ヴィヴィの方が可愛いよね?
一代で事業の大成功を収めたバレンタイン男爵は大富豪だ。
俗っぽく分かりやすく言うと、王家の次の次の次のそのまた次くらいのレベルの金持ちである(成金)。
その大富豪バレンタイン男爵には子供が三人いる。
長男のランディ、長女のフェリッサ、そして次女で末っ子のヴィヴィアンだ。
長男のランディは父に似てとてつもなく頭の切れる男として、長女のフェリッサは嫋やかで美しく、ケチのつけようがない完璧な淑女として、その名を轟かせていた。
さて、こんな評判の良い兄姉を持った年の離れた末っ子ヴィヴィアン・メリット・バレンタインは? と思うことだろう。
……そう。お察しの通り。
タイトルにあるように、彼女はとっても我儘だった。
でも可愛いから、許されている。
可愛いは正義なので、許されているのだ。
大事なことなので二回繰り返した。
年子で生まれた長男長女と十以上離れていたことと、末っ子だったことから、ヴィヴィアンはそれはもう可愛がられた。
薄桃色のふわふわの髪に空色の瞳を持つヴィヴィアンは、物語に出てくる妖精のような破壊力ある可愛らしさで、バレンタイン家の者達を漏れなくノックアウトした。
大事に大事に真綿で包むように育てられたヴィヴィアンの『あれがしたい、これがしたい、それも欲しい、あれも欲しい』という願いは、全て叶えられていた。
物心ついた頃にはこれが当たり前だった。
ヴィヴィアンの婚約者に、エドガー・カーター・アレクサンダーが選ばれたのもこの時である。
アレクサンダー家は、優秀な騎士を輩出することで有名な伯爵家で、ヴィヴィアンより二つ上のエドガーは三男だ。
そして、エドガーの父とヴィヴィアンの父は、同じ士官学校出身の親友同士だった。
卒業後、剣の才能がないことを早々に受け入れて海運業の道へ進んだヴィヴィアンの父・バレンタイン男爵と、エドガーの父・アレクサンダー子爵の縁は不思議なことに途切れることなく続いた。
互いの妻を紹介し、今では妻同士も親友と言っても過言ではないほどに仲が良い。
そんなわけ(?)で、『家を継がない末っ子同士、結婚させちゃおっか』という酒の席での流れから二人の婚約は成った。
ヴィヴィアンは、エドガーによく懐いた。
エドガーも、ヴィヴィアンを可愛がった。
もちろん、エドガーの兄達もヴィヴィアンを可愛がった。男兄弟で育った彼らには、小さい女の子が可愛くて堪らなかったのである。
そんな騎士三兄弟に負けじと実兄実姉は、更にヴィヴィアンを可愛がった。
──バレンタイン家の可愛い可愛い天使ちゃんは、こういう経緯から『我儘』になっていったのである。
◇◇◇
夏季休暇の為に士官学校から帰ってきたエドガーは、今年十五歳になる思春期真っ只中の男の子だ。
なので、最近ヴィヴィアンがうざったい。
嫌いなわけではない。
……でも、うざい。すごくうざい。
『どこ行くの? ヴィヴィも行ってもいい? ねえ、いいでしょ?』
『エド、今日観劇に行こぉ!』
『ヴィヴィ、三番街のお菓子屋さんのマカロンが食べたいなぁ。ねえ、エド、買ってきて? お願い』
『エド、お洋服買いに行くから付いてきて?』
『やだやだやーだぁ! エドと行きたいのっ! お友達との約束なんて断ってぇええええ! ヴィヴィといてぇええええ! お願いお願いお願いお願い〜〜〜〜!』
お願いという名の我儘に、エドガーの堪忍袋はブチ切れそうだ。
両親に文句を言っても『可愛い我儘じゃないか、聞いてあげなさい』と返ってくるので、ヘイトが溜まって仕方がない。
騎士たるもの女性に優しくしなければならないということ分かっている。分かってはいるのだが、エドガーの気持ちもどうか分かってほしい──男友達とだけで馬鹿みたいなことでゲラゲラ笑ったり、青臭い夢を語ったりしたいのだ。
それにヴィヴィアンが好きな観劇も、洋服屋も、お菓子屋も、エドガーは全く楽しくない。
……我儘で自分を振り回す彼女と、自分はうまくやっていけるのだろうか。
そんなことを思っているある日、グレッドヒル公爵家の行方不明になっていた公女が見つかった。
公女は赤ん坊の頃に攫われ、死んだとされていた。
しかし、どんな経緯かは不明だが、食堂の娘として育ち、つい先日発見されたとのことだった。
そんな公女は、エドガーと同い年の十五歳で、婚約者のヴィヴィアンとは二つ違い。
というわけで、エドガーは貴重な夏季休暇中に、ヴィヴィアンと一緒にグレッドヒル公爵家の公女の帰還を祝うパーティーに参加することとなったのである。
◇◇◇
「ねえ、エド? 公女様ってどんな方だろうねぇ」
大好きなエドガーの腕に抱きつきながら、ヴィヴィアンはご機嫌だ。
「さあな」と言う彼は照れ屋さん。
「もう、意地悪な言い方しないでよぉ」
「おい、あんま引っ付くな」
「やだよーっだ」
引っ付くなと言いつつも、腕を振り払わないエドガーが優しいのはヴィヴィアンが可愛いからである──と、ヴィヴィアンは本気で思っている。
ヴィヴィアンはエドガーが大好きだ。
十三の年に士官学校に入学した彼は、年々口が悪くなっているけど昔からずっとヴィヴィアンに優しい。ヴィヴィアンが可愛いからだろう。
可愛く生んでくれた母と父に感謝である。
家に帰ったら、両親にお礼を言おう。
グレッドヒル公爵家のパーティーは、ガーデンパーティーで、素敵な庭と美味しい軽食やお菓子にヴィヴィアンはとってもご機嫌だった。
行方不明だった公女に挨拶をされるまでは──
「はじめまして、カトリーナ・マーガレット・グレッドヒルと申します」
公女・カトリーナは美しかった。
金の髪に碧の瞳を持つ公爵夫人と瓜二つの公女は、平民として十五年育ったとは思えない美貌と気品があり、眩しいほど。
横をちらっと見ると、エドガーがぽうっと顔を赤らめている。
……ムカつく。
ヴィヴィアンの方が可愛いと言わせたい。
今、この場で。彼にそれを言わせたい。
後に、ここでムキになってしまったのが良くなかったとヴィヴィアンは気付くのだが……遅過ぎた。
「ねえ、エド! ヴィヴィの方が可愛いよね? ね?」
カトリーナに聞こえるようにエドガーに耳打ちをし、ふんっと生意気そうな顔を公女に向けた。
カトリーナは大人だった──平民として育ち、いきなり公爵令嬢として迎えられた彼女の大変さを分かってあげられないヴィヴィアンの幼稚さが際立つほどに。
「お前、失礼なこと言うなよ」
エドガーはヴィヴィアンを叱った。
恥ずかしいと思わないのか、と続けて言い、軽蔑の視線を寄越してきた。
「申し訳ありません、まだ子供で」
エドガーが頭を下げるようとした時、カトリーナはそれを手で制した。
「いえいえ、とっても可愛らしい嫉妬だわ。アレクサンダー伯爵令息が愛されている証拠ね」
「……エドガーでいいですよ。同い年ですし、気楽にお呼びください」
「あら、そう? では、エドガーも気楽な言葉遣いで話してくれる?」
「はい、じゃなくて……うん。よろしくな、カトリーナ」
「よろしくね、エドガー。あの、ねえ、よかったら、ヴィヴィアン嬢も……」
「気安く呼ばないでっ」
手を差し出してきたカトリーナの手を、ヴィヴィアンはぱちんと払った。
そんなに痛くはしなかった。と、思う。ヴィヴィアンの手も痛まなかったから。
だけど、カトリーナの悲しそうな表情を見たエドガーは怒った。叱ったのでなく、怒ったのだ。
ぎゅっと腕にしがみついていたヴィヴィアンを、エドガーは初めて振り払って、怒った。
ヴィヴィアンはその場から逃げた。
走って、走って、日の当たらない裏庭まで走った。
追いかけてきてくれると思ったエドガーは、追いかけてきてくれなくて何度も振り返った。
でも彼はいくら待ってもヴィヴィアンを追いかけてきてはくれなかった。
そして唐突に、ヴィヴィアンの胸にカトリーナへの嫉妬の炎が燃え上がる。
あの女を、泣かせたい。
不幸になってほしい。いや、この世から消えてほしい。死んでほしい。
それが無理なら、あの綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやりたい。
どうしてやろう……と、思いながら流れる涙を拭っていると、風にハンカチが攫われた。
今日は本当に嫌なことばっかりだ。
落ちたハンカチを拾い上げようとして……ハンカチの隣に古びた本があることに気が付いた。
いつもなら絶対拾わない、古びた、そして毒々しい赤紫色の装丁をしている本を、ヴィヴィアンは拾い上げる。
その本のタイトルには『悪役ヴィヴィアンの一生』と書いてあった。