私、お金払います
女官になって三ヶ月、ヴィヴィアンはようやく今の生活に慣れてきた。
この三ヶ月、色々あった。
ヴィヴィアンはしみじみ思う。
仕事が終われば死んだように眠ってしまい、休日しか勉強に割ける時間がなかったが、最近は仕事終わりにも勉強する体力が残せるくらいには、この生活が馴染んできたのである。
慣れるまでは、少しだけ大変だった。
物置部屋に閉じ込められたり、女官のお仕着せを汚されたり、お気に入りのガラスペンを壊されたり、足を引っ掛けられたり、虫を投げられたりと、メラニー姐さんから与えられる様々な試練に「わあ、大変」となったりもしたが、最終的に話し合いで彼女を反省させることができた──余談ではあるが、この話し合いはサンドラによって『ヴィヴィアン・メリット・バレンタインのロイヤルなマウントによる圧勝』と名付けられている。
長いので省略して『ヴィヴィアンのロイヤル圧勝』と呼んでも可である。
「ヴィヴィアンちゃん、本当に行かないの? お祭りだよ?」
最初の頃よりくだけた話し方をするようになったサンドラに、ヴィヴィアンは申し訳なさそうな顔で「ごめんなさい」と返した。
「仕事がありますので」と続けて言うヴィヴィアンが彼女のように話すのはもう少し時間がかかりそうだが、サンドラとの仲はすこぶる良好だ。
「でも、午前中だけでしょ?」
「そうなのですが……あの、彼に会いに行こうかと思っていまして……」
「あーそっかー、分かった。なんかごめんね。無理に誘っちゃったね」
「いえ、そんな! せっかく誘ってくれたのに、こちらこそごめんなさい」
「それは気にしないでー。よかったら今度、私にも彼のこと紹介してくれる? 話聞いてから、会いたいと思ってて……いいかな?」
「はい、もちろんです!」
「やった! 嬉しい!」
──今日は王都でお祭りがある日だ。
「いってらっしゃい、サンドラ様」
「うん、行ってきますっ」
三日間続く祭りで、毎年開催されている『ウィスタリア・フェスティバル』──今日はこの祭りの最終日である。
ヴィヴィアンもまだ幼かったエドガーと、何回か参加したことがある。
最後に彼と参加したのは五年以上前になるだろうか。彼が士官学校に入る前だったからそれくらいのはずだ。
あまり覚えていないが、ヴィヴィアンが泣いて駄々を捏ねてエドガーを困らせたことだけは覚えている。
サンドラを見送り、ヴィヴィアンが振り返ると「ひいっ」と悲鳴を上げるメラニーの姐御がいた。
「ご機嫌麗しゅう、メラニーお姐さん」
「ごっ、ごきげんよう」
ではっ! と言った瞬間には彼女はもう親指ほどの大きさに見えるくらい遠くに走り去っていた。
どうしてあんなに怖がっているのだろう?
ほんの小一時間ほどお話し合いして、お互いの誤解を解いた至極穏便な仲直りだったのに……。
メラニー姐さんは話し合いが終わったその瞬間から、さきほどのようにヴィヴィアンが話しかけると脱兎のごとく逃げてしまう。
親しみを込めて『お姐さん』と呼んではいるが、うまくいかない。
ヴィヴィアンは「はあ」と溜め息を吐いた。
◇◇◇
「あれ? あそこにいんのってタタショア嬢じゃない? ってことはヴィヴィちゃんもいるのかな〜? ん〜、いない?」
この男は自殺志願者なのだろう。
エドガーは思った。
「……ヴィヴィは今日仕事があるから来てないはずだ」
だからエドガーも来ないつもりだったのに、寮部屋から引っ張り出された。
「えっ、そうなんだ……なんか、ごめん」
「何が『ごめん』だ、馬鹿ダン」
「だって、祭りに誘って振られたんでしょ?」
「振られたんじゃない。仕事があるからって断られたんだ」
「元気出せって」
「俺は元気だ」
「涙拭けよ」
「泣いてねえよ」
ヴィヴィアンが女官になって三ヶ月が経った。
彼女と話す回数は増えたし、すれ違えば挨拶もしてるし、時間が被れば一緒に昼休憩を取るし、休日に図書室で勉強しているヴィヴィアンの質問に答え、礼を言われたことだってある。
関係は良好だ、と思うのに……わだかまりはまだ拭えていない。
「なんつうかさ、エドってヴィヴィちゃんの婚約者っていうよりも、ヴィヴィちゃんに片思いしてるって感じだよね。何? 婚約してまだ日が浅いん?」
「……浅くない」
「うーん、ボーイ・ミーツ・ガール。もしくは、ブルー・スプリング」
「お前はもう黙れ」
◇◇◇
エドガーがダンに「黙れ」と言って睨んでいた同時刻、ヴィヴィアンは地面を這いつくばっていた。
「エドぉ? 可愛いエドちゃーん、こっちにおいで。ささみちゃん持ってきたよぉ、ぷりっぷりで美味しいよぉ」
茹でたささみを振りながら根気よく猫撫で声で呼ぶ。
すると、しばらくして草むらから猫が出てきた。
「エドたろす〜! このツンデレさんめ〜! 今日も可愛いでちゅね〜!」
黒い毛並みと琥珀色の瞳を持つ目の前の猫エドは、ヴィヴィアンの好きな男と同じ色を持っている。
二ヶ月半ほど前、カラスに突かれて、にぎゃぎゃーっ! と鳴いていたエドは、なかなかヴィヴィアンに懐かなかった。
……そして、今現在も、ヴィヴィアンの手の上から餌を食べてはくれない。
「エドぷう? そろそろヴィヴィに慣れてきてくれても良くない?」
ガン無視しているエドは、はぐはぐと美味しそうに皿の上に載ったささみを食べている。
ゆっくり食べて、と言っているのに、エドはもの凄いがっついている。
何日も食べていないみたいな反応はやめていただきたいヴィヴィアンである。
「ヴィヴィに餌付けされてよ。エドちい、冷たいよ〜?」
茹で方を研究して、人間が食べても美味しいと思えるささみを用意してるというのに、エドは全然靡いてくれない。
なんて釣れない猫ちゃんなのだろう。
あばよ、飯美味かったぜ。とでも言うかのように去っていくエドの後ろ姿を見て、ヴィヴィアンはしょんぼり肩を落とし、立ち上がって土の付いたお仕着せを手で払う。
でも。
「ふんっだ。これくらいで落ち込んだりなんてしないんだからねっ!」
手負いのエドは、尻尾を膨らませてヴィヴィアンを威嚇していた。
餌もヴィヴィアンが見ているところでは、絶対食べてはくれなかった。
だけど今は餌は食べてくれるし、無視される程度で済んでいる。
だから、きっと、いつか……。
夕方、サンドラがヴィヴィアンの部屋を訪ねてきた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。お祭りは楽しかったですか?」
「うん、楽しかった! 来年は一緒に行こ」
「はい」
「でね、これ。ヴィヴィアンちゃんにお土産!」
はいどうぞ、とサンドラから渡されたのは大きめの紙袋。
中には、ヴィヴィアンの大好きな琥珀色のべっこう飴と、蜂蜜漬けのナッツが入った瓶。七色の金平糖と、淡桃色のメレンゲクッキー。祭りの為に発行されたピンバッジ全種類と金と銀の記念硬貨。数種類の淡色のレースリボンと、東部で流行っているという手のひらサイズの宝石箱と、凝った刺繍が施されたハンカチ。他にも、ヴィヴィアン好みの繊細な造りのヘアコーム、ガラス製の猫の置物、カップルのビーズドール。
そして、桃色の小さなブーケが入っていた。
──祭りの開催期間、様々な店が露天や屋台を営む。
地方からやってきてまで出店する店主もいるほどに、彼らは王都で店を開きたい理由は、貴族や豪商といったビッパーな客層を狙っているからである。
だからこの祭りでの店のクオリティーは非常に高い。しかし、店の数は尋常ではない。
……数ある店の中からこんなにもヴィヴィアンがときめくお土産をピンポイントで買ってくるなんて。
嬉しいが……サンドラにとって、これは相当な出費ではないだろうか?
幼い頃から本物を見てきたヴィヴィアンには、はっきりと分かった──食べ物はそう高くはないだろうが、宝石箱やヘアコームは匠の技術が光る名品珍品で、ピンバッジと記念硬貨は全て製造番号が一桁番代と希少性が高いことが。
それからブーケの桃色の花は温かい南部でしか育てることのできない、とても貴重な花だということが。
「サ、サンドラ様、私、お金払います。いえ、払わせてください!」
サンドラは家に仕送りをしている身だ。
なので、大っっっ変に失礼だとは思うが、彼女にこれらを買うお金はないと思うのだ。
それを抜きにしても、ヴィヴィアンの好みにドンピシャリな品物を選んだ彼女にはお金を支払うべきである。
「えへへ。ごめんごめん。これね、私からのお土産じゃなくて、アレクサンダー卿からのお土産」
「……え?」
「お祭りでばったり会ったんだけど、『ヴィヴィに渡してくれますか』だって。でね、私もね、アレクサンダー卿とお祭りに来てたセネット様に、綺麗な宝石飴とお花を買ってもらっちゃったー、えへへ」
エドガーが? ヴィヴィアンに?
「ど、どうして……?」
「『どうして』って、ヴィヴィアンちゃんが愛されてる証拠でしょ?」
愛されてる?
誰が? 誰を?
「あの、もう一度言ってください!」
からかい混じりのサンドラの言葉に、ヴィヴィアンはと至極真面目にそう返した。
翌日、お土産の礼を言ったヴィヴィアンに、エドガーはとても優しい顔で笑い返してくれた。
そして、ヴィヴィアンはエドガーのことが好きな自分の気持ちを再認識した。
サンドラ「こにゃにゃちわ、君が猫のエド君? はじめまして!」
猫エド「にゃー」←お腹見せごろん。
ヴィヴィ「エドぽむ……? なんで、そんなにサンドラ様に懐いてるの……?」