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「…暑くて、ちょっと考えがまとまらないんだけど。木陰のある方に行かない?」


 私の言葉に、赤沢がはっとなる。


「悪い。最初から木陰の方歩いとけばよかったな。」

「赤沢ずっと日のある方へ日のある方へ歩いて行ってたんだけど。」

「そうか?」


 赤沢が首をひねる。


「私が、暑いって言ってたのも、聞いてなかったでしょ?」


 木陰を目指しながら、赤沢を見る。


「…悪い。気づいてなかった。」

「まあ、それだけ悩んでたんだろうけど。」

「…菊花が、まだOKはくれないことは理解してるから。」

「…そっか。」

「お兄さんたちに許可はもらえてないけど、そもそも許可もらえる前に、菊花が結婚したいと思ってくれなきゃダメだろ。」

「…どうして、私がOKしないって…。」


 ようやく木陰に入って、ほっと息をつくと、赤沢が困ったように私を見た。


「たぶんそうじゃないかな、とは思ってたけど、菊花は俺がプロポーズしても即答はしなかったよな。だから、だよ。」


 …確かに、結婚と言われて、私はそれに対して何も答えはしなかった。


「赴任するの、8月からってことになってるから、それまでに菊花口説けるとは思えてない。だから、言うの迷ってたんだけどな。」

「8月。」


 もう1か月もない。


「そ。8月。」

「住むところとか、大丈夫なの?」

「住むところは寮があるらしいから、探す手間は省けるらしいけど。…家族がいるなら別に借りることになるとは聞いてるけど…。」


 赤沢が“家族”と言った瞬間、ちらりと私を見る。


「…そう、なんだ。」

「仕方ないとは思うけど、うちの会社も結構ひどいよな。菊花口説く時間は明らかに足りないし。もっと前に言ってくれればいいのに、とは思ったけどな。でも、選ばれたことは光栄だし、ありがたいことだとは思ってる。」


 赤沢は決意に満ちた瞳になっていた。


「菊花が結婚する気持ちになってくれればそれが一番いいけど、気持ちが決まってないのに結婚の話をすすめる気はない。遠距離になっても菊花を手放す気持ちもない。だから、遠距離になるけど、いいか?」


 赤沢の言葉に、涙がはらりとこぼれる。


「菊花? 何で…!?」


 私の涙に赤沢が慌てる。


「悪い意味じゃないよ?」

「いや、でも、何で…泣く?」

「赤沢に、遠距離でいいか、って同意を求められたことが、何か対等になったみたいで、嬉しかったって言うか。」

「対等?」

「…ちょっと違うかな。私の気持ちを置いてきぼりにされてないみたいで嬉しい、かな。」

「…俺、そんなに菊花の気持ちないがしろに…。いや、してたんだよな、実際。」


 赤沢がため息をつく。


「でも、今は違う、よね?」


 うつむいた赤沢の手を引く。


「…ああ。二度とあんなことしないと思ってる。」


 赤沢の目は私をまっすぐ見る。


「うん…。」


 それ以上の言葉が出てこなかったのは、涙があとからあとから溢れてきたせいだ。


「菊花。」


 赤沢が私を抱きしめる。私の持った傘は降ろされて、地面に落ちた。


「好きだ。愛してる。だから離れたくない。だけど、無理強いはしたくない。もし気が変わったらすぐ教えて。籍だけでもすぐ入れて一緒に住もう。お兄さんたちの許可はもぎ取るよ。」


 真面目だったはずの最後の一言に、つい吹き出してしまう。


「笑うなよ。こっちは真剣なんだから。」

「…だって、律儀すぎて…。」


 顔を上げると、散策道の上の方にいた人が視界に入る。


「赤沢、人がいる。」


 小さな声でつぶやくと、赤沢が、ああ、と声を出した。けど、抱きしめられた手は離れない。


「ちょっと!」

「大丈夫だよ。一人ぐらいだし、イチャイチャしてるな、ぐらいのものだろ。」

「良くない。」

「菊花が泣くからだろ。自分の好きな女の泣き顔なんて、他の奴には見せたくないし。」


 赤沢の言い分は嬉しくはあったけど、それはそれ、だ。


「もう泣き止んだから。」

「本当に?」


 少し体を離した赤沢が私の顔を覗き込む。


「ほん…。」


 合わさった唇に、目を見開く。


「悪い、キスしたくなった。」

「赤沢!」


 私の声をするりとよけると、赤沢が地面に落ちていた傘を拾い上げる。


「はい、菊花。」

「ありがとう。だけど、さっきのはやめてよ。」

「…菊花が涙目なのが悪い。」

「悪くない。」


 私はふいっと足を先に進める。

 すいと横に並んだ赤沢の手が指先に触れて、私の手を握る。


「とりあえず、お盆には帰ってくる。けど、あんまり頻繁には帰ってこれないと思う。良くて月1、ぐらいだけど、いいか?」

「月1…。」


 そういえば最近は毎週末会うのが普通になってきていて、1年前にはその感覚が当たり前だったのだということすら記憶の片隅にいっていた。


「悪い。もっと会いたいよな…。」

「いや、別にいいけど?」 

「へ?」

「だって赤沢、一人でのんびり過ごすの好きなんでしょ? ごめん。私もすっかり忘れてたけど、私のこと思って、休みも、仕事終わりも、ずっと付き合ってくれてたんだよね? 無理強いしたつもりはなかったけど、これからは赤沢の好きなペースで会ってくれていいよ。」


 何だか素直な気持ちで、その言葉は口から出ていた。簡単に会えなくなるのが哀しいと昨日は確かに思ったはずなのに。


「違う。」

「へ?」


 赤沢が強く引く手に、今度は私のほうがあっけにとられる。


「俺は菊花に会いたくて会ってた。…今まで何でこんなに会わなくて我慢できてたんだろうって思うぐらい、菊花の側にいたかった。だから、俺は無理してない。」

「そう、なの?」


 私の言葉に、赤沢がこくんと頷く。


「俺は月1よりもっと会いたいと思うよ。…菊花は違う?」

「…でも、仕方ないでしょ? 私も会いに行くけど、それでも精々月2じゃない?」

「来る?」


 予想外だったのか、赤沢の声がかすれている。


「行っちゃダメな理由ってあった?」

「ない。何もない。」

「毎週来てって言われると無理だけど。月1回ぐらい東京に行くのは無理じゃないよ。」

「うん。来て。」


 赤沢の声が弾んだように聞こえる。

 それだけで、私たちの未来が明るさを含んだものであるように感じてしまうのは、これが幸せの一端だと感じているからなんだろうか。

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