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「菊花、お疲れ。」


 改札を抜けると、赤沢が近づいてくる。


「ううん。新幹線でがっつり寝てたから疲れてはない。むしろ、こんな遅くに迎えに来させてごめんね。」

「いや。今月は会いに行けなくてごめんな。だから、金曜日に来てくれたんだろ?」


 赤沢が申し訳なさそうな様子に、私は肩をすくめる。


「今日来たのは、ちょうど仕事の区切りが良かったんだよ。赤沢が3月4月は忙しいの知ってるし、だからそれは大丈夫。」


 あの2年半の間、1、2か月間が空いていた時は、よくよく考えると、赤沢の忙しい時期なのだと合点がいったのは、事実を知ってから、なのだけど。それはきっと、東京支社に移ったとしても、あまり変わらないことだと思う。


「ごはんは?」

「軽く食べたよ。赤沢はまだ?」


 もう10時は越えてるけど。


「実はまだ。付き合ってくれるか?」

「うん。」

「焼き鳥屋で気になってる店があって。」

「食べたい!」


 赤沢が、ふ、と笑う。


「そう言うと思った。」

「私が好きそうなものなんて、よくわかってるでしょ。」

「まあな。」


 赤沢の手が私の手をするりと覆う。


「行こう。」

「うん。」


 赤沢に手を覆われるこの瞬間を、この1か月ずっと待ち望んでいたということを、赤沢は気づいているだろうか。

 私だって、寂しくないわけではない。ただ“赤沢が全て”にしてしまいたくないから、仕事を頑張っているところもある。もちろん、宝塚だって見に行ったりしている。自分の時間を大切にしている。

 あの2年半。“赤沢が全て”にしてしまったことが、一つの歪みだと思ったから。自分の世界もきちんと作ろうと思った。自分の人生を生きていくために。





「終わったことを考えてもしかたないんだよね。本当に、今なら思うんだけど。」


 向かいに座る佳奈ちゃんが、窓の外を見ながらジンジャーエールを一口飲むと、私を見た。

 今回の旅行の目的の一つは、佳奈ちゃんに会うこともあった。

 佳奈ちゃんは関東の大学で作業療法士という仕事を目指して勉強している最中だ。だから実習中とか試験前とかで滅多に会うことができなくて、今回は久しぶりに会えた。どうやら試験や実習が厳しい大学らしくて、佳奈ちゃんは気が抜けないんだという。


「…そうだね。」


 佳奈ちゃんの言葉に、あの時のことが、佳奈ちゃんの中で消化できてきていることなんだとわかって、ほっとする。それと同時に、自分のことも指摘されたような気がしてドキッとする。


「それにしてもさ、赤沢君と菊花って言われてみればいい組み合わせだね。」

「…そう? というか、そんなに言うほど赤沢のこと記憶に残ってる?」

「赤沢君、割とあいつに絡まれてる子がいたら、うまいこと逃がしてくれてたから。私も2回くらいは助けてもらった気がする。」

「そっか。」


 佳奈ちゃんが唐沢助教授の名前も口にしたくないのだと気付いて、それはそうか、と思う。自分の人生ふいにさせられそうになったんだから。


「ほら菊花もさ、色々尽力してくれようとしたでしょ? 二人とも正義感強くて、かっこいいな、って思ってたから。」


 思いがけない褒め言葉に、何だかいたたまれなくなる。


「あれ? ああ、私、赤沢君のことそんな風に思ってないよ?」


 どうやら私の表情を、赤沢に恋心を抱いたかもしれない佳奈ちゃんに嫉妬した、ととらえられたらしく、佳奈ちゃんが慌てる。


「いや、そういうことじゃなくって、かっこいいって言われるほどのものじゃないと思って。」

「いや、二人ともかっこいいって!」


 佳奈ちゃんの力説に、そのかっこいいと思われてた二人が、とてもかっこ悪い恋愛をしていたのだという事実があったということを伝えることもできず、苦笑になる。


「何で自覚ないかな。」

「自覚って言うか…。私だって、かっこ悪いところも沢山あるし、赤沢だってそうだよ?」


 私の言葉に、佳奈ちゃんが、うんうん、と頷く。


「それはそうでしょ。かっこいいところばっかりあったら、逆に変だよ。…いや、いるのかもしれないけど、それはきっと人間じゃないと思うよ。」

「人間じゃないって…。」

「だって、いつでも常にかっこよくいられる人っている? 誰だってかっこ悪いところはあって、それをもちろん人に見せないようにする人もいるだろうけど、きっと誰かにはその姿を見せたりするわけで、むしろかっこ悪いところを見せる相手がいないって、哀しいことなんだと思うけど。」

「哀しい?」

「うん。だって、自分がかっこ悪いところを見せる相手がいないってことは、気を許せる相手が全くいないってことでしょ。哀しくない?」

「…確かに、そうかもね。」


 あのかっこ悪い恋愛が、お互いに気を許した結果ではなかったのは間違いなかったけど、佳奈ちゃんの言っていることは最もな気がした。

 格好の悪い自分を見せられる相手がいないのは、確かに哀しいことなのかもしれない。


「私も、かっこ悪いところ見せられる相手欲しいんだけどね。」


 そう言って外を見る佳奈ちゃんはほんのりと笑っている。


「いるんだ?」

「へ?」


 びっくりした表情で佳奈ちゃんが私を見る。


「だって、いそうな感じするけど?」

「えーっと、いないよ。」


 佳奈ちゃんが慌てて否定する。


「でも今、誰か思い浮かべたでしょ?」


 佳奈ちゃんは返事の代わりに目を泳がせた。


「うまくいったら教えてね。」

「…いないし。」


 ふいっと目をそらした佳奈ちゃんに、本当の意味で安心する。

 恋愛ができるぐらいに心に余裕ができたんだって。

 本当の意味ではまだ元気になり切れてないのかもしれない。それでも、恋をするのにはエネルギーがいるから。そのエネルギーを使えるくらいには元気になったのだということが分かっただけでも、嬉しかった。


「菊花はゼミ入ったころには赤沢君好きだったよね。」


 まるで意趣返しのように、核心をついてくる佳奈ちゃんに飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。


「大丈夫?」


 むせた私におしぼりを差し出してくる佳奈ちゃんはいたずらが成功したことを喜んでいる顔だ。


「…何で、知ってるの?」

「菊花は気づいてなかったんだと思うけど、私が聞く大学の話、もれなく赤沢君の話付きだったよ。」


 …そうか。秘めているつもりだったけど、こんなところでダダ漏れにしていたとは…。


「でもよかったね。長年の片想いが実って。」


 でも、にっこり笑う佳奈ちゃんは、本気でそう言っていた。


「そうだね。本当に良かったと思うよ。」


 私も本気でそう答える。

 それはきっと、今だから言える言葉。

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