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スマホのバイブの音に、意識が浮上する。
電車に揺られながら、意識が飛んでいたことに気付く。
ゆっくりとスマホを取り出してみれば、それは赤沢からのメールで、今夜行くから、といういつもの内容だった。
何かを思う前に、涙がにじむ。
こんなところで泣けないと涙をぬぐうと、メールを返信する。
実家に帰るから無理だ、と。
それには嘘偽りは何もなくて、私は今実家の最寄り駅に向かう電車に揺られていた。あと2駅で到着する地元は、今住んでいるところから一時間くらいのところだ。
本来なら学生時代も一人暮らししなくてよかったぐらいだったんだけど、実家の生活に耐えられなくてバイト代をためて引っ越しをした。家賃の安い地方だから自力で何とかできたけど、都会だったら実現しなかっただろう。
引っ越しをしたときのことを思い出していたら、またバイブが鳴ってる音で意識を戻す。
「了解」
それだけが書かれたメールでは、赤沢の感情なんて読めやしない。
…いや、明らかじゃないか。
私に会えなくても、赤沢は平気なのだと。
自分でそう考えておいて、つきりと痛む胸に苦笑する。
もうやめると決めたのに、赤沢の感情を考えるとか、本当にどうしようもない。
もうやめると決めたから、実家に向かっているのに。
「あれ、菊花。今日帰ってくるんだったっけ?」
まだ明かりのついていた店に顔を出すと、案の定、有馬が店に残っていた。
「髪、切って。」
私の言葉に、有馬が一瞬目を見開いた後、ふ、と息を吐いた。この表情が色っぽいのよ、と言っていたのは、どこのおばさまだったっけ? まあ、整った顔なんだろうとは思う。
「ようやく2番目はやめるわけね。」
説明しなくても理解されるとか、ちょっと複雑。でも私がこくりと頷くと、はー、と大きなため息をついた有馬が、にっこりと笑った。
「どうぞ、姫。」
「姫じゃないし。」
いつもの有馬の態度に、逆にほっとしながら、久しぶりに座る椅子に座る。
「姫でしょ。」
鏡の中でにこりと笑う有馬の顔に、他の顔を思い出してややうんざりした気分になる。
「違うって。」
「皐月も喜ぶ。」
「はぁ。」
どうでもいいし、という私の言葉は飲み込んだ。
「桜佳もな。」
「はいはい。」
本当にどうでもいいし。
「切ってくれないなら、他で切るけど?」
私の言葉に有馬が慌てる。
「いや。久しぶりに切らせてよ。もう3年くらい切らせてくれてないでしょ?」
「…そうだね。」
髪を伸ばし始めたことに変な勘繰りを始めた有馬にうんざりして、髪はずっとほかのところで切っていた。
「だから、あんな男やめとけって言ったのに。」
「ほっといて。」
髪を他の所で切ったところで、私の2番目の恋は、こいつらに隠し通せるものではなかったのだけど。
でも、放っておいてほしい。
「放っておけるわけないでしょ。僕たちのかわいい妹なんだから。」
「それ、シスコンって言うって知ってる?」
もういい加減言い飽きた感のある言葉だ。
でも有馬はにっこり笑う。
「僕たちはそんなものにカテゴライズされないよ。」
…されるよ。
「二十歳も超えた妹の恋路にああだこうだ口を出そうとするのは見事なシスコンだよ。そろいもそろってシスコンとかやめなよ。」
「いや違う。」
「違わない。」
有馬だって、皐月だって、桜佳だって、紛れもないシスコンだ。
「溺愛してるだけだって。」
…開いた口がふさがらない。兄よ、それをシスコンと言うんだよ。
「そんな顔の菊花も好きだよ。」
「同じ顔のつくりの人に言われても、引くだけだわ。」
有馬は兄弟の中では私に一番似ている。私がもし男だったら、間違いなく有馬の顔だっただろうと思う。
まあ、有馬だけではなく、私たち兄弟は、「みんなよく似てるわね」と誰でも言うようによく似ている顔なんだけれど。そりゃ、女子高で王子扱いされるわ。
「違う、菊花はきちんと女の子の顔だよ。」
むっとする有馬に、何だかげそっとなる。
その愛を血のつながらない女性に全力で向けてください。お願いします。
…もちろん、それが兄弟間を超えた愛情であるわけはなくて、兄弟間に収まる愛情であることは間違いないのだけど。有馬は嫁も子供もいる。どちらも溺愛していると知っているが、同じように溺愛されるのは勘弁こうむりたい。
これは、一番上の有馬だけではなくて、二番目の皐月も、三番目の桜佳も同様だ。
なぜ妹を溺愛する?
この関係がものすごく鬱陶しくて、大学進学してしばらくお金を稼いでから迷わず一人暮らしをした。
幸い母は普通の感覚よりちょっと放置気味の感覚を持つ人だったから、私が一人暮らしをしたいと言っても止めはしなかったし、父も母に倣えの人なので特に問題はなかった。
上の3人には、言わずにやった。兄弟に許可なんか普通とらないし。
だって、リア充を阻もうとする兄たちって何なの。
自分たちは十分にリア充(彼女・嫁あり)を満喫しているのに、私だけそれを阻むって何なの。
そんな気分で始めた一人暮らしは、とても快適だったけど、学生時代も今も、結局リア充にはなり切れてないのは、兄たちが関係なかったのだという証拠になってしまった。と、今気づいた。
「ばっさり切るね。」
私に尋ねたわけではなく、有馬のは宣言だ。
髪を切る腕については信頼しているので、私は何も言わずに頷いた。