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「へ?」
メールを見て声が漏れる。
仕事が終わって、スマホのメールやらなんやらのチェックをしていたら、皐月からのメールがあって、
『旅行ぐらい許さないとは言ってません』
とだけの内容が送られてきていた。
ゴールデン・ウィークの話を家族としたのは今朝のことで、相手は母だった。兄家族たちも交えて家族勢ぞろいで食事会をする話だったのだけど、その時に泊まりの旅行には行かないという話をして、だからいつでもいいと言ったのだけど、母は赤沢が律儀だと感心している様子だった。もしかしたらあの後皐月に母から圧力が掛けられたのかもしれないと苦笑が漏れる。
隣の席の後輩が怪訝な顔で見ていたけど、説明する内容でもないと思って素知らぬ顔で「お疲れ様です」と声をかけてから席を立つ。
今はちょうどプロジェクトが終わったところで、早く帰れる。
ただ赤沢は月曜日なのに週明け早々飲みがあって、今日は会う予定はない。
だから、会社の駐車場に入ってからかかってきた赤沢からの電話がどんな要件なのかわからなくて少し戸惑う。
「もしもし?」
『菊花! 桜佳さんが!』
え?! 桜佳? 赤沢から聞いてもおかしくはない名前だけど、このタイミングで電話される内容って…?
「桜佳がどうしたの?!」
悪い方へ想像が飛んで、気持ちが焦る。
『桜佳さんが、付き合うの許してくれた!』
想像したものと違う内容に、心からほっとする。
「そっか。良かった。」
『そうだよな。菊花も反対されてるの辛いよな。』
赤沢が思う私がほっとした理由が、私の意図と違うことにすぐに気付く。
「そうじゃなくて、桜佳が倒れたとかそういう話かと思ってたから…。」
『あ。ごめん。そうとっても不思議じゃない言い方したかも。さすがに仕事中は電話できないし、この後飲みにいかなきゃならないしで、今だったら菊花も仕事終わってるだろうと思って、焦って電話したから。』
「うん。わざわざありがとう。」
『いや。じゃ、それだけだけど。明日は会おう?』
「うん。」
『じゃ、明日な。』
「あ、赤沢。」
私も伝える必要のあることを思い出して、慌てて呼び止める。
『何?』
「皐月も許してくれたみたい。旅行はダメとか言ってないってメールが来てた。」
『本当に?』
「うん。3人とも許してくれたんだね。」
『まだ、付き合うことだけだけど、それでも、ほっとした。』
赤沢の声は、ちょっと力が抜けたような声で、普段にはあまり聞かれない声だった。
「そう、だね。飲み、行くんでしょ。大丈夫? じゃ、明日ね。」
『うん。明日。』
すでに赤沢の声はいつものトーンに戻っていた。
私の心の小さなざわめきは、収まりそうになかったけど。
「菊花…旅行行かないか?」
赤沢は私の車に乗り込んできて早々、そう口を開いた。
予想していたことだったから、赤沢の口から出てきた言葉に、それほど動揺はなかった。昨日のうちに覚悟を決めていたことだったから。
「いいけど、もう来週だよ? 泊まるところとか探すの大変じゃない?」
「いい、のか?」
私があっさりとそう答えたことに、赤沢は少し驚いている様子だ。
…鈍くはない赤沢のことだ。私が深く触れ合おうとすることに体を固くすることには気づいているのかもしれない。
「いいって言ったよ?」
「そうか。」
ほっとした様子の赤沢に、やっぱり気づいているんだろうと思う。
「だけど、今から宿とか取れる? めちゃくちゃ高いんじゃないの?」
別に断りたいからこんなことを言っているわけではない。素直に高そうだな、と思っている。
「取れないことはないし、そこまで高いところばっかりじゃないよ。」
「そう、なの?」
「実はもう取った。悪い、尋ねる前に決めて。」
少し決まりが悪そうに赤沢が私を見る。
「そうなの? …どこ行くの? 場所によっては却下だよ?」
私の最後の言葉に、赤沢が、ん、と息を吐く。
「駅前に泊まることにした。」
「へ?」
思いがけない答えに、きょとんとなる。
「駅前って?」
私の疑問に、ターミナル駅の名前が告げられる。
「いや、それはわかるけど…。」
うちや赤沢の最寄り駅前にはホテルなど皆無だ。
「菊花と二人でのんびりしたいな、と思って。」
「ずっとホテルとか…?」
「それはない。」
私の疑問は苦笑した赤沢に即座に否定された。
「駅前とか庭園とか散策したり…少し足延ばして美術館に行ってもいいかな、と思ってる。」
庭園は駅から歩いて10分ほどのところにある日本庭園のことだろう。日本三大庭園と呼ばれているとかいないとか。真偽のほどは知らないけど。美術館はターミナル駅の隣の市にある私立の美術館だろう。収蔵作品が有名なものも多くて、観光スポットではある。…どちらも私も一度しか行ったことはないけど。地元民って、以外に観光地には寄らないものだ。
「いつでも出来るよね?」
「…時間を気にせずに菊花と過ごしたい。」
確かにいつも10時前に帰りつくように気を使ってもらってたけど…。
「それはどこででも良くない?」
だからと言って、今泊まりで旅行にいきたい先がすぐには思い付かないけど。この間の話では日帰り旅行の先は、尾道、に決まっていた。
「菊花と居られるなら確かにどこでもいいけど。」
ものすごく口説かれている気分になって、どぎまぎしてしまう。
ただ、赤沢の口調は“どこでもいい”とは言っていなかったから、聞き返す。
「けど?」
「菊花とのやり直しは、菊花と過ごしたところでやりたい。」
赤沢の気持ちがわかって納得する。
ターミナル駅の近くに私は住んでいたから、きっと拠点をターミナル駅にしたいんだろう。
あの頃からやり直したい。
赤沢の気持ちは、わからなくもなかった。




