13.レイナートの望み
レイナートはレシアへの想いを自覚してすぐ、領地にいるルキルス伯爵にレシアへ婚約を申し出る許可を求める手紙を送った。
こういうところが貴族の面倒なところで、まずは家長に許しを得なければならない。レイナートの両親は彼の恋心などとっくに見抜いていたから反対どころか、遅い、という小言付きの返事が届いた。
次はレシア側の根回しだ。レシアの心を得られるか決まっていないのに、彼女に思いを伝えてもよいという許可を得なければならない。
これで求婚を断られたら恥もいいところだが、レイナートには明確な勝算があった。レシアも自分と同じく自覚していないだけでレイナートのことを好いている、それは頬に朱が走ったあの表情でわかるというものだ。
むしろ、今から対話する相手のほうが素直に頷いてはくれないだろうという予感があった。
「ラウル殿下」
レイナートの改まった物言いにラウルは嫌な予感がした。そんなラウルにお構い無しで、
「以前、保留にさせて頂いた恩賞ですが」
「望みの物が見つかったか?」
「はい!」
物欲があまりないレイナートは今まで恩賞をほとんど受け取ってこなかった。他の者に示しが付かないと言えば、その金でヒュートの皆に酒樽を送ってやってくれ、と言う。そんな彼が自ら強請るなど珍しい。
「レシアを俺に下さい」
レイナートの言葉を聞き間違えたかと思ったラウルは隣に立つ側近を見る。常に冷静沈着な彼が固まっているということは、どうやら聞き間違いではないようだ。
「レイナート、念の為に聞くが、レシアというのは件の魔法使いではあるまいな?」
「いえ、そのレシアです。俺は他にレシアという名の人物を知りません」
「そうか、奇遇だな。わたしも彼女以外に心当たりがない」
殿下もですか、とレイナートはいつも以上に爽やかな笑顔を見せ、
「承知頂けますね?」
と、圧力をかけてくる。王族に圧をかけられるのはこいつくらいだ、そして陛下もそれを良しとしている。
陛下はレイナートの実直な人柄をことのほか気に入っておられる。貴族社会は本音と建前が渦巻く百鬼夜行、裏表のないレイナートを気に入るのは自然なことで、かく言うラウルも嫌いではない。
できることなら彼の望みを叶えてやりたいが、本当に魔法が使える魔法使いの進退は王弟の一存では決められない。
「話は聞いた、だが、陛下のご判断を仰がねばならん。それにスマイソン侯爵令嬢はどうする気だ」
ブリジット・スマイソン侯爵令嬢。スマイソン侯爵はヒュートの運営に関わる役職に就いている。その娘であるブリジットも父を助け、一部事業を担っている。
彼女がデビューを終え社交界入りすると、誰が言い出したのかヒュートマスターとの婚約が噂され始めた。未婚の男性マスターは複数いるが、侯爵令嬢の嫁ぎ先ならば最低条件として爵位が必要だ。
レイナートとウォルトは爵位を持っているが、ウォルトには領地がない。その観点から、ブリジット嬢のお相手はルキルス領を持つルキルス家の令息、つまりレイナートに違いない、という噂がまことしやかにささやかれている。
「あれはただの噂に過ぎません、その証拠にスマイソン侯爵から内々の申し込みすら来ておりません」
もちろんお話を頂戴しても断りますが、とレイナートは失礼なことを言っている。
「だとしても、お前がレシア嬢を選べばブリジット嬢は捨てられたと醜聞を被ることになる」
「俺と彼女の間にはなにもない、捨てるという発想がおかしい」
「それを面白おかしく語るのが社交界だよ」
ラウルは声を荒らげるレイナートを諭すように言い、
「少なくともブリジット嬢の件が片付くまでは無理だ」
と続けた。そう言われて初めは面白くない顔をしていたレイナートだったが、急に笑顔になって、
「ではそれが解決すればお認め頂けるのですね?」
と言い、ありがとうございます、とさっさと話を打ち切った。
「そんなことは言ってない。先程も申した通り、わたしの一存では決められない」
「では陛下にお伺いを。きっと賛成くださる」
レイナートはとんでもない捨て台詞を吐いて、意気揚々とラウルの執務室を出ていってしまった。彼の言葉を一蹴できない自分が恨めしい。陛下は喜んで許可するだろう、そしてラウルに言うのだ。
『諸々の調整は任せる』
その調整が困難を極めると承知の上でラウルに命じるのだ。
しかしレイナートに好いた女ができたことは喜ばしい。彼はいつも他者を優先し、自分のことは後回しにする傾向がある。そんなレイナートが始めて欲しいと手を伸ばした存在がレシアで、添い遂げさせてやりたいというのはラウルの素直な思いだ。
「陛下に面会を申し入れてくれ」
ラウルの命令に側近も微笑んで、承知しました、と言った。
賢者の学院からレシアの訪問を許可する書状が届いた。レイナートは当然のように同行するつもりでいたが、間の悪いことに隣国での長期任務が入ってしまった。
「じゃぁ俺が行くよ」
「却下」
手を挙げたウォルトをレイナートは一刀両断にする。
「なんだよ、俺でもいいだろ」
「おまえにも任務があるだろう」
あんなの三日で終わるレベルだ、とウォルトはわめいているがレイナートは取り合わない。ふたりのやり取りにシェリスがため息交じりで言った。
「今回はわたしが行きましょう」
その提案にはレシアが思いのほか嬉しそうな顔をし、それをレイナートに見咎められる。
「君は俺の護衛が気に入らなったのか?」
「そうじゃありません、でもシェリス様はお強いから」
「俺は弱いか?」
「まさか」
レシアはどう説明したものか考えた。
力で来られたら非力な小娘でしかないレシアはその部分をなんとかしたいと考えており、思いがけずシェリスの体術を知ってからは、それを習いたいと思っていたのだ。
この手の話をレイナートにしたところで『俺が守るから問題ない』で終わってしまう。しかし、四人しかいないヒュートマスターのうち一人をレシアが護衛の為に占有しているなど許されるはずもない。
つまりは、独り立ちをしたいレシアと、いつまでも手中に収めておきたいレイナートとの攻防というわけだ。
「いいじゃありませんか。女の子同士、仲良くお出かけしましょう」
トラヴィスからレシアが体術に興味を持っていることを聞いていたシェリスは事情を察してそう宣言し、レシアも二つ返事で承諾した為、賢者の学院への護衛はシェリスが務めることになった。
とはいえ、シェリスもすぐに動けるわけではない。ヒュートマスターはみな多忙で、シェリスは今抱えている案件を片づけてからとなる。
「出発はもう少し待ってくださいね」
シェリスの申し出にレシアは、よろしくお願いします、とうなずいた。
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