって、そうしたらあれだけ自暴自棄になっていたにも関わらず体は勝手に酸素を求めてもがき始めた。

 ステイは暴れるわたしを宥めてなにかを伝えようとしていたけれど、生憎とそれどころじゃなかった。口から酸素を取り込もうとして、逆に大量の空気が漏れ出ていってしまう。求める空気が入ってくる代わりに大量の水を飲み込んだ。

 ステイが慌てている。暗闇の中で、これでこの人生も終わりかと絶望にも似た諦めに支配され――。








 次に目が覚めたときには見知らぬ船室にいた。

 ご丁寧にもベッドへと寝かされていて、そばに水差しまで置かれている。


「目が覚めた?」


 窓から外を見ていたステイが振り返ってきて、ニコリと笑いかけてきた。


「ちょっと荒っぽい脱出劇になっちまってごめんな! でも安心してほしい。無事に気づかれずに出航できたからな。まぁ親父には荒っぽすぎるってたんまり怒られたんだけど」


 ハハッと笑ってみせたステイは、いつもの明るいステイだった。

 でも、わたしは悟ってしまった。あんなにも明るいステイの笑顔に照らされたのに、少しも笑えなかった。わたしたちはあの港町にいたときのようにはもう無邪気にはなれないんだ。

 わたしはこの世界で唯一の肉親を見捨ててしまった。唯一の同族を、大事な家族を、わたしは置いてきたまま――。


「リナリア」


 そばにやってきたステイはベッドに腰掛けると、俯いたわたしの顔を覗き込んできた。


「親父さんとおふくろさんを助けられなくて、本当にすまなかった」


 その途端、涙がとめどなく溢れてきた。


『見てごらん、リナリア』


 いつかの母さんの言葉が、容赦なく蘇ってくる。


『このお魚、まるでリナリアみたいでしょう? 鮮やかな朱の中に混じった銀色がとてもきれいなフェアリーフィッシュ。健気に咲く可愛いあのお花にも似ているわ。わたしの大事なリナリア』


 当たり前のようにこの日常が続くと思っていた。

 まだしばらくはあの場所で、父さんの手伝いをしながら人間として生きて、もしかしたらステイと恋仲になってエマに四六時中からかわれているようなそんな生活があったのかもしれない。

 それでもいつかはステイたちとも別れなくてはならなくて、寂しいけどいつかまたどこかで会えたらとそう願いながら家族三人で新天地へと出立して――。

 でも、そんな日々はもう二度とこない。

 もう父さんには会えない。母さんにも会えない。どんなに泣き喚いて縋っても、その事実は変わらない。


「……違う。ステイのせいじゃない。わたしがすぐに町を出ていく決心をしていれば……わたしが父さんたちの決心を鈍らせた。わたしのせいだ……」

「リナリア……」


 困ったような声でステイに呼ばれて、そして抱き締められる。


「ごめん。ごめん、リナリア……」


 そう何度も謝るステイに首を振りながらも、わたしは大声を上げて泣いた。わたしはおそらくこの人生で初めて身内以外の他人へと縋り、心の内をさらけ出し、そして甘えたのだ。








 ステイもエマはそれきりなにを言うでもなく、船上での世話を焼いてくれた。

 ステイはいつも船での仕事の合間に食事を持ってきてくれたり、海であった出来事を話して聞かせたりしてくれた。エマはお気に入りの服を貸してくれたり、わたしの朱銀の髪を物珍しそうに梳かしながらお揃いのおさげにしてくれたりなど、すべてなくしてしまったわたしを気にかけてくれていた。

 そんなどうしようもなく二人の優しさに甘えきった日が何日も経ったころ、とうとうハイレイン海賊傭兵団とのお別れがやってきてしまった。

 ステイのお父さんであるハイレイン団長はわたしを父の依頼通り、指定されたある地まで送り届けてくれた。沖に停泊した海賊船から、ステイとエマが小舟を漕いで砂浜へと連れてきてくれる。


「本当に行っちゃうの?」


 小舟を降りた私の手をエマは思わずといったように掴んできた。


「ここにいたらいいじゃん。なんで行くの?」

「これ以上、一緒にいられないから」


 やっとぎこちなく微笑んだわたしに、エマは海の青を凝縮したような瞳を揺らしてきた。

 人間たちはこれからもわたしを探し続けるだろう。人を相手に商売している彼らのそばにいれば、いつわたしの存在を嗅ぎつけられるかわからない。そうなったら今度はこの二人を危険に巻き込んでしまう。


「それにしばらくは一人でこれからのことを考えてみたいんだ」

「そんなの……」


 手を離したっきり、唇を噛み締めて俯いてしまったエマをそっと抱き締める。


「ありがとう、エマ。大好きだよ」

「そんなこと言うくらいなら行かなきゃいいじゃん……!」


 怒ったようにエマはそう言ってプイと向こうを向いてしまった。その様子にステイは苦笑しながら、砂浜のその先までついてきてくれた。


「強情張ってないで一緒にいればいいのに」


 ステイはいつものように笑ってくれたけど、今思えばその笑顔も少しぎこちなかったように思う。


「こんなところで一人……これからいったいどうやって生きていくんだよ」

「心配しないで。詳しくは言えないけど……父さんが教えてくれた場所に行けばきっとなんとかなると思うから」


 明るいマリンブルーの瞳が問いただすように、まっすぐに向けられている。


「……なぁ、行き先は教えてくれないのか」

「……」

「なにが起こってるのか詳しくは聞かないからさ、せめてこれからどこに行くのかだけでも教えてくれないか」


 なにも答えないわたしに、ステイの顔から笑顔が消える。

 ステイの姿もこれで見納めかと思うと目が離せない。わたしはしばらく言葉もないままに彼を見つめていた。


「……ステイのことは忘れないよ」


 おもむろにナイフを取り出したわたしに、ステイは訝しむように一瞬眉を顰めた。

 髪を一束掴むとその刃を滑らせ、切り落とす。そしてそれをステイに差し出した。


「ありがとう。きっともう会うことはないけれど、それでも……ステイがこれからもわたしのことを覚えていてくれたら、嬉しい」


 ステイは唇を噛み締めて、その髪束を受け取ってくれた。


「それじゃあ……さようなら」

「リナリア!」


 背を向けて荷物を背負ったわたしに、ステイの声がかけられる。


「俺、絶対に忘れないから!」


 その声に、その場で立ち止まってしまわないように足を踏みしめなければならなかった。


「また! いつだってここに来るからさ! 一緒に来たいって思ってくれたそのときは……!」


 これから先、わたしは誰にも知られないまま生きていくことになるんだ。わたしがここに存在していることはステイたちしか知らない。ステイとエマに忘れ去られてしまったら、わたしはもうどこにも存在しなくなる。

 でもステイはずっとわたしのことを覚えていてくれると言った。わたしがここにいたことを、ステイの友だちであったことを覚えていてくれると言った。

 ――今はそれだけで充分だ。


「リナリアを迎えに行くから!」


 振り返ることはしなかった。振り返ったら、一人にしないでと縋ってしまいそうだった。

 わたしたちが有魔族だとバレた以上、もう人間の世界にはいれられない。再び人間の世界に身を置いておけば、いつまた魔塊を欲している人間に居場所を突き止められるかわからない。

 立ち去るわたしをステイはしばらく見守ってくれていた。わたしの姿が見えなくなるまで、わたしの旅立ちを惜しむように、ステイはただそこに立ち竦んで最後まで見守ってくれていた。








 

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