悲しくて泣いちゃうっ!!
ヴィヴィアンが女官として王宮に上がった。
エドガーがそれを知ったのは、王宮の回廊でばったり彼女と顔を合わせた日の前日に来た手紙だった。
バレンタイン男爵からの便箋三十二枚にわたる、ほぼヴィヴィアンの可愛さと生まれてきてくれたことの感謝を綴った手紙により知った──要約すると『ヴィヴィアンが女官として働くからよろしくね』だった。
エドガーは急いで返事を書いた。
女官は大変な仕事です、わざわざ苦労を買いに来させることはありません。
そんなことをつらつらと書いて……
今朝、投函するのを忘れた。
……そして、彼女はエドガーが手紙を投函する前に王宮に来てしまった。
「ヴィヴィ、」
「誰? この子! エドのこれ〜?」
エドガーの言葉を遮りったのは同僚騎士の一人。
そいつが「これ」と言って掲げたのは小指だ。
「やめろ、馬鹿」
「ヴィヴィアン・メリット・バレンタインと申します。本日付けで女官として、」
「俺、ダン・ヴァン・セネット。よろしくね!」
握手しよ〜! と、手を差し出すダンにヴィヴィアンが少し悩んでからおずおずと手を持ち上げるのを見て、エドガーはキレた。
「ダン、やめろ。ヴィヴィに近付くな。……ヴィヴィ下がってろ」
エドガーはヴィヴィアンの前に立ち、ダンを睨んだ。
が、奴に怯む様子はない。
「うーわ、嫉妬? 男の悋気、みっともな〜。ねっ、ヴィヴィちゃん」
「あの……?」
「ヴィヴィ、返事しなくていいから」
人様の婚約者を愛称ちゃん付けで呼びやがって。
「ダン、お前……」
「ウケる。何その顔」
「……殺す」
「え、怖っ。マジに取んなよ」
「殺す」
「じょ、冗談じゃん!」
「こるぉす」
「ぎゃ! 巻き舌だ!」
ダンはちょっと(?)お馬鹿さんなので、いつもこうなる……。
しかし、悪意のない愛され系お馬鹿なのでたいてい許されてきた。
だけど、あれれれ? なんか、今回はだめっぽいかも?
というわけで謝ろう、「冗談だから殺さないでください、ごめんなさい」。
「九十度に折れて、ごめんなさいが言える男、それがダン・ヴァン・セネット! エドガーに殺されても忘れないでねええええ!」
と、叫んで去っていくダンを、ヴィヴィアンが目をぱちぱちさせて見るその横で見つつ、エドガーは『やっぱりダンのことは殺そう』と思った。……冗談だ、半分くらいしか殺さない。全殺しにはしない。
「あー……っと、元気か?」
「はい、元気です。卿もお変わりありませんか?」
「……うん」
──卿。
相変わらず、ヴィヴィアンはエドガーを名前で呼ばない。
半月前の気不味いお茶会の後。エドガーは士官学校を卒業し、王室付きの第三騎士団に所属が決まった。
長兄は父が引退した第一騎士団の団長を引き継いだ実力者で、次兄は北部の国境にあるノルドマ騎士団に志願した変わり者の剣豪。
そして、そんな兄二人を持つ、アレクサンダー伯爵家の三男のエドガーは、第三騎士団に入団が決まってから注目の的で緊張した日々を過ごしていた。
それがようやく落ち着いたと思ったら、今度はヴィヴィアンが城にやってきた。それも女官として。
王宮の女官なんて……ヴィヴィアンみたいな女の子がいていい場所ではないのだ。
騎士の中には騎士道がないクソ野郎もいるし、セクハラが生きがいのクソ貴族もいるっていうのに。
バレンタイン夫妻は、どうしてヴィヴィアンの女官務めを許したのか。
「仕事、するんだな」
どうして、女官をやろうと思ったんだ? という言葉をエドガーは飲み込んだ。
「はい。私も、人の役に立ちたくて」
私も?
親孝行という意味ならば、過去の彼女の方が貢献していると思ったが、これもエドガーは言わないでおいた。
多分、というか十中八九。ヴィヴィアンがこんな風になったのはエドガーのせいだからだ。
「偉いな、ヴィヴィ」
エドガーはヴィヴィアンの頭を撫でた。
──今朝投函し忘れた手紙を破棄して、ヴィヴィアンを応援しよう。
「偉い偉い」
片言言葉になってしまったが、エドガーにしてはよくできた方なのではないだろうか。
エドガーが士官学校にいた時は(と言ってもほんのつい最近だが)、すれ違っていたが、もしかして同じ勤め先になった今であれば、昔のような気安い関係に戻れるかも知れない。
と、エドガーは前向きなことを考えながら、ヴィヴィアンの頭を撫でた。
彼女の頭を撫でたのは、本当に久しぶりだった。
やっぱりこの感触は楽しくって気持ちいい。この髪をきっちり結ぶなんて、もったいないことだと心から思う。
「ヴィヴィ、」
エドガーの言葉を遮るは、ぺしり、という音。
「あ、あの、わ、私、もう行きます……っ」
──昔みたいだと思っているエドガーの手が、ヴィヴィアンによって払われたのである。
「え、ちょ、」
「さよならっ」
「待っ、ヴィヴィ? おいっ!」
「えーなんか今、めちゃくちゃいい雰囲気だったのに……」
──哀愁漂うエドガーの背後から、さきほど半殺しにしてやると決めたダンの声が聞こえてきた。
しかも微妙にエドガーの声に似せて話す感じがすっげえムカつく。
「殺す」
「ひえっ」
ダンに振り返ったエドガーの顔は、とてもアレだったが自業自得である彼を憐れむ者はいなかった。
◇◇◇
「あー、ヴィヴィアンさん! こんなところにいたんですかー? 探しましたよ!」
エドガーからぴゅーんと逃げてきたヴィヴィアンは、腕を掴まれた──先輩女官のサンドラ・マリー・タタショアだ。
「あっ、サンドラさん……」
「案内してる途中にいなくなっちゃうんだもん。心配しましたよ?」
「すみません。私、極度の方向音痴でして……」
「うーん、っぽいですねー。でもまあ、地図があれば大丈夫だから常に持ち歩いてれば大丈夫かな? 地図は読めます?」
「はい、読めます」
先輩が話しやすくて優しい人で良かった。
さっき話したエドガーも優しかったし、昔のように頭も撫でてもらえた。
成果が出たのだろう。
……もっと頑張ろう。
ヴィヴィアンが王宮の女官になりたいと言った日、『天使の反抗期』と母に泣かれた。
父と兄には『考え直さないか』と説得された。
姉と義兄は味方をしてくれたが、三対二と分が悪かった。
なので、ヴィヴィアンは狡いかなと思ったが封印していた秘技を出すことにした。
『パパ、ママ、にいに! ヴィヴィ、王宮でお仕事したいの……。反対されたら、悲しくて泣いちゃうっ!! お願い!』
──嘘泣きという名の脅迫である。
『ヴィヴィちゃん……そんなになりたいのぉ?』
『うん、ママ。だから、ね? いいでしょう? お願い』
『ええ! ええ! もちろんよぉ! だから泣かないで、私の天使ちゃん』
『いいよ、いいよ、なりたいものになりなさい。虐められたらパパに言うんだよ? 秘密裏に消すからね!』
『うん、ありがとう。でも消さないでね。殺したら口利かないからね』
『分かった! 消さない!』
『働きたいなんて偉いなあ、にいにはヴィヴィを応援するよ』
『ありがとう、嬉しい! 応援してね』
『ああ、応援するよ! マイ・ラヴ……!』
反応は三者三様だが、効果は抜群だった。
すんっとした顔の姉と義兄の視線が背中に突き刺さってとっても痛かったが……結果オーライである。
一人で何もできないからって大人しく泣いてこのまま変われないくらいなら、嘘泣きでも何でもチャンスを掴む方がずっといい。
ヴィヴィアンは、『使えるものは全部使ってやろう』と決意した。