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「最近あれだね、菊花のヅカ談義聞かなくなったね。」
何だか慣れてしまった疲労感にまどろみながらうとうとしていると赤沢がぼそりと口にする。
「そう?」
「学生の頃は聞きたくもないのにこれでもか!って聞かせてたくせに。」
「学生は暇だからね。社会人は流石にそうはいかないし。」
「だよな。」
「そうそう。」
私は、来るかも分からない赤沢のために、予定を入れることをやめてしまった。
あれほど好きだったはずの宝塚の公演を見に行かなくなったのは、ずっと前からチケットを取っていた公演の日に、2ヶ月近くぶりに赤沢がうちに来ると連絡をしてきた日からだ。
ある意味究極の選択。
…本当は1択なんだろうけど。2番目であることを優先する意味なんて本当はない。
それでも、そのわずかな繋がりにすがりたくて、そのチケットは使わなかった。
そのチケットはある意味戒めとして、未だに取ってある。目に入るたびに自答自問する。
いつまで続ける?
佐竹を20年も諦めきれないでいた空を笑うことなんてもうできない。
空はもう佐竹を諦めて、新しい恋を始めている。幸せな恋を。
寝息をたて始めた赤沢の横顔を見つめる。
いつまで続ける?
答えなんて望んでないけど。
お疲れ様です、と職場をあとにして、帰途につく。
帰りがいつもより遅いのは、道沿いのショーウィンドウが暗いことからも分かる。私のいるチームが提案した企画が通って今日はちょっと皆の熱が覚めやらず、気がつけばこんな時間になっていた。
それでも、週末の疲労としては心地よい。
「赤沢さん!」
甘そうな女の子の声に、つい視線が向く。
赤沢なんて名字、そうそう聞いたこともない。
顔が判別出来ないくらいの距離に、赤沢がいた。
なぜ顔も見ずに佇まいだけで判別出来るかと言えば、私が最初に惹かれたのは、きっとその佇まいだったからだ。凛とした佇まいの原因は、武道をいくつかかじらされたからだという話だった。
そしてその佇まいの横に、見るからにふわっとした雰囲気の女の子が寄り添う。
咄嗟に陰になりそうなところに身を隠す。体が完全に隠れるわけではないけど、二人が向かう方向は私の行こうとする方向と直角に交わる方向だし、そもそも二人の視界には入らないだろう。
…だって二人の世界に入ったはずだから。今の彼女はきっとあの子だ。
確信めいた気持ちが沸き上がって、彼女に笑いかけたように見える赤沢を見て断定する。
…それにショックを受けてしまった自分に苦笑する。
わかってたことなのに。
力が抜けて寄りかかったショーウィンドウに、自分の姿が映っている。
肩まで伸ばした髪がふわっとゆるやかなカーブを描いている。
その下には、甘めのカットソーとジャケット。
そして風に揺れるフレアスカート。
ガラスに映るその服装は、さっき見た女の子ととても似ている。
…これは、誰なんだろう?
私の知らない人が、そこには映っている。
赤沢が好きそうな女の子の格好をした、私の顔をした誰か。
ふわりとかかるその髪が、甘さを感じるそのジャケットが、風に揺れるそのスカートが、とても自分だと思えなくて、愕然とする。
私が好きな格好は、こんな格好じゃない。
こんなふわふわした女の子らしい格好をしたいと思ったことなんてなかったはずなのに。
…むしろ、こんな格好をしていることが滑稽だと思う。
こんな格好をすれば赤沢が振り向いてくれるんじゃないかと、思っていたんだから。
こんな格好をすれば赤沢の一番になれるんじゃないかと思っていた事実すら滑稽だと思う。
見た目を変えたくらいで手に入れられる一番に何の価値があるんだろう。
それはきっと今までの赤沢の彼女と一緒だ。いつか、捨てられてしまう関係でしかない。
何をどうやったとしても、私が赤沢の本当の一番になることはあり得ないのだ。
これが、3年間赤沢の2番目でいてようやくたどり着いた答えなのかと思うと、自分の馬鹿さ加減に笑うことしか出来ない。
はは、と乾いた笑いが口から漏れる。
崩れ落ちそうになる体を叱咤して、ショーウィンドウを支えに体制を建て直す。
もう居なくなってしまった二人の方へ視線を向けてまぶたを閉じると、息を吐く。
息を吸うタイミングで目を開けると、 今さっきまで見えていた世界と変わった気がした。
私は迷わず駅に向かって歩き出す。