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「見事な甘々さね。」
クローゼットを容赦なく開いた留美が、何か言いたげに私を振り向いた。
無事に(?)桜佳は休日出勤で、暇を持て余す留美は二つ返事でOKをくれた。でもその前に、と私の家にあるワードローブを確認したいと言われたのだ。使える服があるかもしれないから、と。
確かに全とっかえになるよりは、必要なものを買い足すぐらいのほうがありがたくはある。
それで、我が家に留美をご招待したわけなんだけど。
クローゼットを開けた留美は、既にうんざりした顔をしている。
「似合わないとは思わないけど、本当に菊花はこの服好きだと思って買った?」
留美の言葉に、私は首を横に振る。
私の基準は、“赤沢が好きそうかどうか”にすり替わっていた。もちろん全く似合わないと思うものを買ったつもりはなかったけど。でも、この買った服たちが好きか、と言われれば、頷けはしない。
「とりあえず、この中で菊花が好きな服以外は外に出してくれる?」
「え、留美にお任せするよ。」
「いいから。好きな服選ぶだけでしょ?」
他にやりたいことあったのに、と呟けば、留美が、私がやるから、と私をクローゼットの前に押し込んだ。
「男の痕跡消せばいいだけでしょ。任せて。」
引っ越しをシスコンに任せることにした以上、赤沢がこの部屋に来ていた痕跡は、シスコンを逆上させることになるだろうと認識して、ついでに捨てることにしたのだ。
「分かるところだけでいいよ。」
「オッケー。」
鼻歌を歌いながら手始めに歯ブラシをゴミ袋に入れる留美は、桜佳ともども私の恋に反対をしていた一人だ。…というか、兄夫婦で私の恋を応援してくれていた人など、一人もいないけど。
…ゼミが同じだった友達二人には、ずっと言えないでいた。
私の恋は兄弟たちだけにばれている、誰にも言えない恋だった。悲劇のヒロインぶるつもりはない。悲劇のヒロインは、赤沢の彼女の方だろう。…結婚していないとは言え、赤沢の本命のポジションなんだから。
私は本当に愚かだ。
「ちょっと菊花。全部残すつもりなの?」
手が動いてないことを鋭く指摘する留美の手元のごみ袋の中には、すでに男物のパジャマとか、ペアのマグカップだとか、よく見つけるなと感心するほどものが詰まっていた。
「いや。全部いらないかな。」
見てもないけど、このクローゼットの中身がすでに自分が好きな服だけが並んでいた大学時代と入れ替わってしまっているのは自分がよくわかっている。
「いいの?」
留美が手を止める。
「いい。全部気に入ってもらえるかな、と思いながら選んだ服だから。」
「じゃ、捨てよ。」
「そうだね。というか、この部屋のもの、ほとんど捨てていいんだと思うんだけど。」
私の言葉に、留美が頷く。
「それがいいと思うよ。じゃ、お義兄さんが来た時に捨てるか売ってもらおう。持っていくものだけ選別してよ。それは運んでもらえばいいし。」
持っていくもの。
そう言われても、部屋が残っている実家に持って帰る必要のあるものなど、ほとんどないに等しい。
「パソコンくらいかな。」
このパソコンは去年買ったばかりで、ほとんどネットしかしないけど、それでも捨てる必要は感じなかった。
「ああ、あれは菊花っぽいね。」
シルバーの筐体は、女の子らしさのかけらもない。質実剛健と言った風情だ。…これが私が好きなシンプルなものに間違いない。
「スマホは買い換えようっと。」
赤沢と終わらせたら、その足で変えに行こう。
未練は断ち切るのが最善だろう。
「やめるってなると潔いね。」
この3年近く、私の恋に気づいた兄弟たちに何と言われても私は頷くことはなかったのだけど。
「自分で、決めたからね。」
もう自分でやめると決めたのだから、言い訳も何も必要はない。
「親友としては、もっと早くに決めてほしかったけどね。」
私を心配してくれていた留美にも悪いことをした。
「ごめんね。桜佳も私の心配するから、留美にも寂しい思いさせたね。」
留美が首を横に振る。
「桜佳さんが菊花を第一に考えてるから私は桜佳さんを好きになったんだから。シスコンじゃない桜佳さんなんて桜佳さんじゃない。」
「留美、変わってるね。」
常々思っていたけど、留美は本当に変わっている。
「おかげで桜佳さんと結婚できたし、万々歳じゃない?」
「おかげで留美と兄弟になれたし、万々歳かもね?」
二人で笑いあえば、気分は高校生の頃に戻る。
留美と仲良くなったのは、同じ高校の同級生だったからだった。私を王子として扱う様子はあったけれど、仲良くなった一番のきっかけは宝塚。本当は行くはずだった公演も、留美と約束していたものだった。
実は桜佳と留美は最初犬猿の仲だった。私を姫としてかわいがるシスコン兄その3と私を王子としてあがめる留美は、私の方向性(勝手に決められた方向性!)について喧々諤々討論をしていて、はたから見てても、この二人は相性悪いな、と思うほどだった。
でも、いつからか…ああ、私があの宝塚の公演をドタキャンした後から、私がおかしいと留美は桜佳に相談するようになったらしい。犬猿の仲ではあったけど、私を想う気持ちは変わらないから、信頼には値すると留美は考えていたようで。その時には留美には恋愛感情は全くなかったらしいけど、いつの間にか付き合うようになって、そしてこの春結婚した。
桜佳にことの経緯を聞いたことはないけど、もしかしたら最初から桜佳は留美のことを気に入っていたのかもしれないな、と後になって思った。だって、桜佳が誰かと争うなんて、他で見たことはなかったから。
「じゃ、妹よ。服を買いに行こう。」
「よろしくお願いします。」
私がぺこりと頭を下げれば、留美が私の頭をなでる。
その手がとても優しくて、不覚にも涙が滲んでしまった。




