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「楽しかった?」


 見慣れた車に乗り込むと、赤沢が私を見る。


「うん。久しぶりに3人で飲めて良かった。迎えに来てくれてありがとう。」

「いやいいよ。菊花、結構飲んだだろ。顔赤い。」


 え、そうかな? そう思って頬に触れると、さっと近づいてきた赤沢の唇が私の唇をかすめる。

 一瞬の間に唇が舐められたのを感じて、ドキッとする。


「ビールにハイボール? …セレクトが相変わらずだな。」


 そう言っている赤沢の表情は、いつものポーカーフェイスだ。


「いいでしょ。甘いの苦手なんだから。…というか、よくわかるね。」


 あの一瞬で、という言葉は飲み込んだ。さすがに掘り返すのは何だか恥ずかしい。

恥ずかしさを紛らわすように私がシートベルトを着けると、そのタイミングで車が動き出す。


「菊花はいつもその2択だから、そんなに難しくはないよ。」


 “いつも”が最近の話を指していることではないのは間違いない。少なくとも私は普段家ではあまりお酒は飲まないし、飲むとすれば飲み会の時だけで、赤沢とお酒を飲んだのは、大学生のころにまで遡らなければない。

 正式に付き合うようになってからは、私が車を出すか赤沢が車を出すかで10時前には解散しているくらいだから、食事には行ってもお酒を飲むことはなかった。

 …それこそ最後は、あの一夜の過ちの日、だった。…いまだにあれが自分の中で“一夜の過ち”の扱いのままなのも、私のわだかまりの表れなのかもしれない。


「…よく、覚えてるね。」


 もう3年も一緒にお酒を飲んでいないのに、覚えていることに驚きはある。


「好きな奴のよく飲む酒くらい覚えるよ。特に菊花は2択だし。」

「そうだっけ? たまには変わったの、飲んでたよ。」

「頼んでは、甘い!って顔しかめてただろ。日本酒とか焼酎とか行けばいいのに、あれは受け付けないって言ってたし。」

「言ってた、かもね。よく覚えてるね。」


 学生の頃だったし飲み放題だったりしたから、飲んだことのないお酒は一応試してみたりはしていた。友達から一口もらう方が多かったけど、店によっては見たことのないお酒が書いてあって、もしかしたら甘くないかも、という期待で飲んだりしたけど、大体は甘いか、まったく受け付けないお酒のどちらかだった。だから、結局ビールかハイボールの2択になってしまうのだ。


「覚えてるよ。…最後に2人で飲んだ時も、言ってたし。」


 さっき思い出した“一夜の過ち”につながる話をされて、ドキッとする。

 赤沢の横顔はポーカーフェイスのままで、何を考えているのかは読み取れない。

 あの“一夜の過ち”の話は、あの嘘が明らかになったときに話しただけで、この半年話すことはなかったから。


「あの時、菊花が佐竹に怒ってるの見てさ、ああ相変わらず菊花は友達のこと大事にしてるんだな、って惚れ直したんだよ。」

「え?」


 思いがけない言葉に、つい聞き返してしまう。


「ああ、酔っぱらってから、菊花が怒りだしたんだよ。覚えてないだろ? まあ、怒ったって言うより、淡々とダメ出ししてたって感じではあったけどな。でもあれは怒ってたで間違いないだろ。あ、これも怒ったのにカウントするなら、菊花が怒ってるの見たのは2回だな。」

「…うん。というか、それじゃなくて…。」


 怒った記憶がないのはないんだけど、今私が反応したのは、後半の話だった。


「ああ、惚れ直したって話ね。」

「私は…怒ってたのに、惚れ直すもの?」


 赤沢の感覚がよくわからない。


「菊花を好きになったのは、きっと菊花が唐沢助教授に怒ってた時だったって話しただろ。…怒る菊花の理由が怒られる方にしては理不尽なことが原因じゃなくて、自分のことじゃなくて、人のことを思って怒るから、なんだろうと思うけど。」


 あの時の赤沢を思い出す。赤沢はいつものポーカーフェイスで、酔っぱらった断片的な記憶の中でも、ポーカーフェイスは変わらなかった気がしていた。


「そんな気は全然感じなかったけどね。」

「ま、そうだろうね。」


 赤沢がクスリと笑うから、少し意地悪なことを言いたくなる。


「怒ってるのを見て好きになったって言われて喜ぶ人って、どれくらいいるんだろうね。」

「ま、あんまりいないだろうな。」

「ほとんどいないと思うよ。まれにいるかもしれないけど、私はそのうちの一人じゃないし。」

「ごめん。俺の好きになるポイントがずれてるのは菊花を好きになって気づいたから。」

「へー。」


 つい歴代彼女を思い出して、非難めいた声色になる。


「悪い。言い方が悪かった。菊花を好きになって初めて、自分がそれまで人のこときちんと好きになってないことに気づいた、って言うのが正しい。」

「…へぇ。」


 何だか逆に攻撃を受けた気になって、何とも言えなくなってしまった。


「へぇ、以外に他に何かないの?」

「…なんて言ったらいいのかわからない。」


 プイと窓の外に視線を向けると、窓に一瞬映った赤沢の視線と目が合う。


「だからあの時、気持ちを抑えられなくなって、何も言葉にしてなかったのに、酔って俺を好きだって気持ちを漏らす菊花のこと抱いたんだよ。…言葉にしておけば、良かったのにな。」


 だからあの時。そう言った赤沢の言葉は、素直に信じられる気がした。それは、ポツリと言った最後の言葉が、赤沢の正直な気持ちに聞こえたから。これは信じていいと思えた。

 これがあの真実が明らかになった直後に言われた言葉だったら、きっと後からその言葉が真実だったのか否か迷った気がする。…完全に信じ切れていないと後から気付いてしまったから。


「…そうだったんだ。」

「ずっと好きだったって言ったのに、わかってなかった?」

「自分で言葉にしなかった、って言ったでしょ。」

「…そうだけどな。あー。俺本当に馬鹿だよな。」


 ため息とともに吐き出された言葉は、それほど重くはなかった。


「馬鹿だよ。」


 私が軽く返せるくらいには。


「本当に馬鹿。何であんな意味のない嘘ついたんだろうな。今となっては、自分でもよくわからないけど。」


 軽い自嘲の言葉を、私の中で問い直す。

 どうして赤沢が嘘をついたのか。

 その理由は一応説明されたことだけど、あの赤沢から嘘をつかれたことは、私の中に小さな染みを作った一番の理由だと思うのだ。

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