表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

三人兄妹

何もかもが真っ赤に染まっていた。

真昼のように明るくバチバチと音を立てて柱や屋根や足元の畳みすら燃え盛っていた。


あーん

あーん


妹の泣き声が響き咳込みながら手を掴んだ。

「小平、こっちだ」


一緒に泣きながら本を懸命に抱きしめる弟の袖も掴んだ。

「次平も座っちゃだめだ」


逃げないと

逃げないと


殺されてしまう


紅蓮の火の中で見知らぬ男たちが走り回っている。

見つかったら殺される。


太平は泣きながら立ち止まりそうになる幼い妹と弟を引っ張るように連れて周囲を焼き尽くそうとする火事に逃げ惑う人々の中へと紛れ込んだ。


「守らないと、父ちゃんと母ちゃんと約束したんだ」

絶対に俺が守らないと


夜八つ。

草木も眠る丑三つ時である。


宝永2年の10月。

この夜は江戸の一角では真夏のように熱く昼のように明るく…そして、人々の騒乱の声が響いた。


小料理屋あわじ


暁七ツと言えばちょうど夜明け間近の時刻である。

淡路は寝床から起き上がると着物を纏い唇に紅を差した。


小十郎は温もりが無くなったことで目を覚ますと

「淡路、寒くはないか?」

と呼びかけた。


10月と言えば江戸の町では冬支度を始める頃である。

炬燵や囲炉裏、火鉢などを用意して暖を取るのだ。


淡路は鏡の前で肩越しに振り向き

「ああ、問題ないよ」

お前さんはゆっくり起きてくればいいよ

とにこりと笑って応えた。


小十郎が淡路を見受けして数か月。

その後に始めた小料理屋も今は盛況で生活に困ることはない。


淡路は身支度を整えると勝手口に回り桶を持って豆腐屋へと足を運んだ。

この時刻になると魚売りも通りを行き交って声をかけてくる。


「淡路のねぇさん」

どうだい、活きの良い魚が入ってるよ


淡路は足を止めると魚の入った桶を見て

「イワシが良さそうだね」

煮つけにしようか

と呟いた。


魚売りをしている七郎は

「よしゃ」

イワシお買い上げってね

と言い、淡路の桶の中へとポンポンポンとイワシを入れた。


淡路は懐から財布を出すとお代を払い

「じゃあ、これね」

と渡した。


七郎は笑顔で

「まいど」

と答え、そういえば、と言葉を続けた。

「昨日は阿佐布の方で火事があってな、えらい大変だったみたいだ」


淡路は驚いたように

「そうなのかい」

そりゃ向こうの方は大変だったねぇ

と呟いた。


七郎はそれに

「そうなんだけど」

と言い淀んだ。


淡路は不思議そうに

「?どうかしたのかい?」

と聞いた。


七郎はう~んと唸りながら

「それが…火元が町医者の家だったんだけどその町医者夫婦が何者かに殺されているのが見つかって」

商家なら物取りの時に火を放つってのはあるけどなぁ

と呟いた。


淡路は「そうだねぇ」と少し考える様子で

「早く下手人が見つかって欲しいねぇ」

と告げた。


確かに江戸の町で盗賊が商家へ押し入る前に火を放つことがあるのだ。

人々が逃げ惑っている間に盗みに入るという凶悪ぶりである。

なので、盗賊は捕まるとほぼ死刑は免れない。


淡路はそう言うことが起こらなければいいのだが、と思いながら豆腐屋へ行くと厚揚げと豆腐を買って店へと戻った。

が、店の裏手の勝手口で小さな影が三つ固まっているのが見えた。

「?」


子供が三人集まって隠れているようであった。

「どうかしたのかい?」

何処の子供だね?

そう呼びかけた。


途端に4歳くらいの女の子がヒクヒクと泣き始めたのである。

「めんねー」

めんねー


…。

…。


いや、別に怒ったわけではなく。

と淡路は心で呟き、にっこり笑うと屈んで

「その、怒ってるわけじゃぁないよ」

と言い

「んー、どうかしたの…」

と子供たちの顔や足などが煤汚れているのに気付いた。


『阿佐布の方で火事があってな』


七郎の話を思い出して

「もしかして、阿佐布の火事から逃げてきたのかい?」

と問いかけた。


それに一番身体の大きな子供が女の子と男の子を守るように前に立って

「…」

と淡路を睨んだ。


淡路はふぅと息を吐き出すと

「困ったねぇ」

というと

「別に取って食おうってわけじゃ無いんだし」

口があるなら言ってくれないとね

「何故ここにいるんだい?」

と聞いた。

「ここは私の店なんだよ」


その時、勝手口が開き小十郎が姿を見せた。

「淡路…と、なんだこの子たちは?」


淡路は首を振ると

「さぁ?だんまりだから分からないねぇ」

と告げた。

「言わないなら他へ行ってくれ」

何かあるなら伝えてくれないとね


そう言って勝手口へ行こうとしたとき、一番年上の子供が

「お、俺の名前は太平」

こっちが弟の次平でこっちが妹の小平

「…あいつらに見つかったら…」

助けてくれ

「俺、何でもする」

だから

と頭を下げた。

「父ちゃんと母ちゃんに頼まれたんだ」

弟と妹を頼むって

「俺、俺…」


淡路はフワリと笑うと

「そうだったのかい」

三人ともお上がり

と中へと誘った。

「そう言ってくれりゃぁ私だって助けてあげられるよ」

大切な事は言葉で伝えてくれなきゃ分からないだろ?


小十郎は驚きつつも頭を軽く掻きながら

「まあ、入りな」

と中へと入れた。


淡路は台所へ行くと買ってきた厚揚げと豆腐とイワシを出して朝食の準備に取り掛かった。

料理屋に出すアブタマとイワシの煮物は小十郎が調理した。


太平と次平と小平は居間で膳を前に鎮座し、暫くは緊張して座っていたのだが次平と小平はウトウトして眠り始めていた。


昨夜の火事から一睡もせずに歩いてきたのだ。

身体が疲れ切っていたのである。


淡路は盆に乗せてご飯と漬物と味噌汁を持って居間に入り静かに笑みを浮かべた。

「阿佐布からここまで歩いてきたんだ」

疲れたんだろうねぇ

「しょうがない、起きてから用意し直すしかないね」


そう言って、一人眠さを堪えて座っている太平の前にだけ食事を置いた。

「食べたら弟と妹と一緒に寝な」

大丈夫、ここにはめっぽう強い旦那がいるから安心しな


小十郎は料理を終えて居間に上がると

「じゃあ、淡路も飯食って店の開ける準備をしてくれ」

この子たちは俺が見るから

と告げた。


淡路は頷くと

「そうだね」

そうするよ

と答えた。

「お願いするね」


そう言って店の方へと向かった。


小十郎は太平を見て

「まあ、それなりに腕には覚えがあるから安心してゆっくり食えばいい」

腹が減っては戦う事はできない

「戦も人生もな」

と告げた。


太平は淡路と小十郎を見ると

「あ、の…ありがとうございます」

と頭を下げた。


淡路はにこりと笑うと

「いいさ、ちゃんと礼を言えるのはしつけがされている証拠だね」

良いお父とお母だったんだねぇ

と告げた。


太平は頷いた。

そして、お椀を手にするとご飯を駆けこんだ。


淡路は食事を終えると帯に扇子を差して小十郎に

「じゃあ、お願いするね」

と軽く唇を重ねた。


触れるだけのソレ。


小十郎は笑むと

「お前も」

と返した。


太平は思わずご飯を口に入れたままその様子をジーと見つめた。


淡路はちらりと太平を見ると

「子供はそう言うときは他を見ておくんだよ」

と言い店の方へと向かった。


小十郎は頬を染めながら

「食べたらゆっくり寝たらいい」

と笑顔で告げた。


なんだかんだと二人の仲は睦まじいのだ。


朝六ツになると陽は登り、少し前に開いた木戸から人々があふれ出す。

この頃になると店も開いて町屋の表通りには多くの人が行き交うようになる。


淡路の店も暖簾を上げると仕事前に朝ご飯を掻き込む人も多かった。

それは江戸の町には独身男性も多く食事の準備も大変だったからである。


なので淡路の店は仕事始めの時間よりも早くに開けて煮物やご飯を出すのである。

朝は酒が出ないので大体10文そこそこ。

それでも客が入るのでそれなりに儲けにはなっていた。


それ以上に様々な職種の客が来るので情報交換の場になっているのである。


淡路は入ってくる客に飯と味噌汁と煮つけを手際よく出しながら

「いらっしゃい」

と声をかけて笑顔を向けた。


入ってくる客の話題はやはり魚売りの七郎の言っていた昨夜の阿佐布の火事の話であった。

越後屋の4番番頭の助六も板間に座り淡路からご飯と味噌汁の乗った盆を受け取ると横において

「昨夜は阿佐布の方は大変だったみたいでよ」

こっちに流れてくる人も居るって話なんだが

「火の手が上がると全部燃えちまうから…早く下手人が捕まらねぇと流れてくる人間に疑惑の目を向けちまってなぁ」

とぼやいた。


下手人が捕まらなければ何時自分たちも同じ目に合うか分からないからである。

流れてくる人々の中に下手人が紛れている可能性もあるからである。


江戸の町は一度火事が起きると一気に燃え広がり家屋を壊して消火していくことになるので被害は甚大であった。


淡路も盆を手に

「そうだねぇ」

と言い

「本当に早く捕まってほしいねぇ」

と呟いた。


その時、一人の羽織をかけた男が姿を見せた。

「朝からやってる煮つけ屋か」

飯と味噌汁と煮つけは何だ?


言われ、淡路は笑顔で

「イワシの良いのがあったのでイワシを煮つけてますよ」

と答えた。


男は刀を差したまま板間で食べていた助六の横に座り

「じゃあ、それで頼む」

と告げた。


助六は少し離れるように座り直し口を噤んで黙々と食べ始めた。

その時、男は助六に

「そこの」

先ほど話していた火事だが阿佐布から流れてきた人間には会ったのか?

と聞いた。


助六は戸惑いながら

「は、はぁ」

ここへ来る前に会いました

「男が一人と女が一人と、そうそう二人の子供を連れた家族でやんしたが本当に着の身着のままのようでお気の毒でしたよ」

と答えた。


男はほぉと声を零すと

「家族か…他には見なかったか?」

と聞いた。


助六は思い出すように唸ったものの

「あっしがみたのはそれくらいだけですがねぇ」

と返した。


男は淡路が横にご飯と味噌汁と煮物を置くとそれを口に運び

「もし、子供…」

と言いかけたが、直ぐにやめると

「いや、そうか分かった」

と飯を食べてお代を渡すと立ち去った。


助六は肩を竦め

「いやいや、お武家さんがこんなところへ…と言っちゃぁ失礼か」

と笑って

「じゃあ、あっしゃこれで」

と立ち去った。


その間にも入れ替わり立ち替わりと客が訪れ、ひとしきりの波が収まる頃には太陽はかなり高さにまで登っていた。


淡路は先程の武士を思い出しながら目を細めた。

だが、子供たちはそれほど怪しくはなかった。

まして、武士に狙われる理由など淡路には見た感じ思い当たりもしなかった。


「…だよねぇ」

淡路はそう小さく呟き、漸く静かになった店に射しこんだ影に目を向けた。


遊郭にいた頃に淡路の元へ通っていた若侍である。

自称・巨勢頼方と名乗っている。

頼方は板間に座ると

「淡路、繁盛しているみたいだな」

と声をかけた。


淡路は頷くと

「お陰様で」

と答えた。

「それで、今日はあたしの顔を見に来たというわけではないんだろ?」


頼方は察しの良い淡路にふっと笑うと

「小十郎殿は?」

と聞いた。


淡路は足を店の奥の居間に向けると小さく頷いて中へと誘った。

この店自体、頼方の力も大きいのだ。


頼方は中に入ると居間で眠っている三人の子供に目を見開いた。

「…子供…」


淡路はふっと笑うと

「あたしと小十郎さんの子供に決まってるだろ?」

と言い

「なんて、事はないけどねぇ」

と付け加えた。


小十郎は淡路を見て

「俺は子供がいようといまいと気にはしない」

淡路がいてくれればそれだけで良いと思っている

と微笑んだ。


頼方は二人を交互に見ると笑みを浮かべて

「二人が幸せなら良いが」

と言い、子供たちの様子を見ると

「煤汚れているが、もしかして昨夜の阿佐布から逃げてきた子供か?」

と聞いた。


それに小十郎が

「ああ、間違いないだろうな」

と答え、次平が抱えている二つの本を目に

「恐らく、医学書にもう一冊は分からんが…町医者の子供なんじゃないかと思うが」

と答えた。


小十郎は元々士分で学もそれなりに積んではいるのだ。


頼方は腕を組むと

「その事なのだが」

ちょうど良かったというべきか

と告げた。


「実は昨夜の阿佐布の火の出元が町医者の家で夫婦が惨殺されているのが見つかったんだが」

まあ、色々話があってな


小十郎は正面に座り

「それは」

と聞いた。


頼方はフムッというと周囲を見回し

「賊の仕業でないことだけは間違いない」

と告げた。


小十郎は目を細めると

「つまり何かの口封じと云うことか」

と呟いた。

「それで一体何の?」


頼方は首を振ると

「今調べているが」

と言い

「その子供たちがそうなのかどうかは分からないが」

少し面倒見てもらっていていいか?

と告げた。


小十郎は頷いた。

「それは構わない」


淡路も頷いたが

「そう言えば、今朝…お武家さんが火事から逃げてきた人間を探しているみたいだったけどねぇ」

と告げた。


それに眠っていた小平が突然泣き始めた。

「めんねー」

めんねー

泣き声に起きていたらしい次平が小平をぎゅうと抱きしめた。


太平も震えるように二人を抱き締めていた。


淡路はふぅと笑むと三人の頭を何度も何度も撫でると

「大丈夫」

大丈夫

と呼びかけた。


小十郎は頼方を見ると

「子供たちは俺達が匿っているので、あんたは下手人を見つけることに力を注いでくれ」

と告げた。


頼方は頷いた。

「わかった」


それに太平は立ち上がって次平の本を手にすると

「これ!」

お父に渡されたんだ

と告げた。

「お父とお母を殺した奴を捕まえてくれ」

でないと次平も小平も


涙を流して訴えた。

次平も小平も座って互いを庇うように抱きしめた。


頼方は本を受け取るとパラパラとめくり途中で手を止めた。

「…」


本の中ほどが袋状になっておりそこが硬かったのである。

上の部分と下の部分には糊が付けられていて捲らないと分からない状態だったのである。


上の部分を剥がし中から出てきたものに目を見開いた。

「これは…書状」

それに


一枚の小判が出てきたのである。


淡路も小十郎も驚いてみた。

頼方は小判を手に目を細めると

「もしかしたら、これは」

偽小判では

と言い、太平に本を返すと

「書状と小判は預かっておく」

絶対に悪いようにはしない

というと立ち上がって

「じゃあ、調べてくる」

くれぐれも用心してくれ

と立ち去った。


淡路は三人を見ると

「とりあえず、身体を洗ってご飯を食べて元気をつけないとね」

と立ち上がった。


それに小十郎は

「ああ、俺が準備をしてくる」

と裏へと回って水浴びの準備をした。


「風呂へ連れて行ってやりたいが、今は危ないからな」


淡路は小平を連れて行き

「じゃあ、順番でね」

お兄ちゃん二人はちょいと待っときな

と告げた。


太平も次平も居間でチョコン座って頷いた。

小十郎も小さく笑いながらその様子を見つめていたのである。


淡路と自分の間には子供はいない。

この先出来るかどうかも分からない。


そればかりは正に天からの授かりものなのだ。

士族の家では子供の有無はお家の断続に関わる重大事で子が産めない嫁はとよく言われるのだが。


小十郎は心で

「俺は子供などいなくても淡路がいてくれれば良い」

惚れて惚れて

「今も愛おしい」

と一人惚気ていた。

が、不意に店の方の音に気付くと刀を手に立ち上がった。

「お前たちはそこにいろ」


低い声で告げてすっと背を向けると店の方へと向かった。

淡路も小平を桶から出すと手拭いで綺麗に拭き、自分の着物を羽織らせた。


着てきた着物は焼け焦げてせっかく身体を洗っても着ると反対に身体が汚れそうだったからである。


淡路は太平と次平に目を向け部屋の隅に寄せると

「もう少し待ってもらおうかねぇ」

と言い帯に差していた扇子を手にジッと店の方を見つめた。


朝は朝食を食べに客が流れるように訪れる。

真昼九ツになると今度は昼ご飯を食べに客が訪れる。


そして、仕事が終わる暮六つから木戸が閉まる夜四つまでが稼ぎ時であった。

酒を引っ掛ける客が多くやってくるのである。


それ以外の時間はパラパラと客は姿を見せるが数は本当に少なくその間に次の時間の仕込みをするのである。


ただ今訪れた客は明らかに飲み食いの客ではなかった。


小十郎は店の暖簾をくぐった3人の侍を見るとにこりと笑い

「今ちょうど昼の仕込みの最中でね」

飯くらいしか出せないんですが

と告げた。


中央の侍が

「ここに子供が三人訪ねて来なかったか?」

この店の横手に入っていくのを見た者がいてな

と告げた。


小十郎は首を振ると

「さぁ?通り過ぎたんじゃないんですか?」

と業と通りの方へ視線を向けた。


侍は「ほぉ」と目を細め刀の鞘を下げると

「俺は調所家家臣安田という者だ」

町人風情が立てつくつもりか?

と睨んだ。


小十郎は表情を見せず

「どうやら穏便な話ではなさそうですねぇ」

と返した。


安田と言う侍は刀を抜くと

「子供を出せと言っている」

いるのはわかっている

と襲い掛かってきた。


暖簾で外から見えにくい上に人通りも少ない。


小十郎はこれ幸いと思うと素早く鞘から刀を滑らせるように抜くと安田の刀を弾き、構えた。


両側にいた一人も刀を抜き

「いやぁ!!」

と甲高い声と共に切りかかってきた。


小十郎は素早く刀を払い、同時に右肩へと刀を降ろした。

身体に当たる寸前に刃を返し、そのまま振り下ろした。


店の中で斬り合いをするわけにはいかなかったので棟打ちになるが、身体へのダメージは大きい。

骨の一つや二つは折れているだろう。


男はその場に倒れ、安田は慌ててもう一人の男に

「俺が切りかかる」

お前は

と顎を動かした。


小十郎はそれを止めに足を動かしかけた。

が、安田が素早く切りかかった。


小十郎は素早く下から上へと切っ先を動かし刀を切り、それを素早く返して左の肩を強く斬りつけた。

もちろん、棟打ちである。


だが、その間に最後の一人が居間へと駆けあがると

「お前たちが持って逃げたモノを返してもらうぞ!!」

と刀を振り上げると振り下ろした。


瞬間に前にいた淡路は帯に差していた扇子を手にすると刀を甲高い音と共に弾いた。


男は驚いて

「な、なんだ…なんなんだ!?そ、その扇子は??」

町娘の分際で!!

と再度刀を振り上げたが背後から棟打ちで斬りつけられてそのまま前のめりに倒れた。


小十郎は息を吐き出すと

「大丈夫だったか?」

済まなかったな

と告げた。


淡路は笑むと

「母の形見の鉄扇子がこんなところで役に立つとわねぇ」

何が幸いするか分からないね

と告げた。


小十郎は三人を縛ると店の隅の板場に転がし

「さて」

取り敢えずはここで気づくのを待つしかないか

「向かってくることも出来ないだろうしな」

と呟いた。


先の切り合いで骨の一本ないしは二本ほど確実に折れている。

歩くことは出来るだろうが刀を振り上げることは出来ないだろう。


淡路はその様子を見て

「まあ、あの人がいれば問題ないね」

と呟くと、途中で止まっていた水浴びを続けた。

次平と太平の身体を丁寧に洗い、小十郎の服を着せた。


そして、食事を取らせたのである。

食事は生きていくための活力である。

「食欲がある間は生きていこうとしている証拠さ」

そう言って笑みを浮かべた。


小十郎は店に出す料理を準備しながら三人が気付くと

「悪いが、手の縄は他で外してくれ」

それからお前たちが探しているモノはもうあの子たちは持っていない

「ここにはない」

今頃藩邸は大変なことになっているかもしれないな

と不安を煽り

「戻った方が良いぞ」

と告げた。


安田たちは顔を見合わせて慌てて藩邸へと急いだ。


頼方が持って行ったものは偽造小判であった。

それと薩摩藩邸で偽造小判が作られていることを告発する書状であった。


その為に殺されたのである。


将軍徳川綱吉の側近家老から偽造小判の疑惑ありの報が早馬で薩摩藩へ連絡が行き、上に下に大騒ぎとなっていたのである。


その後、薩摩藩邸から数名の御家人や臣下が薩摩に向かって旅立った。

その中に安田と主筋になる調所家の人間がいたが、その一団が薩摩にたどり着くことはなかった。


淡路は昼食の客の波を裁き、暮六つを迎えて一杯を引っ掛ける客が来始めた時に現れた頼方によってその事を知ったのである。


淡路は頼方を見ると笑顔で

「いらっしゃい」

と他の客の相手をしながら視線で奥へ行くように促した。


店はそれなりに忙しいのである。


頼方は頷いて奥の居間に姿を見せると待っていたらしい小十郎の前に座った。

小十郎の横には三人の子供が座っていた。

殺された町医者の子供である太平と次平と小平である。


小十郎は三人を優しく見て

「大丈夫だ」

と言い、頼方を見ると

「お待ちしてました」

と告げた。


頼方は頷いて

「昼は大変だったようで申し訳ない」

と言い

「もう三人を狙う者はいない」

と告げた。

「藩の方でケリを付けたようだ」

街道で賊に襲われた薩摩藩の一団が遺体で見つかった


それだけで小十郎は大体のことを理解した。

つまり、偽造に関わった人間を抹殺したということだろう。


頼方は「それで」というと

「その子供達だが」

と告げた。


太平はぎゅっと小十郎の手を握った。


何処へやられてしまうのか。

もう両親はいないのだ。

身内も知らない。


小十郎は震える三人の頭を撫でて

「俺と淡路がこの子たちの後見人になって面倒を見ようと思っているんだが」

親戚がいたらそちらの方が良いかもしれないが

と告げた。


頼方は驚いた。


それに店の方から淡路が姿を見せると

「そう言うことだよ」

と笑みを見せ

「私と小十郎さんの間に子供はいないし…これも縁ってやつだろうからねぇ」

と告げた。


淡路は三人の前に座ると

「どうするね?」

太平、次平、小平

「自分達さえ嫌じゃあぁなければだよ」

と告げた。


太平は強く小十郎の手を掴んで

「俺、お店も手伝う」

だから…ここに置いて欲しい

と告げた。


次平も「俺も太平兄ちゃんと小平と一緒にいたい」と告げた。

小平もまた「小平も小平も」と淡路に抱きついた。


淡路は抱き上げると頼方を見ると

「まあ、そう言うことだね」

とさっぱり告げた。


頼方は笑むと

「二人が良いというなら助かる」

と言い

「俺の心配はいらぬ心配だったようだ」

と立ち上がり

「また来る」

と立ち去った。


淡路はそれを見送り

「まあ、人生持ち回りっていうからねぇ」

と言い、太平と次平と小平を見ると

「いいかい、先みたいにちゃんと自分の思いは伝えないと伝わらないからね」

大切なことほどちゃんと言うんだ

「わかったね」

と笑顔で告げた。


三人は大きく頷いた。


少しして木枯らしが雪に変わり始めた頃、深川にある小料理屋あわじでは子供たちが元気に寺子屋へ行く姿を見受けられるようになったのである。

最後までお読みいただきありがとうございます。


続編があると思います。

ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ