あんた、いつからいたんだよ
晴天の空には花が舞っている。
幸せそうな純白の花嫁のベールを花婿が恭しく捲る様子は、息を飲むほどに美しかった。
◇◇◇
──さて、本日はお日柄も良く、王弟殿下リディックとカトリーナの結婚式である。
ということで、今日のエドガーはヴィヴィアンと結婚式に出席し、今現在は披露宴会場である豪華過ぎる彼らの新居にいる。
式は厳かで緊張感のあるものだったが、披露宴はそうではないようで参加者の表情は幾分リラックスしている。
「あ、こら、それアルコール。こっちの林檎ジュースにしなさい」
白ワインのグラスを取ったヴィヴィアンからそれを奪って、ジュースを渡すと彼女は素直に「はあい」と言って受け取った。
それからヴィヴィアンの本日何回目かの「カトリーナ様、綺麗だね」に「ソウダナー」と適当に返し、エドガーもグラスに口を付ける。
エドガーにとっては、花嫁姿のカトリーナよりも、隣にいるヴィヴィアンの方が可愛いし綺麗に見える。
今日のは水色のドレスが似合っているヴィヴィアンは、妖精みがすごい(語彙力)。
「私のヴィヴィ〜〜〜!」
「カトリーナ様!」
お前んじゃねえし。俺のだし。
エドガーはそんなことを思いつつ、ヴィヴィアンに抱き着くカトリーナを作った笑顔で見やる。
ヴィヴィアンのことを好き過ぎるカトリーナに、複雑な気持ちになるのが否めない。
「本当にお綺麗です、カトリーナ様っ。式のドレスも素敵でしたが、今着てらっしゃるドレスも似合ってます……!」
「ヴィヴィもまるで花の精のようで可愛くってよ。食べちゃいたい」
食うな。頭撫でんな。離れろ。
念を入れれば入れるほどヴィヴィアンにくっ付くカトリーナは一体何者なのだろう。
「ヴィヴィのくれた結婚お祝いのファンデーションコンパクト? あれ、とっても気に入ったわ、ありがとうね」
「喜んでいただけて嬉しいです」
「あれはヴィヴィがデザインしたものなんですよ」
エドガーは、ふふんとドヤる。
「まあっ! 素晴らしいわ! ……というか、ねえ? なんでエドガーが得意気にしているの? 私はヴィヴィを褒めてるのだけど!」
ヴィヴィアンはエドガーの持っている懐中時計から着想を得て、パウダーファンデーションの入るコンパクトケースを考案し、工房に作らせた。
ちなみにこれはもう一ヶ月も経たずにオープンする店の商品で、ヴィヴィアンの姉がオーナーを務める。
その店では、今後、年に一度の限定商品だけヴィヴィアンがデザインすることになっている。
ヴィヴィアンは女官になってからデザインの才能を開花させ、様々な活躍をして、各方面から引っ張りだこである。
そのことをエドガーが言ってやれば、カトリーナは「まあ!」と感動し、ヴィヴィアンを抱き締めた。
抱き締めんな。
「では、私はこのファンデーションコンパクトの広告塔ってことね?」
「そんなつもりは……でも、そうしていただけると嬉しいです」
エドガーの婚約者は、甘え上手である。
カトリーナの腕に抱き着き、こてんと首を傾げて甘え声のヴィヴィアンを見たエドガーは「え、その顔、俺以外にもすんの?」と少しだけ(?)ショックを受けた。
女子トークをするのだから去りなさい、とカトリーナに言われたエドガーは、知り合いと杯を交わした後、一人酔い覚ましの為ベランダに出ていた。
さすがは王弟殿下と、麗しの公爵令嬢(笑)のおもてなしというべきか、用意されている酒がとても良いもので、少々飲み過ぎた。
といいつつ、手に持っているのはアルコールの入ったグラスだが。
見上げた先の空に浮かぶ三日月がとても綺麗で、ヴィヴィアンと見たいなどとと思っていると、ガチャリと後ろから扉を開く音がした。
「……エドガー?」
聞いたことがあるようなないような声の方に振り返れば……どちら様だろう、覚えのあるような、ないような、そんな屋敷の警護中らしき女性騎士が立っていた。
「えっと、どこかでお会いしたことが?」
声色や表情から不快な感じがするが、どこのだれか分からないので冷たい対応がはばかられ、念の為に作った表情と声で訊ねた。
これぞ、ザ・作り笑顔である。
「やっだあ〜! 私よ、トリッシュ! トリッシュ・エレ・シェリダン。うふふっ、分からなくなるほど、私って変わっちゃった? まあよく言われるけどね、綺麗になった、って」
──トリッシュ・エレ・シェリダン。
ヴィヴィアンに手紙を送った人物だと分かった刹那、エドガーの笑顔は消えた。
元を辿れば、エドガーが手紙を捨てたせいだが、腹が立ってしまうのは仕方がない。
ヴィヴィアンは『昔のことだから水に流そうと思ってるの』と言っていたが、エドガーはそういう風には到底思えない。
「はー……やっぱり、運命なのかなあ……なあんてね、恥ずかしっ」
なんだこの女。怖……。
断りもなく隣に来て、ここが舞台かのように、そして自分がヒロインであるかのようにエドガーの顔を覗き込んでくる女に、ゾッとし一気に酔いが覚める。
「じゃあ、俺戻るから。ごゆっくり」
「待って……! エドガー!」
誰が聞いたって拒絶を感じる態度のエドガーの背中に、トリッシュがぎゅうっと胸を押し付ける形で抱き付いてきた。
「離せ」
「もう少し、このままでいさせて」
「無理。それにお互い誤解されたら困るだろ?」
「心配しないで、ダニエルソンとはもうとっくに終わってるの」
「は? 誰それ。つうか、離れろって」
「エドガー。私、やっぱりあなたじゃないとだめみたい……」
「何言ってんの? 噛み合わなすぎて怖えんだけど」
「エドガーが好き。あなたのことがずっと好きだったの」
「違法薬でもやってんのか? おいっ、いい加減に──」
「──エド」
実力行使も吝かでない。と、トリッシュを自分から引き剥がそうとしたタイミングで、可愛い声が自分を呼んだ。
なんという出来すぎたタイミング……と思い、後ろを見れば「見つかっちゃったね」と舌をぺろっと出した、やべえ女。
やられた、と顔を歪めてからトリッシュの腕を振りほどき、扉から半身を出していたヴィヴィアンを引き寄せたエドガーは開口一番に「違う!」と叫んでいた。
「バレンタイン男爵令嬢! ごめんなさい、私が悪いんです……彼を責めないでください……どうか、どうか……」
うう、と涙混じりのトリッシュに呆然としていると、ヴィヴィアンが顔を見上げて、エドガーを呼んだ。
「ヴィヴィ! 誤解だ!」
「……うん、分かってるよ。見てたもん」
「「え」」──トリッシュと声が被り、一瞬死にたくなる。
「見てたって……どこから?」
「『やっだあ〜! 私よ、トリッシュ! トリッシュ・エレ・シェリダン』から」
「ん? じゃあ、初めから聞いてたってことか?」
「うん」
エドガーの問いに、ヴィヴィアンはこっくり頷いた後、トリッシュの方に指を向けて言った。
「そこにいるトリッシュさん? から、お化粧室で『私、エドガーとベランダで待ち合わせしてるの。ごめんなさい』って謝られて、キャットファイトしにきたら、エドがまんまと罠に嵌ってた」
さっと、エドガーを守るように前に出たヴィヴィアンの言葉に、トリッシュが悔しそうな顔をして、自分の爪を噛む。
「そして! トリッシュさん! 隣を見てください!」
ヴィヴィアンの指差す方向を、エドガーとトリッシュが見ると、二メートルほど先に三人がいる形と同じベランダがあり、そこには噂大好きボゴシアン子爵夫人が興味津々という顔をしてこちらに顔を向けていた。
「私の記憶が正しければ、ボゴシアン夫人は私が来るずっと前からいました」
ですよね、夫人? とヴィヴィアンに話しかけられた夫人は、「おほほ。ええ、そうです。私、アレクサンダー伯爵令息がベランダに出て鼻歌を歌っていらっしゃる時からここにいましてよ」と言って扇子をばっさばっさと扇いだ。
ヴィヴィアンの完全勝利である。
そして、「ああ……」と呻き、へたり込んだトリッシュに、ヴィヴィアンはビシッと指を差し宣う。
「エドは私の男よ! 二度とちょっかい出さないで!」
エドガーが、どきっとしたのも束の間。
ボゴシアン夫人がいない側の隣のベランダ──つまり真後ろから「素敵よ〜! 私のヴィヴィ〜!」というとっても聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あんた、いつからいたんだよ」
敬語がすっかり抜けたエドガーに、にっこり笑ったカトリーナは「最初からよ!」と声高らかに言った。
カトリーナの横には、王弟殿下リディック・ライト・スミス・パトリック・マーティンデイルが見えたが、錯覚であってはくれないだろうか。
そんなエドガーの願いは虚しくも散る……──錯覚でない王弟殿下の「面白かった」という幻聴ではない言葉に、満面の笑顔を返すヴィヴィアンを見たエドガーは、少しだけトリッシュに同情したのであった。
こうして、王弟殿下リディックとカトリーナの邸で起きた珍事件は幕を閉じた。
後に、エドガーとヴィヴィアンは、『女騎士トリッシュ・エレ・シェリダンが国に居づらくなり、親戚の暮らす隣国へ行った』と風の噂にて聞くことになるのだが……それは、今の二人には預かり知らぬことである。




