夏風
「先輩、すみません。お願いします。」
「おう。」
俺は寝室にいる森野からキャリーカートを受け取ると、玄関の上がり口に横向きに置いた。
スマホや、化粧品など、手持ちの荷物をまとめていた森野が後からパタパタ追いかけてきた。
「これで準備オッケーです!」
「自分から頼んどいて何だけど、本当によかったのか?せっかく帰って来て、すぐ出る事になってしまって。もう少し実家でゆっくりしてからでもよかったんだぞ?」
森野が俺と一緒にシェアハウスに戻ると言ったときの
ご両親の寂しそうな笑顔を思い出して、若干申し訳ない気持ちになっていた。
「いえ。もう十分ゆっくりできました。それに、寂しくなったら、また、いつでも帰れますしね。自分の家ですから。」
「そ、そうか?」
「りんごー?荷物用意出来た?忘れ物はない?」
奥から森野の母親の声が聞こえてきた。
「うん、大丈夫ー!」
「じゃ、お父さん達呼んでくるわね。」
奥から森野の妹、弟がバタバタ駆けてきた。
「ええー!りんごちゃん帰っちゃうの?ずっとここにいるって言ったじゃん!」
「うん…。ごめん、いーちゃん。でもまたすぐ遊びに来るから…。」
「前出て行くときもそう言って、ずっと帰って来なかったじゃん!出て行かないでよ、りんごちゃん!ここは王子様もお城もないけど、家族皆いるんだよ?苺のとっておいた、プリン食べちゃっても、もう怒らないからぁ!お願い!!」
「いっ、いーちゃん…。」
森野は目を潤ませた。
「そうだよ。りんごの家はここだろ?出ていくなよ!りんごが、ここにずっといるなら、結婚してやってもいいぞ?」
?!
「えっ?かっくん好きな子がいるって言ってたじゃん。クラスメイトの美奈子ちゃんははもういいの?」
「今は美奈子じゃなくて、結香が好きだったけど、そっちは諦めてもいい!」
「無理してない?かっくん。口元ピクピクしてるよ?」
「し、してないっ。だから、りんごはここにいろ!」
「かっくん…。」
「森野、結婚の事って何だ?」
聞き逃がせない俺は一応突っ込んだ。
「ああ、私、以前何度か、勢いでかっくんに「結婚して」って言った事があって…。毎回秒で振られてるんですけど…。」
「どういう事があったら、何度も弟にプロポーズするんだよ?」
「えへへ…。」
森野は誤魔化すように頭を掻いた。
二人の妹弟の表情は真剣で、森野は二人を振り切っては行くのが忍びないようだった。
俺は少し屈むと、二人の妹弟に笑顔を向けた。
「苺ちゃん、柿人くん。君達はお姉さんに家にいて欲しいんだね。
でも、その気持ちはお兄さんも同じなんだ。ごめんね、お姉さんを連れて行かせてくれ。」
「「……。」」
妹弟は、明らかにしゅんとした顔になった。
「でも、お兄さんとお姉さんの住んでいるところは、ここから電車で二駅先にある、お城でもなんでもない普通のお家なんだ。君達がお姉さんに会いたくなったら、いつでも遊びに来ていいんだよ?」
「先輩…!」
妹弟は顔を見合わせた。
「本当?いつでも行っていいの?」
「ああ、もちろん。」
「なぁ、そのお家って大きいのか?」
「うーん、そんなに大きくないけど、二階建で、ちょっとだったら庭もあるよ?小さいビニールプールぐらいだったら入るんじゃないかな?」
妹弟は、途端に目をキラキラさせ始めた。
「プールやりたい!」
「ねぇ、いつ遊びに行っていい?」
「うん…。そうだな、明日から期末テストだから…。」
「うぐぅっ。」
隣で森野が変な声を出した。
「来週以降の土日のどっちかで、お父さんお母さんがいいって言えば、いいよ。」
「やったぁ!」
「楽しみ!」
妹弟がぴょんぴょん飛び跳ねている。
「先輩。いーちゃん、かっくんの為にありがとう。」
「いや。別にお礼を言われる事では…。」
情にもろい森野は妹弟に引き止められるとまた実家に戻るって言いだしかねないからな。
別に兄弟の為でも森野の為でもなく、結局は自分の為なんだけど。
「ところで、森野。さっき呻いていたが、期末テストの勉強は進んでるのか?」
「うっ。いや、あの…ここ何日か寝れてないときに、暗記科目は結構やったのですが、数学が…。」
「帰ったら猛勉強だな…。」
俺は小さくため息をついた。
やっとの思いで、森野にシェアハウスに戻ってもらえる事になったが、残念ながら当分の間甘い空気にはなりそうもない。
「仕方ないですね。楽しい事と大変な事は順番こに来るものですから。」
森野はどこか、悟ったように苦笑いをした。
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あれから、森野の家族に挨拶をして、実家を出た俺と森野は最寄り駅に、続く住宅街を歩いていた。
俺はキャリーカートを右手で転がしながら、跳ねるようにるんるん歩く森野の横に並んでいる。
「ありがとう。先輩。迎えに来てくれて嬉しかった。私は家族でも友達でも、全力ダッシュで自分から追いかけて、しがみついているような子だったから、誰かが追いかけて迎えに来てくれるなんて初めてで!何かすごーく胸にグッときちゃいました!!」
森野に全力の笑顔を向けられ、俺は少し視線を逸した。
「あ、ああ…。」
こいつは相変わらず直球だな…!
「今度の事で、私は家族の事が大事だとわかったのだけど、先輩と生活しているあのシェアハウスも、もう一つの私の居場所だと思ったんです。」
「森野……。」
「先輩は、もう私にとって同じお家で暮らす私の大事な家族です。だから、先輩、その家族として一つお願いしたい事があるんです。」
向き直って、正面から見た森野は、とても真剣な表情をしていた。
「何だ?」
「私を…名前で呼んでもらえないでしょうか?」
「……!」
「私の名前は、私が3歳の時に亡くなった実の母がつけたもので、島崎藤村の歌からとったそうです。」
「ああ…。国語の授業でやったやつか?
確か『初恋』だっけ?」
‘’まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけり‘’
冒頭部分を思い出し、嬉しそうに頬を染めている目の前の少女に重ね合わせると何やら面映い気持ちがした。
「はい。私を産んでくれたお母さんがつけてくれて、今のお母さん、お父さんが兄弟に繫いでくれた大事な名前です。先輩にも呼んで欲しいんです。」
「森野…林檎。今更「ちゃん」とか「さん」とか敬称はつけないぞ?」
「はい。ぜひ『りんご』と呼び捨てで!」
俺はちょっと咳払いして、その名を呼んだ。
「りんご。」
「はい。先輩!」
森野は嬉しそうに返事をした。
「先輩の『浩史郎』というお名前はどういう由来があるんですか?」
「『浩史郎』?まぁ、『史郎』は里見家の長男に必ずつけられる名前だそうだ。うちは会社やってるから、分かり易くていいという理由もあるみたいだな。父は『爽史郎』祖父は『東史郎』だ。『浩』は父が付けた。『浩』という字には、広い、大きい、豊かなという意味があるから、文字通り、そういう人間になるようにという思いを込めたらしいぞ。」
まぁ、『浩』という字には、『いばる』とか『おごる』という意味もあるのだが、森野にからかわれそうだし、父はそもそもその意味をくんでつけたワケではないだろうから言わないでおいた。
「代々受け継がれて、お父さんから付けてもらった大切なお名前なんですね。
先輩のお父さんが、厳しい態度をとるのは、きっと先輩に期待をかけてるからなんでしょうね。」
「どうかな?期待ハズレの事ばかりしでかして、もう諦めてるかもしれないけどな。」
「そんな事ないですよ。シェアハウスに入居させたのも、先輩の成長を期待しての事だったと思いますし。子供が考えているよりは、親は子供の事を想ってくれているものですよ?」
「そういうものかな?」
「そういうものですよ?」
そう言って、森野はどこかふっきれたように、軽やかに笑った。
この二日間で、家族とどんな交流があったのかは知らないが、その交流が、森野を心ゆくまで満たしたことは間違いがなかった。
その横顔を見ると、寂しくて泣いていたときが嘘のように、今はすっきりした表情をしていた。
透明感のある猫のような瞳に思わず見惚れていると…。
「浩史郎…。」
こちらに向き直り、いきなり名前を呼ばれて驚いた。
「…先輩と、私も名前を呼んでもいいですか?」
「い、いいよ。別に。」
「やったあ!ちなみに、浩史郎先輩。さっき一瞬ボーッとしていましたね?今何を考えていたか、当ててあげましょうか?」
小悪魔な笑顔を向けられ、俺は思わず動揺した。
「えっ。いやっ、な…、何だよ?」
「ふふっ。『今日の夕食はまいたけハンバーグが食べたいな』と思っていたでしょう?」
「それは、森…、りんごが今思ってることだろうが!」
「そうでした。」
額を手で打って、りんごはペロリと舌を出した。
何のかのと言い合いながら歩く二人の髪や服のすそを、初夏の暖かい風が揺らしていた。
これにて、完結です。
最後まで読んで下さり本当にありがとうございました。
ブックマーク、評価下さり、嬉しかったです。
ありがとうございます(;_;)
この上お願いするのも申し訳ないのですが、
今後の作品作りに役立てていきたいと思いますので、一言でも、酷評でもよいので、ご感想を頂けると大変有り難いです。
できたら宜しくお願いします。
続編は出すべきかどうかも含め迷い中ですが、
取り敢えずは不定期で番外編を出していけたらと思います。
その時はまた、宜しくお願いしますm(_ _)m




