君と過ごす学校生活
以前の文章は、活動報告に保管しています。
「転入生の、羽瀬田リュウ君と澤谷アヤカさんです」
担任教師の紹介を受け、教室の前で立つリュウとアヤカ。彼らの姿に全ての視線が集まり、教室は一瞬にして彼らへの興味と好奇心で溢れた。
ここは裕福な家庭の子供たちが通うプライベートスクール。
美しいキャンパスが広がり、敷地内には手入れが行き届いた芝生や繊細な庭園、美しい花壇が並んでいた。洗練された校舎には、最新の設備と技術が駆使され、生徒一人ひとりへの教育に熱心であった。
この学校では、一つのクラスに15人程度の生徒が在籍する、一般の学校とは異なる規模感があった。
この学校は制服があり、男子生徒は黒いブレザーにひざ丈のズボンとネクタイ、女子生徒はグレーのブレザーにブルーのチェックのリボンとスカートで、特に女子生徒の制服はかわいいと評判だった。
楽しみにしていた制服を着ての初登校に、アヤカは胸を躍らせていた。
アヤカはいつも通りの笑顔を浮かべ、軽く手を振ると男子生徒からの歓声が上がった。
その騒ぎに先生が軽く手を叩き、皆が静まるのを待った後リュウとアヤカは隣り合わせの席へと落ち着いた。
席に着くなり2人は生徒みんなに囲まれた。
日本人とは違う金髪と青い瞳を持つ彼女の姿に、男の子も女の子も、好奇心が抑えられないようだった。
どこから転校してきた?今までの学校はどうだった?
質問が雨あられと降り注ぎ、リュウとアヤカはしばらくその質問に返すのでせいいっぱいだった。
「緊張したね」
皆が去り、アヤカはリュウに小声で話しかける。それに答えるようにリュウは微笑み、小さく頷いた。
(隣の席になったのは、澤谷さんが手を回してくれたんだろうな)
リュウは周りを見渡して状況を確認した。まず自分の机を確認し、教科書を整理してから教室内を見渡す。
その一方で、アヤカは静かに彼の様子を見守っていた。彼女のライトブルーの瞳は彼の動きを追い、慎重に周囲を探索する様子に彼女は徐々に違和感を感じ始めた。
一方リュウは、教室内の調査に入っていた。
正面には黒板があり、教卓の上に花が添えられている。画鋲で固定された連絡事項の用紙。後ろには生徒それぞれに用意された蓋付のロッカーと、掃除用具入れ。全てのアイテムが一般の学校よりもスタイリッシュにデザインされていた。
掃除用具入れの中をチェックすると、モップにほうき、ちりとりとバケツが一つ。教室内の配置を把握し終わり席に戻ると、アヤカが不思議そうな顔でリュウを見つめていた。
「リュウ君…何してるの?」
「教室内の、ものの配置をチェックしてました」
教室内は賑やかな声が響き、生徒たちが宿題や次の授業の話をしている。
生徒たちの動向を軽く観察し、怪しい動きがないと判断したところで一時間目の国語の授業の教師が入ってきて、皆に静粛にするよう呼びかける為手を叩いた。
新しい教科書に、ノート。開いて授業を聞くのをアヤカは待ちわびていた。
自宅での家庭教師との勉強しか経験していなかった彼女にとって、同世代の生徒に囲まれたこの状況は楽しみで仕方なかった。
一方、リュウは黒板に目を向けながら、教室の状況を常に把握していた。アヤカの様子をちゃんと見守りつつ、自分の勉強も怠らないようにしていた。
教室内は静かで、子供たちの集中した息遣いが静寂を破っていたが、リュウの注意は一瞬もアヤカから外れなかった。子供たちの態度や行動、表情に注目し、アヤカに対する不審な動きがないかを常に探る…それは彼の仕事の一部だった。
そしてアヤカが気付かないように、そっと彼女の方を見つめていた。
解けない問題に困っているときは、ちょっとしたヒントを投げかける。そしてアヤカが解答にたどり着くと、ほのかに微笑む。そんな授業中の時間も、リュウにとっては大切な任務の一部だった。
「リュウ君は、なんでもできるんだね」
感銘を受けた様子のアヤカに見つめられ、リュウは一瞬戸惑った。
「そうですか…?」
軽く微笑みながらリュウは筆箱に鉛筆を戻した。
「ノートの文字がとっても綺麗だし、私がわからない問題を教えてくれるもの」
リュウはその言葉に思わず自身のノートを見た。
「ああ、これは…字が汚いと依頼人に失礼になるので…」
苦笑しながら答えると、アヤカは驚いたような様子で彼の顔をじっと見ていた。
「アヤカさん、何か…」
見つめられ、若干冷汗をかいたリュウの表情が硬い事に気付き、アヤカは我に返った。
「う----ん」
唸りながら考え込むように天井を見上げたアヤカ。その様子に首をかしげながら、リュウは彼女の言葉を待つ。
「ボディガード…ボディガード…」
体をゆっくり左右に揺らしながら、繰り返しその言葉を呟くアヤカ。
(悩む時、揺れる癖があるのかな)
青い瞳は若干の困惑を映っていた。彼女の様子を見ながらそんなことを考えていると、やがて悩みの結論が出たらしく、アヤカはリュウの方を見て微笑んだ。
「ね、リュウって呼んでもいいかな…友達みたいに」
笑顔でそう言われ、リュウはいいですよ、と軽く頷いた。
「じゃあ、リュウも私の事アヤカって呼んでくれる?」
アヤカの申し出にリュウは一瞬戸惑った。
(これは、職務に該当するのか……??)
深い青の瞳が少しだけ泳ぎ、視線を戻すとまっすぐと視線を向けるアヤカの瞳が映る。想定外の事態に軽く混乱したが、落ち着いて自身の置かれた環境を頭の中で整理した。
(ここは学校。アヤカさんは同級生。言う通りにした方がクラスメイトとしては自然なのかもしれない)
「…わかったよ、アヤカ」
視線をずらして恥ずかしげな表情を見せながら答えるリュウに対し、アヤカは優しい笑顔を浮かべ、教科書に目を移した。
転入してきたばかりのリュウとアヤカにクラブ活動の申し出があったが、澤谷に門限を厳しく決められていた為アヤカはどのクラブにも所属することはなかった。
それでも彼女の一日はとても充実したものとなっており、一緒に学校に通うリュウに対する感謝で溢れていた。
帰りの時間。アヤカの迎えの車が来るまでの間、2人は放課後を図書館で過ごしていた。
広い図書館には最新の本が並び、広い読書スペースと大きな開放的な窓が配置されている。アヤカが図書館から借りてきた本は、物語や綺麗な絵が描かれた絵本が多く、その色彩豊かな絵画に彼女は目を奪われていた。
「私、リュウが初めての友達なんだ。リュウは…友達、いる?」
友達、と言われリュウは一瞬言葉を返しそうになったが、アヤカの笑顔を見て少しだけ微笑を浮かべると、何も言わずに首を縦に振った。
「いるよ。兄弟みたいに育った…親友っていうのかな」
「ねえ、リュウ…聞いてもいい?」
ふと質問を投げかけられ、あたりに警戒を張り巡らせていたリュウは彼女の方に視線を移した。
「どうして、ボディガードをしてるの?」
彼女の率直な質問にリュウは目を僅かに泳がせる。少し息を吐き、考えた後で口を開いた。
「前は少し危険な仕事をしていて…今の保護者と一緒に暮らすようになってから、ボディガードの仕事を提案されたんだ」
危険な仕事。その言葉にアヤカの声がふいに小さくなった。
「その……前にした、危険な仕事って、どういう仕事だったの?」
その質問に対して、リュウは一瞬、言葉を失った。遠くを見つめるその表情。頭に浮かぶのは過去の思い出。
「それは……」
彼の声は低く、少し震えていた。
(いずれ、明かされる事なんだ)
そう考え、彼は深く息を吸い込んだ。
「法の裏側の…あまり人に言える事じゃないけど。暗殺とか、スパイとか…そんな事をしてたんだ」
アヤカは予期せぬ告白に一瞬言葉を失った。
「リュウ…ごめんなさい、私」
「いいんだ、澤谷さんは知ってる事だし」
リュウは穏やかに微笑みながら、アヤカが自分の昔の仕事の事を聞いても、一切物怖じしない事に少しだけ驚いていた。
「僕の昔の仕事を聞いても、怖がらないんだね」
「リュウの事が知れて、嬉しいもの」
そう言って、彼女はリュウの頭に少しだけ触れた
「!?」
急に頭に手を触れられ、驚いたリュウは少しだけ後ろに引き下がった。目の前に映るのは、きょとんとした瞳で自身を見つめるアヤカ。
「そっか、リュウは見えないんだ」
アヤカはリュウに近づき、その瞳をじっと見つめた。
そのまましばらく時間が流れ、リュウの額にはうっすらと汗が滲んできた。
「えーっと、アヤカさん」
上ずった声で絞り出すようにそう言われ、我に返ったアヤカは再び考え込んだ。
「うーーーーーーーん」
体を揺らしながら、天井を見つめるアヤカ。対するリュウは、先程からの彼女の大胆とも不可思議とも言える言動と振舞いに、軽く混乱していた。
(何を考えてるんだろう…)
体を横に揺らしながら、ゆっくりと図書館内を歩き、時に天井を見上げるアヤカ。
そのまましばらく沈黙が流れた。やがて彼女の中でひとつの結論が出たらしく、笑顔を浮かべるとリュウのもとへ近寄った。
「ね、今度私の友達に会ってくれないかな」
(友達は僕が初めてって言ってなかったっけ)
内心で突っ込みを入れるリュウ。しかし、彼はそれについて深く探ることはしなかった。それはボディガードとしての本能。依頼人の私生活を尊重し、詮索を避ける日常的な仕事のひとつであった。
「うん、どんな人?」
リュウの問いにアヤカは笑顔で答えた
「私をずっと守ってくれてる、大切な存在なんだ」
彼女の言葉は人という言葉ではなく、存在という抽象的な表現を選んでいた。
「ここにね、存在がいるの…わかる?」
アヤカが指さしたところには、何も見えず彼女の細い指先だけが揺れている。
「何も…見えないけど」
リュウが不思議そうに答えると、アヤカは図書館の至る所を包むように、両手を広げた。
「温かかったり、冷たかったり、嬉しくなると気持ちいい風を運んできてくれたり…そんな精霊たちがこの世界には、たくさんいるの」
彼女は幸せそうに微笑んだ。
「リュウなら、いつか見えるようになると思う…その時は仲良くしてあげてね」
その言葉を聞きながら、リュウは彼女と初めて出会った時の様子を思い出した。風に揺られ、光に囲まれ、彼女の周りに花が咲き乱れていたあの瞬間のこと。
ふと、アヤカが笑いかけた。
(どこを見てるんだろう)
彼女の今の笑顔は、自分に向けられたものとは違う。そう感じ、リュウは首をかしげる。
「ね、リュウは勉強は何が好き?」
そして好奇心に満ちた瞳で投げかけられた質問に、思わず苦笑した。
「僕の話なんて聞いて、楽しい?」
その言葉にアヤカは再びふわりとした笑顔を向け、まっすぐとリュウの瞳を見つめた。
「うん!私…リュウの事がもっと知りたいな」
彼女の瞳はどこまでも澄んで光を放ち、吸い込まれそうなほど輝いていた。純粋に自分への興味をあらわにされ、リュウは少し言葉に詰まりしばらく固まる。
そしてふと、彼女が圧倒的な美少女である事を思い出し、自分の頭が少し火照るのを感じた。
「あ、アヤカ、わかった…!質問に答えるから」
彼は自己防衛のように繰り出した。リュウが視線を逸らすとアヤカは彼を不思議そうに見つめた後、再び笑顔を向けて質問を再開した。
その後、リュウは澤谷の車が到着するまでの間、アヤカの質問攻めに遭った。
好きな食べ物、趣味や好きな勉強…いままでどんな勉強をしてきたか。ボディガードになる為にはどんな勉強が必要なのか…。
リュウは彼女の質問に対して、全てを率直に答えた。
得意な科目は算数であり、毎朝友人のダイスケとトレーニングをしていること。好きな食べ物はハンバーグで、家では料理当番になることが多いこと。そして現在の保護者は25歳で科学者を志す男性、ナオキであり、ダイスケとともに彼の元で生活していること。
趣味はボディガードの仕事に必要な法律と語学の学習であると答えた時、それは趣味ではなく勉強だと指摘され苦笑いを浮かべた。
それから何を答えただろうか…
得意料理は何かと聞かれて、オムライスと答えると、今度食べたい!とアヤカははしゃいだ。
アヤカの質問は帰りの車中でも絶えず、無事に澤谷の所へ送り届けた時にはリュウはほんのりと疲労を感じていた。。
「お父さん、リュウってすごいんだよ。ボディガードになる為にたくさんの勉強をしているの」
娘の嬉しそうな様子を見て澤谷は微笑を浮かべた。
「リュウ君、娘を送ってくれてありがとう。また明日も頼むよ」
彼女を家に送り届け安堵したリュウは、時計を見ると17時だった。深く息を吸い、一日の出来事を振り返る。
アヤカは明るく、好奇心旺盛な少女だった。
初日の疲れはあったが彼女の明るさに心が温まると共に、無事に一日を終えられたことに少しの安堵を覚えた。澤谷邸を後にするリュウの心には、新たな日々への期待感が満ちていた。
バスを降り、目の前に広がるのは田舎の田んぼ道。すっかり日は落ち、あたりは暗くなっている。あたりに響く虫の鳴き声を聞きながらしばらく歩いた先に、リュウの暮らす小さな研究所はあった。
「おかえりなさい、リュウ君。初仕事はどうでしたか?」
男の声がリュウを出迎えた。
今日はいろんなことがあった。
新しい仕事…
新しい依頼人…
アヤカとの会話…
それはリュウの今までの人生で初めて経験した事ばかりだった。
「いい事があったみたいですね。あとで聞かせて下さい」
「うん、食事の支度手伝うよ」
「ありがとうございます」
今日の事を思い返しながら、リュウは家に入る。明日も頑張ろうという決意を胸に、彼は家の扉を閉めた。