もっと必死に謝れやクソがああああ
その日、ヴィヴィアンは目には見えないどんよりした靄を身に纏っていた──今日は、カトリーナの開くお茶会にお呼ばれしている。
実家から出張でやってきたメイドに着替えを手伝われながらも、ヴィヴィアンの表情は暗い。
「お嬢様最高に可愛いですお嬢様こそが天使です可愛いですお姫様です神の作りし最高傑作ですはあはあはあはあはあはあ」
早口息継ぎなしのメイドのジェシーのお世辞に頷きつつ、自分がカトリーナのお茶会に誘われた理由を想像して、本日何度目かの溜め息を吐く。
先ほどから嫌な想像に支配されてしまい溜め息が止まらない。
〈私、エドガーのことを好きになってしまったの。エドガーも私のことを愛しているの……相思相愛なの〉──ヴィヴィアンのネガティブな想像その一。
〈ヴィヴィアン嬢、お願い、エドガーとの婚約を破棄してください〉──同上その二。
〈彼を想う気持ちがあるなら身を引きなさい! 邪魔者は去りなさい!〉──同上その三。
ヴィヴィアンは落ち込んだ。
とってもとっても落ち込んだ。
それはもう、これでもか! というほどに落ち込んだ。
そんなしょんぼりしている銀河一可愛いお嬢様を見た変態は「あひいぃお嬢様の悲しみで世界滅亡銀河消滅の危機これつまり死! 誠に遺憾だが背に腹はかえられぬううう」と叫んで、馬車にヴィヴィアンを残し、ばびゅんっと遠くの方へ駆けていった。
そして、ジャスト五分で戻ってきた──ヴィヴィアンの婚約者である、エドガー・カーター・アレクサンダーの腕を引っ張って。
「おい、ヴィヴィ。お前んところの変態が……どうした? 具合悪いのか?」
「えど」
つい彼の名前を呼んでしまったことに、ヴィヴィアンは気が付いていない──せっかく、昔貰った手紙に書かれていたアドバイスを守り、婚約者を愛称で呼ぶことも名前で呼ぶこともやめていたのに大失態である。
「辛いもんでも食った?」
「たべてない」
「なんか話し方、もにゃっとしてんな。熱あんのか?」
「ねつない」
後者の声のトーンが優しいエドガーに、ヴィヴィアンは泣きたくなった。
そして、そのせいで泣くのを我慢してせいかエドガーが指摘したような、何だかもにゃもにゃっとした話し方になっていた。
名前呼びに引き続き、今までの『お姉さん口調()』──せっかくの努力が台無しだ。
「ん? そういえば今日だったのか、グレッドヒル公爵令嬢の茶会」
「うん」
「可愛いな、そのドレス。初めて見た。似合ってる」
変態の癖に仕事ができるなんて世も末だ、と言ってエドガーがヴィヴィアンの頭を触ろうとした瞬間、「きしゃああああッ!」と荒ぶるジェシーが奇声を上げて彼を威嚇した。
「……うわっ、分かった分かった。触らないから落ち着け」
どうどう、とジェシーを宥めてからエドガーは「ヴィヴィ」と彼女に優しく話しかけた。
「行きたくないなら、行かなくてもいい。具合悪くなったって言って断ろう」
ヴィヴィアンは、正直言えばお茶会には行きたくない。
想像した未来を体験したくないからだ。
だけど、この甘い誘惑に頷いてしまえばヴィヴィアンは我儘娘のまま。
それでは『あの未来』が来てしまう。
それだけは嫌だ。
「や。いく」
「無理しなくてもいいんだぞ」
「してない」
「本当に行くのか?」と、確認するエドガーに、ヴィヴィアンはこっくり頷き返し、彼がプレゼントしてくれた刺繍の美しいハンカチで目を押さえる。
「分かった。じゃあ送る」
出せ、と御者に言うと、エドガーはヴィヴィアンの隣に座り、目の前のメイドを「睨まない」と静かに叱った。
ガタゴトと馬車に揺られて十分後、ヴィヴィアンは先ほどとは別の理由で涙目になっていた。
要は、正気に戻ったのである。
「ご、ごめんなさいっ!!!!」
ヴィヴィアンはぺこりと隣のエドガーに頭を下げた。
すると、すぐに彼から「何の謝罪?」と尋ねられる。
「名前を呼んだことと、変な話し方をしたことです……」
「? 別に、怒ってない。むしろ、嬉しかった」
「えっ」と、ヴィヴィアンが驚くと、エドガーも驚いた様子で「え?」と返してきた。
それを二度繰り返し、ヴィヴィアンは「でも、名前呼びも愛称呼びも嫌いだ、って聞いて……」と、頭に疑問符を浮かべる。
確かに、貰った手紙には書いてあった。
女騎士を目指す、エドガーの士官学校の友人から貰った手紙の一文には、〈エドガーが、あなたから名前を呼ばれることと愛称で呼ばれることを厭っている〉とあった。
自分を戒めるために何度も読んだから覚えている。
もちろん女官として王宮に上がった時に持ってきている。
「は、誰が?」
「……」
冷たいエドガーの声に、言葉が詰まったわけではない。
手紙には、〈書いてあることを口外しないこと〉とあったのだ。
そして手紙の内容をべらべら喋る行為は下品なことで、彼がひときわ嫌うことだとも書いていた。
ヴィヴィアンは、エドガーにこれ以上嫌われたくなかった。
「──トリッシュ・エレ・シェリダン?」
「あ、お知り合い……でしたか」
手紙の主の名前に反射的に反応したヴィヴィアンに、エドガーは「あの女」と忌々しげに呟き、「嫌がらせが趣味の迷惑女だ」と続け、「ごめん!!!」と、頭を勢いよく下げた。
それから、手紙についての説明と、その合間に何度かの謝罪を受けた。
手紙を捨てたことなんて、話さなければいいのに馬鹿正直に話すエドガーと、そんな彼に「んぎぎぎお嬢様の手紙をよくもっ」と歯軋りするメイドと、目を瞬かせたヴィヴィアン。
三人が乗車している箱の中は、カオスな状態を作り上げていた。
「謝って済むことじゃないって分かっ、」
「分かってんならもっと必死に謝れやクソがああああ」
エドガーの謝罪を、怒れるメイドが盛大に遮る。
が、エドガーはめげない。
「悪かった。本当に申し訳な、」
「『悪かった』じゃねえよ土下座しろおおおお」
「分かった」
「ど、土下座はやめて」
「おいお嬢様が土下座はやめろだそうだごるぁ」
「聞こえてる。ヴィヴィ、」
「勝手にお嬢様と会話しようとすんなゴミカス野郎」
「ジェ、ジェシー? そんなに興奮しないで」
「はわわお嬢様その顔可愛いです幸せハピネスへブンんんん!」
「うるせえな。黙らねえと馬車から蹴落とすぞクソメイドが」
「おん? やんのかおいこら上等だ表出ろごるぁ」
「ジェシー、しーっだよ。静かに。ね?」
ヴィヴィアンの人差し指で唇をちょんっとされた荒ぶる変態メイドことジェシーは「うぎゃああああお嬢様それ可愛い過ぎますうううう」と叫び、白目を剥いてハピネスへブン(気絶)した。
「ヴィヴィ、ごめん」
静かになった馬車の中、エドガーの声が響く。
「いいえ」
声は掠れたが、ヴィヴィアンの気持ちは首を横に振ったことで伝わったはずだ。
それなのに、エドガーは顔を俯かせたまま。
「……それは、許してくれないってことか?」
「いえ、そんな! 許します! 許してます! というか、そもそも怒ってません」
落ち込むエドガーを、ヴィヴィアンは慌てて否定する。
そもそも、ヴィヴィアンがエドガーを許さないなんてことはあり得ない。
それに、許してもらうのは自分の方だとばかり思っていたのだ。
「じゃあ、さっきみたいに『エド』って呼んでほしい。あと、前みたいに気楽に喋ってほしいんだけど、だめか?」
「で、でも……もう、この話し方で慣れてしまっていて……」
無理です、という言葉は、エドガーの悲しそうな顔により遮られた。
「……そっか。……ま、そうだよな……」
うぬぬ……っ。なんて破壊力だ。
「今更、調子いいよな……ごめん」
ヴィヴィアンの胸は苦しくなった。
俯くエドガーは、まるで飼い主に叱られた耳をペチョと寝かせた猫ちゃんのようである。
また、雨の中うち捨てられた猫のようにも見える──つまり、可哀想可愛いのである……。
「そ、そんなことありませ、っ、じゃなくて……えっと、だからっ! な、仲直りしよ! ……エド!」
はいっ! とヴィヴィアンはエドガーに手を差し出す。
その手を、エドガーが間髪を容れずに握る。
とても嬉しそうに、「うん」と笑う彼は、とても狡い人だろう。
……きっと、ヴィヴィアンを負かすのは彼だけだ。
仲直りの握手をしたエドガーの剣だこのできた手は、とても熱かった。