だ、め、な、の!
「お呼びじゃないのに来たのね、エドガー。あなた、空気読めない男って言われるでしょ?」
「言われません。グレッドヒル公爵令嬢様が、うちのを虐めないか心配だったんです」
……あれ、想像したのと違う???
エドガーとカトリーナの二人の会話を前に、ヴィヴィアンは首を傾げた。
「まあっ、『うちの』ですって! やだわぁ、『うちの』何なのかしら? 一体何なのかしら……!」
「婚約者ですよ」
あの日、微笑み合う二人を見て、『まるで物語の挿絵のよう』なんて思ったのは、一体誰だ?
ヴィヴィアンである。
「???」
キャットファイト! ゴーン(ゴング音)! みたいな展開にはなっていないことが不思議だ。
エドガーがいるからだろうか。はたまたエドガーが居ないところで、ゴングが鳴るんだろうか。
というか、ゴーンしているのはエドガーとカトリーナの二人のような気がするのは、ヴィヴィアンの勘違いだろうか。
「では、招待状がないあなたは回れ右しなさい」
「ヴィヴィに意地悪しないでくださいね」
「しつこいわね! しないって言ってるでしょ!」
とっても名残惜しそうなエドガーを見送った後、緊張を取り戻したヴィヴィアンは庭園の薔薇に覆われたガゼボに通された。
昔一度だけ来たことのある庭はやはり素敵だった──ガゼボから見る、建築家ディミトリ・ザ・ウォーカーの造った有名なグレッドヒル公爵家の庭園は、歴史と伝統を感じる格式高い優美さが感じられる。
バレンタイン男爵家の庭園は、曲がりくねった道があり、登りたくなる小山があり、色鮮やかな花に多種類の緑の中にあるお伽噺に出てくるような風変わりな彫刻、優美な噴水、鳥籠を模したが箱型のブランコのある不思議の国に迷い込んだような遊び心満載な庭園で、今いる庭園とは真反対の印象の庭だ。
カトリーナのお茶会の席には、カトリーナしかいなかった。
てっきり、数人のご令嬢の中にアウェイなヴィヴィアンが参戦する図が出来上がるとばかり思っていたのに……。
想像していたヴィヴィアンは、孤立の中でお茶を啜っていたのに……。
用意されている品はヴィヴィアンの好きなものばかり──ディンブラのミルクティー、メレンゲクッキー、ハニーレモンケーキ、宝石を模した十種類の一口大のチョコレートケーキ。そして、きゅうりのサンドイッチ。
中でも特段、ヴィヴィアンはハニーレモンケーキを気に入った。
しっとりした生地にたっぷり染み込んだ蜂蜜と、ほんのり香るレモンは口の中をこの上なく幸せにしてくれる。
「あなた達、相変わらずとっても仲が良いのね」
うふふっ、と笑うカトリーナは、あの日と同じで、ヴィヴィアンに敵意も蔑みも含んでいない声でそう言った。
そして、彼女はヴィヴィアンに、「再来週には大々的に発表されるのだけど」と王弟殿下と婚約することを教えてくれた。
秘密よ、と笑うカトリーナはとても綺麗で、ヴィヴィアンは見惚れてしまった。
秘密を教えてくれたカトリーナに、ヴィヴィアンはその理由を聞いた。
ヴィヴィアンが言いふらしたりしたら大変なことになるのに、どうして、と思ったのだ。
「私ね、あなたと仲良くなりたいの」
「仲良く……ですか?」
「そうよ」
秘密や悩み事を相談することが、カトリーナの「私流の仲良くなりたい人と、仲良くなる方法よ」だそうだ。
「あっ、だからと言って、ヴィヴィアン嬢も私と同じことをすることはないのよ? それは、私があなたの信用を勝ち取って、初めて聞くことができることだから」
◇◇◇
「お嬢様、私は屋敷に戻らせていただきます」
「ジェシー、今日はわざわざありがとね」
「いえ。次に機会がありましたら、また私をお呼びしてください」
最初から最後までその状態でいろ、と思っているエドガーに、何かを察知したジェシーがとっても嫌そうに「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。
「……許す」
腹は立ったが、エドガーはこのメイドに感謝もしていた。
長いすれ違いを正すきっかけとなってくれたのは彼女のおかげだからだ。
例えそれが変態であったとしても。
「ありがとうございます。……けっ」
例え、『けっ』と不満そうに息を吐いている姿を見たとしても。
「……ジェシー、お前。本当そういうとこは直そうな? 俺は心配だ」
ヴィヴィのことが、という言葉は寸でのところで言うのをやめた。
そして、とりあえず今日が非番でよかった。
ヴィヴィアンがグレッドヒル公爵家に行ったのは午前中だった。
なのに、彼女が戻ってきて、着替えを済ませ終わり、エドガーの前に現れたのは空に茜がさした頃。
「私、街でご飯食べるの初めてです」
「ごめん!」
きょろきょろして店内を見渡すヴィヴィアンの声に、エドガーは謝罪する。
「え?」
「一・二度断られたくらいで引き下がったから」
「……そんな」
「今度は昼からどっか行こう。案内するから」
「はい、じゃなくて、うん」
ヴィヴィアンを連れてきたのは城下にある小さな食堂だ。
エドガーが城下にある食堂の中で一等気に入りの飯屋で、同期騎士の奴らにも教えていない。
牛もも肉をサクサクの衣で包んで黄金色に揚げた、食堂の名物料理シュニッツェルは絶品だ。エドガーはいつもレモンを絞ってさっぱり食べる。
お茶会の後のヴィヴィアンにはシュニッツェル一人前は量が多いので、エドガーの頼んだ分を取り分けてやることにした。
それだけだと今度はエドガーが足りないので、小皿の海老の照り焼きソテーとラタトゥイユ、ハーフサイズのじゃがいものガレット、マグカップのトマトスープも頼んで、飲み物はエール……と、いきたいところを我慢して、レモン水を注文した。
「あ、美味しい……」
「よかった。ゆっくり食えよ?」
「うん。でも私、今日食べてばっかりです。カトリーナ様のお家でもお菓子をたくさん食べちゃったし……太っちゃうかも」
「たまにはいいだろ」
王宮の使用人用の食堂の料理は、決して不味くはない。普通に美味い。
しかし曜日ごとにメニューが決まっていて、一ヶ月間で最大五種類しか食べることができない。
通年ではなく月ごとに五種類変わるのがせめてもの救いだが、やはり飽きる。
そのせいかどうかは断定できないが、もともと細かったヴィヴィアンは王宮に来てから更に痩せてしまっていた。
だからだろうか。ヴィヴィアンが食事を取っている姿を見て、エドガーは安心している。
「──グレッドヒル公爵令嬢に虐められなかったか?」
タイミングを見計らい聞くと、「いいえ」と否定の言葉が返ってきた。
素敵な庭園にて、好物ばかりが並んだ素晴らしい茶会だったそうだ。
「仲良くしたい人と仲良くなるには、秘密を打ち明けることと、悩みを相談することだって教えてもらって……」
「相談したのか?」
「え?」
「ヴィヴィは、あの女……じゃなくて公女様に相談したのか?」
「ううん、してません。でもカトリーナ様の秘密は教えてもらった、です。エドも知ってる秘密だって聞きました」
「……」
エドガーは、脳内で『おーほっほっほーっ!』と高笑いするカトリーナに悪態を吐きたくなった。
そして、ヴィヴィアンが、カトリーナに相談事を話していなくて本当によかったと思った。
口調が敬語混じりなのが気になるが、こればっかりは慣れるのを待つしかない。
◇◇◇
お腹いっぱい食べた後、エドガーに連れてきてもらった無国籍料理店を出ると、空は薄暗かった。
エドガーの持っている時計を見せてもらうと、女子寮の正面門が締める時間までもう三十分を切っている。
つまり門限まで、あと二十八分ということである。
……ちなみにヴィヴィアン達女官の門限は、エドガー達騎士より三時間半も早い。
「ゆっくり歩いても間に合うから、腹ごなしに少し遠回りして帰ろう」
「はい、うん」
何だか、とっても色々あった一日だった。
エドガーとのすれ違いを解消できたし、カトリーナは王弟殿下と相思相愛の関係にある。
ということは、今までずっと悩んでいたことは解決してしまった、ということだ。
今となってみればどうしてこんなに怯えていたのかと不思議なほどだ。
あの本が消えてしまったのは、ヴィヴィアンの気持ちが変わり、進むべきはずだった物語も消えてしまったということなのかも知れない。
「送ってくれてありがとう、エ、エド」
女子寮の正門前にて、送ってきてくれたエドガーに礼を言うと「腹だして寝るなよ」と懐かしい子供扱いをされて、「分かってます!」と言ってグーにした手で彼の腕を、ぽしっと殴る。
何だかとってもいい雰囲気だ。『仲良し』という感じで、嬉しい。
そんなほわほわとしているヴィヴィアンに、エドガーは「あっ!」と何かを思い付いたように声を上げた。
そして、「トリッシュ・エレ・シェリダンの手紙持って来てくれるか」と眉を顰めた。
「だめです」
いくらヴィヴィアンが苦しめられていた手紙とはいえ、他人様からの手紙を見せるわけにはいかない。
何なら、あの手紙があったから、最悪な未来を避けることができたとも思う。
それに──
「おい、ヴィヴィ!」
「だめです。これは、女同士の戦いなんです」
「でも、」
「私がいつかきちんとケリを付けることです」
「……ヴィヴィ、」
「だ、め、な、の!」
一度決めたらテコでも退かない幼馴染兼婚約者に、と長い長い溜め息を吐きながらも頷くエドガー。
そんな彼に、ヴィヴィアンはとても晴れやかな気持ちで「おやすみなさい!」と行って、背を向けた。