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苦手科目

「ただいま。」


俺が帰ると、家の中はしんとしていた。


いつもはうるさいくらいに元気に「おかえりなさーいっ!」と返ってくるのだが、今日は返事がない。


確か森野は先に帰ったはずだが、友達のところにでも行ってるのだろうか…。


と、思ったが、リビングの部屋は電気がついていて、テーブルに今とったばかりのような郵便物やチラシが置いてあった。


不審に思って、一応森野の部屋のドアをノックしてみる。


「おい、森野。いるのか?」


「いません……。」


部屋の中から小さくうめくような声がした。


「いるじゃねーか。ウソつくな!」


「いつもの元気な森野林檎ちゃんはここにはいないという意味です…。しばらく放って置いて下さい…。」


なんてことだ!

いつも元気で生意気な森野が、何やら落ち込んでいるらしい。

俺としては放っては置けなかった。

()()()()()()()()()()()()()()()()



「何ワケの分からないこといってるんだよ?開けるぞ!」


「あっ。ダ、ダメです。レディーの部屋に勝手に……!ああっ!」


ドアを強引に開けると、森野の部屋はそこそこきれいに片付いていた。ベッド上のクッションや床に敷いてあるマットなど、ところどころにりんご形の小物があるのが森野らしい。


「信じられない!デリカシーのない先輩ですね!早く出てって下さいよぉ!」


森野は、学習机の上にある何かを隠すように覆いかぶさって、叫んだ。


「何を隠しているんだ?」


「何も隠してません。」


「ふーん、森野は強情だな。でも、こっちはどうかな?」


俺は森野の無防備な脇腹をくすぐってやった。


「ああっ。先輩、やめ…!や、はは、あははは…。」


一瞬手の力が緩んだのを逃さず、森野が隠していたB4サイズの数枚の紙を手にとった。


それはテストの答案のようだった。


「数学I…23点、数学A…41点…だと?」


「何するのっ?返してっ!セクハラとプライバシーの侵害で訴えますっ!!」


真っ赤になった森野は俺の手からテストの答案を必死に奪い返そうとした。


俺は、森野の追手をヒラリと躱しながら、眉を顰めて言ってやった。


「ハハッ。どうしたらこんな点がとれるんだ?君はバカなのか?」


「きぃーっっ!そのセリフ今言われると最高にむかつく!!」


森野は地団駄を踏んで悔しがった。


「言っとくけど、ひどい点とったのは数学だけだから!他は皆平均より上だもの!」


「だけど君、特待生だろ?数学だけとはいえ、こんな点をとって大丈夫なのか?」


俺は静かにテストの答案を机に置いてやった。


「ううっ、確かにそうなんですよ。今受けている特待生の条件が五教科の5段階評定が18〜20になっているので、オール4ぐらいとらなければならないところを、数学が引き下げてしまうと…。今のところ飛び抜けて成績がいいのは国語ぐらいなので、ぎりぎりになってしまいます。

半年ごとの審査に落ちてしまったら、学費の半額免除が受けられない可能性があります。」


「今はウチの親が学費を出してるんじゃなかったのか?」


「その半額になった学費を出して頂いているんです。学業を怠って学費が全額になってしまったら、また話が違ってきちゃいますし、そんな図々しいことはお願いできません。

それに、同居自体いつまで続けられるか分からないし…。全額になったら、ウチの経済状況じゃ学費を払い切れません。」


「けっこう深刻だな。」


「はい。もうどだい、無理な話だったんです。私がこんないい高校に通うなんて…。」


森野は首をうなだれて言った。


「もう私、学校辞めて父方のおばあちゃんの家で農業手伝って暮らそうかな?

森野林檎、学校生活終了のお知らせです。

先輩。短い間でしたけど、お世話になりました。振り回してしまって申し訳なかったです。」


森野は意気消沈した様子で、俺にペコリと頭を下げた。


そんな森野に俺は言ってやった。


「君はバカなのか?」


「はい。バカです。大バカです。」


ううっと森野は涙目になった。


「そうじゃない!まだ中間テストが終わっただけで諦めるのは早いんじゃないかって言っているんだ。数学が苦手なら得意な奴に教えもらえばいいだろう?」


森野は目を瞬かせて聞いた。


「数学が得意な人に教わる…?誰に…?」


「例えば俺とか。」


俺はスクールバックから取り出したテストの答案を森野に見せてやった。


「数学II 97点…! 数学B 98点…!!」


森野は眩しいものでも見るように、手をかざした。


「これから俺が森野に数学を教えてやる。」


「せ、先輩…!いえ、先生!!よろしくお願いします!!」


❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇

「取り敢えず、テストの復習からいくか。

追試になったのは数Iだっけ?」


「はい。二日後に追試があります。それだけは絶対落とすワケにはいきません。頑張って勉強しないと。」


俺達は場所をリビングに移して森野の追試に向けての勉強会を行うこととなった。


「テストの答案見せてもらったが、うん。

ひどいな。まず、公式をうろ覚えにしてるから、できる問題も全部落としてる。」


「は、はい…。他の暗記系は得意なんですが、こういう数字とか文字の羅列って、覚えるの苦手で…。しかも、高校になってから、長い公式が増えたし…。」


言い訳を並べる森野に俺はため息をつくと…。


「そんな森野にとっておきの分り易い問題集がある。」


「え?本当?どんな問題集ですか。」


目を輝かせて聞いてくる森野の前に薄い一冊の問題集を置いてやる。


「わぁ、そんなに厚みがないんですね。これなら私にもできそう。ん?『徹底解説 中学数学』……?」


森野は怨念を込めて俺を睨んできた。


「先輩…。私がまだ中学生並みの脳だって馬鹿にしたいんですか?先輩が親切に教えてくれるなんておかしいと思いましたよ。」


俺はそんな森野に眉を顰めて否定してやる。


「ち・が・う!馬鹿だって分かってるものを更にバカにしてどうする?時間のムダだ!」


「ひっ、ひどっ!」


「森野、自分が高校生並みの脳だと自負しているなら聞くが、受験終わってから数学の教科書一度でも開いた事があったか?」


「そ、それは…。ホラ、入学の準備とか色々忙しかったから…。」


「また、言い訳か?高校数学は中学数学を更に発展させたものなんだから、中学数学の基本をうろ覚えでいい点とれるワケないだろ?

苦手科目ならなおの事復習しておくべきだったぞ。」


「うぅ…、すいません…。」


森野は小さくなって謝った。


「例えば、テストで間違えてるこの因数分解の問題だけど、これは中学で習った公式をしっかり覚えていればできたところだ。ちょうどこの問題集でいうと、ここだ。」


俺は問題集のページをめくって、森野に見せてやった。


「あっ、はい。そういえば、この公式は見覚えがありますよ。」


「まずは、公式を覚え直して、

この基本から応用の問題をやる事。制限時間は一時間。はいっ。始め!」


「はっ、はいっ。」


森野は真剣な表情で問題と格闘し始めた。



そして一時間後ー。


問題を解き終えて、心配そうな顔で採点を見守っていた森野に俺は非情に言い放つ。


「30問中正解は15問だ。君は中学のテストでも50点という事になるな。」


「えぇーっ。嘘ぉ。結構手応えあったのにーっ。」


森野は、ショックのあまりリビングテーブルに

顔を突っ伏した。


「こことここ、符号の間違え!」


「あうっ。」


「ここ、公式の2abの2をかけ忘れてる!

問題に2yとあるからって惑わされるな!更に公式の2をかけてやらないと駄目だろう!」


「ああっ。何という引っかけ問題!」


「こんなん、引っかけの内に入らんわ!

それから、多いのが、因数分解を最後までやってないパターン。問題番号に丸をつけたところをよく見てみろ!更に和と差の積で因数分解できる。」


「あぁ〜本当だ!あれ、でもこっちの問題はちゃんと因数分解してません?」


「左のカッコ内見てみろ。更にできるだろ?」


「あっ。えぇ〜ダブルでできるパターンなのぉ?やられたー!!」


大分打ちのめされた様子の森野に俺はにこやかに言ってやった。


「間違えた問題の復習が終わったら、いよいよ、テスト範囲の勉強始めるぞ。休憩はないものと思え!」


「鬼!先輩は鬼です!」

森野は涙目で訴えた。


「なんとでも言うといい。けど、一ついい事を

教えてやる。」


「?」


俺は森野の数Iの教科書のページを開いた。


「高校で習うここの公式は全部覚えなくていい。これとこれだけ覚えれば、あとは問題にマイナスの数字が出てきたとき、カッコをつけてマイナスの値をそのまま代入してやればいい話だ。」


「えっ。本当ですか?」


「ああ。無理して全部覚えようとしてどれもうろ覚えになるぐらいだったら、2つの公式を完璧に覚えろ。少しはやる気になってきたか?」


「は、はい。それなら私にも覚えられそうです。希望の光が見えてきました。」


森野は目を輝かせ頬に赤みがさしてきた。

それから、少し表情を改め、躊躇いがちに聞いてきた。


「あの、先輩…。」


「ん?」


「私としては、教えて頂いてすごく助かるのですが、どうしてこんなによくしてくれるんですか?

先輩にとっては、私が成績落として学校辞めた方が同居を解消出来て、好都合だったでしょう?」


森野の純粋な目でじーっと見られ、俺は少し言い淀んだ。


「やっ…。それは…。」

俺は咳払いをして続けた。


「この状況を知っていて、知らんふりをしていたと分かったら後で両親になんて言われるか分かんないだろ?例え、森野が学校辞めて、同居を解消できたとしても、実家で今まで以上に針の筵で過ごさなきゃならなくなる。

それよりはここで森野に恩を売っといて、両親の心象が良くなるよう口添えしてもらった方がいくらかマシかなと、そういう計算だよ、計算!」


「ああ。なるほど!」

森野は大きく頷いた。


「そういう事なら納得です。さすが先輩!頭良いですね。大丈夫ですよ。この森野恩を仇で返したりはしません。追試を乗り切った暁にはご両親に先輩の善行をしかとお伝えしますからね。」


森野はニッコリ微笑んで胸を叩いた。


「あ、ああ…。よろしく頼むよ。」


俺は森野の真っ直ぐな笑顔から目を逸らして言った。

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