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「美術館とか、高校生ぶりかも。と言っても、1回きりだけど。」
駅からの街並みを赤沢と手をつなぎながら歩く。
遠出した先で手をつなぐことはあっても、地元の移動は基本的に車だし、あまり歩く距離もないから、地元で手をつないであることはほとんどなくて、初めての行為でもないのに何だかどぎまぎしてしまう。
今日が旅行…の1日目で、最初は美術館に行こうという話になった。赤沢が見たい絵があるんだと言って、美術館に来たがったので、あの時の話はそのまま実現することになった。
「高校生? 何で?」
「夏休みの課題で来たんだよね。3年の時の美術の先生が、美術館に行って何か感想書いて来いって課題出したから。それ以外では来たことないかな。」
「…なるほどね。」
「赤沢はいつぶりなの?」
「大学4年の時ぶりかな。頻繁に行ったことはないけど、何回かはあるよ。」
絵に全く興味がない私からすると、それだけでもすごいことだけど。
「見たい絵があるから?」
「いや、そういうことじゃなくて、普通に絵を見るの好きなんだろうな。その絵は4年の時初めて見たし。」
「へぇ。」
「今日もあるかわかんないけどな。常設展かもわからないし。」
「どんな絵なの?」
ちょっと考えた赤沢が首をかしげる。
「ちょっと説明は難しい。抽象画でタイトルも覚えてなくて。」
それで3年前に見た作品。
「見つけられるの?」
私の疑問を一掃するように赤沢は強く頷く。
「見ればわかる。」
赤沢が惹かれた作品。
どんな絵なのかは興味がある。
「あるといいね。」
きゅっと赤沢の手を握ると、赤沢も返事の代わりみたいに手を握り返してくれた。
「すごいね。」
絵を見て、ではなくて、館内に溢れる人に圧倒されている。田舎でも数少ないラッシュ時間の電車の中みたいだ。都会みたいに身動きできないほどではないけど、ゆっくり絵を見る、という気分にはなれそうにない。
「今日は特別展もあるみたいだからな。」
チケット売り場には確かにそう書いてあって、同じチケットで見られるのだからお得はお得なのかもしれないけど。
「特別展もあるなら俺の見たい絵はないかもな。」
赤沢は人波を見回した後、肩をすくめた。
「ゴールデン・ウィークだし人が多いのは仕方ないんだろうけど…。」
私ももう一度人波を見回して赤沢を見る。
「はぐれるなよ。」
「子供じゃないし、スマホもあるよ?」
そうは言いつつも、ぎゅっと握られた手に寄り添うように赤沢に身を寄せる。
人の多さが、否応なしに体を近づける理由になり得るのだと、赤沢の体温を感じながら思う。
たぶんこれが閑散としている場所だったら、手は繋いでも、こんなに寄り添うことには躊躇したような気がする。
「進もうか?」
「うん。」
特に見たい絵があるわけではないから、赤沢の歩く方向についていくだけだ。
「急に人が減ったね。」
印象派の絵が集まったフロアを抜けると、さっきまでの人の多さが嘘みたいに人のざわめきが減った。
「大方の人のお目当ては、印象派の絵じゃないのかな。ここ、結構数が揃ってるらしいから。」
「そうなんだね。」
「菊花は、ああいう絵は好きじゃないの?」
「うーん、きれいだな、とは思うけど、そんなに熱心に見なくてもいいかな。感動とかは特にないし。」
一通り見て、きれいだなという感想は抱いたけど、それ以上の感情は動かなかった。
「そっか。そもそもあんまり絵に興味ないんだもんな。」
「そうだね。絵を見て感動したことって今までなかったし。」
「こういうのは?」
次のフロアは抽象画で、私には未知の世界だ。
「正直わかんない。まだ人とか物とか建物とか書いてある方がわかるというか。」
一度だけこの美術館に来たときも、感想を書く絵を決めた後に通ったこのフロアは完全に素通りだった。
「そうか、抽象画って…説明されてわかるものではないしね。」
「赤沢は抽象画ってわかるの?」
「分かると言うか…好きか嫌いか、かな。」
赤沢の言葉に、え、と思う。
「そんなんでいいの?」
「いいんじゃないの? 好きか嫌いかでもいいって、俺の学校の美術の先生は言ってたよ。それで、絵を見るの好きになったって言うか。絵を見られるようになったって言うか。」
「へぇ。」
絵を見るときに“好きか嫌いか”で見ようと思ったことはなかった。
「何かもっと高尚なことを受け取らないといけないのかと思ってた。」
赤沢がクスリと笑う。
「評論家なわけではないしね。俺だって高尚なことはわからないし、好きか嫌いかでしか見てないと思う。もちろん、それ以上に感情に訴えてくる何かを感じることもあるけど。」
「絵を見るって難しいんだな、って美術の授業の時に思ってから、絵画鑑賞って趣味にならないって思ってたけど。」
中学校の時の美術教師が、小難しいうんちくだらけの先生で、絵画鑑賞が少しも楽しくなかった思い出がある。
「菊花は宝塚見るときに、高尚なもの受け取らなきゃいけないと思って見てる?」
「まさか。」
「考えて見てるわけじゃないだろ。それと一緒。」
「ふーん。」
宝塚で例えられて、赤沢に言われた言葉が何となく理解できる。
「ほら菊花、あの絵、好きか?」
赤沢に指さされて視線を向けた絵は、変わりなく抽象画だったけど。
「うーん。好き、かも?」
「あれは?」
「あー。あれは、好きじゃない、かな。」
「そんな感じでいいんだよ。」
「うーん。何となくわかったような。」
「そ、それでいいの。」
そう言われると、今までつまらないと思っていた抽象画を見る作業に、少し興味が持てる気がした。




