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母と娘

森野は家の電話番号を押すと、受話器を握りしめ、家族の応答を待った。

俺はリビングの席からその様子を見守った。


「あっ。お、お母さん?…うん。りんごです。」


やがて、母親が電話に出たらしく、森野は緊張した面持ちで、話しかけた。受話器を持つ手が僅かに震えていた。


「う、うん。大丈夫。今まで連絡しなくてごめん。ちょっと話があるんだけど、いいかな?う、うん…。

私、お母さんにずっと聞きたい事があったんだ…。あの、お父さんお母さんが学校に呼び出されて、里見先輩と許嫁と同居の話が出たときの事なんだけど…。うん…、そう。あの時さぁ…。」


森野は緊張のあまりか、真っ白な顔でふぅっと息を吐くと…。


「お母さん、私が男の子苦手なの分かってて、

どうして、里見先輩との許嫁と同居をあっさり許しちゃったの?私に家を出てほしかった?私、そんなに邪魔だった?血の繋がりのない私は家族にとっていらない子だったのかな?もし、そうなら今ここで、正直に答えて欲しい。」


森野は言いたい事を全部言うと、ギュッと唇を噛み締めて、目を瞑り、母親の返答を待った。


そして…。


「へっ?」


母親の返答が意外なものだったのか、森野は目を丸くした。


「え、いや、だって!あの時はお父さんお母さんが喜んでるのにそんな事聞けなかったし。……!や、そ、それは、ごめんだけどっ。……!…!

う、ううっ。ご、ごめんっ。ごめんなさいっ。

ごめんなさいっ。わ、分かったぁ。お母さんごめん、うわぁーん!!ああーん!!」


何だか知らないが、森野は猛烈に母親から怒られているらしかった。

俺はハラハラしながら号泣する森野を見守っていた。


「お母さん…。うん?……!私、そんなんだった?う、ううん…。そんな事ない。たのし…かった…。だけど、私、ホームシックになっちゃったみたい。お母さんに、お父さんに、いーちゃんに、かっくんに会いたくて、毎日会いたくて泣いてて、さ、里見先輩に、すごく迷惑かけちゃって、夢ちゃんにも、心配かけちゃって…。わ、私、自分で思ったより、子供だったみたいで、すごく恥ずかしい…。うん…。そ、それで、お母さん…。」


森野は時に嗚咽をもらしながら、途切れ途切れに自分の現状を語ると、やっと自分の望みを口にすることができた。



「わ、私、明日家に帰ってもいいかな…?」



次の瞬間森野はホッとしたような笑顔を浮かべて、また涙をポトポト落とした。



「あ、ありがとう。うん…。私帰るね。」



ま、もう大丈夫だろ…。

最初から分かってたけどな。心配せずともあの母親なら森野を拒否する事なんて絶対にないって。


俺は静かに立ち上がると、夕飯の後片付けを始めた。


食器をシンクに運び、軽く水洗いして、食洗機にかけながら、俺は以前森野の母親から聞いた話を思い出していた。


*********************


「これは、言おうかどうしようか迷っていたのだけど…。いえ、本当は許嫁の話が決まった時点で話して置くべきことだったのだけど…。」


森野の母親は苦い表情で言葉を切った。


「実は私とりんごも血が繋がっていないの。」

「え…?」


聞いた瞬間耳を疑ったが、同時に心のどこかで妙に納得していた。

森野の母親に対する深すぎる愛着。家族に対する態度への不自然さ。今まで感じていた森野の言動への違和感の正体がやっと分かったような気がしたのだ。


「あの子の父親は雅宗久滋郎っていう結構名の知れた作家だったの。ふふっ。って言っても今の若い子はあまり知らないかもしれないけど。」


俺は思わぬところでその名を聞いて驚いた。


「いえ、知ってます!祖父が好きで、よく彼の小説を読まされていたので。」


「本当?浩史郎くん。博学だねぇ!」


森野の母親は嬉しそうに目を細めた。


「若くして亡くなったのを、これからが期待される作家だったのにって、祖父がとても残念がってました。」


「ええ…。雅宗はあの子が中1のときに病気でね。」


森野の母親は陰りを含んだ瞳をそっと伏せた。


「あの子とは、私が保育園に勤めてるとき出会ったんだ。あの子は4才の園児。私は先生としてね。

りんごの母親はりんごが3歳の時に病気で亡くなって、それからは父親と二人暮らしだったんだけど、その父親の雅宗は仕事にかまけて、家政婦さんや保育園に預けっぱなしでほとんどりんごを放ったらかしだったみたい。

最初に出会ったときのりんごの印象は、無表情で反応が薄い子。今じゃ考えられないでしょ?」


りんごの母親はいたずらっぽく微笑んだ。


確かに…。

喜怒哀楽の激しい今の森野からはそんな幼少時の姿は想像もつかない。


「園のお知らせは一切見ない。行事も保護者面談もろくに出席しない。そんな父親にキレて、ある日自宅に直談判しに行った事があるの。そしたら、向こうは意外にも平謝りで、すぐに態度を改めるって言ってくれたの。何かに秀でている人はどっか大事なところが抜けてるものなのかしらと思って呆れるを通り越してもうなんか可笑しくなってきちゃってね。

それからも、何かと親子(むしろ親の方が手がかかる。)の世話を焼いているうちに、いつの間にか私は雅宗もりんごも大好きになってた。

時折りんごは可愛い笑顔を見せてくれるようになった。

そんな時雅宗からプロポーズされて、嬉しかった。しばらく3人での生活が続いたのだけど…。

半年も経たないうちに、雅宗が、家を空ける事が多くなってきたの。仕事だって言ってたけど、まぁ、他に女の人がいるんだなって事は何となく分かって…。私は大好きな人の気持ちが離れていく寂しさや辛さを隠しきれなかった。

それがりんごにどんな影響を与えるのかまで気が回らなかった。


離婚するときに雅宗が書面で伝えてきた事は、慰謝料は言い値で払うし、子供を引き取るつもりがあるなら、養育費も払う。こちらの親権は放棄するって事。

ただそれだけ。私の親族は怒り心頭で、

雅宗は自分の子供を相手に押し付ける為に私を利用したって。子供は養護施設に預けるべきだって言われたわ。

りんごは話し合いの場にはいなかったけど、どこかでその話を聞いてしまったのね。

私がりんごに離婚について説明しようとすると、自分から言い出したの。お友達といっぱい遊びたいから施設に行きたいって。人形みたいな笑顔を浮かべてた。

私は自分を含めて大人達の勝手な都合で、この小さな子にこんな顔をさせてしまう今の状況って何なんだろうと腹が立って腹が立って仕方なくって。

気づいたら、りんごの望みとは違うかもしれないけど、私のために一緒に暮らして欲しいってお願いしてた。

そしたらりんご、何て言ったと思う?」


森野の母親はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「『いいよ。どんと来い!』だって。男前でしょ?」


森野らしいと言えば森野らしいな。

俺は苦笑いを返した。


「それからは、シングルマザーとして働きながらりんごを必死に育てた。親族の反対を押し切って、りんごを引き取ったから、誰の助けも借りれずに大変だったけど、家でりんごが笑っててくれると不思議とどうにかやっていけるような気がした。再婚するときも、苺と柿人を産むときもりんごの気持ちを何より大事にしてたつもりだったんだけど…。

あれだけ避けられるって事は家はりんごにとって居心地悪い場所だったのかな?まぁ、親離れする時期でもあるのかも知れないけどね…。」


森野の母親は寂しそうに笑った。


「森野が槇絵さんを避けているのは、本心からではないと思います。」


「え?」


「森野言ってましたから。世界で一番好きな人はお母さんだって。」


森野の母親は目を剥いた。


「えぇっ?それ、りんごが言ってたの?もう高校生にもなった娘がそんな事を?」


「はい。俺も耳を疑いましたが、事実です。」


「そっ、そっかぁ。あの子こっ恥ずかしいコトいうなぁ。もう、そんな事苺も柿人も言ってくれないよ。」


森野の母親は赤くなって手をパタパタ仰ぎながら、焦ったように言った。


「だから、今槇絵さんを避けてるのも何か森野なりの理由があると思うんです。自分で説明できるようになるまでもう少し待ってやってくれませんか?」


「分かったよ。浩史郎くん。ありがとう。それ聞けて、すっごく嬉しかった。それと、少し寂しいかな。」


「?」


「それを聞かされるのがもう本人からじゃないんだね。私がりんごの一番でいられるのもあと少しの間かもね。」


「?それって、どういう…。」


発言の意図を問おうとすると、森野の母親は

それには答えず、にやっと笑った。


「浩史郎くん!」


「はい?」


「私がどうして男の子が苦手なあの子と浩士郎くんとの許嫁と同居を反対しなかったか分かる?」


「へ?そ、そうですね…。」


正直に言って、この話が出たときはうちの両親も頭おかしいと思ったが、すぐに16の娘を手放す決断をした森野の両親もどうかしていると思った。

学費の話もあったし、言い方は悪いが経済的な理由で仕方なく森野を里見家に売ったのかと思っていた。

だが、こうして森野の母親から話を聞いてみると例え血が繋がっていなくともお金の為に娘を売る親にはどうしても見えなかった。


だったら何故…?

男嫌いの森野と二股事件が発覚したばかりの俺との許嫁と同居を許したのか?


「分かりません…。」


「ふふっ。初めてお父さんからその話を聞いたときはもちろん、心配したよ?男子の前ではカチンと石みたいに緊張しちゃうような子が、許嫁なんて、ましてや同居なんて絶対無理だと思ったし。しかも、あなたみたいにイケメンくんで二…。モテる子はりんご特に苦手だと思ったしね。」


今、絶対二股って言おうとしたよな?言い換えてくれた優しさに俺はズキズキ胸が痛んだ。


「だけど、同時にあの子の男嫌いを直すチャンスでもあるかなと思ったんだよね。小さい頃私が雅宗のことで、苦しんでいる姿を見せてしまったせいで、りんごは恋愛に対しても、男の子に対してもすごくネガティブなイメージを持つようになってしまったでしょ?それをいつかどうにかしてあげたいと思ってた。

だから、私はりんごの表情を見て決める事にしたんだ。」


「表情…?」


「そう。あの子は感情を隠せないからね。もし、あの子が施設に行きたいって言い出したときみたいな作り笑いを浮かべてその話を承諾するなら私はその場で反対しようと思ってた。でも…。」


「どう…だったんですか?」


正直あの時、自分がいっぱいいっぱい過ぎて、森野の笑顔が不自然なものだったか記憶にない。


「うん。びっくりした事にりんごの浩史郎くんへの態度は他の男の子に対する態度と全く違ってて…。物怖じせず、何か言いたい事を言えてる感じだった。」


「そ、そうですか…。」

俺は少しホッとして言った。


森野の母親は人の悪い笑みを浮かべて更に続けた。


「許嫁と同居の話を進めて下さいって言ったときなんか、りんごは何か新しい事が始まるぞっていうピカピカの笑顔で、浩史郎くんはこの世の終わりみたいな青い顔してて…。ふふっ、二人の顔が対称的過ぎて私笑いそうになっちゃって…。」


「!!」


「ご、ごめんねぇ、浩史郎くんには悪いんだけどさ。私から反対する理由はもうないなって思ったの。ふふっ。くっ。」


森野の母親は笑いを堪えながらそう言った。


俺は思った。

この母にしてこの娘(もりの)ありと。


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