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こ、こんな未来、嫌……

「『悪役ヴィヴィアンの一生』って……何これ……」


 その本には、ヴィヴィアンの末路──『過去』と『未来』が書かれていた。


 ついさっきの出来事、カトリーナ・マーガレット・グレッドヒルに嫉妬したヴィヴィアンのその後も書いてある。


 物語のヴィヴィアンが、カトリーナに様々な嫌がらせをするという内容は、自分がしてやろうと思っていたことばかりだった。


 ありきたりだから被っているだけだと思ってみても、自分が言いそうな台詞を読んでは、丸っきり嘘とは思えない。


 でも信じたくない。


 それなのに、真実ではないという証拠が欲しくて読み続ける。


〈エドガーはヴィヴィアンにうんざりしていた〉

〈今回の愚かな行動がきっかけだった〉

〈エドガーはカトリーナに恋をした〉


 続きの文字は読みたくないのに、目で追ってしまう。


「〈我儘なヴィヴィアンと結婚しなければいけないなんて、エドガーは──……〉」


 だめだ、これ以上は読めない。……でも、結末が気になる。


 ぱらぱらとページを捲って、本の後ろの方を恐る恐る読んでいく。


 早く結末が知りたかった。



 ──物語の終盤で、ヴィヴィアンは畑仕事をしていた。



 そして、ヴィヴィアンは子供を身籠っていた。

 エドガーの子供とは書いていないので、誰の子供だろうと思考を巡らすが、今度こそ知るのが怖くて前のページを読む勇気がない。


 物語の中のヴィヴィアンは自慢の髪は随分前に売ってしまったらしく、未練たらしくかつて長かったであろう髪を触る仕草を繰り返している描写が哀愁を誘った。


 ──どうやら、カトリーナの殺害未遂の罰を、物語のヴィヴィアンは受けているようだった。


 ……嗚咽で息が苦しい。


 もう読まなくても結末は分かった。

 こんな絶望的な状況が好転することなどあり得ないからだ。


 ヴィヴィアンは観劇が好きだった。

 特に、ラブロマンスの要素が入った勧善懲悪ものが。


 今読んでいる物語は、まさにそうだ。


 ヒロイン視点の書かれ方ではないが、これがカトリーナがヒロインの物語であることは明々白々。

 ()()ヴィヴィアンが惨めであればあるほどに、物語は盛り上がる。


「こ、こんな未来、嫌……」

 ヴィヴィアンの声は震えた。


 (きた)る未来が怖い。

 エドガーに嫌われるのが怖い。



「エド……」



 ヴィヴィアンの声はパーティーの華やかな音に紛れ、誰の耳にも届くことはなかった。




 ◇◇◇




 三年後。




 騎士団の所属テストが終わった士官学校卒業間近のエドガーは、バレンタイン家の客間で婚約者を目の前にお茶を飲んでいた。


「……」

「……」


 二人の間に会話はない。


 いや、あったにはあったのだ。 

 しかし、全然続かない。


 どちらかの家族がこの場に一人でもいれば、少しだが会話は続くのだが……今は二人きりだ。


 ヴィヴィアンはぼうっと窓の外を見たままで、こちらに視線すら向けない。


 三年前にうっとおしいと思っていた会話が恋しくなるなんて、あの頃の自分には想像もできていなかっただろう。


 エドガーは十八歳。

 そして、ヴィヴィアンは十六歳になった。


 子供らしい丸い輪郭から女性らしい横顔になったヴィヴィアンは、中身もぐんと大人になった。

 嫌いだった勉強とマナーに一生懸命取り組んでいると聞いたのはいつだったろうか。


 そうだ、あれは確か三年前。


 夏季休暇が終わった寮室で、ヴィヴィアンから届いた手紙に書いてあった。

 あの時、返事を書いていていれば今この気まずい空気はなかったのかも知れないと、エドガーは悔やむ。


 もう何度も悔やんでいる。


 カトリーナ・マーガレット・グレッドヒルの無事を祝ったガーデンパーティー。あれが、二人の関係を変えたきっかけだった。

 我儘なヴィヴィアンの良くない態度を叱るまでは、間違っていないと今でもエドガーは思っている。男爵家の娘が、公爵令嬢にあのような態度をしてはいけないのだ。だから、このことに関しては後悔してない。

 少し、言い過ぎたとは思うが……。


 だが、その後のエドガーの態度が良くなかった。


 ガーデンパーティーが終わるまでヴィヴィアンを放っておいた挙げ句、馬車の中で泣きはらした顔で謝罪する彼女を無視したのだ。あの時のエドガーは、謝る相手はカトリーナだろうと思い、猛烈に苛ついていた。


 ……今思えば、どうしてそこまでイライラしていたのか不思議である。ヴィヴィアンはカトリーナへ謝罪すると反省した様子で何度も言っていたのに。


 そして残りの貴重な夏季休暇を地元の友人と楽しく過ごし、エドガーは士官学校へ戻った。

 士官学校へ戻ってからすぐに来たヴィヴィアンの手紙は七通。

 エドガーは、これに返事を書かなかった。

 今までも全部の手紙に返事はしてなかった。

 でも三通に一通のペースで返していた。

 それを彼女も分かっているから送ったのだろう。


『愛されてんなあ』


 士官学校の悪友の一人にからかわれ、うざいだけだ、と言ってヴィヴィアンの手紙を捨てたのは、絶対にやってはいけないことだった。


 当時、エドガーのことが好きだった同級生の女子が、どうやったのかヴィヴィアンの書いたエドガー宛の手紙を手にして、あろうことか返事を書いてしまったことも(まず)かった。

 内容の詳細は分からないが、同級生の女子曰く『エドガーがあなたの手紙を迷惑がっているから頻度を抑えた方がいい』ということを、書いて送ったそうだ。

 丸い文字で書かれた文字を恋しがった頃、エドガーのことを相談していた友人と付き合うことになって、自分がしてしまった酷いことに気が付いたとその同級生に謝られた。


 ──エドガーはその告白を聞くまで、彼女から手紙が来なくなったことを不思議にすら思わなかった。自分も彼女に送らなかったからだ。


 そういえば、ヴィヴィアンに誕生日のメッセージカードを、最後に送ったのはいつだったろう。


 そう考えた時には、もう、遅かった。この時期、ヴィヴィアンは予定になかった女学校に入学していたからだ。

 結果、ヴィヴィアンは一年の寮暮らしとなり、長期休暇を友人と過ごすと言って丸一年実家に帰ってこなかった。


 バレンタイン家の者はたいそう嘆いたようだ。


 そりゃそうだ、とエドガーは思う。

 バレンタイン家にとってヴィヴィアンはそういう存在なのだから。


 そういう理由から、エドガーが婚約者に会うのはとても久しぶりだった。


 今日のお茶会なんて、いつぶりか。

 二人きりという条件の付くお茶会ならば、一年半ぶりだろうか?


「ボート、乗りに行くか?」


 言い終えてすぐ、エドガーは自分をぶん殴りたくなった。誘い方が下手くそ過ぎる。


 ボートに乗るという行為が恋人同士の間で流行っていると母に聞いていたエドガーは、今日こそ、ヴィヴィアンを誘おうと決意してバレンタイン家に来た。

 ちなみに母親からボートの話を聞いたのは昨年である。


「……ボートですか?」


 空色の目が、こちらを見る。


 以前のように間延びした甘えたものではない声に、寂しさを感じる。


 会わない間に、ヴィヴィアンはエドガーに敬語を使うようになり、一人称を『ヴィヴィ』から『私』に変えた。

 そしてエドガーのことを、愛称で呼ばなくなった。というより、名前自体を呼ばなくなったというのが正しい。


「うん、暑いし」


 こほん。エドガーは空咳を一つ落とし、返事を待つ。


 しかし、


「でも、もう十六時半ですが……」

「あ」


 バレンタイン家からボート乗り場がある公園まで馬車で一時間かかる。そして、ボートは大抵が十七時前までで、夜間の営業をしていない。


 エドガーは溜め息を吐きたいのを堪えて「悪い」と小さく呟いた。


「いいえ」


 ヴィヴィアンの笑顔は、綺麗だが作ったもので、過去の彼女の笑顔とは全然違うものだった。


「…………ヴィヴィ」

「はい」

「何か欲しいものあるか? 行きたいところでもいい。観劇とか……」

「いいえ。会いに来ていただけるだけで十分です。今日もお忙しいところありがとうございました」

「ああ、うん」


 まるで締めの挨拶だ。

 帰れと言われているようで、辛い。


「たまには──」

 我儘を言ってもいいんだ、と言いかけて止める。


 どの口が言うんだ、馬鹿か。

 ヴィヴィアンが()()なったのは、エドガーのせいなのに。


「え?」


 ヴィヴィアンが首を傾げ、ふわふわした桃色の綿あめみたいな髪が揺れる。

 エドガーはこの髪が好きで、よく触っていた。

 頭を撫でると、ヴィヴィアンは嬉しそうに笑った。


 ……今は全て、過去形だ。


「いや、勉強ばっかりしてるって……聞いて……」


 言葉が詰まった。

 これを聞いたのも、ボートの話同様、昨年のことだ。


「はい」

「……根、詰めすぎるなよ」

「はい。ありがとうございます」


 きっとヴィヴィアンは、今、エドガーが謝罪をしても今と同じ顔で同じ返事をするだろう。

 はい、と言って許すのだ。


 怒ってくれたらよかったのに。


 拗ねて泣いて喚いてくれればエドガーは謝り、許しを請えたのに。




 彼女がこんな状態では、エドガーは謝れない。

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